さようなら、理性

「結婚、しちゃった……」

孤爪くんがゲームを初めて数週間。あっという間にレベルを上げ、ついに今日。

孤爪くんと結婚できた。

ゲームの中で、だけど。プロポーズされちゃった。ゲームの中の私の家に孤爪くんがいる。嬉しさのあまり自室のベッドへ頭からダイブし、足をバタつかせる。

「そうだ。スクショ、スクショしなきゃ…!」

記念に、と大慌てでスマホ画面を保存する。それから写真フォルダへ移動し、画像を眺める。その後はゲームアプリへ戻り、親戚欄に孤爪くんのアカウント名"こづめ"がいることを確認する。この一連の流れを私は本能のままにやった。スクショを眺め、親戚欄を眺め、嫁ぎにきた孤爪くんの家の子を眺め、を何度も繰り返した。

「…………」

自分の行動に我に返り、無言、無表情でスマホを閉じその場に置く。それからゆっくり正座をし、崩れるように上半身からベッドに沈む。両手で顔を覆って。

「凄く、恥ずかしいことしてる……」

こんなことしてるの孤爪くんにバレたら恥ずかしくて消えたくなる。トモちゃんにもバレたらなんて言われるか。私、変態じみたことしてる。孤爪くんに申し訳ない。もう少し考えて行動しないとダメだよ。いつも迷惑な行動を無意識のうちにしちゃってるんだから。
明日から気をつけよう。そう何度も心の中で誓った。明日は一日練習。男バレも一日あるみたいだから同じ体育館にずっといれる。部活中だから話すタイミングとかはないかもしれないけど挨拶くらいは出来たらいいな、と思いながら眠りについた。





朝はタイミングが合わず、挨拶が出来なかった。謝罪をすることが出来たあの日から緊張はするものの孤爪くんと少しずつ話せるようになり、今日も少しだけ会話ができたらって思ってたけど、なかなか難しい。お互い部活中。相手の迷惑にもなるし、練習が始まればそういうことは頭から抜けるから、まさか午前中の練習が終わる時間が一緒で、体育館を出るタイミングで鉢合わせると思わなかった。

「あっ、孤爪くんっ、お疲れ様」
「あ……みょうじさん、…おつかれさま」

大分気温も上がってきたため、男子にしては長い髪が濡れて頬に張り付いている彼を見て、孤爪くんも汗をかくんだなあって当たり前のことを考えてしまった。中学の頃から体育とかで汗をかいてるのを見たことない、多分。っていうか、汗をかく程動かないんだと思う。

「あ!」
「?」
「孤爪くん、結婚してくれてありがとうね」
「!?」
「プロポーズしてくれてびっくりしちゃって」
「え、……ああ、うん」
「凄く嬉しくて…………、あ、ゲ、ゲームね…!ゲームの話なんだけど!」
「…大丈夫、わかってるから」

昨日の誓いはどこにいったの!?孤爪くんを前にするといつも変なことを口走ってしまう。今もとんでもないことを発してしまい、手を忙しく動かし慌てる。

「ご、ごめん!お礼言いたいって思ってて!いつも変なことばかり言ってごめんね!これからは気をつけるようにするから!」
「みょうじさん、落ち着いて」

呼吸をすることなく言い訳、謝罪を繰り返せば孤爪くんの冷静な一言で我に返る。そうだね!落ち着くね!と落ち着きのない声色で放ったその時、一人の男の人が目に入った。パチッと合わさった視線にその人は企みを含んだ笑みを見せてこちらへ近寄ってくる。

「どうも〜」
「こ、こんにちは」

去年まで男バレの主将だった人。黒尾先輩。中二の時、孤爪くんから昔からの知り合いって聞いたことがある。所謂、幼馴染の関係なんだろう。
孤爪くんの幼馴染の方だから悪い人ではないのは分かっているけど、なんか少し怖い。身長とか、顔付きとか、雰囲気とか、そういうのが怖いんじゃなくて、多分この先輩には私が孤爪くんのこと好きってバレそうで怖いんだと思う。それと、私じゃ釣り合わないって思われたくないとか、先輩は面倒見が良さそうで孤爪くんのことを気にかけているように見えるから、そういう人から悪い印象を与えたくなくて緊張してしまうのかもしれない。

一瞬だけ私がビクッと体を硬直したのに気付いたのだろう。怖がっていると思った孤爪くんは「ちょっと…」と黒尾先輩と私の間に入り、背中で隠してくれた。それに対し愉しそうに「悪りぃ悪りぃ」と謝り、続けて「ちょっと話してみたくて、な?」と言う先輩。首を傾げて「な?」って私の目を見て聞いてこられ、年上の余裕というか色気というものが感じられ、少しだけドキッとしてしまった。孤爪くんに対してなるそれとはまた違うけど。

先輩とお話させてもらうのは全然嬉しいんだけど、私と話すことがあるのか疑問に思う。今まで一度も会話したことないし、接点もなかったから。

「みょうじさん」
「う、うん?」
「もう…、行って、大丈夫だから」
「うん、わかった!じゃあ、午後もお互い頑張ろうね」
「うん」

背を向けながら呼ばれた自分の名前にギクッと固まり、首だけを動かし横を向いた孤爪くんは視線を合わせず気まずそうに言葉を放つ。挨拶として後ろにいる大きな先輩に一度頭を下げると、柔らかい笑みと共に手を上げられもう一度ぺこりと軽く会釈してその場を離れた。

離れてすぐ。遠くで孤爪くんと黒尾先輩の話し声が微かに聞こえた。

「あの子にプロポーズしたの?」
「……」
「あの子と結婚したの?」
「……うるさい」

ああ、もう最悪。心の中で、ごめんと謝罪をしてからゲームの中でだよって訂正してくださいとお願いした。





「おっ。お疲れ」
「!!お疲れ様です」

バレー部よりも早めに終わった私達は片付けをした後、部室へと向かった。着替えを済ませてからトイレに行きたくなり、体育館ヘ寄った帰り。出入口で孤爪くんの幼馴染、黒尾先輩と会った。バレー部も練習が終わったのだろう。体育館の中を確認すると部員達がクールダウンをしているのが目に入った。

中学から先輩のことは知っていたけど、話すのは向こうが卒業して今日が初めてってなんか変な感じ。卒業後もこうやって部に顔を出す先輩はバレーボールも、バレー部のことも大好きなんだな。良い先輩。後輩からも慕われていることが関わりのない私でも分かる。私も彼のような主将になりたいと素直に思っていた。

「確か中学も一緒だったよね?」
「はい。一緒でした…?」
「テニス部?」
「そうです…?」

まさか黒尾先輩に自分の存在を知られていたなんて思わなかった。しかも所属していた部活も当てられたことに驚き、最後疑問形に返事をしてしまう。私が驚いていることに先輩は気付いたのだろう。
あー…ごめんごめんと言った後、こう続けた。

「みょうじさん、俺らの代でも結構有名でさ」
「そ、そうなんですか」
「あ、良い意味でね。可愛い子って」
「そんなことは…」
「でも俺は研磨と仲良い女子だなってイメージが強くて」
「えっ、」
「ははっ。もちろん俺も可愛いって思ってた一人ですけど。あ、これ言ったこと研磨にバレたら怒られるから秘密ね」
「えっ、あ、はい……?」

先輩と話すのは初めて。良い人っていうのも誰とでも仲良く出来る人っていうのも見てて分かってはいたけれど、こんな風に話す人だとは思わなかった。こんな風っていうのは、話しやすいというか、距離の詰め方が上手だなあっていう。

でも、なんで先輩の発言が孤爪くんにバレたら怒られるのか、理由が分からなくて首を傾げる。自分の好きな人が関わっているからその答えが知りたいけど、今の私には考える余裕は微塵もない。だって話してる相手が孤爪くんと最も関わりのある幼馴染の人なんだもん。緊張する。

多分、もう、私の気持ちにこの人は気づいているかもしれない。先輩の口から出た孤爪くんの名前に過剰に反応してしまった私を見て、目の前の彼は顔を綻ばせて笑ったから。

「あの…」
「?」
「さっきの話なんですけど」
「うん?」
「…その、あの、私が孤爪くんに言った……」
「結婚したって話?」
「!!」
「…それとも研磨がプロポーズしたって方?」
「!?」

先輩から出てきた言葉に声にならない叫びを上げて動揺すれば、私の顔を見て黒尾先輩は吹き出す。「ブフッ」って。この人、多分わざと言った!?結婚とプロポーズ。言ってしまったと後悔した二つの単語をわざと言った!?ちょっと楽しんでない?意外と意地悪……っていうか、揶揄うの好きな人なのだろうか。

確かに私が伝えたかったことは先輩が言ったことと同じだ。孤爪くんが結婚のことをゲームの話だと伝えてるか分からなくて、私のせいで勘違いさせて彼に迷惑をかけているかもと思い、訂正しようとした。だから、先輩が発した二つの言葉に過剰に反応する私が悪いんだけど。そうなんだけど。だけど、凄く愉しそうな顔をされるから。ちょっと、なんか……ちょっと。言い返したい。

普段なら少しくらい言い返す。けれど、相手は年上で孤爪くんの幼馴染だし。年上ということよりも、好きな人と関係が深い人だから。

未だ口角を上げて愉しそうに次の言葉を待つ黒尾先輩に視線を彷徨わせて控えめに口を開いた。

「…………ゲームの話、なので」
「うん?」
「孤爪くんと一緒にやってるゲームの中で、……その、結婚したっていう」
「あ、うん。知ってる知ってる」
「え?」
「ん?」

ん?じゃない。もしかして、孤爪くんから聞いてた?それとも最初から知ってた?考えてみれば、わざわざ訂正するような話でもない。普通にゲームかなにかだって誰でも分かる。一人で慌ててた自分が恥ずかしい。羞恥心で思考が停止している私に黒尾先輩は問いかける。

「どんなゲームなの?」
「先輩もやります?」
「いや、俺はいいかな」

カバンからスマホを取り出し、ゲームアプリを起動させながら聞いてみると、やんわり断りの返事をもらう。その時、柔らかな笑顔をする先輩に不思議に思うもゲーム画面が開いたためそれを見せながら孤爪くんの時と同様に説明を始めた。

「これが孤爪くんのところの子で」
「へえ……。あれ、なんか研磨に似てね?」
「……に、似てます、よね?私もちょっとだけ思っちゃって」
「……」

孤爪くんに似てるってずっと思ってたけど、それを本人に伝えるなんてことは出来るわけがない。トモちゃんにだってこんなこと言えるわけなくて自分の中に留めておいたことを、孤爪くんを最も知ってる人に同感され、内心テンションが上がるもそれを外に出そうとはせず。けれど、孤爪くんに似てる子とゲーム内で結婚出来たということに照れる気持ちは隠せず頬を染めてしまえば、目の前にいる好きな人の幼馴染は真顔で私を見つめる。目が合ってボンッと更に顔を赤くしてしまったら、先輩の顔面は緩々にニヤけ、また愉しそうに笑う。

絶対、バレた。っていうか、もうバレてる。

「孤爪くんに言わないでくださいね…!!」
「え、どれを?」
「〜っ!?全部です」
「ぶっ、ひゃひゃひゃひゃっ!!」
「分かってます!?」
「わかった、わかっ…………あ。研磨」
「!?…あっ、こ、孤爪くん」

突然出された好きな人の名前に肩をビクつかせ、黒尾先輩の視線の先を辿れば、猫背でジッとこちらを見つめる孤爪くんがいた。私の慌てように隣にいる先輩は小さく吹き出した。すごく、気まずい。だって、先輩は私が孤爪くんを好きなのを知っていると思うから。今だって孤爪くんが現れたことで動揺したのに気付いて、吹き出したし。楽しそうだし。しかも、なんだか孤爪くんは眉間にしわを寄せてこっちを睨んでるし。すごく、機嫌が良くなさそう。

そんな彼の口から、とても低い声が溢れた。

「クロ」

抑揚のない声色にさっきまでニヤニヤしていた黒尾先輩も「ハイ」と片言で返事をした。

「……みょうじさん、困ってる」
「ハイ」

背を丸め視線だけを上に向けて先輩だけを捉え、そう放つ。逆に背筋を伸ばし気まずそうに目をキョロキョロさせ、イタズラをして怒られた子供のような顔付きになる黒尾先輩に申し訳なくて声を上げた。

「こ、孤爪くん…!そんなに、困ってなっ、大丈夫っ!」

ちょっと困ってた。悪い意味ではなく。好きな人がバレたって意味で。もっと色んなことがバレそうで困ってた。困ってないって最後まで言い切れない自分が本当に恥ずかしい。そこはちゃんと言い切ろうよ。
大丈夫っていうのは本当だったから、素直にそう伝えた。

声を上げたことによって、先輩に向けていた双眼がこちらに向いて少しだけ背筋が張る。移された瞳は大分柔らかいものだけど。

「孤爪くんとやってるゲームの話をしててね!それで、孤爪くんちの子が孤爪くんに似……あっ、違くて……、そう!!子供が産まれたの!!さっき見たら孤爪くんちの子との間に子供が産まれてて!!」
「そう、なんだ」
「そうなの!二人に凄く似てる子が産まれて!!可愛いんだよ!」
「…そっか」
「そう!それで、」

この雰囲気をどうにかしたい。孤爪くんの気分を害することをしてしまったかもしれない。自分のせいで黒尾先輩が注意されている、申し訳ない。色んな気持ちがごちゃごちゃになり、今の私は正常な判断が出来ず、何を話しているのか自分で理解していなかった。焦っていたんだ。だから、こんなことを言ってしまう。

「ゲームの中でだけど、孤爪くんと結婚出来て、子供が産まれて嬉しいって思ったんだ!」

瞬間。隣から盛大な「ブフォッ」という笑いの吹き出しではなく、びっくりして普通にむせたように吹き出す黒尾先輩の声が降ってきた。聴覚にはその声が、視覚は目を丸くし固まる孤爪くんの姿が。二重の情報に、私の脳は正常に動き出した。

「ち、ちがっ!!ごめ、ごめんなさい!!今のはそのっ」
「みょうじさんわかってるから落ち着いて」

今日一番に焦る私に、そう言う孤爪くんも今日一番早口で焦る。今度は今まで同様、独特の笑い方をお腹を抱えてする黒尾先輩に気づく余裕すらなく、二人にお辞儀をしてその場を去った。


離れてすぐ。微かに聞こえた。

「子供産まれたの?」
「……」
「おめでとう」
「……うるさい」

ああ、もう最悪。孤爪くん、ごめんなさい。



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