地元の奥さん


片岡先生のことをかっこいいと思ったのは転校してから数週間が過ぎた頃。

自分では気付かぬ内に、環境が変わったストレスや既にグループの出来上がった一年後半のクラスに一人で入ったこと、気疲れ、転校生ということで集まる視線。他にも急な引っ越しだったため家ではあまり休めず、それに加え体調を崩した弟の風邪をもらってしまい、心身共にピークに達していた日。

一人になれる場所を求め、校内を彷徨っていたら迷子になった。そりゃあ、こんな大きな校舎内を数週間で把握するのは難しく、自分がどこにいるか分からなくなるのも当然だろう。
そして、迷い、辿り着いた一人になれる場所。空気をたくさん吸える外がよかったから、一回の窓から跨いで外壁に背を預け、だらしなく仮眠を取っていた。自分が思っているより体調が悪かったみたいで、寄りかかるのも億劫になり、地面に仰向けで横たわった。


「どうした、体調が優れないのか」


そこで通りかかったのが片岡先生。瞼を閉じ、眠る私に声を掛けた。怠そうに目を開くと今度は「こんなところで寝るな」と注意されるが、体調の悪さと無自覚の気疲れ、相手が先生という甘えからそれを無視し、横たわりながら右手の甲を額に当て、弱音が口から溢れた。


「転校してくるのって意外と疲れるんですねぇ……。前の学校と全然違うし、ここどこだか分からないし、家の片付け終わらないし、体調最悪だし、弟はちょっと最近反抗期だし……」


今日の夕飯どうしよう…と学校の先生に関係の無いことまで零す。これじゃあ、ただの八つ当たり。でも謝罪をする元気も気力もなくて、ただ、ただ気分が悪くて、ダルかった。


「名前は?」
「みょうじ、です」
「みょうじか。理由はどうあれここは寝る場所ではない。体調が悪いなら保健室に行きなさい。立てるか?」


無理です。素直にそう口に出す。いや、だって、ほんとにダルい。しかもさっきより更に体調が悪化しているような気がする。そうしてグルグル頭で考えているといつの間にか先生はいなくなって、いつの間にか目の前にいた。立てない私に、担架を持ってくるかの一言。流石にそれ程でもないからゆっくり自力で立ち上がり、先生に連れられて保健室までやって来た。
中にいた女の先生がこちらを振り向いたと同時に、次の授業の始まりのチャイムが鳴る。ソファに座り体温を測りながら横に立っている先生を見上げ、授業あるのにすみませんと謝罪をすると、気にするな、ゆっくり休みなさいのお言葉をもらった。

その後、女の先生に「あとはよろしくお願いします」と頼み、こちらに視線を向けてこう言ったのだ。


「急な環境の変化は自身が思っているより心身共に疲れが溜まるだろう。俺で良ければ話を聞くからな。いつでも来なさい」


そして、最後に。無理はするなよ、と目元を柔らかくして優しい声色でそう発した。瞬間、心臓がドクンッと大きく跳ね上がる。出ていく大きな背中を見つめ、扉が閉められてからゆっくり口を開いた。


「あの…」
「ん?」
「あの先生の名前、なんて言うんですか」
「?ああ、片岡先生??国語教師で、野球部の顧問をしている方よ」
「そう、なんですね」
「見た目で怖がられることが多いけど、とても生徒思いの優しい先生でね」
「……結婚されてるんです?」
「してないと思うけど?」
「彼女は?」
「え?彼女??どうなんだろう。そういう話は聞いたことないけど…?野球で忙しそうだし……って、あなた、それより早く休みなさい」


そうか。野球で忙しいのか。結婚してないんだ。彼女もいないんだ、多分。


「先生、どうしよう。好きになっちゃったかも」
「え?」


わぁぁぁぁ、最初は頭フラフラして気づかなかったけど、顔もタイプで雰囲気もタイプだった。どうしよ、どうしよ、と頬を両手で包み、文字通り部屋を暴走したら先生に怒られた。


これが、片岡先生との出会い。











みょうじが野球部の監督、片岡鉄心に告白をした日の放課後練が終了し、各々片付けに取り掛かっている途中、一人の部員が監督に呼ばれた。


「倉持」


呼ばれた倉持は、珍しいなと不思議に思いながら嫌な考えが一瞬頭を過ぎる。この時、あのみょうじの告白は脳内から消え去り、プレーや練習中の態度などを言われるのか、思い当たる節がない故に負の予想しか浮かんでこなかった。

そんな中、こちらに視線を寄越すことなく前だけを見つめる監督が発したのは意外なもので。


「みょうじと仲が良いのか」
「え…?」


倉持自身、思いもよらない質問に驚きで力のない声が出た。そこでやっとあのことを思い出し、冷や汗が流れる。


「いや、まあ……仲は悪くはないです。中学が同じなので。学校ではみょうじがすみませんでした」


仲良い、とは言いづらく監督相手に遠回しな言い方をしてしまったと更に汗が流れる倉持は、中学時代みょうじと仲良いって言われると反射で否定してたからな、お互い。これは不可抗力だと心の中で言い訳を吐く。


「そうか。……みょうじが冬に転校してきたことは知っているか」
「はい」
「この学校には他県からくる者も多いが、それは全員が同じタイミングで入学してくる。だが、転校してくるというのは皆が学校に慣れているところに一人で入ってくるということ。他が思っているより本人は心細いだろう」
「……」
「数ヶ月経ち、あの子自身も慣れてきたと思うが、少し気にかけてやってくれないか?」
「!!」


今度は倉持の目を見て言葉を発せられ、監督からの意外な頼みに驚きつつも返事をした。


「はい、わかりました。ありがとうございます」








どういう経緯で監督と知り合ったか聞きそびれたが、あの感じだとみょうじが体調を崩したり弱っているところを監督が見つけたとか、か?アイツ、結構体調崩すからな。ソラからもらうのもあるだろうけど、元々風邪を引きやすい体質。いつも自分のことを後回しにするのが大半の原因なんだけど。

急に環境が変わって知らず知らずのうちにストレスが溜まったんだろ。誰とでも程よく仲良くなれるけど、基本広く浅くなタイプ。仲良くなる時はなるだろうけど。地元のアイツらとも俺がいない時に話したことないって言ってたし。本人は自覚ないようだが、最初から好いてなかったもんな、アイツらのこと。

変なところで甘えて……というかパシられ、大事なとこでは絶対に頼ろうとしないし、隠す。アイツはそういう奴だ、と改めて倉持は考える。


「つーか、あの現場誰にも見られてねえよな」


野球部の誰かの耳に入ったら厄介。みょうじのことを知られても更に面倒だとため息を吐いた。御幸には釘をさしたから大丈夫。大丈夫。


「大丈夫、だよな……」


しかし、いつかはバレる。でも今じゃない。今は面倒だ、と思えば思う程バレてしまうのである。それは食事が終わり、人が疎らになった食堂でのこと。倉持の隣に小湊亮介がやって来た。


「亮さん、どうしたんすか?」
「今日、ちょっと耳に入った噂なんだけどさ」
「エッ」
「監督に廊下で変わった告白をした二年の女子がいるって話知ってる?」


亮さんの爆弾発言に知らなかったこの場にいる面々は驚きの声を上げた。御幸は「ブフッッ」と吐き出している。タイミングの悪いことに数人の同学年と三年生のレギュラー陣が揃っていた。そして、この人がこの話題に一番飛び付く。


「どういうことだ、ゴラァ!!!!教えろ、倉持」
「教えろ、倉持」
「あ、いや……俺もよく「その場に倉持もいたらしいじゃん。その子の口抑えてたよね?」なっ!?」


先輩に嘘つこうとした?生意気だねぇ、って目が笑ってない笑顔を向けられ背筋が凍った。この人、最初から気付いて…!?つーか、見られてた!?純さんに続いて哲さんもなんか興味津々だし……。


「女子の口を抑えた、だァ!?」
「あー!!いや、違うんすよ!」
「何が違うんだ、答えてみろ!」
「答えてみろ、倉持」
「ちょっっ」


まるで尋問されているかのよう。テーブルに肘をついて距離を縮める純さんに両手を前に出し仰け反ると、背後に大きな体を持った増子さんが立っていた。この人も興味あんのかよ!丹波さんや他先輩方も集まってくる。少し離れた場所にはニヤニヤこっちを見てくる御幸に、ノリや白州、あとは麻生と関、山口もいた。御幸は後でシメる。

でもこれはもう仕方がない。腹を括ろうと口を開けた瞬間、亮さんの方が先に話し出した。


「ていうか、倉持って仲良い女子いたの?もしかして彼女?」
「いや、そういうんじゃないですって!!」
「にしては距離近すぎだったよねぇ」
「は!?なんじゃそら!!説明しろ!!」


この人達…!純はともかく亮さんは完全に楽しんでやがるっ!!哲さんも表情変えないでこっち見てくんの、すげぇ圧なんスけど!?やめてくれ。


「そんなんじゃ、地元の奥さん可哀想」


そして、この言葉と共にまた騒がしくなる室内。そうだ、忘れてた、と言わんばかりに騒がれる。二年組もそれは同じ。みょうじのことどこまで知られてんだよ。ここでその奥さんがそいつです、なんて言ったら余計騒がれるだろうし、みょうじにバレたらマジでキレられる。そう思い、誤魔化せるか分からないが上手く交わそうとした時、余計なことを言い出した奴がいた。


「ははっ、その奥さんがその子ですよ」
「ああァ?」
「え、そうなの?地元にいるんじゃないの?」
「今年の冬に転校してきたらしいです。向こうは倉持がどこの高校行ったか知らなかったみたいですよ。凄いですよね、ここまでくると何かの糸で結ばれてるんじゃって」


……御幸、テメェは後でコロス。何かの糸で結ばれてる、じゃねえよ。ニヤニヤしてこっち見るんじゃねえ。マジで後で覚えとけよ。
色々聞かれる。もう、どうにでもなれ。目から光が消え、全て受け入れようと決めた時、離れたところからガタッと音が聞こえてきた。その方向へ目をやると麻生が驚いた表情で固まっていて。


「どうした?」


純さんの質問に、固まって答えない麻生の代わりに関が答えた。


「こいつ、その転校生のことモロタイプって言ってたんでショック受けてるみたいです。な?」


その答えに場がシンっと静まり返った後、三年生の慰めの言葉が麻生に送られた。その間、「マジか」と腹を抱えて笑う御幸と目が死んでる倉持。白州とノリは意外にもその転校生、みょうじのことを知っているようで。


「びっくりした。まさかみょうじが倉持の…」
「ああ、驚いたな」
「お前ら知ってんのか!?」
「はい。去年同じクラスでした」


まじか。この二人と同じクラスだったのか。白州とノリ。どちらもみょうじが好きそうなタイプだと、ウザ絡みをされていないか心配になる。同情すら覚える。


「でも、みょうじが監督に告ったってなんとなく想像出来るな」
「う、うん」
「へぇ、それはどうして?」
「あ、いや。見た目に反して、ちょっと変わってるっていうか、以外って言うか…」


これは絶対ウザ絡みしてんな、アイツ。二人の返答に確信した。「あー確かに大人しそうっつーか、清楚系だったよな」「あれでそんな勢いがあるとはね。まあ、倉持の奥さんらしいから納得はするけど」等の会話が聞こえてきた。……いや、ちょっと待て。


「何であいつの顔知ってんスかっ!?」
「何でって写真見せてもらったじゃん」
「見せてもらったっつーか見た」
「……」

「俺は見れていない」
「おー、そうだ。あん時、哲いなかったよな。丹波も」
「ああ」
「おい、倉持。スマホ出せ。写真見るついでに電話かけさせろ!!」
「部屋にあるんで無いっすよ!!」
「そんなもん取りに行ってこいやァ!!」


ああ、マジで御幸はあとでコロス。そう心の中で何度も呟きながら大人しく部屋に取りに行く。みょうじと再会してからたくさん送られてきた写真の数々。それも見せるのか、と死んだ魚のような目になった。
けど、まだ沢村がいないだけマシか。アイツがいたらマジで面倒くせぇからな。



結局、写真を見るだけで電話はしなかった。純さん曰く時間が遅いから迷惑、こんな大人数でかけたら困るだろうと言っていた。そうして、やっと解放され、各々自主練をしてから部屋に戻る。俺は歯磨きをしに洗面所に向かったその帰り。ポケットに入れてたスマホが振動し、画面に表示された名前を見て眉を顰めた。


「……はい」
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」
「!?!?テメェ!!ふざけんなっ!!鼓膜破れんだろ!!」
「……あああ!倉持!?ちょっ、ソラ!こっち来て!!危ない!」
「おい、何やってんだ」


耳に当てて直ぐ。スマホから大音量の奇声が聞こえ耳から離すが、みょうじの発した言葉に眉をピクリと動かす。危ないって何があった?


「助けて、お願い今すぐ家に来て」
「どうした」
「不法侵入された!!キモイやつに家に入られた!!」
「は?ちょっと待て。今すぐ行く。取り敢えず、警察に…………。おい、キモイやつって」
「は?警察!?なんで!!」
「……」
「ねえ!倉持、聞いてるぅうきゃぁぁぁ!!」
「お前、それゴキ「その単語を口に出すな!」……」


コイツも明日絶対ぇシメる。無言のまま通話終了ボタンを思いきり押した。

はぁぁ、みょうじが近くにいるだけでこんな騒がしくなるのか。去年は平和だったと深いため息を吐いた。


「いや、去年も平和ではなかったわ」


みょうじの存在がバレて、先輩に色々聞かれるわ、奥さんと言われるわで大変だった。あいつ電話もしてきてたし。いてもいなくても変わらない。それでもこの騒がしさがなくなったら自分は物足りなくなるのだろうか、と考えることもある。




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