「あ?」
あれから数日経った平日の十四時過ぎ。トイレ休憩と称して屋上へと赴けば、ヒーロー姿の勝己がいた。
「はいこれ、忘れ物。読んじゃったよ」
「……」
紙袋にビジュアルブックとお礼の品を入れて手渡そうとしたら、眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顔が返ってきた。向こうの思い通りの「次」なんてあげない。
「受け取ってよ」
「今、仕事中」
「お昼ご飯中でしょ。トイレ行ってるフリして来てるから早く受け取って」
確かにパトロール中のヒーローに荷物を渡したら仕事の邪魔になってしまうのは分かっているが、ここで渡さなきゃまた同じことの繰り返しになるだろう。
「次、いつ空いてンだよ」
「……土曜日だけど」
「一日か」
「まあ、うん」
「十時に迎え行く」
「え、ちょっと!?」
信じられない。飛んで行っちゃったよ。せっかく仕事抜けて会えたのに。私も何で素直に答えてんの、と渡せなかった忘れ物を見つめながらため息が零れる。
相変わらず、横暴な誘い方。しかし、横暴には横暴を。これが私のやり方です。翌日の同じ時間、同じ場所でまだ来ていない標的を待った。
「お前、サボりすぎだろ」
「誰のせいだと?」
「俺ってかァ?」
いつもとは逆で私の方が先に屋上へとやって来た。そして、一分も経たないうちに現れたヤツは開口一番毒を吐く。俺のせいかってそんなの勝己のせいに決まってる。
「土曜日、一緒に行きたいところ、ある」
「あ?」
「なので、ちゃんと身バレ防止の道具を持って来てください」
「……おう」
それだけ伝えて屋上を出る。つい気まずくなって敬語で話してしまった。でも、どこに行きたいかは教えない。嫌味のひとつを吐かれると思ったのに、素直に返事をされたからびっくりしたけど、そんな私より向こうの方が驚いてるように感じ取れた。
そして、土曜日。自宅より少し離れた場所へ迎えに来てもらった。
「どこ行きてンだよ」
車に乗ってすぐ投げられた質問に、運転のお供用として持ってきた飲み物を渡しながら答える。
「映画館」
ふふっとイタズラ気のある目で見つめれば、訝しげに眉を顰められ、また笑ってしまう。予想外な行き先を言われてその顔になったのか、今から言われるであろうことを想像して眉を顰めたのか。とにかく、嫌な予感がする……と顔に書いてある。
「この映画観たいんだよね」
「……」
「それでここの映画館でしかもうやってないの」
そう言って見せたスマホの画面には、子供向けアニメ映画の上映時間とここから数時間車を走らせないと辿り着けない劇場の名前。スマホを覗いていた勝己の険しい顔はこちらに向いて「お前……」と呆れ顔に変わった。
だから変装道具を持ってきてと言ったんだ。例え、人の少ない田舎にある映画館だとしても、子連れの大人しかいないジャンルだとしても、この映画を観るダイナマイトは良いネタになってしまうだろうから。
身バレ防止を頼んだ理由を察して呆れているのだろう。勝己はこれっぽっちも興味がない内容だろうけど、私はずっと観たくて、でも一人で行くには勇気がなかった。
「おねがい……!」
祈るように両手を絡ませて、目に期待を宿し懇願する。勝己がこれに弱いと私は知っている。中学時代にお土産を頼んだ時だってそうだった。クソがッと歪ませた顔を背けられて結局やってくれるのだ。
「クソが」
ほら。逸らしたことで見えることができる納得いない横顔はあの頃となにも変わらない。
「よかったね。泣いちゃったよ」
「どこがだよ」
こちらに向けられた赤く充血した目は疑いが含まれていて、それを見てまた笑みが零れる。深く被られた帽子の中を覗き込むと、更に緩くなった口元からつい溢れ出てしまった。
「勝己、泣いてたよね」
少し視界が歪む程度だった私とは違い、隣に座っていたヒーローは綺麗な涙を一滴流していた。事実を本人に伝えると、泣いてねェわ!と珍しく嘘が返ってきたところで、あるものが目に入る。
「あ」
何サイズかも分からない大きな予告ポスターに制服を着た二人の男女が写っており、そこに太く、大きく書かれていた公開日に短い息が漏れた。足を止めた私につられてその場に立ち止まった勝己はポスターに視線を向けてからこちらを見たのが視界の端に入った。
「見てーの?」
まるで一緒に観に行ってくれるような言い方。こういう恋愛映画こそ興味無さそうだと思いつつ、ポスターをじっと見つめたまま口を開いた。
「ううん、ただ勝己の誕生日だなって思って」
映画が始まる前に流れていた予告でも思った。例えば、パンの賞味期限が自分の誕生日だと「あ」となる感覚と同じ。勝己の誕生日は切りがいいから、いろんなところで目にする。
こんなことを考えたら、エスパーじみた勘の良さを持ち合わせている男に怒られるかもしれないと思い、ポスターから視線を移すと、そこには眉間に皺を寄せて固まる勝己の姿があった。怒ってるじゃん。また心を読まれた?
「いてっ」
見つめすぎたのが余計怒らせたのか、帽子の中を覗き込む私の額を押し退けた。
「勝手に心読まないでよ」
「あ?読んでねーわ」
じゃあ何で不機嫌になるんだ。疑問に思うも考えても答えは出なそうなので、お昼を何にしようか答えが出ることに頭を使った。
答えが出ると思っていたお昼ご飯は結局私には出すこと出来ず、勝己が選んだお店で昼食を取ってから車に戻った。いつものように助手席に乗ろうとしたところで、ふと後部座席に意識が向く。
「後ろ、乗ってもいい?」
実はずっと前から気になっていたから、乗っていいかと車の主に聞けば、意外とあっさり了承してくれた。
「わーい」
平坦な声で喜びを漏らしながら後部座席に向かうと、運転席に半身乗り込んだ勝己がこちらにやってきた。
「乗り方分かんねェだろ」
「え、シートベルトつけるだけでしょ?」
「それが複雑なンだよ」
「いやいやぁ〜。私も一応免許持ってるからね?免許証の色は黄金だからね?これくら……い、あれ?……あれ?」
「……」
なにこれ。どうやってるの?どこから引っ張ればいいの?てか、どこにシートベルトあるの?
シートベルトの出処さえ分からなく、あたふたしている内に柔らかなシートへ体が吸収されていく。ちょっ、待ってなにこれ。
「かつき、」
「……」
「ちょっと、たすけ」
「……」
「真顔で見てないで助けてください!」
「フッ」
「笑ってないで!」
柔らかすぎるせいで重心も上手く操れない。跳ねないトランポリンに乗っている気分。この仕様にした当事者は冷ややかな眼差しを送ってくるだけかと思えば吹き出し、プククと笑っている。普通なら怒る場面だろうけど、こんな風にも笑う姿を初めて見たからどう反応していいか分からなくなった。
「免許の色が何だってェ?」
ムカッ。呆気に取られてたのも束の間。表情、口調全てを使って煽られ、我に返る。
「私が運転しようか?」
「ぜってーヤダ」
さっきまでの余裕の表情が一瞬で崩れたからやり返せた気分で口元が緩む。人の車なんて怖くて運転できないけど。そもそも私はペーパードライヤーだ。
「じゃあ、ゴーカート乗りに……いや、なんでもない」
ゴーカート乗りに行こうよ。続く言葉は口の中に閉じ込めた。自分の運転は安全だと証明するために提案したが、これじゃ一緒に遊園地に行こうと言っているようなもの。
「行くか」
「行かない」
「女に二言はねェっつったのどこのどいつ」
「いつの話!?」
確かに中学の私は言っていた気がする。そこでやっとシートベルトを引き伸ばし、カチャッと金具をはめてくれた勝己の横顔を見つめながら「さっきのは間違えて言っちゃっただけ」そうしどろもどろに伝えると、赤い瞳がこちらに向いた。うわ、顔、ちか。シートベルトをつけるため、私の上に覆い被さるようにしているから普段より近い距離に向こうの顔がある。
「わーってるわ」
ツンっと額を押され、後頭部がクッションに埋まる。仕方ないと言いたげな柔らかな表情と声色で余裕のある返しをされると、一人で空回っているみたいで地味に恥ずかしい。
大人しくふわふわの後部座席に全体重を預けた途端に睡魔が襲ってくる。いつの間にか運転席に座った勝己とミラー越しに目があったのが最後、発車して数分で意識を手放した。
ぱちっ。次に目が覚めたのはかなり後のこと。やばい、寝ちゃってた。一瞬で目が覚め、はっきりとした意識の中キョロキョロと視線を彷徨わせてみたが、まだ車内だった。しかし、運転手はいない。揺れも感じないことから車は停まっていて、勝己はどこかに行っているということが分かる。
シートベルトを外すことは簡単だったため外へ出てみると、辺り一面穏やかな波打つ海。高台の展望駐車場らしく、人影はまばらだった。鍵をかけられないから車から離れてはいけないとその場で元同級生を探せば、自分の居場所を教えるかのような特徴的な怒号が響いた。
「だァから!何回も言わせンじゃねえ!!」
「とか言っちゃって〜!本当は付き合ってるんじゃないの?」
「ね〜!」
「ちっっっげェわ!!ガキはさっさと家に帰れ!!」
私が下りた方とは反対側に勝己と数人の女の子がいた。ちょうど死角になっていて見えなかった。何やら揉めているよう。相手は高校生くらいだろうか。いや、中学生……?
子供相手に何をそんなブチ切れているんだと、向こうに気付かれないように会話を盗み聞けば、衝撃的な言葉が飛び交った。
え??
さっさと帰れと促す勝己に女の子は言った。私が絶賛ハマり中の人気女優と勝己の熱愛が噂されていると。その噂が本当かどうか。キレ具合的に誤りであることは明確で、そもそも勝己があの人から好かれている想像がつかない。
あの、爆豪勝己だよ?中学時代もクソみたいな性格で女子達に距離を置かれていたあの勝己だよ?ないわぁ〜とひとり頷いてみるが、今の勝己ならあり得るのか?と頷きを止めた。
じぃーっと車の陰から未だ怒鳴り声を上げてる勝己を見て考えを巡らせる。そのうち報道とか出たら……?毎日あの顔を眺められるなんて羨ましすぎる、なんて思いながら待ってみるが、待てど子供達からの尋問は終わらず、なんだか同情心が芽生えてきた。相手が相手なだけに上手く躱せないのだろうか。
ヒーローも大変だなぁ、と他人事のように思っていたけれど、次の瞬間。また別の女の子の口から出てきた言葉に思わず耳を疑った。
「でもさ〜ダイナマって世界を救った英雄でもあるけど、オールマイトを終わらせた高校生でもあるんでしょ?」
一瞬で場の雰囲気が凍り付いた。
助けたことのが有名で上書きされてるけど、なんかの記事でみたいんだよね。ほら私達まだ小さかったじゃん?当時のこと覚えてないんだけどさぁ。
完璧で強い男が好きと噂の人気女優のタイプではないと言い切る女の子に冷え切った空気と乾いた笑みに場が包まれた。
勝己のキレる反応が楽しかったのか、それとも何を言っても傷付かないと思ったのか、気にしないと思ったのか、元々こういうことを言ってしまう子なのか。或いは、悪意を持って発したのか。理由は分からないし、そんなことはどうでもいい。しかし、動き出した足は止まらなかった。
高一の夏。勝己が敵に誘拐され、オールマイトが戦ってあの姿になったのは覚えている。
目の前にいるこの子は言っていいことと、悪いことの判断ができる年だ。
「わっ、わあーーーー」
「え?……キャアアアー!!」
棒読みの叫びを上げながら、早足で女の子の背中に頭を突っ込んだ。"触れない"を選択することで、私の頭部は女の子の腹部をすり抜ける。本人からは、背後に立つ人間の後頭部だけがお腹から突き出たように見えている。そんなホラーみたいな状態のまま、くるりとその子の方へ顔を向けて謝罪をした。
「あ、ごめんなさい」
「なっ、なに!?えっなんで!?こわいこわいっ」
「すみません、個性がちょっと」
「きもっ!気持ち悪い!早くどけて!やめて!きゃぁぁぁー!」
両手で顔を覆っているその子と周りからの驚愕の視線を集めながら、体を退ける。離れてから腹部を両腕で抱え「びっくりした……」と涙目になっているのを見て、流石にやり過ぎたかもと罪悪感が湧いた。
「ごめんね」
もう一度謝罪をすれば、その子達は不審者を見るような眼差しをこちらに向けてから逃げるように去って行った。
「おい」
「……」
「公共の場で個性使ってンじゃねェ」
「ハイ、すみませんでした」
若干機嫌が悪そうなのはさっきの子達の発言よりも私が余計なことをしたからかもしれない。お前に守ってもらわなくても大丈夫だと。あとは中学の時を思い出してか。昔、同じようなことを勝己にもしたことがあって、その時は本気で殺しにかかる勢いでブチギレてたから。
「あと爆睡してました。ごめんなさい」
「寝言がクソ煩かった」
「えっうそ!」
「ウソ」
「なんだよ!」
寝言はあまり言わないと自覚してたから驚けば、嘘をついたと返ってきた。昔はこんな冗談言わなかったから騙されて言い返すけど、勝己の表情が穏やかでそれ以上は何も言えない。
本当に調子が狂う。逃げるように視線を海へ向けるとセーラー服と学ランを着た男女二人が歩いているのが目に入った。二人の距離はぎこちなく近付き手が触れると、お互い体を跳ねさせ見つめ合う。そして、恐る恐る手を繋ぎ歩き出すが、二人の視線は足元へ向いていた。
「青春……!」
ドラマのワンシーンみたい。さっきまでの居心地の悪さはどこかへ行ったのか。両手の先を唇に添えて「純愛……!」と口にして隣を見たら、勝己もその光景を見ている。しかし、無表情。何を考えているか分からない。
「私達も繋いどく?」
さっきの冗談の仕返しのつもりだった。これはキレるなぁ〜なんて怒号を受け入れる準備をしていると、目を見開いて驚かれるからすかさず訂正した。固まるほど、嫌なのか。
「冗談だよ…………え?」
苦笑して言った瞬間、手を奪われた。手のひら硬すぎる。ってそうじゃなくて。
「……冗談なんですけど」
「俺の辞書に冗談なんて言葉ねンだよ」
「ウソじゃん!」
叫んでも繋いだ手は解いてくれない。指を絡めているわけじゃないし、ただ握ってるだけだから、これに何の意味もない。ただ、中学の頃のように私に揶揄われたくなかっただけなんだと思う。自分だって昔は揶揄ってきたりしなかったくせに今はするようになったじゃん。
「私達がやるとさ、全然青春っぽくないね」
「海好きな理由が男漁りのテメェのせいでな」
「何で私でも忘れてるようなこと覚えてんの?」
「……」
中学の時、海に行って年上彼氏をゲットするぞ!海最高!海好きー!みたいなマセガキ認定されるようなことを口にしていた気がする。言われて思い出した。
今も普通に海が好き。男漁りではなく、海に来ると簡単にこの世からいなくなれる気がした。そんなことを言ったらきっと勝己はここに私を連れてこなくなるのだろう。でも、勝己が隣にいる今は海を見てもそういう気持ちにならなかったから不思議。
またも私の心情を読み取ったのか、繋いだ手を引いて歩き出した。そろそろ帰らないと家に着くのが遅くなる。繋がれている手から勝己にゆっくり視線を移すと、静謐な表情をしていた。
「ありがとよ」
それが何を指しているのか直ぐ理解できた。勝己から初めて自分に贈られたその言葉に一瞬だけ硬直するが、胸の奥がふわりと温かくなる。
「どういたしまして」
自分でも驚くくらい柔らかい声が出る。勝己の握る手が、少しだけ強くなった。