揺れるハートビート

「あ。バレー部だ。おはー」
「っ、オ、オ…オオ、オハヨウゴザイマスッッッッ!!!」
「相変わらず慣れないねえ、山本は」
「ソッハッ、ス、スンマセン…!」

朝練後。下駄箱にローファーをしまっているところに同じく部活終わりのバレー部ふたりが登校してきた。ふたり、というのは山本くんと…あと、孤爪くん。あわあわしながらトモちゃんに挨拶をする山本くんの後ろで背を丸めた孤爪くんが視線を合わせないままほんの少しだけ頭を下げたような気がした。

「山本くん、…孤爪くん。おはよう!」

朝から好きな人に会えたことに動揺し、挨拶が遅れてしまう。それに対しふたりは気にすることなく、山本くんはトモちゃんにした挨拶を、孤爪くんはあの頃と同じように小さく「お、はよう」と返してくれた。

数年ぶりの挨拶。どうしよう、凄く嬉しい。これで今日一日頑張れちゃうかも。ううん、これからずっと頑張れるかも。でも、言い方変じゃなかったかな。緊張してたのバレてないかな。今もドキドキしてて顔に熱がこもっているの気づかれてないよね。嬉しくてニヤけてしまう口元を隠すのに必死になるけれど、それは難しくて少しだけ下を俯き髪で顔を隠した。

女子と話すのが苦手な山本くん。元からあまり喋らない孤爪くん。好きな人に挨拶を返してもらえて挙動不審になるのを隠すため黙る私。なんとも言えない微妙な空気がこの場を覆い、全員が気まずさを漂わせて無言になる中、唯一トモちゃんだけが「なんだこれ…」と呟いた。




去年よりも教室から出る回数が半分以上減った。その理由は簡単で。孤爪くんが同じ教室にいるからだ。去年は何もなくても彼の教室の前を歩いては、盗み見るというストーカーと言われても可笑しくない行動をしていた。
でも今は同じ空間に好きな人がいるから。トイレに行くのも勿体無いと思ってしまう。

「いや、トイレ行ってきなよ」
「え!?」
「体に悪いよ〜」
「な、何で私がトイレ行きたいって分かるの!?」
「え?だって、トイレ行きたいけど行く時間が勿体無いって今自分で言ったじゃん」
「…え」
「あ、無意識?」

そういうとこあるよね〜と間伸びした声で放つトモちゃん。早く行ってくるようもう一度促され、急いで席を立ち教室を出た。流石に、少しでも同じ場所にいたいからってトイレを我慢するのは引かれる。自分でも引いてるもん。あ〜〜、恥ずかしい…。こんなの孤爪くんにバレたら…っていうか、友達にもバレたらヤバいやつって絶対思われるよ…。


それでも無意識の内に、早めにトイレを済ませている自分が怖い。少し駆け足で教室へ戻っているのも怖い。

「……あ」

ちょっとだけスピードを緩めよう。そう思った時。孤爪くんもどこかに行っていたのか少し離れた先を歩く猫背の後ろ姿を発見した。本当にスピードを緩めないと追いついてしまう。まだ隣を歩くことも声をかける勇気もない。さっきの自分とは思えないほど足を動かす速さは遅くなり、自身の行動が情けなくて呆れる。

それにしても孤爪くんは歩くのゆっくりなんだなぁ。さっきより遅くして歩いているけど、それでも追いついてしまいそう。元々ゆっくりなイメージはあったけど。でも、いつも一緒にいた一つ上の先輩と歩く時は遅くなかったような…?
そういえば中学の頃は私に合わせて歩いてくれてたんだな、なんて今更ながら自覚しては急に心臓が早くなる。えええ、私の心臓やばくない?もうこれは病気なんじゃないか、と疑うほどに可笑しい気がする。

やっと孤爪くんが教室内へと入ったところで、ホッと息を吐く。か、かっこよかった…。後ろ姿でかっこいいとか何事だろう。後ろ髪の毛先が一部跳ねていたのも、かっこ可愛かった。しかもしかも、同じ教室に戻るっているのも嬉しさで心が痒くなる。どうしよう、同じクラスなの。私、孤爪くんと同じクラスなの。



「あっ、みょうじ。ちょっと教えて欲しいとこあんだけどいいー?」
「えっ!!…う、うん?いいよ」

蕩けそうになる顔を必死に保ちながら扉を潜ると、直ぐ去年から同じクラスの男子に声をかけられる。呼ばれたことに一瞬動揺してしまったのは、彼が孤爪くんの前の席だから。ぎこちない足取りで向かい、席に座ってスマホをいじっている孤爪くんの横を通り過ぎる。

「……これ、春休みの課題?」
「そーなんだよー!!出すの忘れててさぁ。全部解答欄埋めなきゃじゃん?ここ分かねえんだよ」

お願い!教えて!!と掌を合わせてお願いされ、彼らしいと少し笑ってしまった。

「あ、今笑った?」
「笑ってない笑ってない。……えっと、これは一つ前の問題の応用だから、この公式に当てはめれば解けると思う」
「…おお、ほうほう」

友達と机を挟んで対面するように立ち、課題のプリントに指を差しながら説明する。唸りながら問題を解く友達越しにバレないよう目線だけを後ろに動かすと、そこには下を俯き、器用に指を動かす孤爪くんがいる。髪で表情は見れないけれど、こんな近くに孤爪くんがいる、とドキドキして急いで視線を元に戻した。

「おっわーったー!!」
「わー、良かったー!」
「んじゃあ、これ速攻で提出してくるわ!ほんとありがとな!」
「うん!気をつけて!」

駆けていく友達を見送り前を向くと、直ぐに孤爪くんの姿が目に入る。話しかけても、いいかな…?でも、いきなり声かけられたら嫌かな…。今ゲームしていると思うし。また、今度で…。でもそうやって今まで逃げてきたんだ。一言、声をかけても…

「なまえ戻ってきたんだ」
「あっ、うん!」

ゲームが一旦終わるのを待っていたら、トモちゃんが私に気付きこちらにやって来る。やっぱり話しかけるのはまた今度にしようかなと思ったその時。

「スッキリした?」
「え」
「溜め込みはよくないよ〜」
「ちょっ!トモちゃん!?」
「ん?」

トイレを我慢していたことがバレるような発言をされ、慌てる。ん?じゃない!いつもの!普段の!トモちゃんが言うようなことだけど、直ぐそこに孤爪くんがいるんだから!彼の前でそういうこと言っちゃ駄目!!あ〜もう孤爪くんもスマホから顔上げてこっち見てくるし!

「な、なんでもないよ!?」
「……」

トモちゃんの口を左手で塞ぎ、もう片方の手で背中を押す。教室の後ろまで連れ去り、内緒話をするように口元に手を添えて「そういうことはふたりの時だけに!」と小声で言う。キョトンとするこの子に「孤爪くんの前では言っちゃだめ!」そう念を押すと瞬きを数回繰り返して、はぁーい、なんてのんびりした返事が返ってきた。







「うへ〜疲れたぁ…お腹空いた…もう歩けない」
「ははっ、家帰るだけだから頑張ろう」

放課後練の後の自主練も終え、辺りは真っ暗。駅へ向かう途中、隣を歩いていたトモちゃんが足を止めて首をガクッと下へ脱力させた。今日はロードワークもあったからね。確かに体がいつもより重い。ゆらゆら揺れている友達の背中を押して数歩進めば、前からある人物の名前が飛んできた。

「孤爪」
「えっ?」
「……だっけ?バレー部の」
「え、あっ…うん。同じクラスの男子バレー部は山本くんと孤爪くんだね」

急に孤爪くんの名前を出されて体が一瞬硬直するが、直ぐに再び背中を押すと彼女の口からまたとんでもない言葉が飛んでくる。

「孤爪のこと好きなの?」
「え…」
「……」
「え?だ、誰が?」
「なまえが」
「わ、たしが?」
「なまえが孤爪のこと」

好きなの?振り返ったトモちゃんにもう一度そう問われて、心臓が飛び跳ねた。……バレてる。え、何で!?まだクラス替えして数日しか経ってないのに!気付かれた。トモちゃんになら知られてもいいことだったから、気付かれたことに焦りはしないんだけど、私の行動が分かりやすいのかもしれないということには焦っている。

「す、好きだけど!!何で気付いたの!?私、分かりやすかった?!」
「おお!好きなのか!分かりやすいよ〜分かりづらくしてるのが余計に分かりやすい」
「ちょっと意味分かんない!」
「あはははっ!」

いつもなら言われたことを直ぐ理解出来たと思う。けれど、今は動揺してるから。分かりやすい言葉でお願いしたい。

「まあ、大丈夫。周りには気付かれてないと思うよ。なまえ大好きな私だから分かったようなものでー」
「そう、なの?私もトモちゃん大好き。あの、さ…孤爪くんの前だと挙動不審になってる?私、変かな?顔とか赤くなってる?心臓の音うるさくない!?!?」

疲れたと言っている友達の両肩をガシリと掴んで揺さぶる。瞼を軽く閉じながら楽しそうに笑われるのだけれど、その反応じゃ本当に私は孤爪くんの前だと変になっているのかもしれないという思考になる。

「そんなことはないけど、何となく他の人との対応が違うからさ。今日もほら、焦ってたじゃん?いつもはそんなことないのに」
「だって孤爪くんの前だもん。嫌われたらやだから。うあ〜…そういうつもりはないように、頑張ってはいるんだけども。やっぱり……はぁぁぁ、違うのかぁぁ」
「何となくだよ、何となく。女の直感ってやつを作動してしまってー」

ケラケラ楽しそうに笑いながら「恋する乙女って感じで良き」なんて親指を立ててこちらに向けられる。

「ていうか、ふたりって接点あった?何きっかけで好きになったの?一目惚れ?あ、そういえば春高応援の時、目キラキラさせながら見てたよね。その時?あの後、バレー部モテてたもんねぇ。特に主将だった人。めっちゃ人気出てたもんねえ。で、どうなの?」
「……孤爪くんとは同じ中学で」
「え、まじ?」
「好きになったのは中2の時」
「まじか」
「前はもっと話してたんだけど、好きって自覚してから話すどころか目すら合わせられなくなって」
「まじでか」

並んで歩きながら、一つ一つ質問に答えると同じ反応を繰り返され苦笑いする。そう言えば、孤爪くんが好きなことを人に言うのは初めてだ。まあ、私も好きと口に出したのは春高の時が初めてなんだけど。その時のことを考えると、孤爪くんがバレーしている姿を思い出してしまいかっこいいと照れる。

「あ。もしかして孤爪って2年の時、3組だった?」
「うん、そうだけど?」
「…ふむ」
「な、なに…?」

どうして急に孤爪くんの2年時のクラスが気になるんだろう。嫌な予感がする、と内心ヒヤヒヤ。何言われるのかな。次に発せられる言葉を相手の顔を見て、じっと待ってるとやっぱりその嫌な予感は的中して。

「いーや?だから3組の前通るとやたら教室の中見てたのかーって思って」
「!!見てたのバレてたの!?」
「うん。誰見てるかまでは知らなかったけどー」

孤爪かぁ、とまた楽しそうに目を細めるトモちゃんに、誰にも言わないようお願いしておく。そういうことを周りに言うような子ではないけど。

「これで尽くなまえが告白を断る理由が分かったよ」
「ゔっ」
「でも意外だなぁ。まだあんま知らないからそう思うのかもしれないんだけど、孤爪のどういうところが好きなの?」
「えっ、あっ…それは」
「……」

言えない。どういうところって一つに絞れないし、言ったらまた好きが溢れて苦しくなるし。口をごにょごにょ動かし、答えないでいるとそれが面白かったのかトモちゃんはニヤニヤとこっちを見てくる。絶対、楽しんでる…。

「かっこいい系じゃあないよね。どちらかと言えば「かっこいいよ!!!」おっ」
「孤爪くんはかっこいいんだよ!!ずっと前から!!」
「おお!どの変が?」
「どの変ってそんなの全部…………あ」

言わされた。言わされた…!!恥ずかしさと照れ、あと自分の不甲斐なさに眉を少し下げて、トモちゃんに言ってしまった八つ当たりをすると、可愛いなぁ可愛いなぁ、なんて言いながら頭を撫でられた。もうやだ。可愛くないし。そう言い返したいけれど、それも出来なくらい恥ずかしくて下唇を噛んでいたら、何かを思い出したのか「あ」とトモは声を漏らす。

「そういえばさ」
「うん」
「明日から男バレと同じ体育館で練習みたいだけど、大丈夫?」
「え」

中学の部活はテニス部で外。高校は体育館でやるバトミントン部に所属した。男子バレー部とは違う体育館での活動だったため、部活中孤爪くんと会うことはなかったのだけれど。

「多分、明日先生から連絡あると思うんだよね〜」

私はたまたま他の部の子から聞いてさ。と続けられ、固まる。ちょ、ちょっと待って。

「無理。無理無理無理です…!絶対むり!!」
「え〜、しっかりしてよ。部長ー」

部長ー、なんて揶揄うように呼ぶ副部長のトモちゃんに、隣に孤爪くんがいるとか無理です、と心の中で嘆く。

どうか、どうかこの情報が嘘であることを祈りながら帰路に着いた。



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