06


白いRX-7が停まっているのは、降谷が普段から利用してるコイン洗車場だ。
大まかに洗車して拭き上げた車体は上品な艶を放っているが、今日の目的は洗車ではない。

降谷が目線を向けたRX-7の車体下では、バチバチと青い光が弾けているのが見える。時たま光ってはまた止み、そしてまた光る。それの繰り返しだ。

しばらくすると、車体の下から車輪の付いたクリーパーがコロコロと姿を表した。そこに仰向けに寝そべっているのは、長い金髪をサイドで一まとめにしたナマエだ。

「どうだ」
「うん、これで大丈夫そう。下回りは鋼板を薄く乗せて全体的に補強したし、エンジンもオーバーホールの要領で再構築して、アルミホイールも補強済み。あとは仕上げかな」

体を起こしたナマエが、クリーパーに座ったまま紙の束を手に取る。それは降谷が調達してきたRX-7の設計書だった。
ブツブツと呟きながらそれに目を通した後、「よし」と呟いて顔を上げた。

「周り見ててね」
「ああ。…今なら大丈夫そうだ」

立ち上がったナマエが、パンッと両手を合わせて車体に手のひらを当てる。バチバチッと一際大きい光が走ったかと思うと、洗車済みの車体がさらに美しい輝きを取り戻した。

「!これはすごいな…」
「ふふ、内部まで一気に再構築したからこれで理論上は新車同様。走行距離もゼロに戻していいくらいだよ」
「まったく……最高だな、君は」

それは紛れもない本心だった。
すでに生産終了となって久しいRX-7が、今まさに目の前で新車の輝きを放っている。それはなんともいえない高揚感だった。

「今後このやり方で問題ないか確認したいから、一度ディーラーで見てもらってね。ついでにガスケットだけ交換してもらった方がいいかも」
「ああ、わかった」

シール材の劣化にまで気を配るナマエに、降谷は満足そうに頷いた。
彼女が愛車の天井を凹ませながら出現した時はどうしたものかと思ったが、なんだかんだでいい拾い物をしたものだと思う。

すっかり若返った愛車を一撫でしながら、降谷は頬が緩むのを感じていた。




***




「ナマエ?」

夕食後、ダイニングテーブルで新聞を広げたナマエが、どこかぼんやりしているように見えて降谷は声をかけた。
彼女の反応はない。いつかの図書館のように集中しているのだろうかとも思ったが、彼女の視線は一点を捉えたまま動く様子はない。

「ナマエ」

少し近づいて再び声をかけた降谷は、次の瞬間飛んできた裏拳にハッとしてそれを受け止めた。

「……あ、ごめん」
「いや、僕も右から近づいて悪かった」

無意識だったらしく少し驚いた様子のナマエが、拳をほどいてテーブルに下ろした。

「最近なかったのに、珍しいな」

右側に立たれて手が出るのは、ここに来てすぐの頃には幾度となく見られた光景だった。
外出先ではまだ気を張っているものの、自宅ではあまり気にならなくなってきたように見えたのだが。
ナマエは手元の新聞をさっと畳むと立ち上がる。

「ごめん、寝不足かな。お風呂行ってくる」
「ああ、ごゆっくり」

脱衣所に消えていく彼女を見送って、降谷はテーブルの上で畳まれた新聞に目を落とした。
彼女がぼんやりと眺めていたのは、外国で長く続く内戦について書かれた記事だった。

(そういえば戦争経験者だったな)

世界を越えてもなくならない戦争に、思うところでもあるのだろう。

ふと、降谷の足が和室に向かう。
押し入れの戸を開けると、目の前には一つのダンボールがある。そこにはナマエが着ていた軍服と外套、それから純銀製の懐中時計が入れられていた。
さすがに拳銃はすぐに回収させてもらったが、それ以外の荷物はすべて処分せず保管している。

降谷は銀時計を手に取ると、おもむろにその文字盤を外す。
この時計は彼女がここに来た時にはすでに動いていなかった。彼女は時計としてこれを持っていたわけではないらしい。文字盤は簡単に外せるよう加工されていて、中のムーブメントには小さく畳まれた一枚の写真が挿し込まれている。

それを広げると、そこにはナマエと一人の男が映っていた。切れ長の目を持つ黒髪の男で、彼女と同じ軍服と外套を着込んでいる。十中八九これが「ロイ」だろう。
男は微笑みながらナマエの肩を抱いていて、ナマエも笑顔だがその右手は肩に置かれた男の手の甲を抓り上げている。

降谷がこの写真を見るのはこれが二回目だ。彼女がここに来たばかりの時、その目を盗んで荷物を隅々まで検めていた降谷が、加工された文字盤に気づいたのが最初だった。

その後、ロイと恋人同士だったのかさりげなく聞いた降谷に、彼女は「私とロイが?そんなわけないじゃん」と吹き出した。

「ひどい戦場だったから……そこにいる誰もが、自分が人間なのか化け物なのか、わからなくなっていったの。そんな時に隣にいた者同士寄りかかって人間だって確認しあった…それだけの関係だよ」

そう話す彼女の表情は穏やかで、ロイという男が彼女の拠りどころだったことは容易に想像できた。

違う世界に来てしまった今、彼女が寄りかかれるものはない。
降谷とは等価交換の取引で結ばれただけの関係だし、彼女も降谷を友人とさえ思っていないはずだ。降谷にしたって、もし彼女が仕事の障害になるのであれば迷わず切り捨てるだろう。彼女の拠りどころにはなり得ないのだ。

(…僕が心配することでもないか)

小さくため息をつき、銀時計を元の場所に戻す。
彼女だっていい大人だし、今彼女の近くに戦争はない。降谷が心配しなくても、ちゃんと折り合いをつけていくだろう。




***




その日の夜。
降谷が持ち帰りの仕事を全て終える頃、時計はすでに午前三時を指していた。短い睡眠を貪ろうとベッドに入ったところで、隣の布団に寝るナマエがごそごそと身じろぎをする。

「………っ」
「ナマエ?」

魘されている様子のナマエに声をかけるが、反応はない。
体を起こしてそちらを見ると、彼女はぎゅっと体を縮こまらせて何かに耐えているようだった。

「……いや…、」

目は閉じているが、ぎゅっと寄せられた眉が彼女の見ている夢が悪夢だと伝えている。
ナマエは消え入りそうな声で「逃げて」と呟いた。戦争の夢でも見ているのだろうか。
一度起こすべきかと降谷が思案したところで、彼女の唇が小さく震えた。

「…ロイ……」
「……」

(いや、何をしているんだ僕は)

気づいたら、降谷は眠るナマエの隣に座ってその金髪を優しく撫でていた。
彼女を起こせば済む話なのに、貴重な睡眠時間に自分は一体何をやっているのだろう。自分で自分に思わずため息が漏れた。

それでも、眉間の皺がなくなったナマエの姿を見ると、心のどこかが満たされるような感覚がある。もしかしたら、大切な人と会えなくなった彼女と自分を重ね合わせているのかもしれない。

「……ロイ?」

ふと、目を開けた彼女がぼんやりとこちらを見つめているのがわかる。存在を確かめるようにゆっくり瞬きをした後、彼女の表情がふにゃりと緩んだ。

「……今日は、入ってこないんだ?へんなの…」

それだけ言うと、彼女はまた寝息を立ててしまった。

(…今、大変なことを聞いてしまったような気が)

ロイとは恋人じゃないんじゃなかったのか?と降谷は混乱していた。隣にいた者同士寄りかかったって、そういうことか?
いや、そもそもなんで自分はこんなに動揺しているんだ。彼女のあちらでの交友関係なんて、無関係にもほどがある。

(…寝よう)

ベッドに戻って腕で視界を覆う降谷だったが、結局朝日が昇るまで眠気は訪れてくれなかった。


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