喧嘩の理由

みょうじの性格とふたりの関係から喧嘩はすぐに終わると誰もが思っていた。

しかし、あのばーか発言から一週間。お互い口を聞くことはなかった。


「そろそろ話し合ってみてもいいんでないの?研磨クン」
「……」
「みょうじちゃんも「向こうがもう二度としないって言わない限り話さない」……」

話を遮ってまでそう言う研磨にグッと口を閉じる。「あんな頑固だと思わなかった…」と続けた研磨は眉間に皺を寄せており、今回のことはみょうじちゃんにとっても譲れないことなんだろうと思った。

喧嘩の理由は皆知っている。どちらが悪い悪くないというのは決められず、お互いがお互いを思って起きた衝突に周りが仲裁に入ることは難しく。どちらの言い分も分かるが、どちらかといえば、男は研磨寄りの意見だと思う。





喧嘩の原因は先週の日曜まで遡る。

その日、部活を終えたふたりはゲームセンターにやって来た。どうやらみょうじがどうしても欲しいクリーンゲームのぬいぐるみが、いくらかけても取れないらしい。それを研磨に伝えたら取ってくれると、ついでにゲームもすると言って仲良く学校を出て行った。

数日前から、ひとりでここに通っていたみょうじは目当てのものの場所へと迷うことなく進んでいく。辿り着き、元気よく「これですっ!」と指差すぬいぐるみを見て研磨は一瞬顔を歪めた。その理由を意地でも言いたくなさそうで。それを気づいてかは分からないが、満面の笑みを浮かべてみょうじは言った。

「この黒猫、黒尾先輩に似てない?」
「……うん、まあ」

そう。数日間このゲーセンに通い、取りたかったものは黒尾鉄朗に似た猫のぬいぐるみ。ぬいぐるみなのにニヤけているような目は見てるだけで苛立たせる。これは俗にいう、ブサカワというやつなのだろうか。静かに数秒そのぬいぐるみを見つめる研磨は、これなら取れそうと言ってお金を入れた。

「…え、…え、え!?」

一発。操作し終わった時「失敗した…」と呟いたが、対象のものをきちんと持ち上げ下に落ちることなく、取ることができた。

「すごいすごいすごい!!!ありがとう孤爪くん!」
「たまたまアームが強かったから取れた」

クレーンゲームには何回かに一回アームが強くなる時があるらしい。本当は違う方法で取ろうとした研磨は少し悔しそうで。まあ、いいかとその場を離れようとした時、ひとりの男に呼び止められた。

「おいおいおいおい。お前ら何してんの」
「……」
「?」

嫌な顔をして振り返る研磨と首を傾げるみょうじ。そこには体格の良い男と女がいて、そのふたり…カップルはどうやらずっとこのぬいぐるみを取るため、たくさんのお金を注ぎ込んでいたらしい。両替えをしにいっていた数秒の間に、自分たちが頑張って取ろうとしてたものを確率でたまたま手に入れたみょうじ達に怒鳴りつけた。

研磨は面倒だから渡した方が良いと思い、みょうじも悪いことしたな、取ってくれた本人が良いならと渡そうとするが、そんなのは向こうのプライドが許さず、ぬいぐるみではなくここにかけたお金を寄越せと言ってくる。それも1万円。研磨は内心、そんなにかけて取れなかったのかと驚きを頑張って隠したが、隣で「わ、私と一緒…」なんて何故か共感し涙ぐむ親友(仮)に頑張っても驚きを隠せなかった。

まだ機嫌の悪い男と何も言わずに見ている女。異変に気付いた店員が駆けつけ騒ぎにはならず、この後ゲームをしようとしていたみょうじ達は遊ぶことなくそのまま室内を出た。


しかし、歩いて数分。ゲーセンから出る間際、トイレに寄ったみょうじはそこにお財布を忘れてしまったことを思い出した。急いで取りに行くから、と研磨を入り口で待たせて室内に駆け込む。先程の出来事もあり、少し不安げに独特な走り方をするみょうじの後ろ姿を眺めながら、すぐ戻ってくるだろうとスマホを開いた。
しかし、なかなかみょうじは戻って来なく、顔を歪ませ、足早に中へと入っていった。




「あった…!」

良かった、置いてあって。危ない危ない!!早く孤爪くんの元へ戻らなければ!!親友(仮)を待たせるなんて何事だっ!
鞄にお財布をしまい、取ってもらったぬいぐるみを抱えて走る。

「あ、てめぇ」

トイレから出て直ぐ。さっきの男女にばったり遭遇。取ってしまった気まずさから、どうしていいか分からず、頭を下げて横を通り過ぎた。

「あんなの彼氏にするとか見る目ねぇな、お前」
「…え?」

突然言われたことに驚いて振り返る。背中を向けたまま発したその人はゆっくり体をこっちに向けて馬鹿にするように目を細めた。

そして、言った。「ゴミみてぇな、なりして。気色悪りぃ」と。


「それは孤爪くんのことですか」

心の奥底から黒い感情が込み上げてきて、自分でも驚く程低い声が出た。「コズメ?あーあいつの名前か」どうでもいいわーとゲラゲラ笑う男に、爪が手のひらに食い込むくらい力強く握る。その後も、孤爪くんのことを悪く言う目の前の人物にカッとなる。

「撤回してください!今の!」
「は?」

男の人の腕を掴んで撤回してと叫ぶ。隣の女の人が「ちょ、なにこの女」と初めて言葉を発したが、そんなのはどうでもいい。

「孤爪くんの!私の大事な友達のこと悪く言わないでください!!」

嫌だ。見知らぬ人でも、自分の好きな…大事な人を悪く言われるのは。孤爪くんのこと何も知らないくせに、自分の都合で簡単に人を悪く言う。このぬいぐるみを取ったことに悪く言うのはいいけど、孤爪くん自身をそんなふうに言うのは違う。その場の感情で言ってしまったことだとしても、私は許せない。泣くくらい許せないんだ。

「孤爪くんはゴミじゃないもん!ちゃんとお風呂入ってるしいい匂いもするっ!気色悪くなんかない!たまに血色悪くはなるけど、気色悪くなんないもん!それに、孤爪くんは…っ!?」
「うっぜぇぇなぁあ!」
「!!」

掴んだ腕を振り払われて、後ろへ倒れかかる。その瞬間に男の人が拳を作って、それが顔面目掛けてくるのがスローモーションで視界に入る。もしかして、殴られる…?恐怖からギュッと目を瞑るが、痛みはこない。代わりに後ろから抱きしめられるようにして、勢いよく引っ張られた。

「なにしてんの」

背後から耳に入った聞き慣れた声に肩をビクつかせた。聞き慣れた声だけど、いつもより何倍も低い。なにしてんの、はどっちに向けて言ったことなのかが分からなくて、それを確認するため振り返ろうとした時、さっきと同様にお店の人が駆け付けてきた。

行こう。そう言って、手首を握られ強制的に歩かせられる。いつもは歩幅を合わせてくれるけど、今はそうしてくれず早歩きをするから小走りになってしまう。

外に出て少し歩いたところで声をかけた。

「孤爪く「なにやってんの」…」
「なんで突っかかってんの。あんなの放っとけばいいじゃん。なにしてんの、馬鹿なの」
「き、聞いてたの…?」
「なかなか戻ってこないし、様子見に来れば訳わかんないこと騒いでるし。どうせ俺のこと何か言われたんでしょ。いいよ、言わせとけば。ただの八つ当たりだし、関わることのない人達だから」
「それでも私は嫌だ!孤爪くんが悪く言われのなんて」
「そうでも八つ当たりなんだから無視して。殴られそうに「嫌だ!!絶対いや!」…」

孤爪くんの話を遮って大声を出すと、突然足を止めた背中に顔から突っ込みウブァッと声を出してしまった。ただならぬオーラを纏い、そして振り返った親友(仮)の顔は見たことないくらい恐ろしい顔をしていて。

「殴られるとこだったんだよ!わかってんの!?」
「わ、わかってる。けど、私は殴られるよりも大切な人が悪く言われる方が嫌だ!」

声を荒げた親友(仮)に私もそれ以上に大きな声を出した。シンッと沈黙が流れる中、孤爪くんが口を開く。

「みょうじはさ…優しいから、本気であの人が殴ってくるなんて思わないんだよ」
「……」
「殴ってくるんだよ、本気で。病院に運ばれるかもしれないし、運が悪くてどこかにぶつかって死ぬ可能性だってあるんだ」
「……じゃあ、強くなる」

殴られないように。喧嘩強くなる。そう言うとため息を吐かれ、孤爪くんの逸らされた視線が私を捉えた。

「……そういうとこ、嫌い」

手を離されて、スタスタ歩き出した孤爪くんの向かう先は私の家の方向。送ってくれるんだ、という気持ちよりも"嫌い"の言葉に動けずにいた。


なんとか足を動かして後ろをついていく。じゃあ、といつも交わす挨拶はなくて、無言のまま駅へと向かう孤爪くんの後ろ姿を見て、手に持っていたぬいぐるみをギュッと握りしめた。

孤爪くんが言うことは納得できる。出来るんだけど。

「次、同じことあっても無視できない」

ぼそり。親友(仮)の後ろ姿を見つめて、思ったことがそのまま口から出てしまった。聞こえたのか一度足を止めて、直ぐ歩き出した孤爪くんを見て、黒尾先輩に似たぬいぐるみを力一杯抱きしめた。