知らんぷりの嘘

「今年もお祭り楽しみだね〜」
「あ、そのことなんだけどね」
「うん?」
「私、今年は行けないかも」

部室に荷物を置き、体育館へ着いた瞬間、背後からそんな会話が聞こえてきた。聞き間違える筈がない、好きな人の声。自分達の部室に歩いていく二人の会話は段々聞こえなくなり、最後の「珍しい?用事?」という質問だけが耳に届き、それに対しみょうじさんの返答が何だったのかは分からないまま練習が始まった。

今年はみょうじさん行かないんだ。だったら、おれも行かなくていいや。

毎年開催される音駒のお祭りは、多くの人で賑わう。暑いし、人多いし、学校の人もたくさんいる。理由は特にないだろうけど、バレー部で練習終わりに行くのが毎年恒例みたいになっている。でも行ける人だけが行くって感じで、別に強制参加ではない。本当だったら早く家に帰って涼しいところで休みたい、ゲームをしたいおれが毎年行くのには理由があった。みょうじさんがその祭りに行くから。


一年の時、たまたまみょうじさんが行くってことを当時同じクラスだったバド部の子達が話しているのを耳にした。もしかしたらみょうじさんと会えるんじゃないか、みょうじさんを見かけることが出来るんじゃないかっていう邪な気持ちから、おれも行くことにした。そんな考えになる自分が気持ち悪いと思いながらも、口に出さなければ誰にもバレやしない。その思いは自分にも隠せる心の奥底に仕舞い込んだ。
行くと言ったおれに、クロは最初目を大きくさせて驚いてたけど、深くは聞いてはこなかった。


一年の時は会うことも見かけることも出来なかったけど、二年の時は遠くから見かけた。数人で楽しそうに話す輪の中にたこ焼きを頬張りながらみょうじさんがいた。いつもあの人は輪の中心にいて、周りには常に笑顔がたくさんある。絶対に好きになっちゃいけない人だと思いながらもどうすることも出来ないこの感情に悪意を抱き、みょうじさんがいる方向を眺めていたのを思い出す。

だから、みょうじさんがいないのならおれが行く理由はない。こんなこと誰かにバレたら終わる、くらい気持ち悪い思考。昼休憩に入って直ぐ、ぐるぐると思考を巡らせていると突然名前を呼ばれ、肩を上げて驚いた。

「研磨さんっ!」と元気に声を掛けてくる今年入部したマネージャーはバレーボールが大好きらしく、度々プレー内容について質問をしてくる。勢いとおれに聞かなくても……という疑問から最初は困惑したものの、リエーフみたいだと思えば直ぐ慣れた。
バレーのことになると早口になるマネージャーは、ちょっとだけ何を言うか分からない時のみょうじさんに似ている。似ている、けど、この子とは普通に話せる。
もしかしたら、この先マネージャーと話すみたいにみょうじさんとも普通に話せるようになるだろうか。質問された内容に答えながら、そんなことを考えていた。



みょうじさんと普通に話せるようになる。一瞬でも期待した数分前の自分にムリだと言ってやりたい。みょうじさんは、いつも思いもよらない言動をしてくる。

「っこ、づ……ご、ほっ……!」

あ……。

バレー部が昼食を取る場所へ向かうには、バド部がいる部屋の前を通らなきゃならない。体育館に戻る時もそう。そこを通らなくちゃいけない。一年の時から周りにバレないように盗み見していたその場所に、たとえ視線を向けなくてもいるかもしれないと意識だけでも向けていたその場所を、話せるようになった今でも癖で注視してしまう。

そしたら、目が合った。ゆで卵らしきものを口の中に含み目を大きくさせて驚くみょうじさん。かわいい……。なんて、思っていたら砲弾みたいに卵がこっちに飛んできて、思わず心の中で声が漏れた。

「ごめんなさい」

コロコロ転がってくるゆで卵を必死に追いかけ、ティッシュで包み謝罪をする。その姿がなんだか可愛く思えてきて、もう少し見ていたいかもと思ったけど、本気で落ち込んでいるみょうじさんを見て自己嫌悪に襲われた。

「……なにも見てないから」

横を向きながらそう伝えた。どうしてゆで卵をまるまる一つ口の中に入れていたのか、そしてそれを吐き出し、綺麗にこっちに転がってきたこと。リエーフや翔陽とか、虎でも、他の男達がやっていたら肩を震わせて笑っていただろう。でも、みょうじさんは凄く恥ずかしそうにしていたから笑えないし、そういうの見られたくないと思った。だから、なにも見てないと伝えたのだけれど、すごく、かわいいとは思ってしまう。

申し訳ないと感じながらみょうじさんを見れば、両手で顔を隠していた。な、泣いてる……?途端、ヒュッと喉が詰まるような感覚に陥る。素早い動きでその場にしゃがみ込み、覗き込むようにして声をかけた。

「えっ……どう…、だい、じょうぶ?」
「!?」

顔から手を離したみょうじさんは泣いてはいなかった。ただ恥ずかしかっただけと言い、距離を取った彼女に自分がどれくらい近寄っていたのか自覚する。

そして、流れる沈黙。いつもだったら直ぐにでもここからいなくなりたいと思うし、実際にこの場から離れようとするんだけど、何故か今は少しでもみょうじさんと一緒にいたいという気持ちの方が気まずい沈黙よりも上にあった。今は夏休み中だし、教室に行かないから会えないし、こんな近くにいれることなんて滅多にないし……。
きっとここで何か気の利いた話題を出せる人が相手に好かれるんだろう。だけど、おれには到底無理だから。それでも必死に話題を探してみるけど、やっぱり無理だから。

考えても何も出てこない。そうこうしているうちに視線を感じて下に向けていた顔を上げると、みょうじさんがこっちをガン見していた。何か言いたいことがあるのかな、と口を開こうとした時、一瞬で目を逸らされる。

……なんか、やっぱり、かわいい。


「ふっ」

無意識に声が出ていた。え?と驚くみょうじさんに気付き、ハッとする。かわいいなんて思ったこと、本人にはバレていない。きっとみょうじさんは自分が変なことをしてしまったんじゃないかとか、顔になにかついているんじゃないかとかを考えて焦っているんだろうと安易に想像がつく。自分の顔をペタペタ触る彼女に「なにも、ついてないから……ごめん」と伝えた。


それから直ぐにリエーフがやって来た。祭りになんで行かないのかと大声を張って。
みょうじさんが行かないんだから行く意味がない。とは言えず、その一文を抜かした理由を告げるが、なかなか引き下がらない。せめてみょうじさんのいる前ではやめて欲しかった。おれが行くか行かないかなんてどうでもいいだろうけど、本当の理由が不純なものだから。しかもみょうじさんに向けての。本人の前で少しでもバレるようなことはしたくない。

マネがいるからどうとか言ってるリエーフの服を掴んでここから離れようとする。これ以上、みょうじさんの前で何を発言するか分からないリエーフを置いておきたくない。挨拶をするのを忘れ、声をかけないでいなくなるのは気が引けて、最後にぎこちなくみょうじさんの方へ手のひらを向けた。


そういえば、みょうじさん何か言いかけてなかった?





その疑問は練習終わりに解消された。駅までの道。道路の端で蹲っているみょうじさんの姿が目に入った。後ろ姿しか見えないし、俺がいるところから結構距離があるけど、あれはみょうじさんだと直ぐ分かった。体調が悪いのかな……。
同じ光景を数年前に見たことがあるため、少し早足で声が届く距離まで近づいた時、

「研磨くん」

そうみょうじさんが口にした。

……え?いま、名前、呼ばれた……?驚きすぎて声すら出てこない。代わりに力が抜けた手からスマホが音を立てて落ちる。その音にみょうじさんは後ろを振り返り、ゆっくり顔を上げておれを認識すると、間の抜けた声を出した。

混乱しながら「いつから?」と質問するみょうじさんに、名前を呼ぶ前からと答えた。おれが出した答えはきっとみょうじさんにとって良くないものだろうけど、聞かなかったことにしたくない、たとえ嘘でも。ちょっと意地悪かもしれないと思っても、みょうじさんがおれの名前を呼んでくれた事実は嘘でもないことにしたくなかったんだ。

好きな人から名前を呼ばれるのってこんなに特別なんだと急上昇する体温がそう思わせる。からだ、熱い……。


「……そういえば、みょうじさん、お昼なんか言いかけてなかった?」

申し訳ない気持ちと嬉しい気持ち、でも少し居心地が悪い、そんな色んな感情を胸に昼休憩から気になっていたことを質問すると、思いもよらないことを言われた。

「もし、良かったら、一緒に行けないかなって思って」

一緒に行けないか、というのは中学の近くでやる小さなお祭りのこと。
基本、相手の目をしっかり見て話すみょうじさんが視線を彷徨わせている。いつもと違う雰囲気にこっちも緊張しながら、二人で?と聞けば、うんと返事をもらう。みょうじさんが良ければ行こうと言ったおれに彼女は「たのしみ」と顔を綻ばせて笑顔を見せた。瞬間、心臓がドキリと鳴るのと連携して体が跳ねる。

この人は、笑顔でおれを殺せるんじゃないかと思った。






みょうじさんと一緒に祭りに行くことが決まり、中学の時みたいに他愛もない話をしながら帰った日から数日が経った。

そして、約束の日の三日前。まだ集まる時間とか場所を決めれていない。ほぼ強制参加のクラスのトークグループにはみょうじさんの連絡先もちゃんとある。ここから追加して連絡を取ることは出来るんだけど、もしかしたら会って話せるかもしれない機会を自分から逃したくなかった。そもそもあの日、決めなかったのも、そういう話を切り出さなかったのも、また話す機会を作りたかっただけだし。きっとみょうじさんはそんなこと気付いてないだろうけど。
明日になっても会えなかったら連絡をしよう。そう決めて、バド部がいるであろう場所へと目指した。



辿り着いた場所では、みょうじさんだけが残っていた。またゆで卵を剥いている。好きなのかな?そんな疑問が浮かんで数秒。こっちの足音に気付いたのかポツリとみょうじさんは口を開く。

「あのさ、ゆで卵、剥きたくなる時ってあるよね」


…………。


「…………えっ、と……あまり、ない……かな」

きっとここにいるのは友達だと思ったんだろう。たった数日しか会ってないだけで、みょうじさんらしいこの感じが懐かしくて、質問した相手が友達じゃなかった時の反応に少しだけ興味が湧きながら返答した。でも、どんな答えが正解なのかは分からなくて、気まずさは出てしまう。

「ないよね!!ごめんね!変なこと言って!!」

焦ってる姿とあまりの勢いに笑ってしまいそうになる。やっぱり、かわいい。

「みょうじさんのそういうとこ、いいと思う」

ちょっとだけ勇気を出して言ってみた。でも向こうは今の発言が社交辞令からくるものとして受け取っているのが目に見えて分かる。いいんだ、それでも。ちょっと伝えてみたかっただけだから。

そして、本題に入ろうとした時。いつも一緒にいる友達がやって来た。どうやら友達の発言によるとみょうじさんもおれのことを探してくれていたらしい。
こっちを見た友達……、トモべさんが用件だけを伝えていなくなろうとした瞬間、今度はある人物が姿を現す。

虎……?

急に現れた自分のチームメイトに目を数回瞬かせる。その間、大股でこっちに近づいてくる虎はおれに気付いていない。あまりにも強ばった面持ちで勢い良く来るから無意識にみょうじさんと虎の間に体を滑らせた。でも、虎の視界にはみょうじさんしか映ってなくて、おれの存在はそこに入っていない。

大丈夫かと眉間に皺を寄せて怪訝な顔をチームメイトに向けるが、次に虎が発した言葉に目を見開く。

「この間のッ!お祭りの時は、あああアリガトウゴザイマシタタッ!コレ良かったら!!」
「えっ……」

お祭りって。毎年、行ってるやつ?みょうじさん、行かないって言ってなかった?行ったの?てか、虎会ったの?そんな疑問が脳内で飛び交う中、おれを挟み二人の会話は続く。
虎が謝罪と共にハンカチを渡す姿になんとなく経緯は読めたけど、もしかしたら自分も行ってたら会えたかもしれないという事実につい「お祭り行ったの?」って聞いてしまった。すると、みょうじさんは一瞬きょとんとしてから、首を傾げて返事をくれた。そこで我に返り、気まずさから視線を逸らし、そうなんだと頷く。


それからスムーズに時間と集合場所を決められ、最後に連絡先を聞こうとしたところで、またみょうじさんっぽさが炸裂した。

「トモちゃん、ありがとう〜〜!これで孤爪くんと連絡先交換できるよ。トモちゃんのおかげだよぉ〜〜」
「……あ、うん。はい」
「っっ〜!!ちっ違うの!あっ、違くはないんだけど、交換したいと思ったんだけど!孤爪くんと連絡取れたらなってね、思ったのは本当なんだけど!違くて!」
「うん。わかったから落ち着いて、みょうじさん」
「孤爪くんとなかなか会えなくて連絡先聞けないって焦ってたから、ありがとうトモちゃん!」
「うん。わかったから落ち着きなよ、なまえ」

トモべさんと同じ言葉を彼女にかける。一人、焦っているみょうじさんには少し慣れてきた。慣れてきたけど、見飽きはしない。ずっと見ていたいとさえ思う。
そして、連絡先の入手方法についての二人のやりとりを聞き、やっぱりみょうじさんはグループのところから知れるって気付いてなかったんだと分かった。呑気にそんなことを考えていると、今度はこっちにトモべさんの意識が向く。

「お茶目じゃん。なまえは置いといて、孤爪は…………あ」
「……」
「……あ、あ〜〜〜〜〜ふ〜〜〜ん、あーーー」
「…………」

どうして気付かなかった。気付いていたとしたら、何故連絡を送らなかったのか、若しくは気づいてないふりしたのか。全てを理解したような頷きをみょうじさんの友達にされ、面倒臭さから顔を思い切り顰めた。なんか、この人のこういうところ、クロに似てる。でも、みょうじさんは気付いてなさそうだから良かった。

そう安心するのも束の間。今度はニヤニヤしながら海に誘われ、これは確実にバレたと更に嫌な顔になるおれにみょうじさんは焦り出す。
続く、トモべさんの「水着を着ていく」「肌が見えてた」という言葉に一瞬好きな人の水着姿を想像してしまった自分が恥ずかしくて、自分の存在を今すぐここから消したくなった。と同時に、友達を見ていたみょうじさんが恐る恐るこっちを見たから、勢い良く顔を逸らしてしまう。ああ、もう、ほんと、消えたい。


「孤爪が来れなくてもなまえは他の男共に守ってもらうから気にするな!」
「守ってもらわなくて大丈夫だから……」

次々と発せられる愉快な煽り言葉のようなものをトモべさんから投げられ、つい買ってしまった。「……行かないなんて言ってない」なんて、感情を隠さず答える。心配そうに声をかけてくるみょうじさんにも赴くままに返事をした。





「はぁ……」

みょうじさんと別れた途端、大きなため息を吐く。海なんて暑くて疲れるし、行きたくない。ましてやまだ話したことのないような人達と行くんでしょ。だったら尚更行きたくない。行きたくないけど、みょうじさんがいるから。少しでもみょうじさんと一緒に入れるなら行きたいと思ってしまう。


卒業したら、この感情は直ぐ捨てる。だから今だけは、わがままを言えるのなら、言わせてほしい。好きでいさせてほしい。



prev back next