低いヒールで音を鳴らしながらコンクリートを蹴る。周りよりも自分から出るその音が弾んでいないと感じるのは気のせいか。
ぼんやり。本屋で会った元同級生のことを思い出した。中学生の爆豪勝己というのは、なんでも出来てしまう故に自分が一番だと周りを見下し、無個性である幼馴染に対しては嫌悪感を隠すことなく、軽蔑し、侮辱し、いじめる。そういう人だった。
それが今はどうだ。先程会った爆豪勝己に中学の彼の面影はない。昔は厳しかったが今じゃ随分丸くなったと言われるお年寄りを見たことがある。落ち着いたね、と言われている大人を見たことがある。人間、ここまで変わるものなのか。丸くなったどころじゃない。落ち着いたどころの話じゃない。さっき会った男が約十年前、毎日のように自分に罵倒していた人間とは思えなかった。
きゃあああああーー!!
敵だ!逃げろッッ!
ひったくりよー!
ヒーローはどこ!?
盗まれた!!私のカバン!!
うわあああーーーー!!
感傷に浸っていたら突然聞こえてきた悲鳴。逃げろという叫び声。数秒前まで平穏に流れていた空気が一瞬にしてピリつき、敵の出現により辺りは騒がしくなった。パンプスの音なんて気にもならない程度には私も意識がそちらに向く。
ヒーローはどこ。物凄く腕の立つヒーローは今もまだ本屋にいると思う。呼びに行った方がいい?いや、私が行くまでもない。すぐにこの騒動に気付き、やって来るだろう。幸いにも敵は人を傷つける気がないのか、鞄を盗まれるだけで負傷者は見当たらない。
数メートル離れた先で貴重品が入っているであろう鞄を強引に盗む敵を凝視する。その男は体に無数のハリを生やしており、ハリネズミみたいな外見だった。多分、異形型の個性なのだろう。よく見ると、目も丸く、本当にハリネズミみたいで可愛らしさがある人だ。外側に生えてる鋭いハリで周りを牽制しているけれど、内側はとても柔らかく、それでいて暖かそう。
ジッと見つめていれば、盗んだ物を抱えた敵がこちらに近寄ってくるのを周りより数秒遅れて気付く。逃げるのが人よりワンテンポ遅れてしまった時、私は閃いた。
「この世界からいなくなりたい」という願いを叶えられるチャンスじゃないか?
自ら死にいくのは面倒で、度胸もない私にとっての大チャンス。逃げる敵の邪魔をしてしまったせいで刺されて死んだ、ただの一般人。あの鋭いハリに心臓を突き刺してもらえばきっと私の願いは叶う。
「〜っジャマだ!!どけえええ!!」
やっぱり敵は人を殺すつもりも、傷付けるつもりもないらしい。親切に「どけ」と叫ばれた。だけど、私はこの世界からいなくなりたいのだ。度胸がない自分では達成出来ないことをハリネズミさんが叶えてくれるのなら、私にとってあなたはヒーローだ。身勝手でわがままな私のせいで人殺しにさせてしまうのは申し訳ないと思うけれど、それすらどうでもいい。ハリネズミさんが人殺しになろうと、自分が嫌な人間になろうと、どうだっていい。
ふっ、と心の中で自身に対し嘲笑する。逃げ道を譲らない女を突き刺す心の準備が出来たのか、こちらに勢い良く突っ込もうとして来る敵より余程私の方が敵のようだ。このまま刺されば完全に死ぬ。私の体に触れるまであと、五歩。四、三、──────
BOOM!!!!!!
「!?……え」
ハリが触れる直前。突然、浮遊した体に遅れて口から出た驚きの声。中学時代よく耳にしていた騒がしい爆発音と、掌を爆破させ、怒鳴っていたあの日々を思い出させる微かに香る個性特有の焦げ臭さ。走馬灯のように爆豪勝己との思い出が一瞬流れたかと思えば、直ぐに地面に下ろされ、現実に引き戻される。そうしている間に助けてくれたヒーローは、敵を捕まえていた。もちろん盗まれた鞄もきっちり取り返している。
ダイナマイトだ……!
なんでここにいんの?珍しくね?
生でダイナマはじめて見た!
写真撮りたい!
やめろ、キレられんぞ
かっけぇーー!
敵を捕まえ、周囲から注目を浴び、かっこいいと熱い眼差しを向けられるヒーローはそれに対し、特別何か反応するわけでもなく、やって来た警察に淡々と犯人を引き渡していた。中学の彼だったら顎を上げ周りを見下し、勝ち誇った笑みを浮かべていただろう。一般人の私からすれば特別なことでも、ヒーローである彼にとってはこれが日常なのだ。
離れた場所で自分を助けてくれたヒーローを見つめる。さっきまで乱暴に片手で抱き抱えられていたのが、触れられていたのが嘘のよう。中学生の時、毎日のように言葉を交わしていたのが嘘のように思えてきた。
さっさと帰ろう。本当はお礼の一つや二つ、伝えなきゃいけないのだろうけど、そんなことをしている精神的余裕はない。どちらかと言えば、助けてもらいたくなかったというのが本音だ。
「さいあく」
と、思ってしまう。普段ならこんな考えをする自分が最低で、最悪で、気持ち悪いと思うだろうけど、今はそれがない。助けてもらいたくなかったと思う自分に対して最悪なのか、最低なことを考えたのに何とも思わない自分に対して最悪なのか、それすら考えるのが面倒臭い。
早くここから離れるため、騒ぎの元へ背を向け歩き出そうとした時、額に何かが流れた。雨?と顔を上げてもなにも降ってはいない。ポタッと。仕事の時のみ着るブラウスに何かが垂れた気がして視線を落とせば、そこは赤く染みていた。血……?
ゆっくり出処を探すと、頬が少し切れている気がする。触ると少し痛みがある。ハリが若干刺さったのか。本当にあと少しで私の願いは叶ったかもしれない。傷を負ったことへの痛みより、敵に殺されそうになったことへの恐怖よりも、本当にこの世界からいなくなろうとした、いなくなるための気持ちの準備が出来ていたという安堵の方が強い。
死を前にして個性を使わなかった自分に凄く安心する。
去り際に助けてくれたヒーローがいる場所へ振り返った。バチッと互いにぶつかる視線。敵のハリよりも鋭い視線で私を射抜くように見つめる元同級生にゆっくり顔を背けた。
爆豪勝己の目はこう言っているような気がした。「何故、個性を使わなかった」と。