後日談(本編完結の少し後)


『一人でいけそうか?』
「うん。その方が動きやすい」
『そうか』

電話越しの降谷は、いつもより硬い声をしている。ナマエはそれに努めて普段通り返した。

『僕は本丸を叩く。だが危険度で言えば君の方が上だ』
「大丈夫、任せて」
『……ああ、油断するなよ』
「了解」

短く答えて通話を終えたナマエが、肩に触れる長さの金髪を一つにまとめる。目立つそれを黒いキャップで覆い隠し、眼下に見えるそれに青い目を細めた。

ナマエがいる高台からは、月明かりに照らされた一軒の洋館が見えている。
周りに他の建物はなく、木々に隠れるようにしてひっそりと建つそれは、組織が所有する不動産の一つだ。

組織の幹部たちは拠点を不定期に変えるらしいが、「探り屋バーボン」が得た情報によれば、今あの洋館には二人の幹部が滞在している。

その名前はジンとウォッカ。
ここで幹部二人を無力化し、拠点の一つを確実に制圧するのが彼女の役目だ。

「ここからは一人で行きます」

そう言って振り向いた先にいるのは、降谷の部下で風見という男だ。彼はナマエをここまで車で連れてくるという役目を担っていた。

風見は降谷から、ナマエが同居人かつ未登録の協力者であるということしか聞いていない。普通の女性にしか見えない彼女が丸腰で組織の拠点に向かうということに、彼は戸惑っていた。

「しかし…」
「大丈夫。…あ、インカムあります?」

その言葉に風見がインカムを差し出す。ナマエはそれを右耳に装着した。

「終わったらお知らせします」
「あっ」

返事を待たず、ザッと足を滑らせるようにして高台から下りていく。
その危なげない足取りを見ながらも、風見の表情には不安の色が滲んでいた。




***




洋館内部の構造は、降谷から送られてきたマップで頭に叩き込んである。
裏口の鍵を分解して侵入し、手前にある寝室のドアを「壁」に錬成し直して中の人間を出られなくした。これでまず一人。

もう一つの寝室は二階の突き当たりだ。音もなく階段を上り、廊下を進んでそのドアの前に立つ。
両手を静かに合わせてからそれをドアに付け、先程同様ドアを「壁」へと変えた。


チャキッ


小さな金属音と共に、キャップ越しにもわかるほど冷たく硬い塊が押し付けられる。

「お前…なんだ?その力は…」

底冷えするような鋭く冷淡な声が、ナマエの鼓膜を震わせた。彼女を包むのは、この世界に来てからは感じたこともないような重苦しい殺気だ。
先程ウォッカを閉じ込めた時、その錬成反応で侵入者に気付いたんだろう。話に聞く通り、警戒心が強く洞察力に優れた男のようだ。

ナマエは壁に当てていた手をそっと放し、そのまま両手を上げる。

「どこから潜り込んだ鼠かは知らねぇが…死ぬ前に全て吐いてもらおうか」

後頭部にグッと押し付けられた銃口は、彼の気分次第でナマエの命を奪うだろう。死の足音を間近に聞きながら、ナマエの口元が綺麗な弧を描いた。

「残念だけど…鼠じゃないよ」

落ち着いたその声色に、「あ?」とジンの片眉が上がる。ナマエは背後の男に感づかれないよう、右足の踵を少しだけ上げて続けた。

「私は、いぬだから」

言いながら踵を下ろすと、靴底に仕込まれた錬成陣がジンの立つ床を勢いよく隆起させる。

「なっ!?」

体勢を崩しながら放たれた弾丸が、即座に振り向いたナマエのキャップを掠めてドアがあった場所に亀裂を走らせた。

両手を合わせたナマエが右手を下から上に振り上げるようにして薙ぐと、無数に現れた氷の礫がジンに襲い掛かる。一つ一つの威力は小さいが、目くらましとしては最適な技だ。
後方によろめきながら腕で顔をかばうジンに向かって跳躍し、空いた胴体に右足を叩き込む。

「ぐっ…!」

ガウン!

「ッ、」

蹴り飛ばされながらも瞬時に構えられた拳銃がナマエの左頬を抉った。

(あの体勢から当ててくるか)

思わず感心するナマエだったが、ここで攻めの手を緩めるわけにはいかない。頬を流れる温かいものは気にしないことにして、合わせた両手のひらを床に押し当てた。
勢いよく隆起した床が、ギリギリ倒れず踏みとどまっていたジンにぶち当たる。そのまま勢いを止めずに壁際まで彼を押し運び、両手両足を固定しながら磔にした。

右手に握られている銃もその銃口は斜め上を向き、もはや武器としての意味を成さない。

「……お前…!」

身動きが取れなくなったジンが、悔しそうに顔を歪めてナマエを睨みつける。
ナマエはゆっくりとそれに近づきながら、袖で乱暴に左頬を拭った。

「…何者だ」

射抜くようなその視線は、そのまま人を殺せそうな迫力を秘めている。何も知らない少女なら震えて気絶するかもしれない。
ナマエはふっと口元に笑みを乗せて、その問いに答えた。


「通りすがりの錬金術師、かな」




***




念のためジンの銃を取り上げたナマエは、続いて一階の寝室前に下りてきた。
二階の戦闘音で起きたらしいウォッカが「兄貴!?」と叫びながらドアがあったはずの場所を叩いている。

ナマエは両手をパンッと合わせて壁にそれを当てる。すると見る見るうちに壁が凍り付いた。

「兄貴!どうしたんで…ヒッ!?」

壁を叩く音が止んだところで、右に少し離れて「ドア」を錬成する。
出来上がったドアを開けて入ると、壁にくっつくようにして首から下を凍り付かせた男がいた。

「なんだアンタ!これは一体…!」

混乱して叫ぶ男を横目に、ナマエは寝室のベッドシーツから長いロープを二本錬成する。それを左手に携えた状態で、右耳のインカムを起動させた。

「あ、もしもし?そろそろ終わるので、回収のお手伝いお願いします」

その連絡に駆け付けた風見が見たのは、なんの損傷もない綺麗な状態の洋館で、二人仲良く縛り上げられた主要幹部二名の姿だった。




***




ふふんと鼻歌まじりで鍋の蓋を開け、ナマエは中の豚汁を確認した。
隣のフライパンには揚げ焼きにしたタラにかけるための野菜あんが出来上がっているし、ダイニングテーブルにはすでに三種類の小鉢が並んでいる。

「よし、完璧」

今日は一週間ぶりに降谷が帰ってくる日だ。
FBIやCIAとの共同作業ですべての拠点を制圧した後、降谷はその後処理のため帰宅もままならない日々が続いていた。

それが今日はようやく帰れそうだと彼からメールが来たのが二時間前。これから本庁を出ると連絡があったのが三十分前だ。
そろそろかな、とナマエが結んでいた髪をほどいたところで、タイミングよく鍵の開く音がした。

「ただいま」
「おかえりー」

声をかけて、降谷の荷物と上着を受け取る。彼はネクタイを外しながら「いい匂いがする」と頬を緩めた。

「…ここ、まだ痛むか?」

そう言って彼がなぞったのは左頬の傷だ。

「ううん。痕も残らないみたいだし、こっちの医療技術に感謝だね」
「そうか」

降谷は安心したように息をつく。

「ご飯できてるから、手洗ってきて」
「はい」

久々の帰宅に機嫌がいいのか、いい返事だ。
ナマエは料理を用意しつつ、シンク下の収納からあるものを取り出した。

「いただきます」
「どうぞ」

降谷が「うまい」とがっつくのを見ながら、ナマエは手元のそれを降谷に見せる。

「見て見て、これ」
「ん?…日本酒?珍しいな、どうしたんだ」
「毛利さんに和食に合うおすすめのお酒を教えてもらったの」
「へえ、毛利先生が」

飲んでいい?と聞くと、降谷が「ほどほどにな」と苦笑する。日本酒を飲むのは初めてなので、どうせすぐに酔っ払うと思われているのだろう。
ロックグラスを二つ用意したナマエがそれを注ぎ、「大仕事終了にかんぱーい」と勝手に当てる。

「……あ!美味しい」

フルーティで飲みやすく、クセがないので料理の味を邪魔しない。すっかり気に入った彼女は、料理と一緒にちびちびと飲み進めた。

「ご馳走様でした」
「お粗末様でしたー」

食べ終わり、ナマエがテーブルを片付けようと立ち上がると、降谷が「ナマエ」と手招きした。

「ん?」
「おいで」

酒で思考力の落ちたナマエが素直に近寄ったところで、降谷が彼女の腕をグイッと引き寄せる。

「うわっ」

軽々と持ち上げられ、降谷の膝に跨るような体勢にされたナマエは「ん?」と目を瞬かせた。

「えっ、なに?」
「じっとしてて」

ぎゅっと抱き締められて身動ぎするナマエを制し、降谷が彼女の首筋に額を寄せる。はー、と長いため息が白い肌をくすぐった。

「ん…、零?」

降谷は顔を上げない。たまに「あ゛ー」と唸りながらグリグリと額を押し付けられ、ナマエはくすぐったさに身をよじった。

「ねぇ、離して」
「……」
「零?離してってば」
「…僕の癒しを奪う気か」

そのままの体勢で低く呟かれ、きょとんとしたナマエが「癒されてるの?」と問いかける。

「僕は今猛烈に癒されている。それを奪う権利が君にあるのか」

え、ないのかな…?とぼんやり考えるが、酒の力も手伝って思考がその先に進まない。

(…疲れてるだろうし、いっか)

考えることを放棄したナマエは、柔らかい金髪を抱き締めて「お疲れ様」と呟いた。


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