06
人を呼び出す時は屋上か校舎裏、あるいは体育館裏がセオリーだなんて、一体誰が決めたのだろう。
滅多に人が訪れず、多少大声を出したところで第三者には聞かれにくい。
確かに呼び出しにはうってつけの場所なのだろうが、呼び出される側としては迷惑でしかない。
そんなことをつらつらと考えながら、名前は目の前に立つ三人の女子生徒に目線を向けていた。
「ちょっと。話聞いてる?」
「こっちは真面目に話してんだけど」
「聞こえてたら返事くらいしろよ」
口々に話す彼女たちの視線は鋭く、あからさまな敵意が滲んでいる。
「ちゃんと聞いてる。……萩原くんに近づくな、だっけ?」
彼女たちの主張を繰り返しながらも名前は呆れ顔だった。
そもそもこの子たち誰だ、背の高い順に女子A、女子B、女子Cとでも呼んでやろうか―――と、本人たちに知られたら確実に逆上させそうなことを考えている。
「それがわかってんなら、今後どうすればいいかもわかるよね?」
一番背の高い女子―――名前の中では女子A―――が腕を組みながら威圧的に言った。
名前は不遜な態度の女子Aをぼんやり眺めながら、なんでこんなことになったのだろうと思考を巡らせる。
放課後、一人で帰ろうとしていた名前が昇降口を出たところで、その目前に立ちはだかったのがこの三人だ。
以前下駄箱に入っていた紙切れのように間接的に呼び出してくれたなら逃げられたのに、直接現れて退路を塞がれてしまえばどうしようもない。
結局彼女たちに連れられて、薄暗い校舎裏に向かわざるを得なかったのだ。
「……どうするって、どうするの?」
「はぁ?わかんないの?関わんなっつってんだよ」
「友達と関わるなって……どうやって?」
首を傾げた名前に、女子Aは顔を赤くして気色ばむ。
「ふざけてんの!?もう関わらないでとか、適当なこと言って離れればいいじゃん!」
関わらないで、と萩原に告げる自分を想像してしまい、名前はぎゅっと拳を握り締めた。
「嫌だよ、そんなの。大事な友達なのに」
「はあ?」
「友達友達って…下心が透けて見えてんだよ!」
「……下心?」
「萩原くんのこと好きなんでしょ?媚びてるの見るとイラつくの!」
興奮気味の三人に対して、名前はぽかんと口を開けて止まってしまう。
「あ、あの…勘違いしてると思うんだけど」
「は?なに?」
「私、別に萩原くんに恋愛感情ないよ。もちろん萩原くんだってないだろうし」
はぁ!?と口を揃えた三人の勢いに気圧され、思わず「わっ」と仰け反った。
「いっつも一緒にいんじゃん!」
「だからそれは、普通に友達として仲いいのと……あとは萩原くんが、協力してくれるとか言うから……」
「協力って?」
「うっ、そ、それは」
口ごもる名前に三人が詰め寄る。
名前はもごもごと小声で答えるが、「聞こえない!」と一喝されてしまった。
「だ、だから………から」
「声が小さい!」
「…私が、松田くんのことが好きだから!」
勢いで言ってしまって、シンと静まり返った空気にハッとする。
「………えっ、松田くん?」
「苗字さん、松田くんが好きなの?」
「う、」
名前は羞恥に頬を紅潮させながら、さらに距離を詰めてくる三人に一歩後ずさった。
流れが変わったのはいいが、これはこれでどうしたらいいかわからない。
「あの松田くん?ガラ悪くて口悪くて、態度も悪い松田くん?」
「ちょ、それじゃ悪いところだらけ……」
「普通あの二人と一緒にいたら優しい萩原くんの方にいかない?」
「そんなこと……」
松田くんも優しいよ、と小さく呟いた声は三人に届いたらしい。
「え??」と鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる三人に、失礼すぎるだろと名前は思った。
「ど、どこが?」
おそるおそる問いかけてくるのは、名前が便宜上女子Bと名付けた女子だ。
「どこって……、手が大きいことバカにしないし、私が自信持てるように手を使うことにどんどん誘ってくれるし」
ふむふむ、と三人が頷く。
「さらっと荷物持ってくれたり、体調悪いのすぐ気付いてくれたり……。外が暗い時は反対方向なのに家の近くまで送ってくれたし、優しいところたくさんあるよ」
「………うそ…」
「それ、本当に松田くん?」
信じられないという顔を隠しもしない三人に、名前は思わず苦笑した。
「萩原くんみたいにみんなに優しくなくても、ちゃんと友達として大事にしてくれてるのがわかるから……私は…そ、ういうところが、」
すき、という言葉は恥ずかしすぎて消え入りそうなほど小さくなった。
言い終わる頃にはすっかり俯いてしまった名前の頭上で、三人がぽつぽつと言葉を交わす。
「ねえ……」
「うん……」
「どうしよう…なんか応援したくなった……」
「ね……」
苗字さん、と肩にポンと手が触れて、名前は窺うように顔を上げた。
「なんか、ごめんね。ウチら暴走しちゃって」
「萩原くんはみんなのもの、みたいな意識があって……ついムキになっちゃった」
「本当にごめん。松田くんとのこと、私らも応援するよ」
三人とも、先程までとは打って変わって優しげな口調だ。
「え」
「ていうか今の可愛すぎない?」
「ね、乙女感ヤバかった」
「苗字さんの意外なとこ見ちゃった」
「うっ」
再び顔に熱を上らせた名前を見て、三人が「それそれ」と笑う。
結局何がどうしてそうなったのか、三人は名前と友達になりたいと言い出し、その流れで連絡先まで交換してしまった。
そしてこの三人とは進学や結婚で離れても友人関係が続いていくのだが、もちろんこの時の彼女は知る由もない。
三人が去っていった校舎裏で、一人取り残された名前はまるで嵐が去った後のような疲労感を覚えていた。
(……このまま帰ってまたさっきの子たちに遭遇するのはきついな…)
裏門から帰ることにした名前は、ショートカットするために踵を返す。
三人が去ったのと反対方向に向かえば、そのまま裏門に繋がっているはずだ。
校舎の陰を進み、角を曲がる。
―――そしてその瞬間、彼女の足は凍りついたように固まってしまった。
(……………うそ……)
天然パーマの柔らかそうな黒髪に、青みがかった大きな瞳。
校舎の壁を背に、いわゆるヤンキー座りでしゃがみ込んでいるのは松田だった。
気まずそうに見上げてくるその顔が、彼がここで何を聞いてしまったのかを表している。
(どうしよう、聞かれた…全部?全部聞いてた?……うわっ、やだ、無理)
今すぐ消えたい。逃げ出したい。
名前の頬は再び羞恥に紅潮し、そして動揺のあまり視界がじわりと滲むのがわかった。
固まっていた足がなんとか一歩後ろに下がり、ザリッと音を立てる。
「……言っとくけど、ここに来たのは俺が先だからな」
ぼそ、と呟くように松田が口を開く。
「四限からサボってここで寝てたし、裏門は最近悪用するヤツ多くて鍵かかってるし」
三人や名前が来るより早く、松田はここにいたらしい。
会話が始まっても裏門に鍵がかかっているせいで逃げ場もなく、ここで聞いていることしかできなかったようだ。
「あ、あの…ごめん……さっきのは、」
「あのさぁ」
おもむろに立ち上がった松田に言葉を遮られ、名前はビクッと身を竦める。
不快に思われただろうか、それとも怒らせただろうか。そんな不安が彼女の思考を支配していた。
松田は数歩距離を詰めると、言葉を探すように後頭部を掻く。
さすがの彼も聞こえてきた会話が照れくさかったらしく、その頬はわずかに赤く染まっていた。
「あー……」
言いにくそうに目線を彷徨わせてから、不安げに見上げる名前とその視線が絡み合う。
そして続けられた言葉に、彼女の思考は真っ白に染まった。
「……俺も好きだけど、付き合う?」
(え、)
言葉の意味がすぐに理解できず固まったままの名前に、彼は「返事は」とぶっきらぼうに催促した。
***
打ち上げから一夜明け、名前は他事務所のモデルに睡眠薬を盛られたことを兼倉に報告した。
証拠の掴みようもなく法的に相手を罰することは叶わないが、この業界は横のつながりが強い。
名前を店から連れ出す姿や、その後一人で戻った姿は他の参加者にも目撃されているだろうし、黒い疑惑が生まれたモデルをあえて使いたがる人間もいない。
確実に仕事が減るだろう彼女を思い浮かべて、名前は少しだけ溜飲を下げた。
そして大きな仕事が一段落した名前は、次の仕事までしばらくオフが続く。
それを松田に話すと、彼は「ご褒美にどっか連れて行ってやるか」と言ってくれた。
昼間ということもあって帽子にサングラス、手袋という防御力高めの名前を松田が車で連れ出したのは、休日の杯戸ショッピングモールだった。
「えっ、近場」
「うるせぇよ。俺に期待すんな」
私服姿の松田が面倒臭そうに頭を掻く。
「でも秋服買い足したかったからちょうどいいかも」
「そーかよ。なるべく手短にな」
「その態度、ご褒美感がないなぁ」
相変わらずの松田にそうツッコミを入れつつも、名前の表情はだらしなく緩みっぱなしだった。
彼の理解は得られないだろうが、昼間に出かけるというのがなんともデートっぽく感じてしまうのだ。
上機嫌の名前はいくつかのショップをハシゴし、秋らしいテラコッタブラウンのワンピースと、ミモレ丈が上品なマスタードイエローのスカートを購入した。
店の出入口でショップ袋を受け取るたびに、松田が無言で奪っていくのがくすぐったい。
「ね、ここって観覧車もあるんだよね」
「あー、デカいやつな」
「行ってもいい?」
はいはい、と松田は特に拒否せず名前についてきた。
モールの外に設置された観覧車は、大観覧車という名に恥じぬ大きさだった。それを見上げながら名前は「すごい」とため息混じりに言う。
そしていざゴンドラに乗り込むと、上昇するのに合わせて地上の人々が蟻のように小さくなっていった。
「人も物も密集してる感じ、日本っぽくていいね」
「そうか?」
「うん。帰ってきたなって感じがする」
地上の景色を眺めながら、名前が感慨深そうに言う。
帰国後すぐ始まった長期の案件も終わり、ようやく母国に帰ってきた実感が得られた気がした。
「向こうにはもう戻んねぇの?」
「うん…多分ね。兼倉さんもこっちでやってくつもりだろうし」
ふーん、という彼の相槌は相変わらず興味がなさそうだ。
「せっかくだし、オフの間にあちこち出かけようかな」
「観覧車ならあそこにもあるな」
「ん?」
「トロピカルランド」
松田の口から意外すぎる名称が飛び出して、名前は目を丸くした。
「え、もしかして一緒に行ってくれるの?」
「行きてぇならな」
「行く行く!」
思わず前のめりになる名前に、松田が「喜びすぎだろ」と笑う。
ゴンドラが地上に戻るまで、彼女の緩んだ表情が元に戻ることはなかった。
***
観覧車を降りてモールに戻った二人の耳に、どこからかピアノの音色が聞こえてきた。
一階から最上階まで吹き抜けになったロビーの中央にストリートピアノが設置されているらしい。
ピアノの横に立てられたパネルには「ご自由にお弾きください」と書かれている。
「そういえばお前ピアノもやってたな」
「え?あ、うん」
名前の両親は、彼女のコンプレックスを解消させるために子供の頃から様々な習い事をやらせた。その中でもピアノは一番長続きした習い事だ。
「弾いてくれば? 俺その辺で休んでるわ」
「えっ」
そう言って松田はピアノの周りに設置された長椅子に向かってしまう。
その場に残された名前は、演奏中のピアノを眺めながらその場に立ち尽くした。
そもそもパーツモデルの仕事を始めてから、ピアノなんてほとんど弾いていない。
クラシックを聴くのは好きでも、弾くのは指に負担がかかるからと半ば諦めていた。
(…でも、まあ…しばらく仕事もないし)
気付けば、ブランクが影響しなそうな曲目を考えている自分がいた。
曲が思い浮かんだところで演奏が終わり、拍手があちこちから聞こえてくる中、演奏者がピアノを離れていく。
名前はちらりと松田の様子を窺うが、彼は足を組んで携帯をポチポチといじっている。そのリラックスした様子に名前もまた緊張が和らぐのを感じた。
次の演奏者もいないようなので、一度深呼吸をしてから椅子に座る。
帽子とサングラス、手袋を外して荷物用のカゴに入れ、名前は鍵盤にそっと両手を置いた。
そして静かに弾き始めたのは、エリック・サティの「Je te veux」だ。
時に弾むように、時に優雅に、なめらかな緩急をつけながら長い指が鍵盤を滑る。
知る人も多い軽やかなメロディは、休日の昼下がりにピッタリだろう。
アメリカにいた間も幾度となく聞いた旋律は、すっかり丸覚えしてしまっている。
名前は指と同じように気持ちまで弾むのを感じながら、最後までノーミスで弾き切った。
鍵盤から離れた手が膝に下りると、あちこちから拍手が聞こえてくる。
それに充足感と少しの気恥ずかしさを覚えながら、荷物を回収してピアノを離れた。
するとピアノの近くに立っていた初老の女性が、「あなた」と声をかけてくれる。
「素敵なジュ・トゥ・ヴだったわ」
「わ、嬉しいです。ありがとうございます」
「若い頃を思い出しちゃった」
「ふふ」
ピアノで褒められるなんて何年ぶりだろう。
ストレートな賛辞に名前がふにゃりと笑い返すと、彼女は内緒話をするように声量を落とした。
「一緒に来てた男性、恋人なの?」
「えっ?あっ、違います」
「あらそうなの」
ふふふ、といたずらっぽく笑った女性が、名前の耳元でこそっと言った。
「気持ち伝わるといいわね」
手を振って立ち去る女性に「え?」と首を傾げながら、名前はようやくその言葉の意味に辿り着く。
(………あっ!)
慌てて松田に視線を向けると、彼は「よっ」とでも言わんばかりに片手を上げた。
どうやら彼は気付いていない。むしろそのまま永遠に気付かないでほしい。
名前は頬の熱を誤魔化すように数回咳払いをしてから、松田のもとへと駆け寄った。
エリックサティ作曲、「Je te veux」
その邦題は、「あなたが欲しい」。
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