(仮)が外れる時

「わぁぁぁぁぁあああ…!」


大声を出してその場にしゃがみ込み、両手で膝を抱えた。本日最後の授業は体育。それも持久走だから徐々に冷え始めてきた気温の中でも私は半袖・半パンでいる。

何故、奇声を上げて身を縮こませているのか。それは、昨日の黒尾先輩とのことを思い出したからで。あの時は雷のせい…というか、おかげ??そうだ!雷さまのお陰で、く、くくく黒尾先輩の腕の中に…腕の中に閉じ込められて。


「きぃゃぁぁぁあ!!」


思い出して顔に熱が集まると共に奇声を上げた。私はなんて大胆なことを…!!きゃあきゃあ奇声を上げる姿に同じクラスの友達が数人、笑いながら声をかけてくれる。優しすぎる!とウキウキ気分になるが、いつもだったら隣で孤爪くんに「うるさい…」とか何とか、ため息と一緒に呆れたように言われるからそれがないのが寂しい…。

もうずっと口をきいていない親友(仮)を盗み見る。男子集団からひとり離れた場所で気怠そうに背を丸めている孤爪くんを穴が開くくらい凝視しても視線が交わることはなかった。


「話し合おう」

体育が終わったら、ちゃんとお話する。昨日、黒尾先輩も言ってくれたじゃないか。話し合ってみな?って。仲直りできる、ふたりは親友って。

それにはまず持久走を頑張らなくては!!拳を握りしめ意気込み、スタートラインに並んだ。

女子は学校の敷地外とグランドを一周。男子は敷地外を二周、グランドを一周で終わり。女子からスタートをしてその数分後に男子が走る。毎年このスタイルで行われ、去年は二周目で私に追いついた孤爪くんがスピードを合わせてくれてふたりで走った記憶は鮮明に覚えている。
当時、私に気を遣わないで!と言ったけど、どうやら「部活で走ってるのに何で体育でも走らなきゃいけないの。歩きたい」らしく、私に合わせている訳ではなく走っても遅いこのスピードが楽らしい。この時期の体育は前半持久走、後半は選択球技。そのため、今日頑張っても次の授業でまた走る。だからか、全力で走る人は数人の運動部くらいなんだ。



「はぁっ、はぁ…」

後ろから何度も抜かされる男子達の背中を見ながら必死に走る。そして、一周目の孤爪くんに抜かされて心臓が跳ね上がったけど、二周目はもしかしたら去年の時と同じように一緒に走ってくれるかもしれない、なんて甘ったれた期待をしてしまった。

あと少しでグランドに入る。マネージャーをしてから前より体力はついたと思ったけど、それほど変わっていなくて遅いまま。少しだけ、ほんの少しだけは速くなった気はする。だって、まだ二週目の孤爪くんに追い抜かされていないし。

あれ…?え…?ここまで来て追いつかれないって変じゃない?あれ?もしかして、どこかで倒れてたり、転んでたり、する?それとも、私の姿を見たくなくて…とか?ってダメダメ!なんて最低なことを考えてしまったんだ!嫌だ、このマイナス思考どっかいって!!孤爪くんにも失礼だよ!!
しかし、グルグル頭には嫌な考えが過ってしまい、つい足を止めて後ろを振り向く。


「!!」

首を動かした瞬間、横を通り過ぎたのはプリン頭の金髪。怠そうにこちらには見向きもしないでグランドへ足を踏み入れた。

「っ待って、孤爪、くん……」

体力的に疲れていたのか、それとも精神的に限界がきていたのかは分からないけど、無意識に名前が口から出てきた。しかし、息が切れて小さい声しか出なく彼には届かない。もしかしたら、届いていても怒っているから振り向かないのかもしれない。さっきよりも大きな声で、孤爪くんと呼んでも立ち止まることなく走り、私達の距離が離れていくだけ。

今残っている全体力を使って私が孤爪くんに近づくしかない。このままなんて絶対に嫌だ。1年生の時と同じく一緒に走りたい。仲直りしたい。今ここですることではないけど、心に余裕のない私は親友(仮)の背中を目掛けて大きく一歩を踏み出した。

「っ、わッッ!ブヘェェェ…」

踏み出したと同時に昨日の雨で乾ききっていない地面に足を滑らせ前から転ぶ。滑りが良く、受け身の手をつけない私は顔面からダイブ。
バッと顔を上げて前を向くと、どんどん離れていく親友(仮)の後ろ姿が目に入る。行かないで…。無視しないで。行っちゃやだ。

泥まみれの顔からはボロボロと涙が溢れ、体を起こし立ち上がった瞬間、また滑って地面にお尻から座り込む。


「…ッ、ご、ごめ、んなさいぃぃぃぃいい…こ、孤爪、くん…ごめんさいぃぃ…私が、悪かったから…私が悪いから…もう、無視し、ないで…!!」


置いていかないでぇぇぇえ…!ヒクヒク喉を鳴らしながら大声で叫んでしまう。目に入りそうになる泥を手で拭いながら、もう一度「行かないで、」と小さく零した。

「仲直り、したいっ…、ごめんな「何してんの」っ!!」
「こ、づめ…くん」

上から数週間ぶりに自分に向けて放たれた言葉に顔を上げた。そこには何の表情もない真顔の孤爪くん。そして数秒黙ってこちらを見た後、プスッと顔を逸らし吹き出した。

「ほんと、何してんの」
「……」

肩を震わせ、眉を下げながら笑い手を差し伸べられる。一瞬戸惑いながらもその手を取ると、土がついているせいでベチャッと音がした。それに、一瞬嫌そうにして「うわ…」と漏らしながらもそのまま手を引いて立たせてくれる。

「孤爪くん…ごめんなさい」
「……別「おーい!!大丈夫か!?」…」

立ち上がり、孤爪くんが何かを言おうとした時、丁度先生が駆け寄って来た。私の泣き喚く姿に只事ではないと判断した先生は「盛大に転んだな。とりあえず、保健室に!!孤爪頼んでもいいか?!」と孤爪くんの肩をガシリと掴む。覇気のない返事をする親友(仮)はゆっくり私を見て「いこう」そう言って掴んだ手をそのまま引いた。

「!!…ちょぅわう!」
「は!?」

今いるここの土は泥濘んでいる。孤爪くんは滑らず歩き出したが、私は三度目の正直。三度目の正直…?二度あるとこは三度ある?の精神でズルっと滑ってしまった。もちろん手を繋いでいる孤爪くんも一緒にバランスを崩してしまうが、流石運動というのか、崩れそうになる体を自身の足で食い止め、ついでに私の体を支える。

が、いきなりだったのと上手く支えきれなかったため、私だけがまた転げてしまう。

「……」
「……痛い」
「はぁぁ………はい」
「?」
「乗って」

深い深いため息を吐いてから掴まれた手が離れ、孤爪くんはこちらに背を向けしゃがむ。乗ってって…。

「おんぶしてくれるってこと?」
「……まあ」
「私、泥だらけだけど」
「知ってる。また転ばれるよりはいい」

背を向けて、そう言う孤爪くんの表情は私からは見えない。だけど、嬉しくて、ついタックルする勢いで背中に飛び乗ると「ねえ!」と怒られてしまった。

「腕緩めて。苦しい」
「わ、ごめん!!」
「耳元で叫ばないで」
「う、うん!」

首に腕を巻きつけ肩の上に顎を乗せると、自然と耳元に顔が近くなる。少しだけ腕を緩めて、「重いよね、ごめんね」と言うと「まあ、人間だからね」なんて返されるのが孤爪くんらしくて、ふふっと笑ってしまう。そしたら今度は、擽ったいって不機嫌そうに吐き捨てられた。





「すげぇ大泣き」
「はは」

移動教室での授業。その窓からグランドはよく見える。授業内容が早めに終わった3の5組のふたりはみょうじが転んだ瞬間からずっと眺めていた。夜久は、大泣きとケラケラ笑ってから、仲直りしたか?なんて黒尾に聞く。

「んー?どうだかねぇ」

窓縁に頬杖をついて眺めながら放つ黒尾の顔はまるで保護者のようで。夜久はその態度に少し違和感を覚える。

「なんだ、研磨には妬かねぇんだ」
「?」
「まあ、あのふたりは何もないと思うけど。男女の間に友情は成立しねぇって女子が言ってた」
「やめてください」

俺、研磨に勝てる気しねぇから。そう続ける黒尾に夜久はピクリと眉を動かす。

「思ってもねぇことを」
「お、やっくん。よく分かってんね」
「あ?」
「今の研磨には負ける気しないけど、もし男女の友情が成立しないというなら自信ねぇなあ」
「……」

研磨がもしみょうじのことを恋愛的な意味で好きになったとしたら俺は負ける。それを言葉にしなくても夜久はちゃんと感じ取って難しい顔をした。そして、内心研磨に負ける、ではなくお前が身を引くんだろどうせ…なんて思っていることに黒尾は気づくわけがない。

「っだ!?なに!?」
「うぜぇ」
「は!?」

得意の回し蹴りをくらい、やられた場所を摩る黒尾は少し困ったように笑った後「とか言って、負ける気はねぇんスけど」と言う姿に疑いの目を向けた。







「ねえねえ!!孤爪くん!!私、ほとんど怪我してない!!凄くない?凄くない!?」
「別に凄くも何ともないんだけど。逆に泥濘んでて良かったんじゃない?」
「確かに!!ありがとう!土!!」

そもそも泥濘んでなければ転ぶことはなかった、と思う研磨だが口には出さない。保健室にて、泥だらけの体を洗い拭き取って着替えを終えたみょうじは機嫌良くカーテンの中から出てきた。
そして、研磨の前におずおずとやって来てゆっくり口を開く。

「あ、あの…ごめんなさい」
「……うん。俺も、ごめん」

でもこれからはああいうことしないで。視線を逸らさずただこちらを真っ直ぐ見つめる孤爪くんに私は横を向いてしまった。沈黙が続く中、顔を向き直して親友(仮)の目を見つめ返事と共に首を縦に振る。すると、上から小さくため息を吐かれてしまった。

「言うならひとりじゃない時にして」
「!」
「本当は言ってほしくないけど」
「う、うん」
「みょうじが俺のこと知ってればそれで良いって思うし」

そこまで言って今度は孤爪くんが視線を横に動かした。


「みょうじは俺の親友なんでしょ」


小さく、とても小さく発した言葉はちゃんと私の耳に届いて。早く戻るよ、とスタスタここから出て行こうとする孤爪くんにただ固まることしか出来なかった。

……え?

え?…え?

今、なんて言った?……親友?しんゆう…?シンユウ…

親友!?!?



「孤爪くん!?今、親友っ「うるさい黙って」親友って言った!?」
「……」
「あ、もしかして後ろに(仮)ってついてる?」

しつこく背後から顔を覗き込む私に孤爪くんは立ち止まる。

「ついてないから。二度とああいうことしないで」
「うん!」

こうやって研磨の策略に乗せられていることにみょうじは気づきもしない。しかし、「ひとりの時に言わないように気をつけるね」と付け加えることに対し、不機嫌そうに顔を顰めた。全て言い包められると思った研磨だが、やっぱりみょうじの中では譲れないことだったのだろう。





保健室を出て教室へ戻る途中。ふたりが仲良く?歩く姿を見かけた黒尾と夜久は軽く安堵の息を吐いた。

「まさかふたりで仲良くゲーセン行った日に初めて喧嘩するとは思わなかったわ」
「みょうじずっと喚いてたもんな、ぬいぐるみが取れないっつって」
「はは、そんな取りたかったぬいぐるみってどんなやつなんだよ」
「は?お前知らねぇの?」
「え?」
「黒尾そっくりな猫のぬいぐるみ」
「え」
「そーだそーだ、この一件。全部お前のせいなんだわ」
「……」

責任取れよ、と言われ「今更どうしろと!?」と声を荒げた後、色んな感情で複雑になり緩んでしまう口元を隠すためそこを手で覆った。