踏み越えたボーダーライン

「だいすき」



あああああーーーーーーーー!!!言っちゃった、孤爪くんに言っちゃった!しかもあんなクラスメイトがいる前で。

現在、夜九時。自室のベッドの上で枕に何度も何度も自分の顔を打ちつける。

あまりの寝不足で倒れた私は保健室まで孤爪くんに運んでもらった後、下校時間ぎりぎりまで爆睡。孤爪くんに運んでもらったのは人伝で聞いた。
もちろん撮影は明日取り直しで、起きるまで待っていてくれたトモちゃんと他にも別件で残っていたクラスの子には何度も謝った。

明日、体育館にいた人達にも謝らなくちゃ。あと、孤爪くんにも。

「あああ………、どうしよぉ……」

言っちゃったよ。意識がほぼなかったとしても告白しないって決めたのに。しかもあんな人前で。孤爪くん、絶対嫌な思いしたよね。謝罪とだいすきって言ったこと間違いだって伝えなきゃ。

「……間違い、ではないんだけどなぁ」

だいすきなのは嘘じゃない。間違ってはなくて本心だけど、今言うことじゃない。このまま訂正しなければ、告白したってことになるのだろうか。いやいや、ダメだよ。そんな、怠けちゃ。とりあえず、上手い言い方を考えよう。でも、孤爪くんにだいすきと言ったことを嘘だと、間違いだというのは言いたくはない。でも、伝えなければならない。矛盾だらけの思考に文字通り頭を抱えた。






そう決めたのに。

「なまえちゃん、昨日倒れたんだってね。大丈夫?」
「うん、寝たらスッキリした。迷惑かけてごめんね」
「迷惑なんて誰も思ってないからー!今日も体調優れなかったら休んでいいんだからねー!」
「うん、ありがとう」

昨日の失言には誰も気にしていなかった。というより、

「孤爪、狡ぃよな。みょうじにだいすきって言われたの」
「あー、あの昨日セリフ間違えたやつ?体調悪くて言う相手とセリフミスったんだって?」
「そうそう。しかも告ってる時の顔、めっちゃ可愛かったらしい。俺もその現場居合わせたかったわー」

私が言う相手とセリフを間違えたってことになってる。確かに普通に考えればそうなるに決まってるんだけど。

うわぁぁぁ……、恥ずかしすぎる!あれで告白したってことならないかなって考えたことも、必死に孤爪くんに言い訳を考えたことも。しかも、私の失態のせいで孤爪くんに迷惑かかっちゃってるし。凄く申し訳ない。
いろいろ孤爪くんに言わなきゃいけないことがあるのに午前中の授業は次で最後で、まだ謝罪も、話しかけることすら出来ていない。昨日のお礼もまだ……。


「みょうじさん」
「……」
「……みょうじさん」
「っ、はい!」

突然、隣から名前を呼ばれ大きな声で返事をしてしまった。そんな私を見つめてから孤爪くんは少し視線を外し、私の手元にある教科書を見て言った。

「……次、数学」
「……え?」

机に出していたのは英語の教科書。周りを見渡すと私と同じ教科を出している人は一人もいなかった。

「あ、ありがとう」

直ぐに机の中にしまい、数学の教科書を出そうとする。けれど、目当てのものは見当たらなくて。……あれ?忘れた……?机の中、鞄の中を覗いても探し物はなくて、そうしている間に号令と共に授業が始まった。

教科書がなければ授業が受けられない。隣のクラスに借りようにも既に始業のチャイムは鳴っていた。ここは、隣の席の人に見せてもらうしかないかもしれないと思っても一番後ろの窓際の席である私は、唯一隣にいる孤爪くんにしか頼めない。でも、今は気まずくて、迷惑もかけているのに、頼めるわけない……と悩んだところで声をかけられた。

「これ、使って」

そう言って教科書を渡され、じゃあ孤爪くんは?と聞く前に彼は黒板の方を向いてしまった。

「……」

ガタッと小さく音を立てて自分の机を動かす。ピタリと孤爪くんの机にくっ付けて椅子も移動すれば、驚いた表情をされた。

「一緒に見させて、ください」
「……」

教科書を真ん中に起き、椅子に座る。相手の顔を直視出来ず、前を向きながら「一緒に」とお願いをすると、隣で小さく頷いた素振りが視界の端に映った。授業を真剣に聞いてるふりをしながら、実際は隣にいる好きな人に心臓がバクバクしている。昨日のことを謝り、お礼を言えるチャンスなのに、こんな状態じゃ出来るはずがなかった。

「昨日は、あの、ありがとう。そのっ、保健室まで運んでくれたって聞いたの。あと、いろいろと、本当にごめんなさい」
「……うん」

それでも詰まりながらお礼と謝罪が出来た。だけど、「だいすき」と口にしたことについてははっきり言えないまま、授業終了の時間となってしまった。









今日も六限目は文化祭の準備。撮影は序盤に終わり、今からは当日使う教室の内装や看板、メニュー表を作成する作業に移る。

しかしその作業を開始すると同時に、使う道具が足りないことに気づき、校内の備品置き場まで物を取りにやって来た。

「……孤爪くん?」
「!?」
「あっ、ごめんね!驚かせちゃって!」
「……い、や」

私が到着した時には既に扉が開いていて先約がいたのかと中を覗くと、そこには孤爪くんの姿があった。名前を呼べば肩を上げて驚かせてしまったため、慌てて謝る。

「もしかして、孤爪くんも看板で使うやつ頼まれた?」
「……うん」
「あ、じゃあ一緒だね〜!私、こないだも同じやつ取りに来たから場所分かるんだけど、確かここら変に…………あ、あった」
「……」

前にも同じ物を取りに来たことがあった。奥の方にあるから無理やり体を入り込ませて腕を伸ばさないと取れない。これがないと作業が進まないから急いでいたのもあり、孤爪くんに伝える前に自分で取る。早く持って行かないとという焦りからこの瞬間だけ孤爪くんへの気まずさがどこかにいっていた。

「……ありがとう」
「?……どういたしまして!」

って言っても私もこれ取りに来たんだけどね、とへらりと笑い、お礼を言う孤爪くんに返事をした。「持つよ」と私の手から荷物を受け取ろうとしてくれたから素直に差し出した時、手が一瞬だけ触れ合う。その瞬間お互い、ではなく、私だけが勢い良く自分の胸へと手を引っ込めた。

「……」
「……」

落ちた音が狭い部屋で小さく鳴り響く。そして、数秒後、静寂に包まれる。自分が無意識でした行動により、思い出す昨日の記憶。再び溢れ出そうになる孤爪くんへの想い。

「ごめんね」

そう言って落ちた物を拾おうとした時、落ち着いた声色で名前を呼ばれた。

「みょうじさん」

いつもと違う雰囲気に自然と床に向けていた顔が上がる。

「……おれ、気にしてないから」
「な、にが……?」

気にしてない、と言われた瞬間、何のことを言っているのか理解出来たくせに聞き返す私は本当に性格が悪い。それでも口に出してしまった。気にしてない、なんて言われたくなかったから。「だいすき」と言ったあのことに対しての言葉じゃないことだと願った。
だけど、やっぱりそんな都合の良い話はなくて。

「その、昨日……セリフを間違えたこと」

合うことのない視線は下に向いたまま、はっきりとそう告げられる。

「ちゃんとわかってるから」

だから気にしなくていい、と。孤爪くんは私に気を遣って言ってくれているのに、わがままな私は「気にしてない」なんて言われたくなかった。気にして欲しい。「ちゃんとわかってる」なんて聞きたくなかった。わかって欲しくないの。

告白はまだしないって決めた。今じゃないって。ここは、「ごめんね、急にあんなこと言って」って誤魔化せばいいだけのこと。元々、告白する予定もなかったじゃん。卒業したら孤爪くんのことを好きでいるのも止めるって決めてたじゃん。今までいろんなことを我慢出来た。誤魔化すのも隠すのも結構得意な方だと思う。

だから、今回も上手く誤魔化せば、大丈夫。

大丈夫なんだ。



"おれなんかの前では大丈夫じゃなくていいと思う"



中学の頃に言われた言葉。助けてくれたあの日、私を背負って言い訳みたく小さな声で呟く孤爪くんの言葉。


孤爪くんの前では大丈夫にならなくていい。


私は孤爪くんが好き。ずっと前から好きなの。何年も誰にも言えず、自分にさえも言えず心に閉まっていた想い。もう、溢れそうになる想いを止めることが出来ない。

「……えっ、」

今の気持ちを我慢すればする程、想いが涙として溢れ出る。孤爪くんを真っ直ぐ見ながら涙を流す私に向こうは固まっていた。

「どう、し」
「分かってもらわなくていい……!」
「……」
「気にしてないなんて言わないで……」

ポロポロ落ちる涙を自分で乱暴に拭いながら、叫ぶ。孤爪くんがどんな顔をしてこっちを見ているのかなんて分からない。
好きな人にはちゃんと好きって伝えたい。勘違いもされたくない。自分がどんな酷い顔をしているのかも忘れて、涙でぼやけた視界に孤爪くんを映してから息を吐いた。


「わたし、孤爪くんのことが好きなの。ずっと大好きなの」


あの時言っただいすきは間違いじゃない……。震える唇を必死に動かし、数年分の想いを本人にぶつけた。



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