しあわせの熱分解性

指先で前髪を軽く整え、久しぶりに着た浴衣が着崩れしていないか自身の体をペタペタ触り、緊張で汗をかいている首元にハンカチを当てながら神社の前で待つ。
私が待っている人って孤爪くんなんだよね。すごい。すごくない?すごい。理由もなしに会えるのってすごい。孤爪くんがわざわざ私と会ってくれるためだけに来てくれるの、すごい。

すごい、すごい、すごい。あれ、凄いってなんだっけ……。すごいって言い過ぎて、凄いという言葉で合っているのか分からなくなってきた。たまに「を」を眺めていたらこれって本当に、を?こんな文字だった?って書けなくなるあれと一緒。
それくらい凄い今のこの状況に、私は混乱している。

今日は孤爪くんと約束をしたお祭り当日。浴衣を着て、ヘアアレンジもしてきちゃった。小さなお祭りでこれは気合入れすぎかな……。引かれたり、しないかな……。約束の時間まであと二十分。早く来すぎたかも……。
そう不安がどんどん募りながら、きょろきょろ辺りを見渡すと意外と人が多いことに気付く。浴衣を着ている人もいる。このお祭りに来るのは中学生ぶりだけど、例年家族連れや小さい子が多いイメージだった。それが今日は小学生から高校生、若くて綺麗なお姉さんやお兄さんもいる。人数ももしかしたらいつもより倍以上いるかもしれない。

なんでこんなに人が多いの……?孤爪くん、嫌になったりしないかな。大丈夫かな。不安は増すばかり。スマホでお祭りの名前を検索してみると、去年から新しい試みとして規模を大きくし、最後には結構な数の花火が打ち上げるとホームページに記されていた。変わった花火も上がるみたい。音駒のお祭りよりは小さく人も少ないけれど、私が来ていた頃の倍以上は人がいる。

本当に大丈夫かな。

「……みょうじさん?」

スマホに夢中になっていたところに、待ち人がやって来た。違うことに意識が向いていたため、心の準備が出来ておらず、心臓が飛び跳ねる。

「!!孤爪くん、お疲れ様!」
「お疲れさま」

目が合ったかと思えば、「人、結構いるね」と直ぐに視線を逸らされる。

「人多いよね。去年から規模を大きくしたみたいで。私も来てびっくりしちゃった」
「花火も上がるみたいだしね。前来た時はなかった気がする」
「孤爪くん知ってたの?というか、来たことあるの?」
「去年人から大きくなるって聞いて、それで。中学の時一回だけ来たことあるよ」
「そうなんだぁ」

神社の前。多くの人が通り過ぎる中、普段より何倍も普通の会話が出来ている気がする。お互い目を合わせることなく、楽しそうにお祭りにやって来る人達の顔を眺めながら言葉を交わした。チラリと孤爪くんの方を見ると制服姿でもジャージ姿でもない、あまり見ることのない私服姿。ずっと見ていられる、なんて思うも見すぎは良くないと逸らそうとした瞬間、合う視線。

「「!!」」

お互い目を大きくして驚き、勢い良く顔を逸らしてしまえば、気まずい雰囲気が流れるのは当たり前で。人が多いけど大丈夫かという質問は、聞いてしまうことにより一瞬でこの幸せな時間が終わるかもしれない可能性があることに怯え、口には出せずにいた。

ここからどうしよう。行こう、とただ言えばいいだけなのに、孤爪くんとお祭りに来ているという信じられない状況に緊張で声が出ない。さっきまで普通に話せていたのに。気まずい雰囲気の中、先に破ってくれたのは孤爪くんだった。

「お腹、空いてる?」
「空いてる!!!!」
「……じゃあ、お腹に溜まるもの食べようか」

質問に噛み付くよう返事をし、孤爪くんの方へ凄い速さで見れば、ふっと小さく笑われる。食べよう、と言った彼は小首を傾げ、柔らかい表情を私に向けた。

〜〜〜っっすき。ど、どうしよう。だいすき。歩き始め、隣にいる孤爪くんに気付かれない程度に胸に手を当てて苦しさを和らげようとする。私、今好きな人の隣を歩いてる。好きな人とお祭りに来てる。これって、デートみたい。デートって思ってもいいのかな。思うだけならいいかな。え、私、孤爪くんとデートしてる……?

「みょうじさん……?」

ボンッと赤くなった頬。急に上昇した体温。食べ物の匂いや賑わう音、屋台が連なる道に近づいた時、不安げに名前を呼ばれ慌てて返事をする。

「今日はさ、ちょっと暑いよね!」
「……ちょっとどころじゃないけど」
「!!」

赤くなった頬を誤魔化すための発言に、孤爪くんは一瞬眉に皺を作った。私に向けてではなく、暑さをより実感したことにより作られた表情みたいだったけれど、自分の放った言葉でまさかあの顔が見れるとは思っていなかったから目を見開いて喜ぶ。孤爪くんがあの顔を……!初めてしてもらえたことに感激していると、彼は進む方向を変え一人でスタスタと歩いていってしまった。もしかして、怒らせた?

小走りで後を追うと、孤爪くんはある屋台の前で足を止めた。そして、振り返り質問してくる。

「なに飲みたい?」
「えっ、と……レモンのやつかな」

立ち寄ったのは、飲み物が売っている屋台。氷水が入った大きな箱にたくさんのペットボトルが沈んでいる。
質問の意図を考えず思ったまま答えたさっぱり系の飲み物とお茶を頼む孤爪くんはお金を渡し、二本のペットボトルを受け取った後、片方を私に手渡した。

「あ、りがとう?」

くれるの?の意味を込めて首を傾げてから慌ててお金をお財布から出そうとするが、出す前にいらないと言われてしまう。

「水分はたくさん取った方がいいから」
「そうだね……?暑いから熱中症に注意しなきゃいけないもんね」
「うん。それにみょうじさん、顔赤い」
「……え」

本日、三度目。目が合った。もしかして、暑くて顔が赤くなったと思ったの?だから飲み物を買ってくれたの?本当は孤爪くんのあの顔を見て照れて頬が赤くなっただけなのに?

「わーー!!」
「!?」

恥ずかしい。純粋に心配してくれているのに本当は不純な理由すぎて恥ずかしい。飲み物を買ってくれる孤爪くん、相変わらず優しい。どうしよう。かっこいい。好き。大好き。思わず悲鳴を上げてしまった。
孤爪くんと今一緒にお祭りに来ている信じられない現実と、いろんな感情、いろんな事実に体の熱が更に上がっていく。好きな人が自分のために何かをしてくれる。これ以上に嬉しいことがあるのだろうか。

突然叫び出した私に肩を上げて驚く孤爪くんは「え、どうした、の?」と困惑している。心配させてはいけないと包み隠さず言葉にした。

「顔が赤いのはちょっと恥ずかしいこと考えてたからで。全然体調は大丈夫!」
「……恥ずかしいこと?」
「恥ずかしいっていうより、照れちゃうことかな。今、孤爪くんとデートしてるんだなって思ったら照れちゃって」

貰った冷えた飲み物を頬に当てて熱を取りながら、下を俯き素直に口に出した瞬間、ボトッとペットボトルが凹んだ音がした。さっきまで自分の下駄しか映っていなかった視界にコロコロと転がってきたペットボトル。

「孤爪くん、これ…………っ!?!?」

すかさずしゃがんで落ちたペットボトルを拾い、渡そうと相手の顔を見た時、自分の失言に気付く。赤く染まった頬を隠すように俯き、気まずそうに視線を外す孤爪くん。とても小さな声でお礼を言ってから飲み物を受け取る彼に急に全身から汗が流れてきた。

「デートって勝手に思ってごめんね!嫌だよね!!」
「……」
「さっきのはテンション上がっちゃって思ったことだから!もう考えないようにするから!ごめんなさい!」

孤爪くんの顔を下から覗き込むようにして必死に弁解する。今日だって気を遣わせて来させちゃったのかもしれない。もしかしたら、来たくなかったのかもしれない。それなのにただの同級生の女にデートって勝手に思われたら気持ち悪い以外の何物もでもない。
必死になりすぎて無意識のうちに近寄ってしまう。けれど、孤爪くんと目が合うことはない。何も発さない孤爪くんが何を考えているか分からなくて冷汗をかく。しかし、ゆっくりと動いた口から言葉が放たれた。

「おれも…………から」
「え?」
「……おれも、デートって思うから。だからみょうじさんも……」

そこまで言って口を噤む。みょうじさんの、のあとに続く言葉を自分の都合の良いように考えてしまう。デートって思っていいの?
目を大きく見開き、固まることしか出来ない私に孤爪くんは下に向けていた視線をゆっくり上げて、こっちを見つめた。

「あと、」

お互いじっと見つめ合い、何を言われるんだろうと次に放たれる言葉をドキドキしながら待つ。けれど、孤爪くんの瞳に私が映って数秒。「なんでもない、ごめん」と首を横に動かし、顔を逸らされた。


今日の私の目標は孤爪くんとちゃんとお祭りを楽しむ、だ。好きという私の個人的な感情で気まずい雰囲気を作ってはいけない。せっかく一緒に来ているんだから楽しんだ方がいい。これは昨日の夜、決めたこと。緊張ですっかり忘れてしまっていたけれど、今からでも昨日立てた目標を遂行しなければ。

会った瞬間は普通に話せたし、最近は前より自然に接せられるようになったし。うん。大丈夫。中学の時を思い出しながら、あの頃みたいにすればきっと大丈夫。

「孤爪くんはお腹空いてる?」
「え。あ、……あんまり空いてないかも」

でもみょうじさんは気にしないで好きなの食べて、と言われ、部活終わりになにか食べたのかなと思うも「じゃあ、お腹空いてきたら食べよ〜」なんて友達といる感覚で話してしまった。

「屋台の食べ物ってどれも美味しいよねえ。唐揚げとかも普段食べてるけどお祭りのだとなんか特別感ない?味は違うのはもちろんだけどさ、なんか違うっていうか。外で食べるからかな?お祭り効果?」
「うん、特別感あるの分かる気がする。あと、プールで食べるカップラーメンとか焼きおにぎりとかも普段の倍美味しい」
「うんうん!!」

実際他愛もない話をすればさっきまでの気まずい雰囲気はどこかに飛んで行き、二人並んで屋台の道を歩きながら普通に会話が出来た。

「あ、唐揚げある。食べる?」
「食べる!」

大きくからあげと書かれている暖簾を見て目を輝かせる。その内に「どっちがいい?」と大小のサイズを聞いてきた孤爪くんがお支払いをしようとするから慌てて自分で注文した。

「わあ、揚げたてだって」
「良かったね」
「うん!孤爪くんも是非」
「……え」

楊枝に唐揚げを一つ刺して孤爪くんの方へ近づける。声を漏らし固まる姿を見て、お腹空いてないって言ってたし食べるか聞いてからにすれば良かったと後悔した。

「えっと、唐揚げ食べる?」
「……」

腕を軽く伸ばしたまま首を傾げて問いかけてみるが、私の手元を見つめるだけで返答はない。頭に疑問符を浮かべ、数秒待っていれば「う、ん」とぎこちない返事をもらった。
楊枝に刺さった唐揚げを更に孤爪くんの口元へ近付け、落ちてもいいように反対の手で持っている唐揚げが入った紙コップも一緒に持っていく。一瞬だけ、後ろへ身を引かれたことに不思議に思いながらも食べるのを待っていると、恐る恐る小さく開けた好きな人の口元が近付いてきた。あと数ミリで唐揚げがその中に入ろうとした時、金色に染められた毛先が手に下りてきて、そこで我に返る。

ちか!?近い……!近い近いっ!!

孤爪くんの顔との距離が一気に近くなる。自分のせいでこうなっているのに、腕を最大限に伸ばし彼から離れた。孤爪くんの口が……!私の手のすぐそばにある……!?楊枝の長さに悪意を感じつつも喜んでいる自分が恥ずかしい。一口で食べきれないサイズのものだから、一度離れて何も発さずモグモグする孤爪くんがもう一回こちらに近付き、唐揚げをぱくりと口の中に入れた。

こんなの、あーんじゃないか。脳内はパニック状態。今、私は孤爪くんにあーんしたんだと狼狽える。
こんなの、カップルみたい。いやっ、勝手に私がそう思いたいだけで……!普通に異性の友達とだってする時あるんだからカップルだなんて、そんな……!違う!しかも、食べさせられてる孤爪くん、かっこいい。かわいい。かっこいい。

「もう一個食べる?」
「もう、いいかな……。あ、りがとう」

距離の近さに緊張はするもののそれを上回る孤爪くんのかっこよさと可愛さにもう一つ追加で唐揚げを差し出すが、私の心情が表に出てしまっていたのだろう。目の前にいる彼は視線を合わせないようにしてやんわり断った。

「おれはもういいから、みょうじさんが食べて」
「うん」

そうだ。孤爪くんはお腹空いてないんだったと思い出し熱々の唐揚げを口に運んだ瞬間、あることに気が付く。

この楊枝で食べたら間接キスになっちゃうんじゃない?でも、でもっ刺してただけだから、唇は触れてないと思うから間接キスにはならないかもしれない。大きく口を空け、唐揚げをその中に入れようとするところで固まる私に孤爪くんは「みょうじさん?」と首を傾げて名前を呼ぶ。

「っううん、なんでもな………っごほ、うっ」
「え」

慌てて口に入れたのと同時に喋ったのがいけなかった。食べながら話さない。小さい頃からやっていた常識を忘れ、食べたものが変なところに入ってしまった。孤爪くんといるといつもやらかす。

「っう……ごほっごほ」
「ちょ、これ飲んで」

ゆで卵の時のようにはしない。その思いで吐き出さず全部食べれたのはいいものの更に変なところに入り咳が止まらないでいると、キャップを外したペットボトルを渡してくれた。途切れ途切れのお礼を言ってから素直に受け取り、一気に喉を通すと直ぐに楽になった。

「ごめんね、お騒がせしました」
「……平気?」
「うん、大丈夫。飲み物もありがとう。孤爪くんの飲んじゃってごめんね」

さっき買った孤爪くんの飲み物を返す。彼に受け取られたそれを見つめ、自分が発した言葉を頭の中で反芻した。

孤爪くんの飲んじゃってごめんね。

孤爪くんの飲んじゃって。

孤爪くんの、飲んじゃって……。


「!?!?……あっ、ご、ごめんなさい!」
「なにが……?」

別に謝ることじゃない。同じ場所に口付けただけだし。同じ飲み物飲んだだけだし。それに孤爪くんはなんのことなのか分かっていない、私の体調を気遣ってくれただけなのに。私だけが意識しちゃっていた。

「孤爪くんが」
「……」
「孤爪くんが飲んだところに口付けちゃって!!」
「……?」
「同じところに、口…………ごめん!」
「……!?!?っそ、そういうこと、言ってる場合じゃなかった!!」
「そうだよね!ごめんなさい!」

間接キス。それを理解した孤爪くんは肩を跳ねさせ大声を出した。孤爪くんがこんな口調で私に言ってくることなんて今まで一度もなかったし、ずっと山本くんやトモちゃんを羨ましがってたのに、この時の私はそれに気付ける余裕がなかった。


ただ唐揚げを分け合っただけなのに。二人してお揃いの顔をして照れてしまう。まだ祭りは始まったばかり。



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