親友(仮)との出会い

喧嘩の原因を思い出していたのか、顔を歪ませて、ため息を吐く研磨は多分仲直りしたい気持ちと、みょうじちゃんに理解してほしい両方の思いがあるのだろうと電車に揺られながら考える。

朝練の時間。あまり人が乗っていないこの電車に乗るのはいつものこと。しかし、いつも隣でゲームをしている幼馴染は眉間に皺を寄せて、ただ前を向いているだけなのは珍しい。喧嘩をして、始めの頃は苛立ちをぶつけるかのように、ゲームをやりまくっていたが、一週間も経つとこの状態。

「……前からああなんだ」

突然、ボソリと呟いた研磨に視線だけを動かし、次の言葉を待つ。

「人のことばかりで自分のことは二の次。あんなの…優しさなんかじゃない」

ムカつく…。眉間の皺を深めそう言った後、また考え込むように黙り込んだ。






入学して間もない時期。各々、仲の良いグループができる中、中学と同様ひとりゲームをやりクラスに馴染めない、というより馴染まない人物がいた。

人と接しないのに上手くやっている。時間が過ぎれば、ひとりでいることさえ目立たなくなる。そうやって、孤爪研磨は高校でもそんな風に学校生活を送ろうとしていた。


自分から友達とか作れた試しがない。他人は苦手で関わりたくないくせに、周りからの目は凄く気になる。目立たないために神経を尖らせている研磨からすると、みょうじなまえという人間は別世界の住人だった。



関わることは絶対にない。

絶対に関わりたくない…と。



みょうじなまえという女子は、とにかくうるさかった。

うるさいくて、頭が悪く、運動もできない。だけど、友達は多かった。地元だからなのか、中学からの友達がたくさんいて、それ以外にも高校で仲良くなったであろう友達もたくさんいた。誰かひとりと仲が良いわけではなく、全員と仲が良い。頭が悪く馬鹿なのに、人としては馬鹿ではない。
だから、友達が多い。
だから、俺にはあまり話しかけてこなかった。


ゴールデンウィーク明け。入学して初めての席替えで、みょうじさんと隣になった。「よろしくね、孤爪くん!」と満面の笑みでいつもより声のボリュームを抑えて話す彼女に「…よ、よろしく」と目を合わすことなく返す。

休み時間になると、みょうじさんは友達のところに行ったり、自分の机の周りに人が寄ってきたりして話をずっとしている。俺は椅子に座ってゲームをするから会話することはなかった。


だけど一度だけ。急遽、テストを行うことになった数学の時間。たまたま消しゴムを忘れた時、みょうじさんが貸してくれた。2個持っているうちの新しい方じゃなくていつも使ってる方。確か、そのシンプルな新しい消しゴムは彼氏に貰ったとかで、お守りとして持ってるだけだから使いたくない、使ったらなくなっちゃう!と友達に必死に言っていたのを聞いたことがある。
彼氏がいることに驚いたが、なんとなく恋愛しているみょうじさんを容易に想像できた。

気を遣って普段の消しゴムを貸してくれたみたいだが、それでも俺は気まずい。断っても彼氏から貰ったであろう消しゴムを高く上げて「これを使う時が来たんだ!!ドキドキだよ〜」と頬に手を当てるから、お礼を言って使わせてもらった。


それだけだと思っていたが、現代文の時間も話すようになった。といっても、授業内容なんだけど。
この授業は隣の席の人と交互に、ひと段落ごと読み合わせをする。この時、読めない漢字があるとみょうじさんは少し悩んだ後、気まずそうに聞いてくる。

「…す、き…?こ…こう…?」
「……」

今日もある漢字で首を傾げて考え込む。悩んでる漢字は、好々爺こうこうや。今回は分かりそうなのか、いつもより考える時間が長い。そのため、みょうじさんを見つめていた視線を教科書へ戻した。…答え、言っていいかな。読み終わるのが最後になるのだけは避けたい。口を開こうとしたその時、あっ!と顔を明るくさせて俺の目を捉えた。

「好き好きおじいさんっ!!」
「は?」
「これさ、好き好きおじいさんじゃない?漢字的に!モテモテなんだよ〜このおじいさん!」
「……」

でも長くない?3文字でこれ?ま、いっか。好き好きおじいさんで進めるねー!と続きを読み始めたから、思わず吐き出してしまった。

「…ぶふっ」
「え…?」
「こうこうや。善意にあふれた老人って意味だよ」
「善意にあふれた老人と言われるおじいさんが」
「…それ意味。好々爺と言われるおじいさん」
「あ、そ…そうか」

挙動不審になりながら読み始め、なんとか早めに終わらせることができた。最後、「孤爪くん、前から思ってたけどイケメンねっ!」と言って、何故か完璧なウインクと親指を立てて突き出すみょうじさんに少しだけイラッとした。クロがウザい時のそれと同じ。



しかし、その出来事があっても前と距離感は同じで、現代文の時間たまに読み合わせが終わった後に一言意味不明なことを言うくらい。それだけだったから、特に迷惑ではなかった。イラッとはするけど…。

また席替えをして離れたら、関わることはないんだろうと思ってた。


だけど、たまたまみょうじさんの彼氏の写真を見てしまったその日。たまたま、音駒の最寄駅でその彼氏が違う女子と手を繋いで歩いてるのを見てしまった。

写真を見てしまった時、
「ひとつ上の学年でね、高校は違うんだけど中学の先輩なんだ!!1年間片想いして卒業する前に告白したら、俺も好きだって言ってくれたの!好きな人が自分のこと好きって奇跡じゃない?!初めてなんだぁ、好きな人が好きになってくれたの!!学年も高校も違うから、なかなか会えないんだけど、もうすぐ1年と3ヶ月なんだよ!」
と、長々とテンションを上げながら、他にも色々話をしてきたからその彼氏を見た瞬間、直ぐにわかった。


これは、浮気…だよね?言った方がいいのか。本人に…。知ってるのか。そもそもあの手を繋いでいる人とどういう関係かも分からないし。
それに、みょうじさんとは教える関係でもないだろう、と見て見ぬふりをした。


次の日。放課後の部活に向かう途中。木影に隠れて蹲ってるみょうじさんがいた。顔は見れず、その後ろ姿からはいつものような覇気は感じられない。数秒様子を伺っていたら、急に叫び出して立ち上がったため、驚きで体が跳ねた。
驚いてる間に下を俯きながら何かを呟いてこっちに向かってくるみょうじさん。多分、俺のことは気づいてない。そして、ここは人通り少なく、周りには誰もいない。


近づくにつれて何を言っているのか聞き取れる。

「大丈夫、大丈夫。笑顔を忘れない。いつも好きって言ってくれるんだ。大丈夫、お姉さんか親戚の人だよ!これからデートっ!たっのしも……!?孤爪くん!?」
「…」

ぎこちないスキップで、変な体勢で俺の目の前で止まる。笑えてくるポーズに笑うことが出来ないのは、みょうじさんの目が少し赤くなっていたから。あとは、いつもの少しの苛立ちではなく、かなりの苛立ちが湧いて出てきたから。だから、余計なことを言ってしまった。

「分かってるんでしょ、本当は」
「え?」
「彼氏のこと」

そう言うと赤く腫れた目を大きく見開いた。

「え、…あ。孤爪くん、見かけたの?」
「……」
「同じ制服の女の人といた、よね?」
「……」
「あ、へ…変なとこ見せちゃったよね!?ごめんね!」

余計なことを言ってしまった、と冷汗をかいて目を泳がせる。しかし、ごめんねと謝るみょうじさんに眉を潜めた。続いて「勘違いしてると思うんだけど、お姉さんか親戚の人かなぁって!気にしないでね…!」そう言って俺を気遣う彼女に、更に眉を寄せる。どうしてかはわからない。けど、凄く不快に感じた。それはきっと、彼氏のことを話す時のあの笑顔を見たせいだと思う。


「みょうじさんも気づいてんでしょ」
「…」
「本当にそう思ってるの。思いたいだけなんじゃないの」

気づかないはずがないんだ。人が大好きな故に人に対して鋭いこの子が。気づかないはずがない。
普段ならこんなことは言わない。関わりたくないんだ、他人と。だけど、良い人が幸せにならないのは…みょうじさんが幸せにならないのは少し気分が悪い。柄にもなく余計なお世話をしてしまう。こんなことをするのも消しゴムを貸してくれたからだ。そうやって自分に言い訳をした。

気づいてるのに気づかないふりをして、辛いのに近くにいる。そんな作り物みたいな関係でいることに理解が出来なかった。この理解出来ない感情が苛立ちに変わる。
もっと良い人がいる、と無責任な発言をしようとしたところで、みょうじさんが声を上げた。

「…っそんなのっ!とっくの前から知ってるんだよぉ、ばかぁぁ!!」
「!!」

大粒の涙をポロポロ止まることなく流すみょうじさんに、そこで初めて我に返り、焦りながら謝る。でも、なんで知ってるのに一緒にいるの、とますます理解不能だと思った。







それから数日。みょうじさんは何事もなかったように接してきた。最初は驚いたけど、それも慣れた。流石だと感心して。

だけど、彼氏とはまだ続いているらしい。朝、その彼氏と音駒まで一緒に来たと楽しそうに友達と話していた。だからたまにみょうじさん、登校してくるの早いのか。と納得する。朝練中、体育館の横を通る姿を見かけたことがあるから。

まあ、別れようが付き合っていようが、俺には関係ないけど。そう思いながら、スマホを開いてゲームを始めた。


その日は午後から土砂降りの雨で、雷も鳴っていた。部活が終わった後、教室に忘れ物をしたことに気づき雷雨の中、嫌々取りに行った帰り。昇降口の傘立てに何かがあって、その何かが人だと気づいた瞬間、驚きで跳ね上がった。それもよく知った人物。

「みょうじ、さん…?」

呼んでも返事はない。膝を抱えてそこに顔を埋め込み、身を縮こませてるからどんな表情をしているのか分からない。

確か、朝の会話で彼氏が迎えに来てくれるとか言ってた。みょうじさんが傘を持ってきてないと勘違いした友達に、傘を忘れた彼氏に貸したと。だから、帰りは相合い傘をして帰るんだと嬉しそうに話をしていた。この雷雨で相合い傘?って顔が引き攣ったけど、どうせコンビニとかで彼氏が買ってくるだろう。
しかも、帰りに傘が壊れてしまった友達に自分の折りたたみ傘を貸してた。


「…傘予備に持ってる人いるから持ってくる?」
「……」
「…みょうじさん」
「…っは!!…え?あ、孤爪くん!?!?私に声かけてた?!ごめん、ぼけっとしてた!」
「あ。う、うん」
「ごめん!!もう、ボケナスって呼んでください!」
「いや、それはちょっと…」

膝に手を置いて、体を屈ませていたから勢いよく顔を上げたみょうじさんとぶつかりそうになったのを素早く避ける。当たったら絶対痛かった…。

「彼…、人!待ってるから大丈夫だよ!」

待ってるって…。もう部活終わってる時間なんだけど。今日はトレーニングだけだったから早めに終わったけど、それなりに時間は経っている。でも、ここでどうこうする仲ではないし、「そう」とだけ言ってその場を去った。






「…最悪」

小さく呟いた俺にクロは「え、何が?」と首を傾げる。最寄駅。雷雨の中、やっと傘をささない場所まで来たのに、視界に入ったのはみょうじさんの彼氏と前にも一緒にいた女の人。女は傘を持ってなくて、男の手には可愛らしい柄の傘がひとつ。「可愛いね、その傘」「ああ、これ?……妹の」という男に顔が歪む。

「ちょっと、先帰ってて」
「は?…ちょ、おい、研磨!!」


ああ、ムカつく。何で俺、こんな天気の中、傘さして走ってんの。ただのクラスメイトのために。ほんと、ムカつく。何でみょうじは別れようとしないの。感情は顔に出て、さん付けで呼んでた名前も今はもう呼び捨てだ。



「……ねえ」

学校に戻ると、まだ同じ場所で蹲っているみょうじに声をかける。しかし、反応はない。肩を叩こうと手を伸ばした瞬間、光と大きな音が同時に聞こえてきて、雷が落ちたことがわかった。近い…。一度外に目を向けてまた戻すと、そこには耳を塞いで震える姿がそこにある。

「…雷、苦手なの?」
「……」

耳を塞いでいるから聞こえるはずがない。ため息をひとつ吐いて、目線が合うように腰を下ろす。

「ねえ」
「っ!…え、…孤爪くん…?」
「帰ろう」
「え!ちょ、」

腕に触れた瞬間、顔を上げるみょうじはさっきと同じような表情をしていて、それを無視して触れた腕を掴んで立たせる。

「待った待った、孤爪くん!!」
「大丈夫。落ちてこないよ」
「!そ、そうじゃなくて。彼氏待って「来ないよ、女の人といた」…あ、そっか」

視線だけを下に向けて掴んでない方の手で髪を触り、へらりと小さく笑った。

「そっかぁ」
「……」

もう一度頷くように呟く姿はどこか安心したようで。理解出来ず怪訝な顔でジッと見つめてしまった。

「雷に打たれて来れないのかもって心配だったの。良かったぁ、良かったよ」

眉を下げて安堵の表情を見せるみょうじに、「は?」と間抜けな声が出た。

「何言って、…いいのそれ」
「…うん。もう、いいかな。それに、あの人のせいじゃないし」
「……」
「私が好かれる程の女じゃなかったってだけだ!!」

上を向いて口を強く結んで、うんっ!とひとり納得するみょうじを見て、誰かが女は強いって言ってたのを思い出した。俺はただ「…そう」と返すだけ。


そして、直ぐに雷が落ちた音が聞こえる。その瞬間、変な声を出して耳を塞ぎ、その場にしゃがんで震え出すみょうじに、小さく息を吐く。

音が出るゲームを開き、スマホとイヤホンを繋いで、それをみょうじの両耳に持っていく。塞いでる手に触れて、肩をビクつかせたのを無視してそのままイヤホンを預ける。

「ゲーム見る?」
「……うん」



下駄箱に背を預け、イヤホンをつけて真剣に研磨のスマホを覗くみょうじの耳にはもう雷の音は届かなかった。


雷が止み、雨も小降りになってからふたりで昇降口を出る。

「孤爪くん、ありがとうね」
「……別に、何もしてないけど」

ゲームしてただけだし…と照れ臭そうに放つ研磨に、ふふっと笑みを溢すみょうじ。

「なんでこんなにしてくれるの?…あ、違くてね!嫌味とかじゃなくてね!」
「……消しゴム」
「え?」
「消しゴム貸してくれたから」
「っ……ぅ、う、うわぁぁぁぁあああん!!!」
「は?な、なんで…泣いてっ」
「ぅえ、…ひっ、孤爪くん、結婚しよぉぉぉぉ」
「は、何で!?絶対、嫌だ!」



翌日。「孤爪くんっ!親友になりましょう!」と言うみょうじに「そんな簡単に親友とかなれないし」と、関わるなという意味を込めて目を逸らす。じゃあ、これから3年間かけて頑張りますっ!と意気込まれ「え…」と絶望するのであった。







電車を降りて、外に出る。上を向き雲かかった薄暗い空を見て、研磨は顔を顰めた。

「今日って雷?」
「ああ、昼頃から雷雨って言ってたな」
「……」

その予報に、眉間の皺を更に増やして険しくさせてしまった。