「どうやって家に帰ったっけ?」
仕事終わって、飲み会があって、二次会には行かず解散して。あの女優さんを見かけたと思ったら爆豪くんがいて、少し話して、送ってくと言われ……
「思い出せない……」
あの後のことが全然思い出せない。一人で帰った?あの状態で?
「ぜったい一人で帰らせるわけがない」
車に乗った記憶もない。二日酔いのせいで頭がガンガンして脳を使いたくない。
「まあ、いっか」
こういうのは忘れるに限る。考えれば考えるほど悪い方向に行ってしまうもの。このまま何もなかったように過ごせば良いだけのことだ。
「なんでだよ」
「あ?」
心の中のツッコミが思わず口から出てしまった。けれど、仕方がないだろう。職場の屋上にヒーロー姿の爆豪勝己がいたのだから。
爆豪くんに会ったあの夜から少し日が経った、平日の十四時。午前中の仕事が忙しく、遅めに入った昼休憩。
それほど高くない建物だからか、安全性がきちんとしているからか知らないが、異動先の会社の屋上は常時解放されており、自由に使っていいとのこと。
こっちに来てからは屋上で食べることが多いのだけれど、そこに同じく昼食を取っている元同級生がいるなんて聞いてない。
「……は?」
「驚きたいのはこっちなんですけど」
驚きを通り越して冷静になっている私とは反対に、爆豪くんは目を見開き驚愕している。その姿はヒーローとかけ離れており、爆豪勝己という一人の人間の表情だった。あまりに驚くからつい「ここ、職場」なんて言ってしまった。
しかし、どうしてこんな偶然が続くのだろう。二度あることは三度ある、を超えてる。
「もしかして、私の、ストーカー……?」
「ンな訳あるか!!」
「じゃあ、運命的な?」
「……」
なんで黙んだよ、とは声にしなかった。昔だったら何も考えず、思うまま言葉にしていたと思う。
「それだけで足りるの?」
爆豪くんが食べているのは菓子パン一つ。体力使う職業の人間がそんなんで足りるのかと疑問に思ったが、既に何個か食べ終えているのかもしれないと言った後に気付く。
心配の言葉を投げた相手から、そのままそっくり返すわと言われ自分の手元を見た。私も菓子パン一つ。しかも、本当にこれだけ。
「私は仕事しながらちょこちょこお菓子食べてたから」
「仕事しろや」
「はい、これ。お裾分け」
机の引き出しに常備してあるお菓子がポケットに入っていたことを思い出し、屋上の柵外にいる爆豪くんに手渡したら、こちらにチラリと視線だけ向けて素直に受け取った。
同じ昼食を取ってると言っても、私は休憩中で、ヒーローの爆豪くんは仕事をしつつ腹を満たしているような感じ。さっきから意識は周囲へ向いており、言葉を交わす時だけこちらに視線をくれていた。
「じゃあ、ごゆっくり」
「ここで食えばいいだろ」
「いいよ、中で食べるから」
仕事の邪魔をしてはいけないと挨拶だけして、一口も食べずにこの場を去ろうとしたが、許してもらえず。先日の記憶喪失(酔っ払い)事件のせいで、いつも以上に関わりたくないのに。関わらないように、不自然にならないようにすればする程、口数が増えてしまう。
「あのさ、こないだ襲われたりしてないよね?」
「何の話して……」
「ほら、あの日。……酔ってて記憶ないの。爆豪くん、私に襲われてないよね!?」
「〜ンなッ!?ワケねェだろクソ死ねッ!」
「だよね、よかった」
それだけは絶対にダメだ。大袈裟というくらい安堵する私を見て爆豪くんは引いていた。というより、前科あんのかコイツみたいな感じ。信じられねえって顔に書いてあるような。本心は分からない。
そうです。前科はあります。数ヶ月前に別れた彼氏とも体の関係から入りました。その時もお酒が入っていたから。ヒーローだからではなく、爆豪くんみたいな男は、記憶のない女を、彼女でも好きでもない女を抱くはずがないのは知っている。でも、何かまずいことをした記憶があるから不安なのだ。
お酒を飲んで記憶をなくすのも、付き合ってもない男と体を重ねるのも、若いとは言えなくなってきている年齢ですることじゃないのは重々承知だ。けれど、そういうの全部ひっくるめて、どうでも良くなる時がある。
「今日、終わり何時だ」
「え?十七時だけど」
「こないだ何があったか話す。終わったら信号前のコンビニ集合」
「あ、いや大丈夫。今日予定あるし」
「……」
睨まないでよ……!仕方ないじゃん、予定あるんだから。なんて言える空気じゃなかった。記憶がなくても、悪いのはこちら側だということは分かるから。
罪悪感からか胸のざわつきを感じながら、謝罪をし、逃げるように屋上を出た。
「あ、結局一口も食べてない」
袋も空いていない自身の昼食を見るも、食欲が湧いてこなかったためそのまま仕事へ戻った。
仕事を終え、待ち合わせ時間まで暇を潰していたらあっという間に夜になった。今日も低いヒールから鳴る足音は弾んでいなくて、今から人と会うのにと苦笑いしながら昼間の会話を思い出し、過去の人間関係について考える。
数ヶ月前に別れた彼氏とは体の関係から始まった。その前はナンパされて付き合って、更にその前は出会い系で知り合って、その前は思い出せない。だけど、どれも長続きしなかった気がする。しかも、全てフラれるという。
そして今から会うのは、体だけの付き合いの人。お互い相手がいない時だけ都合良く使う、そんな関係。今日は呼び出された側だ。彼氏とは直ぐに別れる私だが、この人とは長い付き合いになる。
「久しぶり〜、彼氏と別れたなら直ぐに連絡ちょうだいよ」
「なんかテンション高いね」
「そりゃあ、みょうじさんに会うの久しぶりだし?まっ、とりあえず行きますか」
そう言って歩き出した方向は、待ち合わせ場所から一番近いホテル。今から行為をするというのに、私達の距離は近くもなく遠くもなく、お互い触れるわけでもない。本当にただ欲を満たすだけの関係。
「お酒飲んだ?」
「うん」
「珍しいね」
今日はお酒を飲みたい気分だったから、時間潰してる時に一杯飲んだ。一杯くらいならほろ酔い程度で済む。普段ならこの人に会う前にお酒を飲むことはほとんどないのだが、今日は違かった。なんでだろう。その理由を探すために、頭を使う気力が私にはない。ホテルを目の前にして何故か足取りが重く感じるのも、きっと気のせい。
「っ!」
あと数歩で目的の場所へ足を踏み入れようとした時、後ろから腕を掴まれ、心臓が飛び跳ねた。なに……?勢い良く後ろを振り返ると、そこにいたのは昼間会った人物。爆豪勝己がそこにいた。
「な、んで、ここに、いるの?」
目を見開きながら聞いた。心なしか声も震えている気がする。急に腕を掴まれただけで、こんなに驚くものなのか。
いないと思っていた人間がいたから?爆豪くんが見たことない表情をしているからびっくりしたのか。彼から感じ取れるのは、焦り、怒り、疑念、動揺。疑いの目を向けられているのは確かだ。
そんな彼を見て私の心臓は凄いスピードでバクバク動いているし、触れられている腕の血管も波打っている。
別に悪いことはしていないのに、どうして罪悪感を感じるんだろう。私と爆豪くんは付き合ってる訳じゃないし、ただの昔からの知り合いってだけで、爆豪くんには全く関係ない。
「なに」
「お前、酒飲んでんだろ」
飲んだけど。一杯だし、こないだみたいに酔ってはないし、人の手だって借りずに真っ直ぐ歩けている。だから早く手を離して欲しいと思った時、今まで黙っていた男が口を開いた。
「数ヶ月前に別れた彼氏?」
「なわけない」
「ふーん。……じゃあさ、今日は彼と帰りなよ」
「え?」
「俺は他を当たるし?それに、世界の英雄を目の前にして連れて行けるほど人間出来てないからね」
そう言って歩き出してしまった。この興味のなさと、面倒事を避ける、干渉してこないところが、この人と長く付き合えている理由だと思う。それはお互いに。
みんな知っているであろうヒーローと、自分の知り合いに関わりがあったら、普通気になったりするものだろう。セフレの私じゃなくても、ヒーローである爆豪くんに興味を持ったりするのが一般的だ。しかし、彼は一切興味がないし、干渉もしない。
性欲処理をするために呼んだ相手をこうもあっさり手放すのか。他を当たると言っても、欲を吐き捨てる時間が伸びてしまったのは大丈夫なのかと疑問に思うも、それ以上に今の状況が面倒臭いと感じたのだろう。
爆豪くんの方を見たくなくて、離れていく男の背中を見ていたら、何かを思い出したかのように男は足を止めた。そして、ニコリと笑って言うのだ。
「みょうじさんが一番相性いいんだけど、仕方ない。今日は本人もノリ気じゃないっぽいし。お二人で楽しんで〜」
最悪だ。
忘れていた。この男は他人に興味がないし、干渉もしないが、"退屈"を嫌う人間だ。そして、性格が悪い。
面倒だから避けるという思いももちろんある上で、この状況に面白さを生み出そうとしているのだ。近いうちに『あの後どうなった?』と連絡が来るのがオチ。
学生時代の知り合いにセフレの存在がバレた時の気まずさたるや……。
こういう時こそ、個性を活用しなくては。未だ握られている腕も、ずっと無言の爆豪くんも怖い。スーッと幽霊のように彼の手からすり抜けた腕を思い切り振って、早い歩調で歩いた。調子に乗って走ったら、それこそ酔いが回ってしまうそうでの早足だ。向こうの顔はいろんな意味で見れていない。
「チッ」
舌打ちを聞こえないふりして歩き続ける。腕を捕まえようとも、私の前に立ち止まろうとも触れられないのだから意味がない。個性を消す個性じゃない限り、英雄と呼ばれるヒーローでも私を捕まえることは出来ない。なんか、気分良いかも?このまま家まで帰……
「今日は、勝己って呼ばねェんだな」
「……は?」
いま、なんて? 足が急停止する。
「私、爆豪くんのこと名前で呼んだことないけど」
「逆に名字で呼ばれたことねェんだよ」
「……中学の時、なんて呼んでたか覚えてない」
「中学ん時も記憶曖昧なンか」
「そんなんじゃ……」
ちょっと待って。今なんて言った?中学の時も記憶が曖昧?私が曖昧なのは高校の時だけ。勝己って呼んでいたのも覚えてる。今、私が言ったのは普通に忘れてるって意味で特別意味はない。実際、ずっと関わっていない友達をあだ名で呼んでいたか、名前で呼んでいたか覚えてない子もいる。
爆豪くんって、わざと名前で呼ばなかったんだ。
最悪。
「あの日、言ったこと全部忘れて。おねがい。全部ただの酔っ払いの虚言だから」
酔ったあの日に何を言ったのか分かった。記憶がない酔い方をしても、こんなこと他人に言ったことはない。
絶望したように両手で顔を覆いながら伝えると、向こうは何も言わなかった。何も言わないし、慰めるわけでもなく、距離を縮めてくるわけでもないのに、不安を和らげるこの意味の分からない安堵感はなに。
視界に勝己を入れてるわけじゃないから、どんな顔をしているのかも分からないのに、空気が一瞬で心地良くなったのは何故だろう。ヒーローだから?
きっと今、目の前の男に抱きしめられたら、いろんな物を巻き込んだ土砂崩れのようにズブズブに落ちてしまうのだろう。
「はぁ、バカかよ」
深いため息。暴言とは思えないほど、全てを包み込むような声色で放たれた言葉。
再会したあの日。真っ白だった世界に色がついた。でも今は、ぐちゃぐちゃに濁りきった色が一瞬でクリアになり、気付けば勝己の顔を見ていた。
見て、後悔した。
カシャッーー。
「は?」