後日談
※原作時間軸
※松田不在




***




安室が淹れた二杯目のカフェオレを堪能しながら、名前は「そういえば」と口を開く。

「以前お会いした時に教えてもらった梅昆布茶、むくみにもいいって聞いて寝る前に飲むようになりました」
「ああ、梅昆布茶に含まれるカリウムはむくみの改善作用が期待できますからね」
「あーそれです、カリウム」

手だけでなく足の撮影も多い名前にとって、むくみは大敵だ。
前回、安室が梅昆布茶の安眠作用を語ってくれたのもあって調べたところ、むくみへの効果を知ったのだった。

「ただ、梅昆布茶には塩分も含まれていますから。飲み過ぎは逆効果なので気を付けてくださいね」
「あ、確かに。気を付けます」

納得して頷いたところで、ドアベルがチリリンと可愛らしい音を立てる。
いらっしゃいませ、とそちらに向かう安室を横目に、名前は再びスマートフォンを手に取った。
時間を確認して、それから漢字三文字だけのメール画面をじっと見つめる。

(……安室さん、怒るよね)

ただでさえ自分は、彼にとっては招かれざる客だ。
いつ秘密を明かすか気が気でないだろうし、さっさと帰れと思われているに違いない。

(でも、こんなチャンスなかなかない)

安室がいるポアロにはもう来れないし、これがきっと最初で最後のチャンスだ。
ダメで元々、怒られたら即謝ろう。
緊張に鼓動を早めながら、名前はそれを誤魔化すようにカフェオレを口に運んだ。

新しく来た客を安室が席に案内し、女性店員に注文を伝える。
それを受けた女性がキッチンで対応し始めたタイミングで、安室がカウンターを挟んだ向こう側へと戻ってきた。

「あ、あの、安室さん……」
「はい、なんでしょう」

笑顔で前に立った安室に、名前は意を決して小声で話し出す。

「安室さんって今日は何時上がりですか?」
「え?ええと、もうすぐですけど……」
「その後予定がなければ、少し付き合ってもらえませんか?」

突然の誘いに、安室がきょとんとした顔で目を瞬かせる。
そして名前がメール画面を表示したままのスマートフォンを置くと、視線を落とした彼の片眉がわずかに上がった。




***




特有のロータリーサウンドを響かせながら徐行する白いRX-7が、駐車場の枠内になめらかに車体を滑り込ませる。
その助手席から降りた名前は、運転席側から降りた安室に話しかけた。

「付き合ってもらって本当にすみません」
「いえいえ」

何度目かわからない謝罪を口にした名前に、安室は苦笑してそれを受け入れた。
とはいえ、彼の本名を見せながら誘ったのだから、半ば脅迫したようなものだ。名前の謝罪はさぞ白々しく聞こえることだろう。

しかしゼロではないと主張する彼に「脅してごめんなさい」と謝るわけにもいかないし、言ってもとぼけられるのは目に見えている。

「あの、ここは……」
「こっちです。案内しますね」

名前は安室の一歩先を先導するように歩き、やがて一基の墓石の前で足を止めた。
彼女が安室を誘ったのは、萩原が眠っている霊園だった。

「ちょうど友達のお墓参りに来たいと思っていたところだったんです。いつも同じ顔じゃ彼も飽きると思うので、付き合っていただけて助かりました」
「……………」

安室の返答がないのは気にせず、名前はサングラスを取ってそこにしゃがみ込む。
そして墓石に向かって手を合わせ、いつも通り彼に話しかけた。

(萩原くん、今日はゼロくん連れてきたよ)

急だったから線香もお供え物も何もない。
松田だったらまた煙草でも供えるのだろうが、あいにく名前は今も非喫煙者だ。
手ぶらで来たことを謝り、「ゼロ」と再会したことや長めの仕事が一段落したこと、ついでに松田の近況を伝えて立ち上がる。

無理に連れてきたこと、それから萩原にかつての友人を会わせたいという自己満足に付き合わせてしまったことも、もう一度ちゃんと謝ろう。
そう思って傍らの安室を見上げれば、名前より先に彼が口を開いた。

「あの、僕も手を合わせていいですか?」
「えっ」

それは意外な申し出だった。
てっきり、素知らぬ素振りを続けるものと思っていたが。

「せっかく来たので、名前さんのお友達にご挨拶をと思いまして」
「も、もちろんです!彼も喜ぶと思います」

名前が場所を譲ると、安室はしゃがみ込んで手を合わせた。
ポーズだけ取ってさっさと立ち上がるのかと思えば、意外にも長いこと目を伏せている。

(……何話してるのかなぁ)

名前はこっそり目頭を熱くしつつそれを見守っていた。
少しして、安室が「ありがとうございました」と立ち上がる。

「あ、いえっ、それはこっちのセリフです」
「名前さんはよくここに?」
「え?うーん……大きな仕事の前後とか、節目の時には結構来てます」
「へえ、そうなんですね」

名前が勝手に験を担いでいるだけだが、ここに来ると仕事の調子がいいのだ。
ただし、松田と喧嘩した時の愚痴吐き場にもなっているが。

「実は、彼が亡くなってから長い間ここに来ることができなくて……」

言葉を切って、安室を見上げる。

「その分、今はたくさん話がしたいと思ってるんです」

そう言って笑った名前に、安室もまた穏やかな表情で笑い返した。




***




「どこまで送りましょうか」

車に戻ると、シートベルトを締めながら安室が問いかけてくる。

「えっと……じゃあ、近くの駅までお願いしてもいいですか?電車で帰るので」
「わかりました」

なめらかに発進したRX-7が、再びエンジンの回転域に合わせて低いロータリーサウンドを奏で始めた。
すると何個目かの信号を通り過ぎたところで、安室が脈絡もなく口を開く。

「名前さんの恋人は幸せですね」
「えっ?」
「友達想いの優しい彼女さんで」

目を丸くして隣を窺うが、正面を向いたままの安室とは目が合わない。

「あの……私、付き合ってる人がいるって言いましたっけ」
「ああ、いえ。こんなに素敵な人なので、いないわけがないだろうと」
「へっ」

この男、相変わらず恐ろしく紳士的である。
社交辞令に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった名前は、照れ隠しに窓の外へと視線を移した。

「幸せかぁ……そう思ってくれてるといいんですけど」
「きっと思ってますよ」

ちらっと横目で窺えば、優しく微笑む横顔が見える。
どうやら無理やり連れ出したことは怒っていないようで、名前は小さく息を吐いた。

「ポアロにもまたいらしてください」
「え、いいんですか?」

てっきり迷惑がられていると思っていた名前が、素で聞き返す。

「もちろん。カフェオレ、もっと美味しく淹れられるように練習しておきますから」
「あっ、それ嬉しいです。いや、もう充分美味しいですけど」

なんとも意識の高い潜入捜査官(仮)に、名前はふふっと笑みを零す。
それから、暇潰しにめくっていたメニューの内容を思い出した。

「そういえばテイクアウトできるメニューもあるんですよね」
「ええ、ハムサンドなんかが人気ですね」
「じゃあ今度お願いしようかな。私あんまり料理得意じゃないし」
「ぜひ彼氏さんと食べてください」
「ふふ、はい」

会話を楽しむ間、車内にはなんとも穏やかな雰囲気が漂う。
すると安室が思い出したように、「ああ」と声を上げた。

「でもその彼なら、BLTサンドやカツサンドの方が喜ぶかもしれませんね」

えっ、と隣を見るが、やはり目は合わない。
確かに松田は肉好きだし、彼からのメールを見せた時点で名前との関係が予想できたとしてもおかしくはないが。

(ええ……? ゼロじゃない、で押し通すんじゃなかったの?)

「僕の顔に何かついていますか?」
「……とっても整ったお顔がついてます」
「ははっ、それはどうも」

安室は正面を見たまま可笑しそうに笑った。

考えてみても、頭のいい人間の思考回路は名前にはわかりそうもない。
とりあえず彼が掴みどころのない謎多き男であることだけは、今日一日でよくわかった。

「……真面目でいい子ちゃんのゼロ、かぁ」
「え」

かつて萩原から聞いた言葉をぽつりと呟いたところで、ちょうどタイミングよく赤信号に捕まって車が停まる。
安室がこちらを見るのがわかったが、今度は名前が目を合わせない。

「あの……なんですか?今の」

安室の声には珍しく戸惑いが滲んでいて、名前はこのミステリアスな男にちょっとだけ意趣返しができたような気がした。

「ふふ、なんでもないです」

悪戯っぽく笑いながら視線を向けると、安室の口元がひくりと引き攣るのが見える。
彼の余裕を崩せたことを嬉しく思うあたり、自分もすっかり松田や萩原に毒されてしまったのかもしれない。

名前は自分の性格の悪さを二人のせいにして、「青ですよ」と前を指差した。


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