準備がとっても楽しい

都立音駒高等学校の文化祭は有名であり、人気である。そして、毎年たくさんの人が訪れ賑わう行事。

今年も各クラス、全校生徒がこのイベントに力を入れており、明日が本番ということで更に皆の士気は高まっている。


しかし、そんな中ひとりだけ、誰よりも気合いを入れていそうな人物が教室の隅に固まり呆然と立っている。その姿を不思議がったクラスメイトに声をかけられ、その人物…みょうじは意識を取り戻し自分の作業を再開した。


ハロウィンカフェ

これが2年3組の今年の出し物。ハロウィンの日ではないが、10月ということでハロウィンっぽい格好をして接客する。内装もそれに似た雰囲気にするため、みょうじは板にペンキで色を塗る作業をしていた。


「っは!!」
「うわ…」

孤爪くんと板を挟んで向き合う形でペタペタ色を塗っていたら、突然耳鳴りがして声を上げてしまった。下を向いていた顔を急に起こしたのと私の声に驚き、更に反動でペンキが孤爪くんの傍まで飛んだことに親友は不機嫌そうに眉を顰める。

「なに」
「ううん!何でもない!!」
「……」

首をブンブン横に振り、同時に筆も動いてそこからペンキが垂れそうになる。そのことを注意され、大人しく作業に戻った。

先日、黒尾先輩のあの顔を見てから少し気持ちが沈んでしまっている。本人から何か言われた訳じゃないし、私の勝手な推察なだけでこんな落ちるなんて自分らしくなくて混乱する。今までは本人に何かを言われない限り前へ進め精神だったのに黒尾先輩相手だとそれが出来ないことに驚いた。
これからとても大事な大会があるのに、こんな気持ちでマネージャーの仕事が出来るのだろうか。主将として接すると決めていてもどうしても上手に出来ない。顔に出ていないか凄く心配で。きっと孤爪くんには気づかれているかもしれない。


「あ!」
「?」
「え!?」
「……」

ぐるぐる脳内で難しいことを考えていたら急に耳鳴りが止んだ。驚き、先程と同じように孤爪くんを見ると無表情の彼がこちらを見る。キョロキョロ、周りを見渡しあることに気が付き、ねえねえと声をかけた。最近私の様子が可笑しいと感じていたのか、孤爪くんは今度は真剣な面持ちをして耳を傾けてくれる。

「あのさ」
「うん」
「さっきまで耳鳴りしてたんだけど」
「うん」
「耳鳴りじゃなくて、ただの掃除機の音だった!!」

なんか可笑しいと思ったんだよねぇ。へへ、恥ずかしいなぁと後頭部を掻いたら、冷たい目を向けられひとつため息を溢す孤爪くん。

「なんか……」
「うん?」
「いや、なんでもない」

何かを聞こうとした孤爪くんは、何でもないと視線を外しペンキで色を塗り始める。多分、なにかあったの、と聞いてくれようとしたのだろう。心に閉まっている思いを口に出したら絶対に泣いてしまう。だから、聞かないでくれる親友に甘えて気づかないふりをして何も言わない私は卑怯な人間だ。



ふたりでペタペタ色を塗り静かな空間が流れた時、担任の先生の日直を呼ぶ声が教室に響いた。
今日の日直は私でもうひとりの男子は外で違う仕事をしている。先生の元へ駆けていくと、あるクラスに荷物を届けて欲しいという頼みだった。クラス名を聞いた時、ごくりと唾を飲んだのは黒尾先輩の教室だったからで。

タイミングが良いのか、悪いのか。いや、悪いでしょう!!でも、日直だから誰かに頼むわけにはいかないし、行くのが気まずい理由が個人的なことだから余計にお願い出来るわけがない!!



部活中も学校でも、先輩の前では普通に出来ている気がする。だから今回も大丈夫!!気負うことなんて何もない!と自分に言い聞かせて先輩の教室までやって来た。

「あれ?…誰もいない」

いざ来てみると教室には誰もいない。文化祭の準備をしている物も何もないのだ。これはもしかして。

「神隠し…!?」

なんて口を押さえるが、そんなことあるわけない。日々私も成長をしている。きちんと現状を整理して黒尾先輩の居場所を突き止める…って違う違う!!今は先輩に用があったんじゃなくて、この手に持っている荷物をこの教室に届けに来ただけ。教卓に置いて帰ればいいだけなんだ。

ふぅ…。危ない危ない。こうやっていつも黒尾先輩脳になってしまうと額を拭った。


「みょうじちゃん?」
「っはい!!!」

すると、急に背後から大好きな声。振り返らず、反射的に返事をする。く、黒尾先輩だ。まさか本当に会えるとは思わなかった。先輩のことを無意識に探していたけど、それは一方的に眺めたいだけで先輩の視界に入りたいわけではなく。だって、気まずいもん。普通にしたいのに普通に出来ないというか…私ひとり勝手に気まずくなっている。このことを黒尾先輩に気づかれたくないのだ。

「どうした?」

勝手だな、わがままだなと自己嫌悪に追われ、マイナス思考になる自分に更に下を向いてしまう。教卓に荷物を置いて、そこに肘から下の腕を乗せていると黒尾先輩が頭上から私の手元を見る。どうした?と聞いた後、荷物を届けに来たのね、なんて言って頭に手を乗せられるから顔に熱が籠る。しかも、その手はずっとそこにあって離れてくれない。

「うお、」
「……」
「…みょうじちゃん?」

このままじゃいけない。そう思ってイケイケな手から離れて距離を取る。そして、教卓を挟んで向き合う形で俯く私に不思議がる先輩。

ゆっくり顔を上げると、ブレザーを脱いでシャツの袖を捲っている格好が目に入る。そうだ、黒尾先輩達のクラスは外で巨大迷路をやると言っていたんだ。だから、教室内には誰もいなかったのかと理解する。

同じクラスには絶対なれない先輩とお互い制服姿で本来なら授業中のこの時間に大好きな人の教室にいる。そんな奇跡的な出来事に私の悩みは飛んで行った。なんて安っぽい脳みそなんだ!しかし、この誰もいない教室、お互い制服姿、そして授業時間。この3点セットがあったらやらないわけにはいかないでしょう。


「やりましょう!!同級生ごっこ!!!」
「え…?」

バンッと教卓を叩き大声を放ち、「お忙しいですか!?」「今はそれほど」「じゃあやりましょう!!」さぁ!やりましょう!なんて先輩の背後に周り背中を押した。

「どこの席ですか?」
「…あそこ」
「あそこですか!!」
「あそこデス」
「きゃぁぁあ、かっこいい!!!!」
「ん?どこが?」

指を差された場所へ背中を押して向かう途中、あそこの席に座って授業を受けている姿を想像し発狂してしまうと、首を少し捻って後ろを向いた黒尾先輩は「ん?」と首を傾げて、どこが?と苦笑する。ぐっ、がっごいい…。

「まず、私が後ろの席パターンから!」
「まず…?後ろの席パターンから…?」

一体何パターンあんの?と喉を鳴らして笑われる。そう言いながらを自分の席に腰を下ろす先輩が私は好きだ。

黒尾先輩の席は真ん中の列の後ろから2番目。私はその後ろに座り大きな背中を見つめ、右手を上げた。

「先生っ!黒尾先輩の背中で前が見えません!!!」
「……じゃあ、交換するかー」
「いいえ!これは黒板を見るなと神様からのお告げなので!私はこの瞬間からっ!先輩のお背中から目を離すことはありません!例え黒板が見えたとしても!決して!!」
「はーい、それは駄目ですねー。ということで、隣に移動してくださーい」

私の急な発言に少し黙った後、前を向きながら先生役もしてくれた。黒板を見ないと言ったら、先輩は後ろを振り向き私の両腕に手を添えて立たせる。そのまま隣の席に移動されてストンと座ったのを確認しては満足そうに目を細めた。

「ううう…黒板が見えてしまう」
「いいことじゃん」
「いいことですけど、いいことではないのです。でも先輩の背中で前が見れない!と死ぬまでにやりたかったことが今日実現できて悔いはありません…!ありがとうございます!」
「ははっ」

机に覆い被さるように頬杖をつき、笑った顔をこちらに向けられて心臓が握り潰されたかのように痛くなる。いつか本当に心臓が止まってしまうのではないか心配になるくらいに。そんな私の体が大変なことになっているなんて知らない黒尾先輩は軽々ととんでもないことを口にした。

「俺はこっちの方がいいな、横向けばすぐ見えるから。みょうじちゃんの顔」
「っ!?」

机についている肘を少しだけこちらに移動させてそのまま私の顔を覗き込むようにして言われ、心臓が本当に危ないと隣に向けていた視線を前に動かし、真面目に授業を受ける姿勢へと変えた。

「なんでそっち向くの」
「黒尾先輩がっ、…かっこいいからですっ!!!!!」

声を荒げてそう言うと先程と同じく短く笑った後、またとんでもないことを発した。

「今は俺、先輩じゃねえけど」
「……」
「同級生なんだろ?だから先輩呼びじゃなくて…名前、呼んで?」

それはもう楽しそうに、にやにや笑うこの人は絶対に面白がっている。そんな先輩も好きなんですけど!!ぐっ、やってやりましょうじゃないか!ええ!!

「言います!呼びます!!こんなことじゃ未来の花嫁失格ですからね!!ええ、そうです!!」
「おっ」
「名前を呼ばせていただきますよ!いいですか!」
「え、名前…?」

いや、名前っつーか先輩取るだけでいいから。苗字呼びで…と何故か焦り出す先輩に気づく余裕が今はない。息を吸い込み、名前を呼ぶため相手の目をじっと見た。
しかし、口は開くが声は出ない。開いた状態の口。そこに空気が入ってくるだけ。不思議に思った先輩は「みょうじちゃん…?」と声をかけ、それに反応した私は意識を取り戻し今度こそ口から大好きな人の名が出た。


「…クロ」


きゃぁぁぁぁぁあ!!!!名前を言ってしまった…!きゃぁぁあ!と両頬に手を添えて首をブンブンと振る。

「え、あの、みょうじちゃん??」
「は、はい!!すみません…!名前を勝手にっ!!」
「いや、俺の名前…」
「?」
「ウン、なんでもありません」
「??」

片手で顔を覆い脱力気味に息を吐く姿に首を傾げる。孤爪くんと同じ呼び方をしてみたかったんだ。同級生だったら、くん呼びでもとても素敵だけど、クロって呼んでみたかったからそれが叶えられて、黒尾先輩とこの同級生ごっこに感謝。でもでも、この呼び方は孤爪くんだけが呼んでいる幼なじみ特権?な気がして私が呼んでしまったことに少しだけ恐れ多いと後悔をした。

この時。先輩が鉄朗呼びをされると思い、焦りと期待をしていたことに私は知る由もない。


「では、次は前の席っ!!」

ガタンっと勢いよく立ち、先輩の前の席に座った。体を左右に揺らしながら「見えますかー?」と声をかけると「ぶはっ、見える見える」の返事をいただく。
後ろから先輩の声が聞こえることが、嬉しくてゆるゆるだらしない表情のまま後ろを振り向いた。

「後ろを振り向けば、先輩が…!?!?」

いるという奇跡。続く言葉は外には出ず、飲み込んだ。さっきから頬杖をついていた肘をそのまま前へとスライドさせ、振り向くと下にある先輩の頭。顔を少しだけ上げて上目遣いでみるその目が普段より幼く見えて、とても可愛い。距離も近く、私だけが息を呑み、先輩はただ逸らさずこちらを射抜くように見つめて動かない。

お互い無言が続き、沈黙を先に破ったのは先輩で。


「ずりぃな、研磨は」


そう言った。

それはどういう意味なのか。私の都合の良い頭はまるで、孤爪くんの席が羨ましいと言っているように感じて。今、座っている私達の席順が普段の孤爪くんと私の席と同じだから。このタイミングでこういうことを言われると勘違いしてしまう。絶対に勘違いだと思うけど、そうでないと嬉しいと思ってしまう図々しい私は前を向き直し、声を大にして聞いた。


「そういうことを!言ってしまわれると!!勘違いしてしまいますからね!!!」

もしかしたら勘違い。いや、絶対に勘違い。多分、先輩は何も考えずに言っただけだと思う。言葉に出して1秒も経たない内に言ってしまったことに対して後悔の文字が頭の中を埋め尽くす。

それなのに後ろから大好きな人のタイプになろうと、大好きな人のためだけに伸ばした髪をその人が優しく指に絡め取り、埋め尽くされていた後悔はどこかに行き何も考えられなくなる。そして、柔らかい声色が耳に届いた。


「俺もみょうじちゃんと同じクラスが良かった」

そしたらもっと一緒に居れるな?なんて今度は軽い口調で言われるからまた後ろを振り返る。そこには前を向く前と同じ体勢で「ん?」と柔らかく目を細める先輩がいて。言葉の意味を理解するより先に口に出してしまった。


「好き、です」


自分でも信じられないくらい小さく、震えた、蚊が鳴くような声。今まで余裕のある態度を取っていた先輩は目と口を開け、掌に乗せていた頬がそこからゆっくり離れ、数回瞬きをする。

その後、緩く口元に弧を描き言った。


「ありがとう」



あ、泣きそう…。

そう思った時にはお礼を言って教室を出ていた。突然のことだったけど、黒尾先輩には泣きそうなことはバレていないと思う。早く誰もいないところへ行きたくて、廊下を走りながら涙がこぼれ落ちないよう必死に目に力を入れる。

否定されたわけじゃない。告白を受け入れてくれるからお礼を言ってくれる。だけど、ありがとうは私にとって断る時のお返事で。嬉しいけど気持ちには応えられない。だから、ありがとうって。

お礼じゃなくて、同じ言葉を返して欲しい。


「好きって言って欲しいっ…」


ありがとうじゃなく好きを。いつからこんな欲張りになったのだろう。

絶対に叶わないことを私はただ涙を流して願う。