その感情の名前は

夏休み。楽しい長期休みである。しかし、私にとっては好きな人と会うきっかけがなくなってしまうから、あまり楽しくない休みだった。去年までは。

今年は部活で使用する体育館が男バレと一緒。遠征や合宿があり、同じ日、同じ時間に練習があるわけではないから、学校がある時よりは会う機会はぐんっと下がるけれど、それでも去年よりは倍以上会えるし、孤爪くんを見ることが出来る。それに今年はたくさん話せるようになったし、もしかしたら頑張れば遊びに誘えるかもしれない。

夏祭りとかも一緒に行けたりして……!なんて思ったり。でも、それを実現するにはまずお誘いをしなくては何も始まらない。私に出来るかな……。いや、出来る出来ないじゃなくてやらなきゃ何も始まらない。思い立ったら即行動。アドレナリンが出ている今。丁度、男バレと練習時間が被ってる明日、声をかけるんだ。

そう意気込んだのは昨日の夜。私がお誘いしようとしているのは、音駒生がほぼほぼ行く学校近くの大きなお祭り。毎年予定が合う部活メンバー数人で行くのだけれど、今回は孤爪くんを誘いたいため、今日の朝体育館にトモちゃんと一緒に向かっている途中、お祭りに行けないこととその理由をトモちゃんには伝えておいた。

意気込んで数時間。お昼休憩に突入した今が誘えるチャンス。隣のコートで練習していたバレー部が体育館を出るタイミングで声をかけようと気持ちを整える。

「研磨さんっ!」
「!?」

しかし、突然目的の人物の名前が耳に届き、その場で飛び跳ね、挙動不審になりながら身を隠す。

「少し聞きたいことがあって!」
「うん、なに」

物陰から身を乗り出し孤爪くんの名前を呼んだ人物、男バレのマネージャーである一年生の女の子と好きな人を盗み見る。

プレーの内容だろうか。初心者にはついていけないバレー用語が二人の間で飛び交う。後輩の女の子にはあんな感じで接するんだ。普通に話をしてる、と興味が湧いたのも一瞬で。楽しそうにキラキラ目を輝かせて孤爪くんを見上げるその子と、そんな後輩に淡々と説明をする好きな人に心の奥がモヤモヤとした。

私と話す時とは違う雰囲気に焦りを感じると共に、こんなことで嫉妬している自分が見苦しくて嫌になる。ただ話しているだけなのに。同じ部内のマネージャーなんだから、話して当然なのに。これじゃあ、孤爪くんは私以外の女子と話したらダメ!みたいな束縛激しい彼女みたいな思考じゃないか。

「って、彼女じゃない彼女じゃない!!」

浅はかな自身の思考に片方の頬をビンタする。でも、だって、私と話す時よりも孤爪くんたくさん喋っているし、それに孤爪くんのこと名前で呼んでるの……

「いいな」

無意識に出た言葉にハッとし、口元を両手で隠す。やだやだやだ!自分が醜くて嫌だ!心が狭くて嫌だ。私は何様なんだ。でも、胸焼けするようなこの感じは抑えられなくて、自分ではどうすることも出来ない。
今まで孤爪くんが女子と話していようが、気になりはするもののここまで思わないのに、どうして今回はこんな気持ちになるんだろう。

チラリ。もう一度、身を乗り出して物陰から二人に目をやる。

「……」

きっと、あれかもしれない。孤爪くんを見る目が私と似ているからかもしれない。自分の好きな人を好きな子って本能で分かるって聞いたことあるような、ないような。でも、本当か分からないし、自分勝手な予想で相手の気持ちを決めてしまうのは最低な行為だ。そもそも、何も出来ていない私が影でとやかく考えるのはダメ。

一先ず、私は孤爪くんに夏祭りのお誘いをすることだけを考えよう。拳を作り気合いを入れ直し、去る前にもう一度二人を盗み見た。

「きょ、距離が近い……」

って、だめだめ。今度は二回、両頬を音を立てて叩き、気持ちをリセットさせる。






「はあぁ……」

深いため息と共にお箸も止まる。お誘いの言葉を決めてなければ、いつ声をかけるかも決めていない。

冷房が効いている室内で昼食を取っている。私以外の部員は既に食べ終えていて、午後練が始まるまでの間各々自由に過ごしている。食べ終わってすぐ、ほとんどの人は体育館に戻るからここにいるのは私と、待っててくれてるトモちゃんだけ。そのトモちゃんも「トイレ〜」とリズミカルな足取りでさっき出ていった。

昨日茹ですぎてしまったゆで卵の殻を一人無心で剥きながらぼーっとする。私しかいない部屋にパリパリと殻を剥く音だけが響く。
どうやって誘おう。いつ声をかけよう。というか、私、声かけれるのかな。そもそも、誰かと行く約束とかしてたりして。……あの子、とか。

「わーー!!」

もう、だめだめ!そういうことは考えないって決めたでしょう。真っ白でツルツルな卵を眺めながら、あの子みたいに元気良く真っ直ぐ純粋な心で声をかけよう、勢いが大事だと自分に言い聞かせる。
そして、勢いの言葉通り、茹でた卵をまるまる一つ口の中に放り込んだ。と言っても、全て飲み込めるわけでなく、半分だけ口内に入れた状態で、歯を使い半分に切ろうとする。

あっ、塩かけるの忘れちゃった。そう思った瞬間、人の気配を感じ、トモちゃんが戻ってきたのかと卵を口に含んだまま扉の方へ目を向けると、思いもよらない人物に目を見開いた。

「っこ、づ……ご、ほっ……!」

そして、驚き、そこにいた相手、孤爪くんの名前を呼ぼうとした時。食べ途中のゆで卵が変なところに入り噎せてしまい、そのまま外に出た。
外に出た……。私の口から出たそれは文字通り緩く弧を描いて飛んでいき、最後はコロコロ好きな人の足元の方へ転がっていった。

もう、消えてしまいたい……。

「ごめんなさい」

ティッシュを数枚手に取り、上から隠すように包み込みながら謝罪をする。汚いものを見せてしまってごめんなさい。顔を上げることなんて出来るわけもなく、転がったゆで卵をティッシュの上から握り、その場で正座をして俯く。
いっそ笑って欲しい。汚い、とか言われた方がまだ気が楽かもしれない。あ、でも、孤爪くんに言われたら傷付くかも。トモちゃんならいい。
また面倒臭い思考になっている自分に更に頭を下げて俯く。すると、気まずそうな声が上から降ってきた。

「……なにも見てないから」

その言葉にゆっくり顔を上げた。上げるはずじゃなかったのに、無意識で上を向く。そこには、声通り気まずそうに顔を背ける孤爪くんがいて、どんな表情をしているのかは髪に隠れて見れない。

優しすぎて、好きすぎて、恥ずかしくて、泣きそう。ゆで卵から離した両手を顔の前に持っていき覆えば、今度は焦りを含んだ困惑した声が降りてくる。

「えっ……どう…、だい、じょうぶ?」

立っている孤爪くんとその前にしゃがみ込んでいる私。さっきより近くで聞こえる好きな人の声に覆った手を退かせば、すぐ目の前に孤爪くんの顔があった。

「!?」

電車で頭を打って心配された時と同じように、至近距離で私の顔を覗き込んでくる孤爪くんに息が止まる。あの時と同じく心配そうな表情で聞いてくる彼は、きっとこの顔の近さに気付いていない。
私が泣いていると思ったのかな。紛らわしいことをしちゃった、と慌てて大きな声で訂正した。

「大丈夫っ!ごめんね、恥ずかしかっただけ、だから」
「……そ、う」
「……うん」

距離を取るため上体を反りながら言えば、やっと孤爪くんもこの近さに気付いたのか慌てて私から離れ、返事をする。早まった鼓動は減速し、上昇し続けた体温は止まり、落ち着いていく。

「……」
「……」

気まずい雰囲気の中、落としたゆで卵をティッシュに包み拾う。お互い何も喋らず、沈黙が続くこの空間は少し居心地が悪い。だけど、嫌ではないし、離れたくない。

孤爪くん、お昼食べたのかな。ふとそんな疑問が浮かび、床に向けていた顔を上げれば、同じく下に視線を向けている孤爪くんが目に映った。かっこいい。伏し目がかっこいい。どんな孤爪くんでもかっこいいけど。
頭に浮かび上がった疑問は、好きな人の顔を見て一瞬で消え去る。

まじまじと見つめてしまったからだろうか。伏せた瞼がゆっくり上がり、孤爪くんのぱっちりとした猫目が私を捉えた。その瞬間、肩が跳ね上がり、目を見開く。凄い勢いで顔を逸らしてしまった。
気まずい。人を顔をガン見するなんて、される側は気分が悪いだろう。冷や汗を流しながら謝罪をしようと口を開いた時、孤爪くんが先に声を出した。

「ふっ」
「……え?」

突然の吹き出した笑いに、口をポカンと開ける。理由を尋ねる前に物凄いスピードで「ごめ、なんでもない」と後ろを向く勢いで顔を背けられてしまったら、何も聞けない。

私、変な顔しちゃってた?それとも顔に何かついてる?ご飯食べてたから歯に何かついてたり!?グルグル脳内であらゆるやらかしを巡らせながら、可笑しなところがないか自身の顔をペタペタ触れば「なにも、ついてないから……ごめん」と心を読まれたかのような言葉を貰う。

その言葉に安堵するも、笑った理由は分からないまま。でも孤爪くんが笑ったことにより、ほんの少し緊張が解け、今ならお誘いが出来る気がした。

「孤爪くんっ、良かっ」
「研磨さーん!!」
「!!」

良かったら一緒にお祭り行きませんか。そうお誘いしようとした瞬間、元気な声に遮られる。声の方へ顔を向ければ、そこには高身長のハーフの子がいた。確か、名前はリエーフくんだった気がする。

孤爪くんの名前を元気良く叫びながらやって来たリエーフくんは、多分私の存在に気付いていない。その場にゆっくりと立ち上がった孤爪くんに、軽い足取りで近付き大きな声で放った。

「お祭り!何で行かないんですか!」

リエーフくんから発せられた言葉に、ドキッと心臓が跳ねる。お祭りって音駒の近くでやるやつだよね……?誘おうとしていたやつだと、孤爪くんの答えを耳を大きくさせて待つ。

「暑いし、人多いし行きたくない」

ボソッといつもより小さなボリュームで放たれた返答。そうだ、そもそも孤爪くんはそういうところ好きじゃないんだと中学時代にした会話を思い出す。夏と冬どっちが好きなのかという問いに、暑いのも寒いのもどっちも好きじゃないと言われたことがある。人混みも好きじゃないことは、孤爪くんを見ていたら分かるだろう。
お祭りなんて好んで行くはずがない。しかも、部活があるだろうから、尚更部活終わりに行くなんて嫌だろう。

誘う前で良かった。リエーフに心の中でお礼を言えば、誘うというミッションがなくなったことに安堵する。けれど、本音を言うと一緒に行ってみたかった。

「去年はみんなで行ったじゃないですかっ!」
「……」
「一年の時も行ったって聞きましたよ!?」
「……誰から聞いたの、それ」
「猛虎さんです!」
「……」
「今年はマネもいるのにいいんですか!?」
「マネがいるからってなに。行かない」

去年は行ったんだ。一昨年も。下にしゃがみ込みながら二人を見上げ会話を聞く。今年は行かないのかぁ。このやりとりを目の前で見てから、誘う勇気はない。きっと優しい孤爪くんは、断るのにも気を遣っちゃうだろうから。本当に、誘う前に聞けて良かった。

でも、マネージャーの子が来ると知ってやっぱり行くって気持ちが変わらなくて少しだけホッとしている私はとても汚い人間だと思う。もしかしたら、あの子も孤爪くんに気があるのかもしれないのにそう思ってしまう自分がとても嫌だ。

「なにってそれは男だけじゃ」
「もういいから。行こう」

孤爪くんは、続けて話をするリエーフくんのTシャツの裾を後ろから掴んでここから離れようとする。最後に振り返って「じゃ、あ……。みょうじさん」と言ってくれる彼に慌てて立ち上がり手を振る。
その時、頭に疑問符を浮かべながらこちらを振り返ったリエーフくんは、初めて私の存在に気付き、声を上げる。そんな姿に表情豊かで可愛らしいな、と思わず微笑んでしまった。



二人の姿が見えなくなって直ぐ。後ろから声をかけられた。

「誘えたの?」
「きゃぁ!」
「……」
「……ご、めん。トモちゃん、びっくりしちゃって」
「ちょっと傷付いた」
「ご、ごめんね?」

トイレから帰ってきた友達にさっきの出来事を話せば、「朝、誘う!って意気込んでたのに。誘ってみるだけしてみれば?」のお言葉をいただいた。
断られるって分かってて誘えるかな。でも、誘わなければ可能性はゼロで、誘えば0.1くらいは可能性があるかもしれない。でも………。

それから、悶々と誘う誘わないを永遠に頭の中で考えていたけれど、答えが出ることはなかった。



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