番外編
※原作時間軸
※後日談「優しき脅迫」より後の話
※犯罪描写については捏造過多
「名前さんってさ、彼氏とはもう長いの?」
そう問いかけて来たのは、隣に座ってオレンジジュースを飲むコナンだ。
落としたハンカチを拾ってもらって以来、彼とはこうしてポアロで会話を楽しむ程度には仲良くなっていた。
「えーっと、今三年目で…高校の時にも付き合ってたから、合わせたら結構長いね」
名前は指折り数えながら答える。
カウンターの向こうでは安室が他の客の注文したハムサンドを作っていて、彼女の目線はなんとなくその手元を追いかけていた。
「名前さん、今29歳だよね。結婚は?」
「え、どうなんだろう。話にも出ないよ」
「えっ、そうなんだ?」
意外そうに目を丸くしたコナンに、名前はへらりと苦笑した。
「向こうはそういう願望なさそうだしなぁ。なんていうか、俺は形に囚われたくねぇ、みたいな。そういうタイプ」
「へ、へえ……」
「プロポーズとかそういうロマンチックなシチュエーションも死ぬほど似合わないし……って、コナンくんに話すことじゃないよね」
ごめんごめん、とカフェオレを口に運ぶ。
「ううん、参考になるよ」
「え?」
「あ、いや」
アラサーの恋愛話を参考にする小学生?と名前は内心で首を傾げたが、コナンの落ち着きっぷりなら年上のお姉さんに叶わぬ恋くらいしていてもおかしくないな、と勝手な想像をして一人納得した。
そしてこの時、カウンター越しの安室が笑顔の下で腹筋をプルプルいわせていることには、名前もコナンも気付きはしなかった。
会話が途切れたところで、名前は無意識にため息をつく。
「何か困りごとですか?名前さん」
「え?」
「勘違いだったらすみません。少し顔色が悪いような気がして」
顔を上げれば、手を止めた安室が心配そうにこちらを見ていた。
隣からはコナンからの視線も感じ、名前は気まずい思いで視線を彷徨わせる。
「あー……いや…撮影で朝早い日が続いてて、ちょっと疲れてるのかも」
眉尻を下げながらも笑みを作り、表情を誤魔化すように頬に手を当てた。
「そうですか。疲れているだけならいいですが……もし何か気になることがあったら、遠慮なく相談してくださいね」
「相談?」
「探偵なのでトラブルには慣れていますし、上には毛利先生もいらっしゃいますから」
どうやら名前がなんらかのトラブルを抱えているのではと心配してくれたらしい。
その気持ちを素直に嬉しく思った彼女は、「ありがとうございます」と笑い返した。
「それに、コナンくんも頼りになりますよ」
「え?あー、あはは……」
急に水を向けられたコナンが後頭部に手をやって苦笑する。
それを見ながら、確かに彼にはなぜか頼もしさを感じる、と名前は納得したように頷いた。
「コナンくんってしっかりしてるし、お友達からも頼りにされてるんだろうね」
「まあ…そうかなー」
照れ笑いを浮かべるコナンを微笑ましそうに見やってから、「相談かぁ」と呟く。
カップをカウンターに置いて姿勢を軽く直すと、背もたれとの間に置いていたハンドバッグからカサリと小さな音が聞こえた。
途端に表情を曇らせた名前を、コナンが気遣わしげな表情で覗き込む。
「名前さん、本当に大丈夫?ボク今日は予定もないし、なんでも聞くよ」
「あー、うん、ありがとう……でも明日には警察に行くつもりだし」
「警察!?」
思わずといった様子で声を上げたコナンに、名前は慌てて「しーっ」と指を立てた。
その様子を見た安室の表情もまた真剣味を帯び、作り終えたハムサンドを梓に渡して再び正面に戻ってくる。
「名前さん、今なら店も空いていますし、話していただけませんか?」
「う……」
正面と隣から真摯な視線を感じ、名前は観念したようにハンドバッグを膝に置き直した。
そしてそこから取り出したのはパンパンに膨らんだ白い横型の封筒だ。表には名前の名前と住所が印字されたラベルシールが貼りつけてあり、赤い速達印が捺されている。
「一週間くらい前から、毎日届くんです」
「差出人はなしか。……開けるね」
そう断りを入れてから、コナンが封筒の中身をカウンターに出す。
それは便箋5枚にも及ぶ長い手紙と、そして10枚の写真だった。
「……これは…」
写真に写っている人物は全て名前だ。中にはサングラスや帽子をしていないものもある。
名前が写っていない写真も一枚だけあるが、そこには彼女が住むマンションの外観が写されていた。
「名前さん、この手紙は読みました?」
「いえ。最初の一回だけ読んで気分が悪くなったので、それ以降は読んでないです」
「賢明ですね」
手紙を斜め読みしながら安室が言う。
どうせ一回目同様、眉を顰めたくなるほどゲスでいかがわしい内容が書かれているに違いない。
「これが届いたのはいつ?」
「今日の朝。時間ギリギリだったから、そのまま持ってスタジオに行ったの」
「もしかして、一日に何回か届いてる?」
コナンの質問に、名前は目を丸くして「よくわかったね」と返した。
「朝イチと、あとは家に帰れば大体もう一通届いてるよ」
「普通郵便が一日一回の配達なのに対し、速達の配達は一日三回ですからね」
安室の補足に「なるほど」と頷いていると、コナンが再び口を開く。
「これ、一昨日の写真だね。ほらここ、ラッピングカーが写り込んでる」
「あ、本当だ」
確かに最近、某バンドの10周年記念ライブを告知するラッピングカーが現れたと話題になっていた。
車体にはライブの日付と「ライブまであと何日」という表記があり、逆算すれば確かに一昨日撮影されたものであることがわかる。
「この外観写真って、いつもこんな感じ?」
「ん?……あれ?いつも夜の写真かも」
「ふーん。ちなみに一昨日の撮影っていつもより早く終わった?」
「えっ、うん。機材の不具合で」
「今使ってる撮影スタジオってどこ?」
名前からスタジオの場所を聞き出したコナンは、顎に手を当てて考え込んだ。
「名前さんが上がるのって、一昨日以外はいつも今日くらいの時間でした?」
「あ、初日だけクライアントの事情で入りが遅れて……夜も結構遅くまでかかりました。終電もなくなって、スタッフの方に乗り合いで送ってもらって。でも大体このくらいの時間かな」
「なるほど。ちなみにこの手紙のこと、事務所や彼氏さんには?」
安室の問いには首を振って答えた。
一週間ほど前から続くこの手紙だが、誰かに見せたのはこれが初めてだ。
「今回、納期がタイトで現場もピリついてるので、トラブルを持ち込みたくなくて……。撮影は明日で終わりなので、その足で警察に行こうとは思うんですけど」
ちなみに松田とはこの一週間、たまたま予定が合わず一度も会えていない。
電話やメールでも伝えにくく、ここまで来たら明日警察に相談してから報告しようと思っていたところだ。
そう話すと安室は少し考えてから口を開いた。
「それなら予定通り、明日警察に相談してもらうのがベストでしょうね」
えっ、と声を上げたのはコナンだ。
「でも、安室さん」
「ただし、それまでの移動は必ず車かタクシーで。仕事以外の外出もダメですよ」
「わかりました」
コナンは何か言いたげに安室を見つめているが、名前としては彼に依頼することにならずに済んでホッとしている部分も多少ある。
撮影もあと一日だけなのだ。それが終わればまた数日オフになるし、警察に相談した後は解決するまで引きこもったっていい。
とにかく撮影を無事に終わらせたい名前としては、探偵に依頼なんていうのは最後の手段にしておきたいところだった。
「じゃあ今日はあと一杯で帰ります」
「ええ、おかわり用意しますね」
名前はスマートフォンを取り出すと、配車アプリでタクシーを手配した。
カフェオレのおかわりを飲みながら到着を待ち、アプリの通知を確認して会計を済ませる。
「コナンくん、話聞いてくれてありがとね」
「うん……」
カウンターに座ったままのコナンに手を振れば、彼は神妙な面持ちで振り返してくれた。
そして見送りに出た安室にも礼を言ってからタクシーに乗り込んだ名前には、店に戻った彼とコナンのやりとりを知る術はなかった。
***
マンションに着いてエントランスへと足を踏み入れた名前は、郵便受けの前で足を止めた。
よくあるつくりの集合ポストから自室の番号がついたそれに手を伸ばし、ダイヤルを回して扉を開く。
(……まあ、あるよね)
そこには数通のダイレクトメールに重なるようにして、見覚えのある白い横型の封筒が入れられている。
名前は努めて何も考えないようにしながら、郵便物の束を掴んで部屋へと向かった。
(はい、いつもと同じ)
部屋に入ってすぐに封筒を開けるが、やはり中身は便箋5枚に写真10枚だ。
見ても気分が悪くなるだけだ、とそれを封筒ごとソファに放り投げた名前は、シャワーを浴びに脱衣所へと向かう。
服を脱ぎ捨てて熱めのシャワーに打たれていれば、徐々に気持ちも落ち着いてきた。
(明日までの我慢……)
明日警察に相談すれば、きっと何かしらの対応をしてくれるはず。
もしそれでもストーカー行為が止まなかったら、それこそ安室に依頼すればいい。
(大丈夫、大丈夫)
いつものように心の中で唱えていると、脱衣所に置いたスマートフォンがブーブーと振動を響かせた。この長さは電話だ。
誰かはわからないが、出たら掛け直そう。
そう思ってボーッとシャワーを浴び続けていた名前だったが、ふいに聞こえたガチャッという音に体を跳ねさせた。
(えっ!?…あ、陣平か、ビックリした)
ここに入ってこれるのなんて、合鍵を持つ彼だけだ。
そう安心しかけてから、名前は「あっ」と声を上げた。
慌ててシャワーを止め、適当に全身を拭き上げて体にタオルを巻く。
それから脱衣所を出てリビングのドアをおそるおそる開ければ、そこに見えたのは予想通り松田の背中だ。
(……やっば)
名前は少し前の自分を全力で殴りたくなった。
松田が立っているのはソファの前で、名前はつい先程そこにあるものを放り投げている。
ゆっくりとこちらを振り向いた松田の手には案の定白い封筒と写真の束が握られていて―――その瞳には確かな怒りが滲んでいた。
「これ、何」
その低い声に、名前は温まったはずの体がふるりと震えるのを感じた。彼は口も柄も悪いが、実は怒れば怒るほど静かになる男だ。
こちらを見る目は鋭く細められていて、短い言葉に抑揚はない。
―――怒ってる。それもかなり。
名前はドアを背に、安室やコナンに話したことをそのまま伝えた。
「一週間くらい、毎日届いてるの。明日撮影が終わるから、そしたら警察に相談して陣平にも話そうと思ってたんだけど」
「電話でもメールでも言えるだろうが」
「い、言い出しづらくて……」
この一週間、松田に話そうとしたのは一度や二度ではない。
しかしいざとなるとなかなか言い出せず、会った時に話そうとズルズル先延ばしにしてしまった。
封筒と写真をバサッとソファに放り投げ、松田が距離を詰めてくる。
バン、と背後のドアに手をつかれて、名前は思わず身を竦めた。
「お前な、ナメてんの?」
そう言って覗き込んでくる彼の表情には、抑え切れない苛立ちが浮かんでいる。
「住所まで割れてんだから、まずは全力で自分の身を守れよ」
「ごめん……でも仕事は最後までやりたくて」
「それでストーカー野郎に犯されても?殺されても?」
畳み掛けるような言葉に、名前は言葉を失って瞳を揺らした。
彼女自身、身の危険を感じていないわけではない。
それでも仕事に集中していれば考えなくて済むからと、あえて目を逸らしていた部分は確かにあった。
「こんなことする奴にそもそも常識なんてねぇんだから、警察行くまで待ってくれるとも限らねぇんだぞ」
もっともな言葉に、名前は思わず顔を俯けた。
自分がいかに甘い考えでいたのかを思い知らされて、もはや恥ずかしさすらある。
そしてしばらくその状態でいれば、少しして俯いたままの頭頂部に長いため息が降ってきた。
「……髪乾かしてこい」
その声におそるおそる視線を上げると、ドアから手を放した松田が呆れたような表情でこちらを見ていた。
鋭かった目つきも、先程までより少し和らいでいるように見える。
「風邪引いたら撮影も何もねぇだろ」
「え、じゃあ……」
「明日非番だから迎えに行く。とりあえず、髪乾かしたらこれまでに届いたヤツ全部出せや」
未だ不機嫌そうな顔ではあるが、どうやら明日撮影に行くことは許してもらえたらしい。
「う、うん、ありがとう…!」
名前はパァッと顔を明るくして、再び脱衣所に駆け込んだ。
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