私の個性を知っているからこそ彼は怪訝そうにこっちを見ていたのだろう。個性を発動すれば、避けられると分かっているのだから、わざわざ私を助けなくても良かったのに。傷つかないとわかっていても、助けてしまうのがヒーローというものなのか。大変な職業だと常々思う。
自宅は歩いて十五分程度の場所にある。血を流したままではいけないと普段なら思うが、先程まで死のうとしていた人間からすると特に今の状態が気にならない。結構気に入っていたブラウスが血で汚れてしまっても特に気にならず、今考えていることと言えば中学時代の思い出くらい。
学ラン姿の爆豪勝己を思い出しても、怒鳴るか、見下すか、怒るか、嘲笑うか、キレるかのどれかしか浮かんでこない。私に見せる表情は基本それ。でも一人でいる時、友達といる時は、意外と穏やかで静かさを纏う彼を知っている。
額の傷は浅く、出血が止まった頃。後ろから声を掛けられた。
「なぁ」
周りには誰もいない。呼び止められているのは私しかいないのに気づけなかったのは、そんな優しい呼び止め方をする人じゃないと思っているから。あとは、ただ単にぼーっとしていて自然の音と同化し、右から左へ流れただけ。後者寄りの両方だ。決して無視した訳ではない。
「みょうじ」
今度は自分の名前を呼ばれ、足を止める。自然の音と同化してしまうレベルの発言では決してない。右から左へ流せる音じゃない。爆豪勝己が私の名前を呼んだ。こんなのはじめて。今まで一度も呼ばれたことなんてなかった。
「私の名前知ってたんだ」
「……知っとるわ」
舐めてんのか!?とキレられると思ったが、想定外の落ち着きのある声色で返事がきた。なんなんだ、この人はあの爆豪勝己なのか。私の記憶にいる爆豪勝己じゃない。
さっきまで何もかもがどうでも良くて、何にも関心がなかったというのに、目の前にいる人物の変わりように目を丸くして驚く。爆豪勝己に名前を呼ばれたことで、全てがどうでも良くなくなったのかもしれない。
そんな私を他所に向こうはある物を差し出してきた。よく見るとガーゼとペットボトルの水。何だ?と首を傾げる前に相手の意図に気付き、顔を顰めた。
「手当されてーのか」
受け取ろうとしない私にそう言った。もう血は止まってるし、手当するような傷でもない。かさぶたにもならない程度のやつだ。自分だったら絶対手当しないような傷なのに、お前がやらないなら俺がやるといった勢いでゆっくり近づいてきたから慌てて差し出された物を取った。幸い周りに人はいない。大人しく傷口と血が付いた頬を拭き取り、消毒した後、絆創膏を貼った。消毒液も絆創膏も、全て助けてくれたヒーローが用意してくれたもの。
これでもういいだろう。出来れば何も話したくないし、関わりたくない。目を合わせずお礼を伝えてから、足早に去ろうとした時、手首を掴まれた。もう何も考えたくない。家に帰って寝たい。すぐに個性を使いすり抜けようとした手は向こうの声によって阻止された。既に掴まれた手首は離されている。
「……メシ、」
「?」
「付き合え」
「は?」
ついさっきまで真っ白だった心の中が目の前にいる相手により色を持ち始めた時、さらに追い打ちをかけるような発言をされた。思わずあの頃のような返事をしてしまった。
「命令口調……」
けれど、やはり爆豪勝己は爆豪勝己だった。変わったというのなら、ここは付き合ってくださいと言うだろう。いや、付き合ってくれ?いやいや、なんかおかしい。やっぱり変。やっぱり「付き合え」が一番しっくりくる。
口調はあの頃と変わらなくても、表情は昔とは違う。私の記憶にいる彼だったら、眉を顰め不機嫌そうにこちらを見ずに誘ってくる。でも、今は眉間に皺はない。穏やか、まではいかないが、落ち着いた表情をしている。顔がうるさくない。
「付き合わない」
「……」
だけど、答えはこれしかない。そもそも食事をしたい気分ではないし、ましてや人と食べる気分でもない。突き放すような言い方にやっと男の眉間に皺が現れた。
「……肉」
「え?」
「高級焼肉」
「……」
今度はバツが悪そうに視線を逸らして発せられた言葉。何で高級焼肉?思考を巡らせ数秒。遥か昔の記憶が蘇る。中学時代、高校生の彼氏が出来たという友達の話を聞いた後、たまたま爆豪勝己と二人きりになってした会話。「年上の彼氏って良いよね〜憧れる。高級焼肉とか食べさせてくれるのかな?いいな、高い肉。私も食べたい。大人になったら高級焼肉連れてってくれる人と付き合いたい」「ハッッ!たかが二、三個上のモブがンな財力ねーだろ」「出た、僻み」「あ゛ァ!?テメェの思考回路どうなってんだ!いっぺん脳外科行ってこいや」というやりとりをした記憶がある。
今となっては高校生の彼氏は、高級焼肉が食べられるようなお店に彼女を連れていかないのがほとんどだと分かっているが、中学生にとって高校生という存在は凄く大人に見えるもの。そういう夢も見てしまうというものだ。
「さっきはさ、驚いて個性使えなかったんだよね。助けてくれてありがとう。でももう大丈夫だから」
爆豪勝己は昔から察するのが周りより長けている。私が個性を使えなかったわけじゃないことも、きっと気付いてる。全て見透かされているような気がする。それを踏まえた上で爆豪勝己という男は、他人の踏み込まれたくないラインを超えてこないし、きちんと距離を保つと知っている。だから、個性を使わないであのまま死のうとしたけど、今はそっとしておいて欲しい私を感じ取ってこのまま別れてくれるだろうと思った。これが彼の幼馴染相手だったらこうはしない。爆豪勝己だから、「察して」の行動を取った。
けれど、やっぱり爆豪勝己は爆豪勝己だったけど、少し違った。
「あ?自惚れンな。俺が食いてェから行くンだよ」
イラッと心が動く。
「は?じゃあ一人で行きなよ」
「一人の気分じゃねえ」
「知らないよ、あんたの気分なんか。それに、怖い思いしたから早く家帰って寝たい」
「お前そんなタマかよ」
ハッと鼻で笑われた。イライラッとまたも心が大きく動く。中学の頃の方がまだ可愛げがあった。歳を重ねて悪い部分に更に磨きがかかったようだ。
「焼肉より高級寿司の気分だから」
さっきまでの何も無い真っ白い世界はどこに行ったのか。何にも関心が持てず、何もかもがどうでもいいと感じていた自分はどこへ行ったのだろう。「最高に上手いとこ知ってる」と勝ち誇った笑みを浮かべる元同級生に、ああさっき消えていれば良かったと後悔した。