触れた一瞬、心も弾けた

電車を降り、いつもより何倍も速く歩く孤爪くんの後ろ姿を少し離れた場所から見つめて歩く。

「……」

はぁぁぁぁ……やっちゃった。最悪。最悪なことをしてしまった。孤爪くんの肩を枕にして爆睡するなんて。理由も言わず避け続けるという最低なことをしているのに更にあんなことしちゃうなんて、仲直り出来るどころか余計気まずくなったと思う。
しかも、あんなに速く歩く孤爪くんなんて見たことない。もしかして、私、ヨダレとか垂らしてた、とか……。

「うわぁぁ……、最悪だぁ」

悶々と嫌な考えばかりが頭を過ぎる中、改札口を出て外を歩くとポタッと何かが降ってきた。

「雨?」

真っ暗な上空を見上げると、次第にポツポツと多くの雫が降ってくる。そうだ。今日の夜から雨が降るかもってお天気お姉さんが言ってた。持ってきていた傘を開き、ふと前を見ると降ってくる雨なんか気にする素振りも見せず先程同様背を丸め歩く孤爪くんの姿が。もしかして、傘忘れた…?まだ肌寒いこの時期。濡れたら風邪引いちゃう。気まずさとか、恥ずかしさ、緊張だったり、全ての感情が一瞬にして消え、気付けば走っていた。

「孤爪くんっ!!」
「!?」

大声を出してしまったからだろうか。いつも以上に肩をビクつかせる孤爪くんはゆっくりと後ろを振り返った。濡れた髪から覗く瞳は困惑の色が見える。それでも今の私には孤爪くんが風邪を引いてしまうという焦りしかなかった。

「傘っ!一緒に入って!!!」
「…………え」

長い沈黙の後、驚きの声。いつもよりワントーン低かった。その声の低さに自分が発したことの意味に気付く。けれど既に遅く、彼の隣に並んで傘を差し出していた。

「え…っと……」
「……」

リュックの両紐をギュッと握り、目を左右に忙しく動かす孤爪くんは見るからに凄く困っている。そっと差し出した傘は私たちの間にあり、二人して半身が雨に濡れてしまっているため傘は役割りを成していない。俯き、無言のまま傘と共に体をグッと相手に近づくと、再び孤爪くんは肩を跳ねさせた。

ゔ…、絶対孤爪くん迷惑って思ってる。何やってるの、私は。

「……あの」
「……う、ん」
「一緒に帰りませんか…?」

恥ずかしい気持ちがいっぱいで、声は震え、とても小さい。伺うように目線だけを上にあげたのも良く思われなかったみたいで、パチッと交わった視線が勢い良く逸らされる。うっ、ちょっと……いや、かなり胸に刺さる。でも、ここまで言っておいてやっぱり帰るのやめようなんて言えるわけもなく。ただ、私たちの間に気まずい雰囲気が流れるだけだった。

「やっぱり、「帰ろう」……え?」
「その…みょうじさんが良ければ、一緒に……」
「いい、の?」
「う、ん」

合うことのない孤爪くんの視線は左右に行ったり来たりしてて。自分から誘っておきながら驚く私に小さい声で返事を返してくれた時、ようやく視線が交わった。

「嬉しいな」

相手の目を見て、自分でも分かるくらい顔が緩み心のままに口に出してしまった。途端、今までの比ではないほど凄いスピードで顔を逸らされ、そこで我に返る。けれど、言ったことは本心だし、ここで否定するのもなんか変だし、というより今の発言を何て誤魔化せばいいのか分からなかった。一度、良い方向へと流れた空気は後戻り。前を向き、無言のまま歩き出せば、先に動いたのは向こう。

「……あ」

握っていた傘の持ち手をスルリと取られた。

「…俺の方が、大きい、から」
「そ、うだね。ありがとう」

なるべく孤爪くんが濡れないようにそっちへ傾けていた傘は彼が持ってくれたことにより逆になり、私はひとつも濡れることがなくなった。けれど、反対に孤爪くんは思いっきり雨にうたれている。だから、勇気を出して彼の方に近づいてみた。

「!」

一歩右に寄ることでくっついたお互いの肩。そして、触れたふたつの肩は同じタイミングで飛び跳ねた。触れるくらい近寄るつもりはなかったの。でもここで離れたら感じ悪いような気がして。それに、近寄った方が二人共濡れないで済むし……なんて言い訳を考えて。本当は少しでも孤爪くんに近寄りたいという下心がどこかにあったのかもしれない。私はもしかしたら下心満載な不純な人間なのかもしれない。だって、鞄の中には折りたたみ傘が入っていて、そのことを思い出しても好きな人と相合傘したいがために黙っている。
けれど、その不純な心を隠しながら縮めたこの距離は直ぐに離れられちゃうんだろうな、と思い自身の足元を見ながらそうなることを待っていた。しかし、意外にも触れている肩は離れることはなかった。

不思議に思いチラリと隣を見るけど、俯いるせいで顔が髪で隠れ、孤爪くんが今どんな表情をしているのか読み取れない。歩く度触れたり離れたりする体は、予想外の展開に熱が帯びていく。この熱、孤爪くんにバレないといいな。うるさくなった心臓の音もバレないといいな。

気軽に話せていたあの頃だったら、音がバレても上手に誤魔化せていただろうか。でも、好きになる前だったから話すことが出来て、誤魔化すことも出来るのだろう。今は、話したくても話せない。好きすぎて、孤爪くんを前にすると頭が真っ白になるから。さっきは何処から湧いてきたか分からない勇気で近寄ってみたけど、今は後悔している。迷惑だったんじゃないかなって。そもそもただの同級生にいきなりこんなことされたら迷惑に決まってるもん。

また謝らないといけないことが増えた。

って、……あれ?今、この瞬間って謝れるチャンスなんじゃ……?二人しかいない、お互い何も発していない。言える雰囲気かは置いといて謝ることが出来たら、好きになる前みたいに……まではいかなくても、今よりはきっと話せるようになるかもしれない。あと一回。何処からでもいいから勇気が湧いてきて欲しいと祈った。

「こ、づめくん」

祈りは届かず。自力で勇気を振り絞って発した相手の名前。緊張する。震えた小さな声に隣にいる片想いの相手がこちらに視線を寄越してきたのが視界の端に映った。

「あ、あのっ!!今までごめんなさい!!」
「…………え?」

歩くのを止めて、一つの傘の中で孤爪くんの方を向き頭を下げた。私の謝罪に数秒黙った後、え?と驚く彼を見るためゆっくり顔色を伺うように恐る恐る頭を上げる。すると、ぽかんと少し口を開け、ぱっちりとした猫目が数回瞬きを繰り返すのが目に映った。

「その、いきなり避けるようなこと、しちゃったから!!」
「……」
「孤爪くんが何かした、とかじゃなくて、あの、上手く伝えられないんだけど…………、お、覚えてるか分からないんだけど、中二の時部活中に孤爪くんに助けてもらったことがあって!情けないところ見せちゃって、迷惑かけちゃったから、その、申し訳なくなって孤爪くんとどう話せばいいか分からなくなって……。だ、だから、ごめんなさい!!遅くなっちゃったけど、あの時!助けてくれて、ありがとう!!」

本当は好きになったから避けてしまった、どう接すれば分からなくなった、っていう理由なんだけどそんなこと伝えられるわけがない。想いを隠すために嘘をついた。嘘、ではないけど。申し訳なくなったのも情けない姿を見せたことに気まずくなったのも本心だけど、それを理由に避けたりはしないから。

上手く伝えられず必死に言葉を探し紡ぐ私を孤爪くんは、じっと見つめ最後まで聞いてくれた。彼みたく視線を彷徨わせて時々視界に入る相手の表情は特に驚いている様子はなかった。

「おれの方こそ、ごめん」
「え?」
「……余計なことして、……変なこと言ったりした、から…」
「ち、違う!余計なことじゃない!変なことじゃない!!私あの時孤爪くんにたくさん救われて!!孤爪くんのことかっこいいって思った!」
「え」
「……あれ?」

孤爪くんが謝る事なんて何もない。それを伝えたくて必死になって、思わず口から漏れてしまったことに気付いたのは猫目を見開かせて固まる彼を見てから。

「あっ、ち、違う!!」
「う、うん」
「ちがっ!違うは違くて!!」
「うん…?」
「え、えっと、だからその!これからは前みたいに話しかけてもいいですか?!」
「……うん」
「あ、りがとうっ!じゃあ、私こっちだから!!孤爪くんこの傘使って!私、折りたたみ傘もあるから大丈夫だから!!」
「え?」
「そ、それじゃあね!!また明日!!」
「う、ん……。また、明日」

相合傘をしたいがために黙っていた折りたたみ傘の存在。孤爪くんに気にせず傘を使ってもらうために言った言葉は家に帰って後悔することとなる。

「折りたたみ傘持ってること言っちゃった!?」



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