世界の違いについて

夏休み中にひとつのメッセージが届いた。まだ友達追加をしていないトモべさんからの連絡。内容は、文化祭で出す短編映画のおれの役についてだった。

役名とどういう役回りなのかが書いてある。内容を見て、結構出る役じゃん……なんでおれ?って疑問はその下に追加で送られてきた『他の人には秘密だけど、今世の女役はなまえだからね!』で謎解けた。
こんなこと言われたら断れないし。それに、みょうじさんに片想いする役っておれにぴったりじゃん。好きな子が演じる役と一番近い距離にいれる役を他の人に譲りたくないって、顔を顰めてから連絡を返す。

『やる』






夏休みが明けてからいろんなことがあった。

休み中は、部を引退したみょうじさんと体育館での関わりがなくなって、早く学校が始まって欲しい、文化祭の準備が早く始まって欲しいと学校が始まるのが待ち遠しく感じていた。そして、やっと休みが終わると思ってたよりみょうじさんと一緒にいれる時間がたくさんあって柄にもなく嬉しくなる。

昼休みも放課後も撮影。一緒に帰れたりもして、練習と称して手を繋いだりもした。隣の席にもなれていつもより近い距離にみょうじさんを感じられる日々。たまたま帰り道で会うこともあったし、その時いつもと雰囲気の違う格好が見れて気分が上がってしまったりもした。

こんなふわふわ浮ついた感情が続いたのがいけなかったのかもしれない。後輩の子から告白というものをされた後、突然聞こえてきた「孤爪くんに迷惑がかかるんだって!」というみょうじさんの声に誘われて、自分の思いを伝えた日から現実を突きつけられる噂が流れてきた。


みょうじに好きな人がいる
相手は大学生か、社会人。とにかく年上
それか近くに住んでる幼馴染


準備作業中、手元を動かしながらみょうじさんのことを話す人達がたくさんいた。元から目立つ人ではあったけど、こういう話を色んなところで、色んな人にされるのは例え普段から噂の対象になりやすい人でも良い気分ではないと思う。話が耳に入ってくる度、眉間に皺が寄った。
顔を顰め、イライラしてしまうのはみょうじさんの噂が聞こえてくるからだけじゃない。きっと、無意識に嫉妬しているんだと思う。

嫉妬するほど、おれはみょうじさんに相手にされていないのはわかってる。そこまでのレベルに達していないのに現実を突きつけられて落ち込む自分がバカみたいだとイラつく。ふわふわ浮ついていたのもバカみたい。住む世界が違うのだと我に返った。


これ以上好きになって浮かれないように、好きになりすぎないように。みょうじさんと一緒にいると期待と欲が出てくるから。近付かない方がいいと今までなら隙あらばみょうじさんを目で追っていたけど、今は視界からも直接的にも避けるようになった。
なのに、気付いたら無意識で目で追っちゃうし、教わったゲームを毎日ログインしてやり込むし、みょうじさんがオンライン中かとかも確かめたりしてしまう。最近は忙しいのかゲームには顔を出していなかった。そんな行動を取る自分に嫌悪を含んだため息を溢れる。





あれ……?

そして。避け続けて数日。あることに気づいた。

体調、悪そう……。

昼休み明け。教室に戻ってきたみょうじさんの顔色はあまり良いものではなかった。席に座る前、自然と声をかけようと腰を上げるもこっちに気づくことなく、みょうじさんは机に伏せる。よく見ると眠ってた。

いつからこんなだった?噂が流れてから?今日だけ体調が悪い?避ける前はこんな感じじゃなかった。だとしたら、噂が原因?それとも普通に体調が悪い?
伏せているみょうじさんに声をかけることが出来ないまま授業の準備を行った。




「みょうじさん」
「……」
「みょうじさん……!」
「……?あ、孤爪くんだ。どうしたの?」

放課後。おれ達は部活があるからといって授業内に撮影を終わらせてもらった。いつもより早く着替えて部室を出ようとすれば、虎に「おぉ…!研磨がやる気に!!」と言われたけど、そうじゃない。みょうじさんがまだ体育館にいるかもと思ったから。

案の定体調が悪そうなみょうじさんがそこにいて、声をかけると力ない笑いを向けられた。これ、絶対体調悪いやつ。
なのに、みょうじさんは「大丈夫」と言ってみんなの元へ戻って行った。焦りの声が口から出ても走っていく彼女には届かない。顔を思いっきり顰めながら、ステージに上がった。



「あれ?孤爪だ。どうしたの?」
「……」

トモべさんが舞台袖まで来たおれを見て首を傾げる。なにかを聞かれたのは耳に入ってきたけど、なにを聞かれたのか頭には入ってこなくて、ただじっとみょうじさんの姿を目で捉えた。

全然大丈夫そうじゃないんだけど……。基本的にみょうじさんは大丈夫じゃない。大丈夫って言う時ほど全然大丈夫じゃないんだ。

みょうじさんの友達ならわかってくれる。そう思って近くにいたトモべさんに伝えようとした瞬間、みょうじさんと目が合った気がした。それから一瞬。ゆっくり崩れていく姿を見て気づいた時にはみょうじさんの元へ駆けつけていた。

「っみょうじさん」

ざわざわと周りが騒がしくなり、みょうじさんを心配する声が上がり、みんな駆けつけてくる。両肩を支え、虚ろな目をして意識を失いそうになっている彼女に言葉を投げる。

「保健室いこう」

後ろからみんなの声が聞こえる。連れていくのに所謂お姫さまだっこというやつをやろうとするおれに周りは、持てんの!?大丈夫?変わろうか?手を貸そうか?などと言ってくる。意識を失いそうな人を抱っこできるのかって心配は特になかった。みょうじさんじゃなかったら誰かに頼んでる。でも、他の人になんて頼みたくないし、手も借りたくない。みょうじさんに誰も触れてほしくなかった。

「!?」

だけど次の瞬間。抱っこするためみょうじさんの背に腕を回そうとした時、ガシッと強い力で阻止される。え、と驚いたたけど向こうはこっちをじっと見つめるだけ。

そして、吸い込まれそうな目でおれを捉えてこう言った。


「だいすき」



「…………え?」

間抜けな声が零れる。近くにいた周りの人達の唾を飲む音が聞こえた気がした。
その後、ゆっくり瞼を閉じ、こっちに倒れてくるみょうじさんを支えるのに体だけが勝手に動く。

「孤爪、なまえのこと運べる?」
「……っ……う、ん」
「そう!じゃあ、私と孤爪で運んでくるから!みんな、あとの撮影は明日やろ!」

トモべさんの指示でハッと我に返る。他の人達も各々動き出した。慎重にみょうじさんを抱きかかえ体育館を出て保健室までやって来ると、おれ達を見た先生が一瞬驚き、「寝不足かな」とみょうじさんの顔を覗き込んで言った。ホッと安堵の息を吐き、ベッドにゆっくり下ろしてスヤスヤ眠るみょうじさんを見て数秒。顔が一気に赤くなる。

さっきなんて、言ってた……?

「だいすき」

その言葉が頭の中で反芻する。違う、きっと違う。そう。セリフを間違えただけ。言う相手とセリフを間違えただけ。綺麗な顔をして眠る好きな人を見つめ、自分の汚い心から目を逸らすように横を向く。
一瞬でも告白されたと思ってしまったのがすごくイヤだ。

だけど。嘘だとしても、好きな子からのあの言葉の破壊力は半端ない。

「はぁぁぁぁぁーーー…………」

深い深いため息が零れ、崩れるように下にしゃがみこむ。いつもより低い声が出たのが自分でもわかった。

「私、みんなのところ行ってくるから少しだけここにいてもらえない?」
「……」

視線だけを上げてトモべさんを見れば、ニヤついた彼女が「部活始まる前には戻ってくるから。ごめんね、少しの間だけなまえをよろしく」と返事をする前に走って出て行ってしまった。

気絶したように眠るみょうじさんをただただ見つめる。近くにあった椅子に座り、さっきより距離を取った。無防備な姿になにかしてはいけないと自分に言い聞かせなければ手を伸ばしてしまいそうで怖くなる。

「……ん、」
「!」

あまり寝顔を見てはだめだと視線を外していたら寝苦しそうな声が耳に届き、その方へ目を向ければ布団が少しだけ口元にかかっていた。恐る恐るゆっくり、慎重に、手を伸ばし、退かしてみる。起きる様子は一切なくて、あまりの無邪気な寝顔に緊張が解け、口元が緩む。

ふっ、と目元も気も緩んだ時、みょうじさんの頬に手を伸ばした。そして、指の背で軽く頬を撫でる。

「……っ!」

触れてすぐ、手を引っ込める。触れてない方の手で頬に触れてしまった手をこれ以上動かぬよう強く握りしめた。

なにやってんの……。

寝てる女子の顔を勝手に触れるなんて。無意識だったから余計に怖い。自分の行動に冷や汗が流れ、警戒する動物のような表情になる。
暫くしてやって来たトモべさんに一言「ごめん」とだけ伝え、足早にこの場から去った。










「……孤爪くん?」

好きな人の声がおれの名前を呼んだ。昔からみょうじさんに名前を呼ばれるのは好き。
肩が跳ね上がり、ゆっくり後ろを振り向けば、そこには好きな人の姿があった。

「あっ、ごめんね!驚かせちゃって!」
「……い、や」

今は六限目。文化祭の準備に使うものが足りなくて取りに向かおうとしていた人に代わって備品置き場までやって来た。自分から声をかけてまで代わった理由は、ひとつ。みょうじさんと同じ教室にいるのが息苦しかったから。

昨日の手を出してしまったこともそうだし、みょうじさんが昨日のあの発言に対してすごく気にしている。なによりおれは、みょうじさんの前で呼吸をするのも困難なレベルだったから逃げるしかなかったんだ。

"逃げ"もひとつの手だし……。今のおれレベルではみょうじさんに近付けない。と言っても、レベル上げももう無理そう。好きな人という強いボスと戦って、精神までズタボロにされたんだ。精神をこんなにやられたのも、強い敵に遭遇してクリアしたいと思わないのもはじめて。みょうじさんは敵じゃないけど。

授業中はよく耐えたと思う。珍しくみょうじさんが教科書を忘れていたから心配の方が勝ったけど、動いたら触れてしまいそうな距離にあるみょうじさんの存在に平常心を保つのが必死。ほんと、情けない……。


そして、今。

「あ、じゃあ一緒だね〜!私、こないだも同じやつ取りに来たから場所分かるんだけど、確かここら変に…………あ、あった」
「……」

さっきまでのみょうじさんはどこに行ったのか。いつも通りに接する彼女が目の前にいる。
しかも、こういうこと前にもあった気がする。ずっと前。初めて会った時と同じ。あの時も荷物がたくさんある小さな部屋で探し物をみょうじさんが見つけてくれた。

「……ありがとう」
「?……どういたしまして!」

中学の時と同じ屈託のない笑顔を向けられる。大人びてはいるけどあの時と変わらないその笑顔に頬が緩み、気持ちが少し軽くなった。だけど、次の瞬間。みょうじさんから荷物を受け取るため伸ばした手が触れると、勢い良く距離を取られた。

流れる沈黙。先に動いたのは向こう。

「ごめんね」

そう言って、床に落ちたものを拾おうとするみょうじさんは声も手も微かに震えていた。気付いた時には相手の名前を呼んでいた。下から覗き込むように顔を上げたみょうじさんに目を見て伝える。

「……おれ、気にしてないから」
「な、にが……?」
「その、昨日……セリフを間違えたこと」

もっと早く言えばよかった。みょうじさんが気にしているとわかっていたのに、自分に向けて言われたあの言葉を間違いだとしても、ないものにはしたくなかった。ただのおれのわがまま。
あの発言のことをみょうじさんが気にしなくなるのは、間違えて言ってしまった相手からの一言だと思う。もう気にしなくていいから。そんな思いを込めて伝えた。

「ちゃんとわかってるから」

ちゃんとわかってる。間違えて言ったこと、わかってるから。だから気にしなくていい。さっきまでみょうじさんのことを見れて言えたのに、今は目が合わせられない。床に視線を注ぎ、向こうからの言葉を待つ。


「……えっ、」

なにも発さないみょうじさんに、不思議に思い恐る恐る顔を上げる。すると、そこには目にいっぱいの涙を溜めたみょうじさんがいた。驚きで目を見開き、体が固まる。だけど、心臓は猛スピードで速く動くし、変な汗が流れ出る。

「どう、し」
「分かってもらわなくていい……!」
「……」
「気にしてないなんて言わないで……」

涙を流しながら真っ直ぐ思いをぶつけられた。初めて見る姿に更に驚く。泣かせたことに焦っているのにその姿はきれいとさえ思ってしまう。ゴシゴシ乱暴に目を擦り、もう一度おれを見たみょうじさんはゆっくり口を開いた。


「わたし、孤爪くんのことが好きなの。ずっと大好きなの」


…………え?


「あの時言っただいすきは間違いじゃない……」


震えながら動いた唇で、か細く、でもはっきりと気持ちが込められた声色で放たれた。


な、に……


どういう、……


思考が追いつかない。今、目の前にいるのは本当におれの好きな人であってる……?眼球が痛くなる程、目を見開いて驚き固まりながらも、早くなにかを言わなくちゃと焦る。

涙で滲んだ瞳が揺らぎ、こっちを見つめるみょうじさんは今にも倒れてしまいそうで、不安げな表情をしている。

なにか、言わなきゃ。

安心させなきゃ。

涙を拭わなきゃ。

震えるみょうじさんを止める言葉をおれは言える。信じられない非現実的な告白は視界いっぱいに移る本人を前にして嘘だと思うのは失礼。言われたことを理解した。素直に自分の気持ちを伝えれば、好きな子のこの表情を変えられるかもしれないのに、声が出ない。

唾を飲み込み、息をするのがやっと。呼吸の仕方を忘れ、でも必死に口を動かした。

「……ぁ」
「っごめんね!」

え……?

「いきなりこんなこと言われてもびっくりするよね!ごめんさい。でも、本当のことだから!!それと、返事とかは気にしないでっ!」

そう言って後ろを振り返り、歩いて行ってしまった。
じゃあ、私顔だけ冷ましてから行くね!本当にごめんね!数歩進んで、止まって、背を向けたままそう言われた。

「……あ、」

再び歩き出す前に髪を触れた手はまだ震えていた。


おれは、その手を掴むことも、言葉をかけることもしないまま、ただ好きな子が泣いている後ろ姿をじっと見つめることしか出来なかった。



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