「あ、ダイナマだ」
「おーい、ダイナマー!」
「ちょっ、やめなよ。気付かれたらどうすんの!?」
「気付いてもらうために、大声出してんじゃん」
出勤中、横断歩道で信号待ちをしていると、隣にいた高校生二人組があるヒーローの名を叫んだ。ダイナマは、確か爆豪勝己のヒーロー名だ。正式には、なんとかダイナマイトだった。
覚えるのも一苦労な馴染みのない、凄く攻撃的な名前だった気がする。お昼休み、同僚がスマホでニュースを見ていた内容が彼に関することで、画面の右上に大きくヒーロー名が書かれていたのを思い出す。一回見ただけじゃ覚えられない名前。
そんな彼が爆破の個性で空を飛んでいる。
だけど、聞いていない。ここが彼のヒーロー活動をする主な場所だとは知らなかった……!
私が引っ越した理由。それは、社内異動を命じられたからだ。ただの転勤。しかし、異動先が彼の管轄だとは思わなかった。だから異動が決まった時に、同僚から爆豪くんの話をたくさんされたのか。誰でも知っているようなことでも、今の私はヒーロー情報なんて微塵子程度も知らないのだ。
幸い、家は会社の近くではなく、自宅の最寄りも数駅離れてるため、なんとかこの一ヶ月、向こうには気付かれていない。
しかし、
「あ!こっち見た!」
え?
「あれ?なんか、すっごい睨んでない?」
……え?
「え!?なんかこっち来る!?」
…………は!?
女子高生達の言葉に、上空へ顔を向けるとさっきまで背を向けていたダイナマさんが、敵顔負けのツラでこっちに向かって来た。
うそ……。気付かれた?いや、そんな訳……。まって、ちょっと待って。逃げよう!
「なにあれ!?怒ってない!?顔こわっ」
「呼んだだけなのに!?ダイナマってそれくらいでも怒る!?」
中学生の爆豪勝己なら怒る!心の中でそう吐き捨て、信号が青になった横断歩道を渡らず、踵を返す。私に気付いた……?自意識過剰すぎるかもしれないが、可能性はゼロじゃない。
隠れるため、向こうから死角になっているであろう路地裏に入ろうとした瞬間、さっきまで徐々に大きくなっていた爆破の音が遠くなっているのに足を止め、振り返った。
「あれ?こっちに来ない……?」
どういうわけか、爆豪くんは飛んできた方向へと戻って行った。目に映るのは、空を飛ぶヒーローの後ろ姿。
何だったのだろう。まあ、いいか。ゆっくりしていたら遅刻してしまう。赤から青へ。信号が再び変わった横断歩道を今度こそ渡り切る。その時、遠くの方で微かに爆発音が聞こえた気がした。
「乾杯ーー!!」
仕事終わり。今日は職場の飲み会が開催されていた。新年会と私の歓迎会らしく、こういう場はあまり行かないのだが、歓迎会と言われたら断れなかった。
「ほらほら、主役なんだから飲んで飲んで」
「すみません、あまりお酒飲めなくて……」
私はあまりお酒が強いほうではない。というか、結構弱い。度数が低いのだったら数杯飲めるが、それでも酔う。だけど、好きではある。お酒の味というより、酔うのが。
酔うのが好きと言っても、毎日顔を合わせる職場の人の前で我を忘れるような酔い方は出来ないため、普段だったら一杯飲む程度なのだが、今日は少し多めに口に入れてしまった。
「え〜みょうじさん、二次会来ないの?」
「主役がぁ〜!」
「はい、これで失礼します。今日はありがとうございました」
なんとか酔っている姿を見せずに別れることが出来たが、一人になった瞬間気が抜けて、頭はぼーっとするし、視界は結構歪んでる。真っ直ぐ歩けているかもちょっと分からない。
そんな状態の時だった。
「改めて、撮影お疲れ様でした!これからもヒーロー活動、応援しています!」
「また食事会でもしましょう」
「顔面国宝と、黙ってればイケメンっちゃんに挟まれるおれ……。本当に荒れないっスか」
「何言ってるんですか!セロファンはイケメンでしょう!最高のが撮れましたよ!」
「なに言ってんだ、瀬呂はカッコいいぞ?」
ある居酒屋から複数人がゾロゾロと出て来た。飲み会というより、打ち上げ終わりのよう。私はその集団から目が離せなかった。理由はしっかりある。
出て来たのは、芸能界を裏で支えているような人達と、鍛えられた体に超人しか得られないようなオーラを纏った人が数人。きっと、ヒーローか何かの職業なのだろう。
その中で一際輝きを放ち、目に留まったのは、絶賛大ブレイク中の人気女優。私が最近どハマりしたドラマの主演を務めた人だ。変装しててもオーラは隠せないのだろう。
まさかこんなプライベート姿を目にするとは思わなかった。あまり見ないように視線を逸らそうとした時、思わず二度見してしまう。
「……あ」
女優に気を取られて気付かなかった。爆豪勝己がいることに。眉間に皺を作り、こっちを睨んでいるような気がするけど、きっと気のせい。そう、気のせいだ。少し酔っているから、私の思い違いだろう。この場から足早に去ろうとした。
「おい待てコラ」
あなたの個性は瞬間移動じゃないだろ、とでも言いたかった。なんですぐ後ろにいるの。逃げても無駄だということを既に学んでいる。諦めることにした。
「テメェ、今までどこにいた」
「そういうことは恋人に言ってください」
「……」
はぁ、私がどこにいようが関係ないし、何で気になるんだろう。自殺紛いなことをしたから?あの時は個性が上手く使えなかったって言ったのに。
今も昔も、別に爆豪勝己が嫌いなわけじゃない。ただ関わりたくないだけ。
「ただ引越しただけだよ。じゃあ…………ってえっ!?それ、それ!」
「あ?」
「ビジュアルブックじゃん!!何で持ってるの!?ファンなの!?」
「ンな訳あるか!さっき貰ったんだよ」
「うらやまし……」
爆豪くんが手に持っていたのは、私が最近どハマりしたドラマのビジュアルブックが入った紙袋。ドラマシーンや、主に主役である女優さんが単体で撮影されたものが載っていたり、役者や監督などのインタビュー、裏話等が収録されてて、オマケにゲスト出演したヒーロー・ショートも写っているものだから、大人気過ぎて入手困難だった。そんなものが目の前に……。
ショートのことも、このドラマがきっかけで少しだけ知れたくらいだ。
「見たいンか」
「見たい。というか、ちょっと借りたい。爆豪くんが見終わったら借りた……」
どうせ見させてもらうなら家でゆっくり読みたい。だから、借りたいと言ったのだが、口に出してからすぐ後悔した。借りる、返すという行為は直接会わなくてはいけない。
忘れていたけど、私は現在進行形で酔っている。正常な判断を瞬時にするのは難しい。
「ごめん、今の忘れて。帰る。じゃあね」
このままいたら、どこかのお店に入って読ませてください、なんて口走ってしまう。好きな漫画に出会えると、続きみたさに我を忘れ、流れるように課金するタイプであるため、このままじゃ彼に課金してしまいそうな勢いだ。
そのビジュアルブック、お金出しても買えないんだから!それほど貴重なんだから!時間が経てば重版はあるだろうけど、それまで待てない。
「見たくねーのかよ」
「大丈夫、帰る」
「持って帰っていいぞ」
「……いらない、帰る!どうもありがとうございました!」
思い切り頭を下げて、上げる。それから素早く足を動かそうとした時、ぐらっと視界が揺れた。やばい。
「っ、……ありがと」
「……お前、酒」
そう簡単にお酒は抜けない。よろけた足が絡まり、自ら爆豪くんの胸の中に飛び込むような形で倒れたのを、文字通り胸で支えてもらった。うわ、暖かい。しかも、なんか、良い匂いがする。香水のような良い匂いじゃなくて、なんていうか心地が良い匂いっていうか……。昔とは違う匂い。
そんなことを感じながら、額を彼の胸にコツンと当て、小さく呟いた。
「気分、わるい。吐きそう」
「は!?」
おい待て、と最初に声をかけてきた時と同じ言葉だったけど、爆豪くんからさっきはなかった焦りを感じる。とりあえず、水を飲みたい。顔を上げ、自販機かコンビニがないか探すと、大きな影が二つ近づいて来た。
「爆豪、大丈夫か?」
「お取り込み中ってワケじゃないよな?……水、入ります?」
「女神……」
「……え?」
水を差し出してくれた髭を生やした男性が、女神に見えた。支えられながら、謝罪とお礼をして水を受け取ると、隣から「悪ぃな、瀬呂」と爆豪くんの声が聞こえた気がした。
「今日、飲み過ぎちゃった」
「どんだけ飲んだンだよ」
「三杯」
「……」
一瞬にして場が静寂に包まれた。ここにいる男全員が、少ないと思ったことだろう。
「三杯も飲んじゃったから、吐くかもしれない」
「クソ下戸が」
「え?吐くなら爆豪くんの車でしてって?」
「テメェ、酔った振りしてんならブッ飛ばす」
お酒の力は凄い。余計なことを考えず、会話が出来る。水を口に入れながら、触れてはないにしろ距離的には今もまだ彼の胸の中にいる。爆豪くんの声が耳の直ぐ近くで聞こえるくらいの距離。物理的にも会話的にも、近すぎる私達の会話にショートは首を傾げた。
「付き合ってるのか?」
「は?」
「ちょ、轟?早い早い……!でもまあ、お宅らどういう〜ってのは気になんね」
ショートの問いに、間抜けな声を出したのは、爆豪くんだった。こっちこそ聞きたい。ショートとこんな話す関係だったのかって。もしかしたら、ニュースを見ていないことが爆豪くんに一瞬でバレた理由が分かるかもしれない。
しかし、それよりも気になるものが目の前にある。
「同中」
「へえ、同じ中学ねぇ」
「そのニヤケ面やめろや」
「なら緑谷のことも知ってんのか」
私の耳には男達の会話が入ってこない。ただ意識が向いているのは、視界に入るビジュアルブックだけ。
「うぅ、よみたいぃぃ……」
「あ?だから、持ってけって」
「いらない」
「なンでだ!てめーも自分で集めてえってタチかよ」
「"も"って。緑谷くんのこと言ってる?確かに、中学の時さ、オールマイトのレアグッズを抽選で当てたから緑谷にあげるって言ったのね。そしたら、自分で手に入れてこそ!とか言われて、断られたなぁ」
「緑谷なら言いそうだな」
足元を見ながら昔話をすると、ショートが頷く。緑谷くんのこと知ってるの……?あれ、会話的に三人とも。
「もしかして、三人とも雄英の同級生……?」
「ああ、三年間同じクラスだ」
「……そ、うなんですね」
私の発言にショートは瞬きを数回した後、素直に答えてくれた。他の二人は一瞬驚いた様子で固まっていたが、今は元に戻っている。
だからあの時、車内でショートと話したことある?って聞いたら、びっくりされたのか。今も私の発言に驚いているのはきっと、ショート達が雄英生だということを知らなかったからだろう。
今の小学生でない限り、爆豪くん世代の雄英生を知らない方がおかしい。
「あの、ごめんなさい。私、あまりヒーローに詳しくなくて」
「いやいや、全然」
「? 謝ることじゃねえだろ」
二人には失礼なことをしてしまったと、謝罪をしたけど、特に気にしている様子ではなかった。ただ、何も言わずこっちを見つめる爆豪くんが少し怖い。全てを見透かされそうで、向こうがどんな顔をしているか見たくなかった。
「じゃあ、私はこれで。いろいろありがとうございました」
居た堪れなくなり、頭を下げ逃げるようにその場を離れる私に、彼らは明るく気遣いの言葉で見送ってくれた。ヒーローって凄いな。
「送ってく」
「わっ!?び、っくりした。……まだ電車あるから大丈夫だよ、ありがとう」
「真っ直ぐ歩けてねェぞ」
車で送ってくという意味なのだろう。確かに、フラフラだ。けど、帰れなくはない。このまま夜風に当たって帰った方が酔いも覚めるだろうから。しかし、それを言ったところで爆豪くんが私を一人で帰らせるわけがないと思い、断るのを諦めた。
少し歩いた先で一瞬だけ真っ暗な空を見上げて、直ぐに足元へと視線を落とした。空は嫌なことを思い出す。
「わたし、高校の時の記憶が曖昧なんだよねぇ」
ぽつり。小さく呟いた言葉に、向こうの視線がこちらに集中するのを感じる。
記憶が曖昧でも高一の時、爆豪くんに何度か連絡を取っていたことはなんとなく覚えているし、覚えていないが当時私達が会っていたとしたらこれ以上誤魔化せない。それに、このまま何も言わず詮索をされるのは嫌だった。勝己はそういうことをしないと信頼していてもだ。
だから、踏み込まれたくないラインを引いた。
「そっとしといてね。勝己、そういうの得意でしょ」
個性を使わなかったのも、たまにこの世から消えたくなる気持ちも、高校の時だけ記憶が曖昧な理由も、私のこと全て、そっとしといてほしい。この先、生きていようが、死んでいようが気にしないでほしい。ただ「中学の同級生が死んだ」くらいに思ってくれればいい。
これ以上関わってこないで、という牽制。
普段ならこんなこと絶対に口にはしないし、大人しく車になんて乗らない。これも、全部酔っているせいと思いたい。自分で制御が効かなかった。
「体育祭ん時、クソみてーな連絡寄越したのも忘れてンのかよ」
ぼーっとする頭で一か月前から新しくなった自宅への道案内をするのに必死だったから、隣で運転している勝己が『嬉しくない一位おめでとう〜!おつかれ!キレ具合がイケメンだったよ!よっ、敵顔!』と高一の私が送ったメッセージを思い出してそう言ったのも、小さく吐き捨てられた暴言も、私の耳には届かなかった。
「テメェの名字呼びはキモいんだよ。酔った時だけ名前で呼ぶな、クソ女」