番外編
※原作時間軸
※後日談「優しき脅迫」より後の話
※犯罪描写については捏造過多




***




翌日、いつも通り朝早くから始まった撮影は、特にトラブルが起きることもなく無事に終了した。
前日に松田から言われた言葉もあり、何か起きるかもと気が気でなかった名前はホッと胸を撫で下ろす。

そして兼倉と今後の予定を確認して、少し早いが今日はこのまま上がることになった。

(早く終わったこと、陣平に連絡しないと)

松田には終わったら連絡するように言われている。
連絡したら、彼が到着するまで控室で適当に時間を潰そうと思っていた

「お疲れ様でしたー」

名前はその場にいたスタッフたちに声をかけ、控室に向かうべくスタジオを出る。
そして控室の鍵を開けて中に入り、テーブルの上のバッグを持ち上げたところでカサリと小さな音が鳴った。

(………え?)

ドクン、と心臓が嫌な音を立てた気がした。

警察署には一度帰ってから行くつもりだったので、小さなハンドバッグには財布とスマートフォンくらいしか入っていない。
だからこんな音が鳴るはずはないのに。

どうかこの嫌な予感が当たらないでほしい。
名前はそう願いながらバッグに手を差し入れ、そして指先に触れた物を取り出した。

「ひ……っ」

思わず取り落とした封筒が床に落ち、中に入っていた便箋や写真がその場に散らばる。
封筒には宛名も速達のスタンプもなく、糊付けもされていない。

―――誰かが直接入れたんだ。

それに気付いた瞬間、名前はその場にへたり込んだ。
手に持っていたバッグが床にぶつかり、中のスマートフォンがコトンと音を立てる。

控室には確実に鍵をかけていたはず。それなのにどうして、と思考が当てもなくぐるぐると回った。

(…陣平……陣平を呼ばなきゃ、早く)

落としたバッグからスマートフォンを取り出し、ディスプレイを立ち上げる。
急いで松田の連絡先を呼び出そうとするが、気ばかりが焦って指が別の場所をタップしてしまう。
落ち着け、と自分に言い聞かせて再びディスプレイに触れたところで、コンコンとドアをノックされて肩が跳ねた。

「名前さん」

ドア越しに、くぐもった男の声がする。

(誰?……嫌、まさか)

スマートフォンを持っていない方の手で口元を押さえ、名前は咄嗟に息を殺した。
もしその鍵を開けられてしまったらと、瞬きすら忘れてじっとドアノブを見つめる。

コンコン、と再びノックの音が聞こえ、名前は意味もなくギュッと体を縮こまらせた。

「名前さん、僕です」

安室です、という小さな声が、不明瞭ながらも確かに名前の耳に届く。

「えっ?」

ピタリと震えが止まり、名前はスマートフォンを胸元で握り締めたまま立ち上がった。
鍵を開けてそっとドアを開ければ、隙間の向こうには確かに安室の姿がある。

「…あ、むろさん…?」

彼はシー、と口元に指を立て、「中に入っても?」と小声で問いかけてくる。
名前が慌ててドアから離れると、素早く入り込んだ安室がドアを閉め、再び鍵を掛けた。

「あの…どうしてここに?」

よく見れば彼は黒いキャップを目深に被り、スタッフジャンパーを着込んでいる。

「例のストーカーが撮影現場のスタッフではないかと思ったので、心配で様子を見に」
「え?」

控室の中を見渡した安室は、テーブルの下に落ちている封筒を発見して手に取った。
散らばった写真や手紙も集め、パラパラと素早く目を通している。

「どうしてそんなことわかるんですか?」
「簡単な推理ですよ。それからまだ証拠という証拠はありませんが、ストーカーが誰なのかはわかりました」

そう言って彼が告げた名前に、名前は記憶を掘り起こす。
確か初日に乗り合いで名前たちを送ってくれたスタッフで、寒くはないか、喉は乾かないかと撮影中も度々気遣ってくれた人物だ。

「え…、本当に?」
「……おっと、すぐに出た方がよさそうだ」

手紙を見ながら安室が呟く。
名前がその手元を覗き込もうとすると、安室は名前が内容を読まないよう配慮したのか、封筒で隠しながら最後の一文だけをこちらに見せた。

『終わったら行くから、そこで待ってて』

名前がその意味を理解するより早く、安室は写真や手紙を封筒にしまい、床に転がったバッグを持って立ち上がる。

「現場の片付けが済み次第ここに来るつもりなんでしょう。もしかしたらそれより早く様子を見に来るかもしれません。迎えは呼べますか?」
「あっ、は、はいっ」

背筋をぞわりと這うものを感じながら、名前は握りっぱなしだったスマートフォンを持ち上げる。
松田の連絡先を呼び出して電話を掛けようとしたところで、タイミングよく『着いたから待ってる』とのメールが届いた。
それに『すぐ行く』と返信してから安室に向き直る。

「もう駐車場にいるみたいです」
「では行きましょう」

そう言うと安室は自身が被っていたキャップを名前に被せ、それからスタッフジャンパーも脱いで羽織らせた。

「出くわすかもしれないので、念の為に」

安心させるようにニッコリ笑った安室に、名前もなんとか笑みを浮かべる。
彼が来てくれなければ一体どうなっていたのだろう。精神衛生上、最悪の展開を想像するのはやめておいた方がよさそうだ。

名前は渡されたバッグを抱き締めるように持ち、安室に背を支えられながら通路に出た。

運よく誰ともすれ違わずに外へ出ると、駐車場の端に見覚えのある車が停まっているのが見える。
そこでようやく肩の力が抜けて、名前は肺が空になりそうなほど長いため息をついた。

「では、僕はこれで」

そっとキャップを外されて隣を見上げると、安室がそれを目深に被るところだった。
羽織っていたジャンパーを脱いで手渡せば、彼はそれも再び着込み直した。

「戻るんですか?」
「まだ少しだけやることがあるので」

そう言って微笑む安室に、名前は深々と頭を下げる。

「あの、本当にありがとうございました。安室さんが来てくれなかったら、私……」
「ああ、いえ。頭を上げてください」

安室は頬を掻いて苦笑した後、ふと駐車場に視線を投げた。

「僕が勝手にやったことですし、それに彼がいれば名前さんは大丈夫ですから」

名前もつられてそちらを見る。
遠くて車内までは見えないが、きっといつも通りの不機嫌顔で待っていることだろう。
確かに松田なら名前の危機にはすぐに飛び込んできてくれそうだし、なんだったら拳で解決してくれそうだ、と思わず納得してしまった名前だった。




***




「え、今から?」

松田が待つ車に乗り込むと、彼は「このまま警視庁行くから」と端的に告げた。

「おう。担当部署と、ついでに刑事部にも話は通してある」
「でも何も持ってきてないし」
「全部持ってきた」

そう言う彼の視線を追えば、後部座席に紙袋が置いてあった。
おそらくそこに、これまでに届いた封筒が全て入れられているのだろう。準備がいい。

名前はバッグから先程入れられたばかりの封筒を取り出すと、助手席から身を乗り出してその紙袋に追加した。

「やっぱり現場のスタッフだったか」
「えっ」

新しい封筒に驚いた様子のない松田に、逆に名前が驚いた。
安室といいこの男といい、どうしてそんなことがわかるのだろう。

「なんでわかるの?」
「いや、普通わかるだろ」

呆れたような表情を向けられても、わからないものはわからない。

「確かに手紙は最初しか読んでないけど…」
「手紙なんか関係ねぇよ。写真でわかる」
「えー、うそだ……あっ」

思わず声を上げてから、しまった、と口を押さえる。
名前の視線の先では、建物から出てきた男がキョロキョロと辺りを見回しながらこちらに近づいてきている。
最初はなんとなく眺めていた名前だったが、近づいてきたことでそれがストーカー本人と目されている男だと気づいてしまったのだ。

彼が探しているのは、きっと自分だ。

「あいつか」

名前は顔を俯かせながら、隣で腰を浮かせた松田の袖を慌てて掴む。

「い、いいから…早く出して」

この男、放っておいたら本当に拳で解決しそうである。
現役の警察官がそれでは困ると、名前は横目で訴えかけた。

「……ったく、しょうがねぇな」

シートに座り直した松田が、ため息混じりにシートベルトを装着する。
その時聞こえた「あいつ絶対後悔させてやる」という呟きは聞こえなかったことにして、名前も俯いたままシートベルトを着けた。

車が発進して、男から遠ざかる。
松田はそのまま真っ直ぐ警視庁に向かいながら、名前に向けて短く説明した。

男が名前の住所を知ったのは、撮影初日の可能性が高いそうだ。
乗り合いで送ってもらった時、最後に降りた名前が部屋に着いて電気を点けるまでずっと見ていたのだろうと聞いて、思わず鳥肌が立った二の腕をさすった。

マンションの外観写真がいつも夜なのは、モデルより上がりの遅いスタッフが仕事終わりに撮りに来ているから。
ただし機材の不具合で早く終わった日だけ昼間の写真だったと言われ、名前は「気づかなかった」と目を丸くした。
いつも郵送だったのは、エントランスに入ることで防犯カメラに姿が残るのを危惧したのだろうということだった。

そして名前が写っている写真はそのほとんどがスタジオ近辺で撮られたもので、休憩時間にコンビニやカフェに寄っている姿ばかり。
その上サングラスや帽子を外していた数枚の写真はスタジオ内で撮られたものだと聞き、これまで写真をほとんど直視できずにいた名前はまた「気づかなかった」と項垂れた。

「ちゃんと見てなかった……」
「まあ無理もねぇけど」

警視庁に着くと、名前は担当の警察官に封筒の入った紙袋を渡し、松田同席の上でまず被害届を出した。
警察官からの質問に答えつつ、たまに横から松田が補足する。
それをしばらく繰り返していると、バタバタと足音を立てて駆け寄ってくる人物がいた。

「あっ、よかった!まだいた!」

息を切らしたスーツ姿の男が、膝に手をついて荒い呼吸を繰り返す。

「あ?高木じゃねぇか。どうした」
「松田さんと、その彼女さんにお話がっ」

どうやら松田の知り合いの刑事らしい。
彼は呼吸を整えると、よほど急いできたのか暑そうにネクタイを緩めた。

「なんだよ。今取り込み中だけど」
「そ、そのことなんですが……彼女さんをストーカーしていた男、先程署に任意同行してきたところでして」

その言葉に、思わず二人揃って「は?」と間抜けな声が出た。

話を聞くと、たまたま・・・・職質した男が上着のポケットに女性の写真を所持していて、詳しく調べると荷物の中からロープやスタンガンが見つかったのだという。
言うまでもなくその写真に写っていた女性というのは名前のことだが、男は「ポケットに入れた覚えはない」と話し、ロープやスタンガンも「見覚えがない」と否定しているらしい。

そして警視庁に着いて男のスマートフォンを検めれば、カメラロールも名前の画像だらけで、メモアプリには手紙の下書きと見られる文書が保存されていたそうだ。
男はこれらも「スマホには保存してない」と主張しているらしいが、盗撮とストーカー行為については認めたため、迷惑防止条例違反及びストーカー規制法違反で逮捕されることになる―――という話だった。

たまたま・・・・職質ねぇ」と意味ありげに呟く松田の隣で、名前もまた疑問符を浮かべる。
相手は毎日マンションまで写真を撮りに来ていながら、監視カメラに映るのを避けてわざわざ郵送を選んでいた男だ。

(上着のポケットに写真なんて……そんな危ないことする?)

ふと名前の脳裏に、「まだやることがある」とスタジオに残った男の姿が思い浮かぶ。

(………いやいや、まさかね)

そんなドラマのような展開、現実に起こり得るはずがない。
名前は頭を小さく振って、馬鹿げた妄想を打ち消した。




***




全てが終わってマンションに戻ってくる頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
名前が助手席から降りると、松田もまた車を降りて車体にもたれかかる。どうやら見送ってくれるらしい。

「遅くまでありがとね」
「荷物まとめて来いよ。待ってるから」
「荷物?なんで?」

名前が首を傾げると、松田は煙草を取り出しながら続けた。

「次に住むとこ決まるまで、うち泊まっとけ。狭ぇけど」
「えっ、いいの?助かるけど」
「それか広いとこ探して一緒に住むか?」
「あーそれもいいね」

松田の提案に思わず頬が緩む。
思えば怒涛の一日だったが、その最後には同棲の話をしているなんて何があるかわからないものだ。

煙草を咥えた松田が、ライターの火を近づけながらぽつりと呟く。

「ついでに籍も入れるか」
「え?」

彼が煙を吸い込んで吐き出す一連の動作を、名前はぽかんとした表情で見つめていた。
それから少し遅れて、じわじわとこみ上げてくるものがある。

「……ぷっ」

突然吹き出した名前を、眉間に皺を寄せた松田が訝しげに見た。

「ふ……っ、あはは」
「笑うとこあったかよ、今」
「ふふっ、ううん、陣平らしいなと思って」
「あ?」

不機嫌そうに睨みつけられながら、名前は目尻に浮かんだ涙を拭った。

「そうだよね。夜景の見えるレストランとかバラの花束とか、絶対似合わないもんね」
「喧嘩売ってんのかテメー」
「ふはっ」
「……指輪なら買ってやるから、欲しいモン言えや」
「あ、ありがと……ふふっ」

一向に笑いが収まらない名前を、松田はげんなりした表情で見つめている。
はあ、とため息混じりに紫煙を燻らせて、距離を詰めた松田が名前の顔を覗き込んだ。

「で、返事は?」

いつになく真摯な瞳に見つめられて、止まらなかったはずの笑いが一瞬で引っ込む。

「まぁ、イエスしか聞かねぇけど」

その意地の悪そうな笑みと傲岸不遜な物言いがなんとも彼らしい。

―――彼がいれば名前さんは大丈夫

ふいに再生された安室の言葉が、まるで背中を押してくれているようだ。
名前は再び頬を緩めると、彼の望む答えを告げるために口を開いた。


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