この一瞬だけ時間を止めて

昨日の練習終わりに、虎に言われた。

「明日の放課後練から隣は、じょ女子バトミントン部が使うことになった…!」

今までは男子バスケ部が使っていた隣のコート。女子バト部はみょうじさんがいる。え…、明日から同じ体育館で練習するの…?嫌だな。そう思ったのは昨日のこと。


ジャージに着替えたみょうじさんが練習前、虎に声をかけていた。バレないように耳を傾け、少し会話を聞いてしまう。休憩時間になれば、隣で練習する彼女を盗み見る。自分のプレーを見られるのが嫌だけど、みょうじさんのことを見れるのはラッキーだ、なんて思考になり、昨日思った"嫌"という感情は半減した。




今まで学校で見かけては、周りにも本人にも気付かれないようにみょうじさんの姿を目に入れていた。彼女が通り過ぎた後に視線を移す。そうすれば絶対に見ていることがバレないから。こんなことする自分に呆れるけど、無意識に目で追ってしまうから止めることを諦めた。高校を卒業したら関わることはなくなるだろうし、それに向こうはおれのことなんて気にもしてないから。

だから、目が合うことはないと思っていた。けれど冬休み明け。春高応援に来てくれたクラスメイト達数人に囲まれている時、人の間からみょうじさんの姿が見えた気がした。自分の席から距離があるのに気付いてしまうなんて、我ながら気持ち悪いと顔を顰めて。けど、やっぱりなかなか会えない好きな子を見ることが出来るチャンスを逃したくないと無意識に目を向けてしまったら、高校に入って初めて視線が交わった。

目が合ったことに心臓が飛び跳ね、思わず勢いよく顔を背ける。そして、その出来事があって数ヶ月後。おれはみょうじさんと同じクラスになった。そこで、また二度目。目が合う。同じクラスになってしまった虎に呼ばれて、副委員長になったみょうじさんへ自分の委員会名を告げれば、数年ぶりに「孤爪くん」と名前を呼ばれて驚きと懐かしさ、あとは喜びとか、照れくささ。色んな感情が込み上げてきて顔を上げると微かに揺れるみょうじさんの瞳におれの顔が映ったような気がした。

中学の頃と変わらない声色でおれの名前を呼ぶ。そうだ。あの頃から「孤爪くん」と鈴を転がすような声で呼ばれるのが好きだった。嬉しい。素直にそう思い、それが表情として外に出る。だからあの頃と同じように気持ちが溢れただらしない顔でお礼を言ってしまった。




前と変わらず、挨拶と共に名前を呼んでくれる朝。同じ空間に好きな子がいる。入る教室が同じ。トイレから教室に戻る時、みょうじさんの姿が目に入り歩くスピードを緩めた。もしかしたら話せるかもしれないと思って。でもそんなことを考える自分が、らしくなくて気持ち悪いと渋い顔をしてしまう。

心の中でため息を吐いて気を紛らわせようとスマホゲームをするけど、すぐ後に戻ってきたみょうじさんはおれの前席の男子に呼ばれた。勉強を教えてというその人に快く承諾した彼女にバレないよう視線を送り、問題の解き方を教え始めた時。俯くことにより落ちる右髪を綺麗な指で耳にかけるその仕草にドクンッと胸が鳴り、うるさくなった心臓を治めるために下を向き、再びゲームに集中させた。

それでもなんとなく気になって、チラチラ前へ視線を飛ばす。席の持ち主である人が教室を出て行った後、彼女と良く一緒にいる女子がやって来たかと思えば、楽しそうに、でも少し焦っているように声を張るみょうじさんの様子が気になって自然と顔を上げる。すると「な、なんでもないよ!?」と珍しく挙動不審になってて、不思議に思い、目を丸くした。





そして、現在。部活中にリエーフの手に当たらなかったアウトボールのスパイクがそのままみょうじさんの頭に直撃した。思わず目を見開いてしまうと、すかさずリエーフと虎が駆け寄り、そんなふたりに向けて「大丈夫」そう言って、へらりと笑う彼女を数秒凝視してから練習を再開した。



「はぁ…」

部活終了後。ひとつ深いため息を吐き捨て、のそのそと足を動かし駅へ向かう。いつも一緒に帰っていたクロがいないのも、もう慣れた。

今日はいつにも増して疲れた。今までいることのなかったみょうじさんが教室に、体育館にいるのは少しだけ気を張る。自分らしくない。そう思うけれど、無意識のうちに普段よりも精神を尖らせていたんだとこの体の怠さが証明する。

「……疲れた」

ポスッと電車の椅子に腰を下ろす。最近では時間さえあれば彼女の姿が脳裏に浮かぶ。それを紛らわせるためにリュックからゲーム機を取り出した。ゲームをしている間は忘れるから。見ないようにしても無自覚に目で追っていて、毎日みょうじさんのことを見てしまう。だからこんなに考えてしまうんだ、と表情を歪めながら電源をいれると、その悩みの種の人物が視界の端に映り込んだ気がして手を止めた。

「……」

じぃっとそっちを見る。やっぱりみょうじさんだ。壁に頭を預け、眠っている。電車が発車し暫くすると振動に合わせ彼女の体は左右にゆらゆら動く。それから数分。隣に座っているスーツ姿の男の人に寄りかかってしまいそうなのを必死に耐えて、薄ら意識を取り戻しては反対側の壁に頭を傾ける。それを何度も繰り返していて、隣にいる男の人は少し気まずそう。

次に停まった駅でその人が降り、みょうじさんの隣が空いた瞬間。虎達が目を丸くするであろうスピードでそこにストンと座った。この素早い動きに自分でも驚く。と同時に「ダサい…」とも呟く。これも無意識だったから。




ゴトンゴトン。意外と揺れるこの乗り物にみょうじさんの体は先程同様左右にいったりきたり。ガクッとこっちに首が落ちる度、おれに触れまいと意識を半分取り戻す。電車の動く方向のせいでそれを何度も繰り返すんだけど。つらそう…。しかも絶対首が痛くなるやつ。
そう思って、直ぐにまたこっちに傾いた時。恐る恐るゆっくり手を伸ばしてみょうじさんの頭に触れ、自分の肩にコトンと乗せた。

起きて嫌がられたらどうしよう。困らせたらどうしよう。不快な思いをさせて今以上に避けられたらどうしよう。そんなことを考えても、おれの肩に寄りかかるみょうじさんはさっきよりも気持ち良さそうだったから、ただこの顔をまださせてあげたい。そう思った。
あとは、ちょっとした下心も、あるのかもしれない。周りには女子に対して下心はないのか、という問いをされたこともあったけど、その時は「意味わかんない」なんて言って面倒くさがったりした。だけどみょうじさんにはちゃんとあるんだということを今のおれを見られたらバレるだろう。特に、クロなんかには。


彼女のことを一旦忘れるため先程電源を入れたゲームに目を移す。すると、隣からすーすーと軽く寝息を立てていることにギョッとした。ここでこんな爆睡する…?あまりにも無防備過ぎる好きな人に再び視線を向ければ、微かにさっぱりとした甘い香りが鼻を掠める。同じく汗をかいて運動をしているのに、何でこんな良い匂いがするんだろ。無意識で少しだけ横を向き、鼻先をみょうじさんの方へ近づけた時、我に返る。

何してんだろ。最悪。こんなのただの変態じゃん。

「はあ…」

本能で動いてしまった自分にため息が出る。今度こそはとゲームに集中しようとするが、手先も頭も何もかもが停止し全意識が隣でスヤスヤ眠っている彼女に注がれ、電車の振動に揺られながら真っ暗な画面をただ見つめるだけになる。



「…ん」

そうすること数分。口から小さく音を漏らしたみょうじさんに心臓が飛び跳ねた。

「っすみませ……え、」
「……」
「こ、づめ…くん?」

寝起きのせいかいつもより少し伏せた瞼を上げ、おれの姿を捉えると段々重いそれがいつも以上に開く。目を見開いたみょうじさんは凄い音を立てて後頭部を壁に打つけるから心配になった。

これくらいじゃ怪我はしない。そう分かっていても、好きな子だから。痛がったら普段より何倍も心配するし、普段一緒にいる男達とは体の作りが全然違うから壊れちゃうんじゃないかと柄にもなく不安になる。

「どこ打つけたの?痛い?」

だから何度も確認してしまう。また余計なこと言って不快にさせたらどうしよう、なんて考えはどこかに行って。痛い思いをしていないか、凄く、気になった。

「ここは?」

部活中に当たった箇所。結構スピードあったし、音も凄かったから。傷になったり腫れてたらどうしよう。

「ボール打つかったの、ここだよね」

左耳だよね。傷ついてないし、腫れてもない。だけど、真っ赤に染まってるのはボールが打つかったせいだろうか。反対の耳と見比べれば分かるかも…。そう考えたところで、ずっと気にしてなかったみょうじさんの声がやっと届いた。

「っ、あっ、の……あ、」
「?……っ!!」

そこでようやく自身の行動にハッとする。みょうじさんの口が俺の耳の直ぐそばにあり、近い距離で好きな人の声が鼓膜を揺らす。視線だけを動かし、相手の顔を見るとあまりの近さに息を呑み、自分でも驚くスピードでそこから離れる。そして、タイミング良く最寄駅に到着した電車にホッとしながら「…じゃ、じゃあ」なんて情けない挨拶をしてその場から足早に去った。


絶対、いま、顔、赤い…。

それを隠すように下を俯いた。



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