05


自宅に着いて車を降りた降谷は、降り注ぐ日差しの強さに目を細めた。季節は春だが、風もなく、暑いくらいの陽気だった。きっと部屋の中も暑いだろう。

(エアコンをつけていいと言っておくべきだったな)

自宅にいるはずの彼女を思い浮かべる。基本的には毎日のように図書館と自宅を往復している彼女だが、今日は珍しく家にいたいと言った。今頃暑さでだれているかもしれない。

そう考えながら自宅のドアを開けた降谷だったが、暑いどころか室内からはひんやりとした冷気が漂ってくる。

(……え?)

エアコンをつけたのだろうか。目を瞬かせながら一歩足を踏み入れて、降谷はさらに驚いた。

「あ、おかえり。零」

ナマエがいたのはいつもの定位置である和室のベッドではなく、キッチンだった。長い金髪をポニーテールにして、コンロに置かれたフライパンで何かを炒めている。何やらいい匂いだ。

「……料理、してるのか?」
「え、ダメだった?」

目を丸くさせた降谷にナマエが問いかける。それに「ダメじゃないが」と返しながらキッチンを覗き込んで、降谷は自分の目を疑った。

「驚いたな」

フライパンの中身はおそらく鶏ごぼうだ。隣のコンロではすでに味噌汁が出来上がっていて、後ろを振り向くとダイニングテーブルに三種類の小鉢が二人分置かれている。その中身はオクラと長芋を梅肉で和えたものと、タコときゅうりの酢の物、人参のきんぴらだ。彩りもいい。

「料理もできたのか」
「錬金術は台所で生まれたって言われてるくらいだからね。私の研究書も料理のレシピ風に暗号化してたし」
「へえ」

それにしても見事な和食だ。レシピは本や雑誌から学んだのだろうが、初めて作るメニューでここまで再現してみせるとは。
また一つ彼女の特技を知った降谷は、荷物を置きに入った和室でエアコンが動いていないことに気付いた。それにしてはずいぶん涼しいが。

「…この部屋、涼しくないか?」
「あ、すぐにシャワー浴びたりする?」
「シャワー?」
「ごめん、今浴室使ってて。もし浴びるならすぐに溶かすよ」
「溶かす……?」

何一つ意味がわからない返答に、とりあえず手を洗おうと洗面所に向かう。なぜか半開きになっていた扉を開けると、途端に寒いほどの冷気に包まれた。

「え?」

その冷気は、これまた扉が半開きになっている浴室から漂ってくる。この先に一体何があるというのか。自宅でなぜこんなホラーな気分にならなければならないんだ、と浴室を覗き込んだ降谷が、思わず「わっ」と声を上げた。

浴槽から天井ギリギリの高さまでそびえ立っているのは、いつかも見た筋骨隆々の半裸の男性だ。今回もまた筋肉をアピールするようなポーズを決めている。主張の激しい胸筋と上腕二頭筋に、降谷はなんともいえない表情を浮かべた。

「……これは、氷像か?」

冷気はその巨大な像から漂っており、濡れたようなツヤを放つ透明なそれはどうやら氷でできているようだった。
そこに、タオルで手を拭きながらナマエがやってくる。

「ごめんごめん、今日暑かったから」
「いや、それはいいんだが…。これも錬金術で作ったのか?」
「うん。氷を扱うのは得意なの」

聞くと、国家錬金術師になると二つ名が与えられるらしく、彼女のそれは「氷結の錬金術師」というらしい。

「で、これは君の趣味か?」
「趣味?」
「いつもマッチョな男性を作るだろう」

ああ、とナマエが納得したように頷く。

「アレックス・ルイ・アームストロング少佐だよ。直接の部下ではないけど、セントラル…中央司令部の同僚なの。この体型、バランス取りやすくって」

まさかの実在の人物だった。
呆気に取られた降谷がアームストロング少佐とやらの氷像を再び見上げる。一房だけ垂れた前髪と、くるんと毛先がカールした口髭が特徴的な男性だ。そしてとにかく筋肉の主張がすごい。

「……これが実在するのか」
「そりゃそうだよ、いくら私でもイチからこんなの作れないよ」

ナマエは可笑しそうに笑った。
しかもこの少佐は国家錬金術師でもあるらしい。この体つきで科学者とは、文武両道がすぎる。
降谷は巨体から漂う冷気に体を震わせた。




***




ナマエの作った和食は、見栄えだけでなく味も申し分なかった。さすが理系と言うべきか、食材の切り方一つとっても几帳面な性格が窺える。

「うん、うまい」
「よかった。でも冷蔵庫の中身かなり使っちゃった」
「そのくらいまた買えばいい」

夕方、涼しくなったら歩いて買い物に出かけるのもいいかもしれない、と降谷は思った。彼女は普段図書館と自宅の往復ばかりだし、移動も車だ。そろそろ自分で行ける行動範囲を広げさせてもいいだろう。

「…ああ、それと、話しておきたいことがあるんだ」

声のトーンを少し落とした降谷に、ナマエは箸を置いて「何?」と首を傾げた。

「僕の仕事のことだ。今後のことを考えて、君には話しておいた方がいいと判断した」

ナマエは無言でその先を待っている。

「実は、僕は警察官なんだ。そしてその中でも特に秘匿性の高い部署にいる」

そう話す降谷に、ナマエは間を置かずに「チヨダ?」と返してきた。その言葉に降谷は瞠目する。

「……どこでそんな知識を?」
「本で読んだの。タイトルは『日本警察の表と裏〜公安はこうして国を守る〜』」

相変わらず見境のない知識欲だ。

「なるほど。ただその本は少し古いな。今はゼロと改称されているんだ」
「ゼロ…。ふーん」
「そして僕は今、潜入捜査官でもあってね」
「ああ、それで透なんだ」
「理解が早くて助かるよ」

本当に、彼女は自分にとって都合のよすぎる人物だ。話しながら降谷はそう実感していた。
有用性の高い能力を持ち、軍隊仕込みの身体能力と研究者としての頭脳を兼ね備えている。こちらが伝えた以上のことを即座に理解してくれるのもありがたい。若くして大佐に上り詰めただけあって、やはり相当優秀な人材らしい。

「君のその知識と能力の全てを、僕のために使ってくれるという取引だったな」
「等価交換だからね」
「なら今後君の助力を請うこともあるだろう。これはそれを見越した情報開示だと思ってくれればいい」
「なるほど」

実際に登録はできないが、彼女は降谷だけの協力者のようなものだ。

「ゼロの零か。面白いね」

ふふ、と彼女が笑う。

「しかもそれに存在しないはずの女が協力するなんて、洒落が利いてる」

確かに、対外的に存在しないものという意味ではゼロも彼女もよく似ていた。

「…君の戸籍なら作るつもりだが」
「そう?じゃあ追々」

軽く答える彼女はその辺りのことには興味がなさそうだ。

「そうだ、服も足りないだろうし後で買い物に行くか。食材も買い足そう」
「わ、お出かけ?やった!」

今度は嬉しそうだ。自分の存在証明より知識欲や興味関心が勝る辺りが彼女らしい。

「他に欲しいものはあるか?」
「研究室」

それはちょっと。
どこまでもぶれない彼女に降谷は苦笑した。


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