全て見抜かれているだろうから

私は今、癒しの場にいる。

「みょうじさん、体ほぐれてきましたね」

初めて施術した時は石みたいでしたもん!とキラキラの笑顔と明るい声で発しているのはずっとお世話になっているセラピストさん。このお姉さんには数年前から担当してもらっていて、私が引っ越すのと同時期にお姉さんも同じエリアの店舗へ異動になった。それにはつい運命めいたものを感じてしまった。しかも同い年。

紙パンツのみ履いてベッドにうつ伏せになり、オイルマッサージを受ける。加えて落ち着くアロマを部屋に焚かれ、気持ち良さから眠気が襲ってきた。
お姉さんとは最初の数分お話ししてから眠る、というのがいつもの流れ。今日は「ここに来てからダイナマをよく見かけるようになったんですよ〜!やっぱり生で見ると違いますね。みょうじさんも見かけたりしました?」の質問に苦笑し否定するのが私に出来る精一杯だった。中学の同級生なんです、なんて口が裂けても言えない。

そんなやりとりをしてから眠りについてどれくらい経っただろう。ホットタオルで体を軽く拭かれてたからそろそろ終わりだろうと薄く意識が浮上した時、それは起こった。


ドドドンッ──


パリンッ。キャアアアア!


穏やかに流れる空間に異質な音が突如当たりを埋め尽くす。

「みょうじさん、着替えてください」

……敵だ。普段明るいお姉さんが緊迫した表情で私の着替えが入ったボックスを持ってくる姿を見て危険な状況だと悟ると共に横目でお姉さんを凝視しつつ思った。自分の命に重さはないがこの人は違う、と。

「先に逃げてください。私は個性上、やられたりしないので」
「なに言ってるんですか!?置いて逃げれるわけないじゃないですか。個性がどうであれ一緒に逃げるんです!」
「え」
「着替えてください!」
「いやっ、だから」
「早く!」

こちらの言い分が全然通じない。こんな押し問答をしている場合じゃない。一刻を争うのだ。開いた口を閉じ、グッと言葉を飲み込んでから急いでパンツとスラックスを履き、続けてブラへと手を伸ばした。


バァンッッッッ


突然破壊音が近くから聞こえた。今度は何。まさか、敵……?もうここまで?私達がいるのはこのサロンの中で一番奥にある部屋だ。
着替えている暇はない。急いで逃げないと。施術ベッドに投げ捨てられていたラップタオルを胸元に巻いてお姉さんの手を引き出口へ向かう。握ったお姉さんの手は微かに震えていた。こんな状態で逃げ出さず私を気にかけてくれたのか。守らなければと握る力が強くなった。

「非常口は出て右側でしたよね?」
「は、はい!」

敵がここに来る前に。急いでドアの取っ手に触れた時、嫌な違和感を覚え、後方へ下がった。ガシャンッッ!!重量の引き戸はいとも簡単に破壊され、私達の方へ倒れてくる。
逃げるため進んだ距離はマイナスに。お姉さんを背に庇うように壁際まで下がった。

「おー、ここにもいた」

目を三日月型にして怪しく嗤う男は高揚した様子でそう言った。まるで獲物を狙う蜘蛛のよう。嫌悪感に全身が粒立った。私一人ならなんともない状況でも、今は違う。後ろで震えているこの人を傷つけてはいけないという使命感が、心臓を嫌な音で埋め尽くす。

「二人まとめて……」

愉しそうに笑っている男の背中から一本のロープが生え、こちらに伸びてきた。その瞬間、後ろから肩を掴まれ、ここから私を退かそうとするお姉さんの手に抗うように体全体に力を込め、逆に私がお姉さんを突き飛ばした。私だけが捕まればいいだけ。

突き飛ばした反動でお姉さんが床にしゃがみ込んでいるのを横目に敵に視線を戻した。

その時────


…………へ?


「は?……なんだ、透過の個性かァ?」
「きゃあっ」
「まあいいや。先にこっち」
「いやっやめて」

え、なん、で?

伸びてきたロープは私をすり抜けた。そして、そのままお姉さんに巻き付く。引っ張られる遠心力で頭が後方へ傾きながら喉を裂くような悲鳴が鼓膜を揺らした。

なんで……?わたし、いま、選択した……?

触れないって、個性を使ったの……?

そんなはずない。

間違えないよう、何度も何度も、頭の中で"触れる"を選択し続けた。

ここのサロンは駅前のテナントビルの四階にある。破壊音や悲鳴、あちこちから聞こえる喧騒から襲撃に遭っているのはここだけじゃない。徐々に静かになっていく喧騒にヒーローが到着したと悟った。だから、私だけ捕まって時間を稼げばその間にヒーローが来ると、この人は傷付かないと思ったの。

「みょうじさんっ、はやく!にげてっっ!!」

ハッとして顔を上げた。

「耳元でうるせぇなァ」
「きゃあああ!」
「っ、」

ロープの中から消えたお姉さん。同時に鈍い音がしてお姉さんが壁へ投げられたのだと理解した。私はその場に立ち尽くすだけ。ドドドドッと速くなる心臓の音に合わせて息を吸う。呼吸の仕方が分からなくなってしまった。どうやって私を捕らえようと考える敵を目の前に、息を吸いながら呼吸の仕方を探る。

一歩、また一歩。近付いてきたその時。

馴染みのある爆発音が耳に届く。

「コイツで最後か」

さっきまで視界に映っていた襲撃者は、世界を救った英雄の下敷きになって気絶している。見慣れた姿に呼吸は更に荒くなる。

「Pinky!こっち頼むわ」

敵を捕まえたままこちらを見ず、ピンキーという名のヒーローを呼ぶ勝己はタオルラップだけを身に付けている女だと気付き、同性のヒーローに被害者の対応を頼んだのだろう。しかし、私のような格好をしている人はいる。ピンキーは別の被害者の対応に追われているようで、勝己に対応を任せた。

お姉さんはどうなった?無事なの?それを確かめるためには、呼吸を安定させなきゃいけない。
幸いなことに向こうは私だと気付いていない。だから早く呼吸を整えないとと思うが、吸っても、吸っても酸素が足りないような気がした。そうしている内に視界が歪み、胸元に巻き付けたタオルラップを強く握しめ、その場にしゃがみ込んだ。

「……チッ」

ピンキーが来れないこと。こちらの対応を後回しにできないこと。苦しんでいる私を見たこと。いろんな意味が含まれているであろう舌打ちをひとつ吐き、近付いてきた。
ふわりとバスタオルを肩にかけられた後、落ち着いた声色が近くから届く。

「敵はもういない。吸うな、ゆっくり吐け」

しゃがみ込んだ勝己の両足を見つめながら言われた通りにする。それでも無意識のうちに個性を使ってしまった事実に動揺し、肩を大きく上下させ、何度も何度も息を吸い込んでしまう。そうしている内に喉の奥がヒュウヒュウと嫌な音を立て、更に涙も溢れ出てきた。

「おい……」
「……っおね、さん……、おねさっ、ん……はっ?」

怪我した?死んでないよね?私だとバレるとか、そんなのどうでも良い。ぐちゃぐちゃの顔を上げて見つめれば、涙で歪んだ視界の中で、勝己の目は大きく見開いていた。

「わたし個性つかっ……っけが、おね、ぇさっっ……」
「無事だ。おねーさんも何ともねェ。だから息吸うな、吐け」

コクコクと頷いた。胸に手を当て、俯き、もう一度勝己の言う通りにしようとした。お姉さんは無事だと分かった。なのに、ロープが私を通過してお姉さんに巻き付けていった光景が頭から離れない。

私は、"触れない"を選択しているつもりなんてなかった。
私のせいでお姉さんが危ない目にあった。
これをしたのは初めてじゃない。
私はこの個性を使って人を殺している。


「なまえ」


治るどころか、更にひどくなる私の名前を勝己が呼んだ。両手で頬を包み込み、顔を上げされられる。歪んだ視界には再び勝己の顔が映った。

「俺を見ろ」
「っ……はっぁ……っ、ぁ……は、」
「吸いすぎだ。まずゆっくり吐け。何も考えなくていい」

低く落ち着いた声が聞こえる。親指で優しく涙を拭い、呼吸を整えるよう促してくれる。それに合わせて吐いて、息をすればいいだけ。私の目には昔から知っている赤い瞳しか映っていない。

「そうだ、ゆっくり」

コツンと額を合わせてきたそこから、向こうの体温が、温もりが、心音さえ伝わってきそうな感覚に落ち着きを取り戻した。

「……もう、大丈夫。ありがと。ごめん」

両手で勝己の胸を押し、ゆっくり体を離した。意外にもすんなり離れることが出来てホッと息を吐く。

「……着替える、から」
「わかった」

着替えが入ったボックスに目をやる。襲撃により少し離れた場所へ飛んでしまったのかと思いながら、再び目の前の男へ視線を移すと立ち上がった勝己がこちらに背を向けて歩き出そうとしていた。瞬間、私の手はその足を掴む。

「……」
「っ、ごめん。なんでもない」

私を見下ろす視線が痛い。なんで掴んでしまった。なんで引き止めてしまったと、無意識に動いた手を力一杯握りしめた。もうお姉さんの安否は確認した。呼吸も大丈夫。それなのにどうして引き止めてしまったのだろう。

沈黙が流れて、今すぐにでも逃げ出したくなる衝動に駆られれば、緊迫した高い声が耳に届いた。

「ごめん遅れた!」

ピンキーと言ったヒーローだろうか。綺麗なピンクの髪が乱れ、息が上がっていることから急いでこちらへ向かってくれたのだと分かる。しかし、そんな彼女に勝己は言った。

「知り合いだった。ここは俺が対応する」
「え?……ああ、うん。わかった!よろしく」
「呼んどいて悪ィ」

勝己が謝罪をするなんて。これに驚いている余裕は今の私にはなかったけれど、ぼーっと二人のやりとりを眺めているうちに着替えの入ったボックスを私の元まで持ってきてくれた勝己はこちらに背を向け、その場にしゃがみ込んだ。

「後ろ向いてっから着替えろ」
「わかっ、た」

やっぱり大丈夫。そう言えばいいのに言えなかった。もう頭がグチャグチャ。私も後ろを向いて勝己に背中を向ける状態でバスタオルを肩から取り、ラップタオルを首元へ上げてからタオルの中で下着をつけようとする。しかし、それは叶わなかった。

……えっ

心の中で驚きの声が零れた。

ブラが掴めない。
え、嘘でしょ……。

何度手で掴もうとしても、触れることは叶わず、すり抜けるだけ。私は今、きちんと"触れる"を選択している。試しに腕ブラへと当ててみたら、触れることが出来た。最悪だ。
すぐに個性が不安定になっていると悟った。

私の個性は「触れる」「触れない」を選択するもの。と言っても、触れることが当たり前の日常で意識的に"触れる"と選択することはあまりなく、どちらかと言えば"触れたくないもの"があった際に個性を発動していた。

私は今、下着をつけるために手に取ろうとしたのに触れることが出来なかった。だから、もう一度きちんと"触れる"を発動したのに掴めない。しかし、腕は触れることが出来る。
私の個性は体の一部だけ発動することは出来ない。手は"触れない"、腕は"触れる"なんてことは出来ないのだ。

こういうことは昔にもあった。医者には精神的なものからくる個性のバグだと言われた。

どうしよう。早くここから出ないといけない。
肩にだけ通して、服を着る?タオルラップを首元に持っていく時までは大丈夫だった。下着は無理でも服は触れられるのかと手を伸ばしてみるも掴めない。

やばい、どうしよう、涙が出る。一度崩壊した精神と涙腺は、なかなか治らない。普段なら下着くらいつけなくていいと軽く流せるし、別の方法を探すことができる。けれど、今はそれすらできなかった。どうすればいいか分からない。
それでも勝己にバレないよう小さく、ほんの小さい音で鼻を啜ったけれど、すぐに背中越しに低い声が飛んできた。

「どうした」
「……早く着替えて出ないといけないよね」
「別に焦らんでいい」
「……個性、バグッちゃ、った、みたい」
「どうバグった」
「手が、使えない……他はちゃんと、触れられる」

背中越しの会話が途絶える。一瞬で状況を理解した勝己は短い沈黙の後、「呼んでくる」と静かに吐き捨て立ち上がった。ピンキーを呼んでくるという意味なのだろう。

「まっ、待って!ちょっと待って。勝己がやって」
「は、」
「ホック留めるだけだから。腕が使えれば肩まで下着持ってこれるから。タオルの中に手を入れてやって?ね?」
「……」
「おねがい」
「チッ」

こんなことで他のヒーローを呼ぶわけにはいかない。その一心でさっきまで改善策が見つからないと嘆いていた自分が嘘のように、相手に懇願する。

「さっさと後ろ向けや」
「急にキレる……」
「あァ!?やってやんねーぞ」
「ちょっと待って。いま肩に通すから……あれ、うそ、あれ?」
「……」
「勝己、ごめん。腕までは通せたんだけど、そこから先お願いしていい?」
「クソがッ」

悪態を吐き捨てつつ、両腕の大きな装備、そして厚手の手袋を外した後、両手がタオルの中に入ってきた。肌に触れないよう器用に肩紐だけを掴み移動させ、ホックを留める動作に入る。その際、背中に指先が触れて思わず肩が跳ねてしまったが、気にすることなく任務は完了された。続けて、有無を言わせぬ勢いで服を頭から被せ、タオルラップをパチパチと音を立てて外される。
慣れすぎてない……?脱がせるのも、着させるのも。

「あとは出来んだろ」
「うん、ありがと」

あとは裾に腕を通すだけ。これで人前に出ても問題ない格好となったと安堵の息を漏らすと、ふと違和感を覚えた。
……胸の位置を直したい。最後の仕上げでしている胸を整えるというルーティンをしていないため、どうにも収まりが悪い。しかし、それを言ったら……。

「また何かあンのかよ」
「うん。あのさ、胸、寄せてくれない?」
「あ゛ァ?」
「こう、収まりが悪くて。いつも最後に寄せてるんだけど代わりにや」
「るわけねェだろ!!ブッ飛ばすぞ!!」

だよね。冗談だよ。不快にさせちゃってごめんね。

「テメェ、誰彼構わず言ってんじゃねーだろうな」
「もちろんだよ?関係性とか、ちゃんと断れる人かどうかで選んでる」
「それのどこがどうしての"もちろん"だ!!」

キレられた。

とりあえず、肩を軽く動かして気持ち悪くならない位置に整えてから勝己に連れられ外へ出ると、警察による事情聴取を受けている被害者の人達がいた。中には担当のセラピストさんも。
お姉さんは私に気付くと涙目で駆けつけ、心配してくれた。どこも怪我はなく、投げられた際ダイナマに助けられたと、かっこよかったと興奮した状態で、その姿が私に気を遣わせないためだと容易に分かった。

怪我させてごめんなさい。個性を使ってごめんなさい。声に出して謝ることはしなかった。この謝罪をすることで救わるのは私だから。許してもらおうと、分かりきった返答をもらうだけの謝罪の言葉。グッと言葉を飲み込むと、喉の奥で嫌な音が鳴った。
お姉さんに別れを告げ、私の周りで起こったことを説明するため警察の元へ向かおうとすれば、一足先に状況報告をしていたダイナマがこちらにやって来た。

「詳しい話は後日でいい」
「大丈夫だよ。今行ってくる」
「……わかった」

きっと今よりあとの方が面倒だと思うから。自分の状態もさっきよりだいぶマシになっている。ゆっくり足を進めると、こちらに気づいた警察官が勝己と同じようなこと言うから、同じように返事をして話し始めた。
その間ずっとこちらを凝視するダイナマイトさんは腕を組み、ずっと険しい顔をしてくるので事情聴取をしている若い警察官はずっと緊張していて、少し申し訳なくなる。どんな関係なんだと興味深そうに勝己と私を交互にチラチラ視線を忙しくさせるから、「友達なんです」と力なく笑って答えた。

「送る」

聞き取りは案外早く終わり、電車で帰ろうと足を動かした時、ずっとその場で待っていた勝己に声をかけられる。ていうか、あんたずっとそこにいて大丈夫だったの?後処理とかあったでしょうよ。とツッコミたかったけど、周りを見渡すと被害に遭った人達はほぼいなく、さっきまで複数人いたヒーローの姿もなくなっていたから、諸々終えたのだろう。

「大丈夫だから。ありがとう」
「自分で着替えられねーヤツが何言ってんだ」
「もう治ったよ、ほら」

ほら、と肩にかけていたバッグを手に持ち変えて握ったり開いたりを繰り返す。眉がピクッと動いたのを見て、目元を緩ませて言った。

「本当に大丈夫だから。あの時のようなことはしないよ」

あの時。突然それだけ言っても何も伝わらないだろうけど、察しが良く、頭の回転が速い彼なら気づいてくれるだろう。
再会したあの日のようなことはしない。わざと個性を使わず、消えようとはしないよ。

言葉の意味を理解したみたいだけど、納得はしてもらえなかったから更にこう続けた。

「なにもないから消えたいって思ったの」
「……」
「楽しいこと、嬉しいこと、辛いことも悲しいこともなく、何もない時間を過ごしてる時に、なんもないからなんで生きてるんだろうって思ったの。でも今日は何もない日じゃなかったから消えたいって思わない」
「……」
「というより最近はだれかさんのせいで何もない日がないから。だから大丈夫」

一人で帰らせてください。顔を見たくなくて、軽く頭を下げてお願いすれば、何も言ってこない。このまま早くいなくなろうと勝己に背を向け、足早に去ろうとした。

のに……。

「ッッテッメェェェ……!!」
「え?」

ボンッと小さな爆発音と共に、ドスの効いた低音が怒りで震えて耳に届き、反射で振り返ろうとした時。遠く離れたところから、なにか嫌な音が聞こえてきた。

「チッッ!テメェ!!覚えとけよ!!」

ギロリと敵顔負けの凶悪面で、悪役のようなセリフを吐き捨ててから、誰かを助けに向かうヒーローの後ろ姿を眺め、ホッと息を吐く。

わたし、さっき何を言った……?

「さいあくだ……」

そういえば、あの時は恐怖で個性を使えなかったってことにしてたんだっけ。本当のこと言っちゃったよ。
でも、まあいいか。いいや。どうせ勝己には見抜かれてるだろうから。


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