フルスイングでいこう

練習が終わり、今日はトモちゃんが急いで帰る日だから一人でのんびり部室をあとにする。

結局、誘えなかったな。お祭りが開催されるまでまだ日にちはあるから、誘う機会はあるけれど、誘う勇気が今はない。俯き、重い足取りで駅の方へ向かっていると聞いたことのある鳴き声が耳に届いた。

「にゃあ〜」
「……あ」

孤爪くんに似た猫。モデルウォークのような綺麗な動きでこちらに近寄ってくるその子に合わせてしゃがみ込み、手のひらを上に向けて腕を伸ばせば、私の手に触れる前に足をピタリと止めた。じぃーっと見つめる猫目が好きな人を思い出させ、それだけで胸が握り潰されるくらい苦しくなる。

この先、良いことが現れなくてもいいから孤爪くんと二人でお祭りに行きたい。誘う勇気がないくせに、そんなことを思ってしまう。私もマネージャーの子のように孤爪くんのことを名前で呼べるようになれば、少しは勇気が出るだろうか。
伸ばした手を戻し、両腕で膝を抱え、そこに埋めるように顎を乗せて小さな声で呟いてみた。

「研磨くん」

口にした瞬間、それは耳に届き、顔を真っ赤にさせる。自分の声で、自分の好きな人の名前が聞こえてくる。それがどれだけ恥ずかしいことか。実際、やってみて想像以上の破壊力に羞恥心で両膝に思いきり額を落とした。

猫に何を言ってるんだろう。恐る恐る目の前にいるその子を見れば、表情を変えずこちらを見つめている。そして、退屈そうに欠伸をすると同時に背後からゴトンッと物音がした。

「…………え」

落ちたのはスマホだった。後ろを振り返り確認する。落し物の持ち主を見るためゆっくり顔を上げると、そこには孤爪くんがいた。驚きで間の抜けた声が口から出てしまう。

「えっ……?……あ……いつ、から?」

いつからそこにいたの。孤爪くんの名前を呼んだ時からいたの?だとしたら、私の人生が終わるレベルだ。下から見る孤爪くんの猫目は横を向いていて、私の質問に答えるため今度は真っ直ぐこちらを見つめる。そして、絶望的な言葉を吐いた。

「名前、呼ぶ、前から」
「!!」

聞かれてた。聞かれてた……! きっと今、私はこの世の終わりみたいな顔をしていると思う。悪いことをして先生に怒られた時のやってしまった後悔と泣きたくなる心情と似た感じ。

「ごめんなさい、忘れて」
「……」

ちょっと魔が差しただけなの。続けて、そう口にするが返事はない。お昼の時と同じように「なにも聞いてないから」と言ってくれたらどんなに救われたか。
そもそもゆで卵を吐き出してしまった時も確実に見ていたのに気を遣って嘘を吐いてくれたんだ。今回も聞いてないと嘘を言って欲しかった、と心の中で嘆くも求めた言葉は貰えなくて。

「……そういえば」
「?」
「みょうじさん、お昼なんか言いかけてなかった?」
「……」

世界から消えてしまいたくなる程の気まずい雰囲気を破ってくれたのは孤爪くん。そんな救世主のような彼も居心地が悪そうで横を向いている。

お昼に言いかけたこと。お祭りのことだ。言おうとしてたの気付いてたんだ、覚えていてくれたんだ。こういうところ、好きだなぁ。でも返事はもう決まっているし、言っても意味はあるのだろうか。分かっていても実際断られたらダメージが半端ない……。そこまで考えたところで、あることが頭を過ぎった。

「中学校の近くでやるお祭りって覚えてる?」
「……うん」
「来週なんだけど……、もし、良かったら、一緒に行けないかなって思って」

一緒に行きたいとは素直に言えなかった。行けないかな、じゃなくて行きたいって言えば良かった。
毎年中学校の近くにある神社で行われるお祭りは、あまり大きくないし、人も多くない。もしかしたら、孤爪くんも良いって言ってくれるんじゃないかと少しだけ期待する。

今日はやらかしてばかりだ。ゆで卵を吐き出し、好きな人の名前を影で呼び、それを本人に聞かれる。これほどのやらかしをしてしまっているのだから、お誘いを断られる、が今日のやらかし項目に追加されるくらいどうってことないでしょう!と自分に言い聞かせながら、返事を待つ。
目を大きくさせて固まる孤爪くんは、なかなか口を開かない。数回瞬きをしてから、やっと返してくれた。

「二人……で?」
「う、ん。だめ、かな……?」
「……おれでいいの?一緒に行くの」
「孤爪くんがいい!」
「!……そ、そう」
「う、うんっ」
「みょうじさんが良ければ一緒に行こう……?」
「……え、……え?いい、の?」
「うん」

孤爪くんの頷きに嬉しさで、自分でも抑えが効かないほどの緩みきった顔をさらけ出してしまう。だって、断られると思ったから。嬉しすぎて、感情を隠す余裕が今の私にはない。誘うお祭りを変えて良かったと何度も心の中で喜んだ。

「たのしみ」

一言。心から思ったことをそのまま口に出せば、警戒する猫のような顔を孤爪くんはした。お祭りが大丈夫なら一緒に帰るのも良いだろうと調子に乗った私は、好きを自覚する前のようなテンションで「一緒に帰ろう!」と笑顔で放つ。「……うん」と視線を外して返事をする孤爪くんは中学二年生の時に戻ったみたいで。私もその頃に戻ったかのように、お祭りのことや部活のこと、他愛もない話をたくさんした。

「またね」

そう言って軽く手を振る孤爪くんと別れ、家に帰るまで話した内容を噛み締めるように思い出している途中、自分の失態に気付く。その時はもう遅い。急いでお風呂に入りご飯を食べ、悩んだ時に何故か茹でてしまう卵を見つめながら、「浮かれすぎ……」と小さく呟いた。



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