もう一回がない試合

10月。代表決定戦前、最後の東京合宿。


「……どうしたんです?あのふたり」

っていうか、みょうじ。そう続けて、みょうじと研磨を見つめる赤葦は事情を知っているであろう彼らの主将に質問する。

「昨日まで喧嘩してたんだよ」
「え、喧嘩?」
「一週間ちょっとくらい口聞いてなくてさ。で、昨日仲直りしたばっか」
「ああ、だからあんなに…」

ベッタリなんですね。の言葉は口に出さず飲み込んだ。納得したように頷き、見つめる先は今日一日研磨から離れなかったみょうじの姿。もちろんマネージャーの仕事はきちんと行うが、自由な時間…今までだったら他校の人に話しかけに行くところを今日はそれがなく、ずっと研磨から離れなかった。
みょうじが近くにいることに研磨自身もあまり気にしておらず、逆に自分から話しかけに行っているようにも見える。練習が終わった今もみょうじは親友に声をかけてから体育館を出て行った。

その様子を見てから一度視線だけを黒尾に移した赤葦は直ぐに出口へ駆けていく彼女へ戻す。

「いつも」
「?」
「あんな感じなんですか?」

音駒メンバーはふたりの狂った距離感に1ミリも動揺していないことから普段からあんな感じなのかと疑問に思う。赤葦だけでなく、他校の部員達は全員同じことを思っているだろう。木兎なんかはきょとんとした後「あ!あのふたり付き合い出したの!?」なんてドヤ顔を決めて大声で放っていた。今までの合宿では研磨よりも他の人といることが多かったから。

「まあ、あんな感じだな。喧嘩してたからいつもよりはベッタリだけど」
「……」

眉を下げてへらりと笑う黒尾からは嫉妬の色は見えない。それに不思議に思った赤葦は首を動かして隣を凝視し、つい心のまま聞いてしまった。

「嫌じゃないんですか?」

たとえ信頼している幼なじみでも、お互いが友達以上の感情を持たないと知っていても、みょうじが自分に好意があることを知っていても、好きな子が違う男とあの距離で仲良くされるのはあまりいい気がしない、と思うから。
けれど、このふたりのような関係だったらそういう考えにはならないのかもしれないとも思う。


瞬きを数回した後、質問の意味を理解した黒尾は口角を少しだけ上げた。

「研磨がこんなに仲良くする子、初めて見るんだよね」
「…」
「みょうじちゃんと一緒にいるようになってから学校楽しそうだし。みょうじちゃんも同じように俺には見えて。だから、ふたりがこれからも仲良しでいることが、…ボクは嬉しいのデス」
「なに照れてるんですか」
「そこはツッコまないでくれるかなあ!?」

途中からすげぇ恥ずかしくなったんですけど!?と続ける黒尾に対し、いつの日か研磨が言っていた「クロとみょうじのことは嫌いじゃないから。そんなふたりがいい感じになればいいと思う」の言葉を思い出し、この幼なじみの関係性に目を伏せて小さく笑みを溢した。







体育館を出て直ぐに忘れ物をしたことに気づき踵を返す。中に入り目当てのものを手に取った時、視界に入ったのは親友と天使の姿。ここからでも話の内容は十分に届いた。

「翔陽達と練習じゃない試合やってみたいかもって」
「え!!」
「負けたら」


即ゲームオーバーの試合

翔陽くん側にいる私から孤爪くんの顔はしっかり確認できた。私の瞳に映ったのは親友がゲーム画面に向けるものと同じ、初めて挑むラスボスに見せる期待の目。わくわく顔。

「…やろう。"もう一回"が無い試合」

ただ、日向翔陽という人間と次が無い戦いをしたい。翔陽くんの返答に満足気に口元を緩めた孤爪くんはなんだか嬉しそうで。それに私も何故か嬉しくて、小さく声で笑いながら体育館を出た。





「だって俺は今ツッキーに圧勝中だから、ツッキーがウシワカに圧勝したら俺はウシワカに圧圧勝じゃん!!」

外の廊下。走った先には木兎さん、赤葦くん、ツッキーがいて。腰に手を当てて自慢げに話す木兎さんにふたりは「スミマセン。ちょっと意味が」なんて返していた。

「お!!みょうじちゃんじゃん!!みょうじちゃんもそう思うよな!!」
「?…はいっ!!!!」
「だろ!だろだろ!!」
「わわ、」

私の返答に木兎さんは歯を見せて笑い、頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。硬い大きな手で他の人より激しく力を込めて撫でる木兎さんはまるでお兄さんみたいで、心がほわほわする。途中から話を聞いたため、何も分からないまま元気に返事をしてしまった私に赤葦くんは「ごめんね。無理に返事しなくていいから」と小声で言う。

「そしたら俺最強ーッ!!」

続けて、わははははは!!と豪快に笑い、赤葦くんはその半歩後ろ歩く。ツッキーの隣に並んでふたりを見送った後、横を見上げた。

「必殺技かましてきてね!!」
「……そんなものないですけど」
「あ、新技!新技だ!!ツッキーの必殺技はあれだけじゃないものね!」
「……」

赤葦くんと合わせていた一人時間差。自分のチームメイトには教えてなさそうだし、皆びっくりしたりするのかな。私達は宮城に行けないけど、こうやって一緒に練習をして練習試合をして、それがお互いの力になって各場所で発揮される。自主練で黒尾先輩達と練習しながら身につけた新技。戦う場所が違くても、学校は違くても、一緒に戦っているみたいで。全て繋がっているような気がして自然と心が弾んでしまう。


「いいなあ」

無意識に溢してしまった思いにツッキーは怪訝そうな顔をしてこちらを見る。
「いいなあ」の次に続く、私も皆と一緒に戦いたい。これは言葉には出さず、代わりに「黒尾先輩のこと、師匠って呼んでみてもいいかな!?」と聞く。そして、質問を受けたツッキーは数秒黙った後、前を向き直した。

「そういう関係になりたい訳じゃないでしょう」
「!」

確かにそうだ。私は黒尾先輩とそういう関係になりたい訳ではない。だけど、だけど!黒尾なまえにはなりたいし、ツッキーのような関係も羨ましいと思ってしまう。こんな考えはわがままだ。わがまま女が黒尾先輩に想いを寄せちゃダメだ!そうだ、ダメなんだ!

「い、今の忘れて!!欲張り、過ぎたっ!!」
「……」
「私はなんて烏滸がましいことを…!」

前だったら黒尾先輩とお話しできただけでも、1日に1回姿を見ることができただけで幸せだったのに、先輩の関わるもの全てに羨ましいと、私も関わりたいと思ってしまうなんて。初心を忘れていた頭に叩き込むように掌でガンガン音を立て額を叩くと、上から「ふっ」と小さく声が耳に届いた。

「欲張り」

いいと思いますけどね。


目を細め、上から見下ろすその顔は同級生に向ける小馬鹿にしたような表情ではなく、ただ素直に言葉通りの笑みを向けられた。それだけ言って、スタスタ歩いていくツッキーの後ろ姿をじっと見つめ、地面に手と膝をつけて息を吐く。

「…エロかった」

ツッキーのあの表情。ミステリアスな色気を感じ、もう一度エロかったと胸を押さえた。









「龍之介ッ!次は東京体育館でな…!!」
「おう!必ずッ!!」

一番遠い烏野を皆で見送る。各々話をする中、虎と龍之介が拳を交わす直ぐ横にいた。

「ハゥッ!!きょ、今日もお美しい…!!」
「潔子さん、日が経つにつれ美しさを増す」

拳を交わしながら視界に入った潔子さんにふたりは忙しく動く。いや、日毎ではなく時間、秒単位で美しさを…!と続けて言う龍之介に同感する。確かに秒毎、一歩歩く度に美しさのレベルを上げているみたいな感じだ。
虎が眩しくて直視できないと腕で視界を覆いながら、ふらふらと少し離れていく。龍之介と潔子さん。交互に見つめ、何も考えず声に出してしまった。

「龍之介と潔子さん、お似合い!」
「……え?」
「わ、ごめん!!」

声に出てた!!しまったと口元を両手で覆い、謝罪する。

「いや、あの…潔子さんと…え、誰?」
「龍之介!!」
「……」

言ってしまったものは仕方ない。開き直って声を張って名前を叫ぶと、目を丸くした龍之介は涙目になり握手を求めてきた。

「そ、そんなッ…こと言ってくれる奴は、お前だけだ…!ぐすっ…」
「えっ!そうなの?!」
「それだけで、俺はっ、俺は救われる!!!!!」

今度は握っていない方の手で握手を求めてきて、腕をクロスさせた状態で握手をする。本当に涙ぐんで上を向く龍之介に頬が緩んでしまった。




「また変なことやってんな」
「……」

独特の握手を交わすみょうじ達を見つめる幼なじみ組。研磨はその光景をいつもより呆れたように遠い目で眺めてしまうのは(仮)を外してしまった後悔からだろうか。

晴れて親友になれたあの日。みょうじの隠しきれない異常な喜びのオーラに全員が何かあったと悟った。ただ、仲直りしただけではないと。そして、(仮)が外れたことを皆が知るとまるで付き合い出したかのようにお祝いされたことに研磨は不機嫌になったのだ。


「言っておくけど、俺がみょうじに恋愛感情として好きになることは死んでもないから」
「……」

そんなことは知っていると思うけど、気にしていないかもしれないけど一応伝える。みょうじと仲直りしてから普段より常に一緒にいたから研磨自身も少しは気にしていた。

「みょうじも俺のことを好きには絶対にならないから」
「……」
「そもそも惚れやすい人がこんなに一緒にいて好きにならないでずっと親友になりたいって言い続けたってことはそういうことだからね」
「……」
「ていうか、早く自分のものにしないと誰かに横取りされるよ。余裕ぶってると」
「……」

一度、吐き出してしまうと止まらなく心に思っていたことがつらつら外に出てくる。なんとなく黒尾本人が部活を引退するまで主将として役目を果たすまで、みょうじとどうこうなろうと考えていないことは予想していた。それが本当かは分からないけれど、洞察力が優れている研磨が長年一緒にいる幼なじみのことを分からない筈がない。

みょうじのことも知っているつもりではいるけれど、女の恋愛心についてよく知らない研磨はいつか、もしかしたら黒尾ではなく違う男を好きになるのではないか。みょうじの性格から振られない限り諦めはしないけれど、それも確信はない。

これからもずっと、ふたりが想い合って一緒にいてくれたらという願いが当事者達よりも自身を焦り立たせる。こんなの柄じゃないし、お節介を焼いているようで自分が気持ち悪いと余計に研磨を苛立たせた。