猫vs蛇

私はまだこの時、一緒に戦うという意味をあまり理解出来ていなかった。


コートに入る数秒前。夜久先輩はリエーフに言った。

「お前は5点ミスったって10点獲ってくれりゃあいいんだよ!」
「!…夜久さん!」
「あとは相手に獲られなきゃいいハナシだ」

この逞しい男前な台詞に惚れない人間はいないだろう。もちろん私も例外ではなく。

「ぐっ、子供を身籠る」

苦しむように胸を押さえて前屈みになりながら放つ。そんな私の横を通り過ぎる親友は、新しい言い回し…とボソリと吐き捨てる。その後に私の方を振り向いた夜久先輩が早歩きでこちらに来て、額に軽くチョップをかました。

「女子がそんなこと言うんじゃねえ」
「いてっ、」

すみませんでした。額を押さえて謝る私に、よしっ!とだけ言い残しコートへ向かって行く背中をじっと見つめて見送った。



「なんか、雰囲気が…」

試合が始まり中盤に差し掛かるまでコート内の雰囲気は良くない、というか全員が普段のプレーが出来ず空回りしているように見える。虎は焦り、リエーフは苛立っている、そんな感じ。そして、今までのプレーからフェイントを無意識の内に警戒してしまった虎の顔面にボールが直撃した。

「あっ…!」

思わず声を上げてしまい、慌てて口元を手で覆う。直井コーチに頼まれ、急いでアイシングを用意して虎の元へ持って行った。

「目、見える?」
「おう。大したことねぇから大丈夫だ」

心配すんな。そう言って軽く頭を触れられる。私は一体どんな顔をしていたんだろう。こういう時こそマネージャーとして選手を支えなくてはいけないのに。自己嫌悪に襲われている間に笛が鳴り、目元を冷やしていたアイシングを受け取ってコートに戻っていく皆の後ろ姿を見つめた。



タイム明けも雰囲気は変わらないまま、21−19。虎が取ったボールを夜久先輩が繋いだ時だった。

「!!」

ベンチを越えて観客がいるところまで追いかけた夜久先輩は足を引きずって戻って来た。それに気付いたコーチは駆け寄り、その後をすかさず犬岡くんも追う。この状況をただ眺めていることしか出来ない私は、夜久先輩が何とも言い表せない表情で「悪い…!」と言っているのを見てからやっと体が動いた。

冷やすもの!それと救急バッグ!夜久先輩に声をかけている先輩方の言葉に耳を傾けながら、バックを肩に掛け氷を持ってくるため、急いでアリーナから出ようとした。

「俺は…」

が、小さく聞こえた声に後ろを振り返る。この1年怪我も病気も一切やってない、と震えた声で放たれたことに足を止めてしまった。

「なんで今なんだ。なんで…!」
「っ、」

自身の爪が掌に食い込むほど強く握る。涙が出るのを堪えるために。ここで私が泣いていい筈がない、絶対に。早く処置道具を持ってこないと…。




「心配なのは"デカイ方"です」

荷物を取ってきてそれを置いた後、ふたりの横に片膝を立てて座る。処置をしているコーチにそうはっきりと言う夜久先輩は続いて私の方を向き、ニィと歯を見せて笑った。

「だから頼むぞ。マネージャー」
「!…っはい」

頼まれた。私はベンチに戻って音駒のマネージャーとして役目を果たさなくてはならない。私が出来ることはあまりないと思う。だけど、皆と一緒に戦って全国に行って、音駒バレー部が目指しているところにチームの一員として一緒に戦いたい。

正式にマネージャーをやると決意したあの日。
"少しでもこの人達を支えることが出来たら遠い存在と思わなくなるかもしれない。プレーヤーにはなれないけど、皆が目指す場所を近くで見てみたい。"
そんな情けない気持ちだった。支えることが出来たら遠い存在と思わなくなる。いま考えると自分の事しか考えていなくて嫌になる。目指す場所を近くで見たいっていうのも違う。一緒に戦うでしょうっ!!ベンチに戻るまでの間、顔を険しくさせて考え込んでしまった。


「ダイジョウブなんじゃない?」

そして、耳に届いた親友の声。続けられた内容はあまり聞き取れず、一歩進む毎にどういう作戦かがはっきりと聞こえてくる。孤爪くんが言い終わった頃には皆の後ろにいて、初めに聞こえた言葉を思い出してホッと胸を撫で下ろす。

「ダイジョウブ、かぁ〜」

こういう時の孤爪くんの言葉は何よりも安心する。勝負事において安心も、絶対もないけれど、頼もしいというか心強いというかそんな感じ。だから、マイナス寄りになっていた思考がなくなり、緊張が緩んでつい口から漏れてしまった。そんな気の抜けた声を出す私の方を皆がポカンとして一斉に振り向た。

「まっ!?す、すみません…!!大丈夫って、そんな!!すみません!」
「みょうじ、落ち着いて」
「は、いっ!」

試合中にこんなことを言ったら不味いと焦り、慌てると海さまの優しい声色で落ち着くよう促される。深呼吸をして精神を安定させてから口を開いた。


「でも大丈夫ですよね。夜久先輩が一回いないことでそう簡単に護りの音駒は崩れない!ですよね」

何も考えず発してしまった。だけど、さっきの様に謝ろうと思わなかったのは選手達の表情がガラリと変わったからで。何よりここで終わらせたくないという気持ちが図々しくも表に出てしまったのだ。


いつの日か夜久がみょうじに対して言っていた"あいつはたまにああいうことを言う"のああいうことが出てしまった瞬間である。この発言に親友は小さく眉間に皺を寄せる。もちろん悪い意味ではなく。


それから最後。黒尾先輩のバックアタックで1セット目を取り、2セット目。虎にサーブが集中するも丁寧且つ完璧にボールを拾い上げ、強烈なスパイクを決めてエースの背中を見せた。
両チーム20点台に乗り、相手のサービスエースで先制点を取られるが福永くんのコースを狙った長いスパイスで同点。そして、一歩も譲らない点の取り合いをし23-23。バックに回り、指から血を出してしまった黒尾先輩と芝山くんが交換した。

素早く腰を上げ、救急バッグを手に取りウォーミングアップエリアに向かう。テーピングを取り出し数プレーの間に血が出ている指を処置していたら目を見張る様にコートを見つめる先輩に気づき、同じくその方向へと視線を寄せた。

「……あ」

バレー経験のない私でも分かった。ここぞという時、止めようとする強い意志から腕をぶん回してしまうリエーフのブロック。いつも目にしていたそれが今は"止める"ではなく"打たせる"ものに変わっていて。たまたまじゃない。自分の意思でそうさせていた。

リエーフから芝山くんへ。そして、孤爪くんへ繋がり最後はエース…虎のスパイクが相手ブロックを吹き飛ばしギャラリーへとボールが落ちた。

「わわっ!?」

近くにいた黒尾先輩は無言で自身の大きな手を使って私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてから喜びの声を上げてコートに入っていく。周りにいる皆の反応を見てそこで勝ったのだと理解出来た。

「勝っ、た。勝った…!!」
「はいっっっ!!!!」

近くにいた犬岡くんを見上げそう言うと、彼は頷き眩い笑顔で両手をぎゅっと握り拳を作り出す。その片方を自分のふたつの手で覆い、首が取れるんじゃないかという勢いで縦に振った後、整列をするためコートに駆けていく選手達を見送った。

応援をしてくれた方々に挨拶をしてから夜久先輩が来て皆と熱い勝利のハグを交わしたり、リエーフ、犬岡くんの頭を撫でたりしている。その様子を後ろで見ていると、ぱちりと夜久先輩と目が合い、呼ばれている様な気がしてそちらに足を進めた。

「わっ…」
「ありがとな!」
「っはい!!」

大きい1年生達と同じく撫でられ、嬉し涙を溜めて笑う先輩に元気よく返事をした。

自分ではこのチームに何の役にも立っていない様な気がして、このありがとうの言葉を素直に受け取ることに少しだけ後ろめたさを感じてしまう。でも、いつかこの言葉を自分で納得して、素直に受け取ることができるようこれからマネージャーとして努力していくと心に決めた。





「よし、決めたっ!!」
「…どうしたの?」
「!…あ、赤葦くんだ!!お疲れ様」
「お疲れ」

閉会式までの間、いそいそと片付けをしていたら背後から懐かしの声が聞こえてきた。と言っても試合していたけどね!当たり前だけど、やっぱり試合中や戦う前だと話す機会は少ないし、いつもとは違う緊張感もあるから余計懐かしさを感じる。

「あのね、」

誰もいないと思って発した言葉は赤葦くんに聞かれていたらしく。決意したことをそのまま伝えると、赤葦くんは一瞬だけ固まり、直ぐ柔らかく微笑み返し「いいと思う」そう言ってくれた。










大会明けの初に学校。今日は朝練がない。そのため、普段よりゆっくりめの登校。

「あの、お姿は…!」

数メートル先を歩いているのは、内に隠しきれない色気を背中からふんだんに外へ醸し出す黒尾先輩と、ゲームをしているのかその隣を俯き歩く孤爪くん。今、私が出せる最大の全速力でふたりの元へ向かった。


「お、はようございますっ!!」

この距離の全速力で息が切れるとは。私もまだまだだな。息を整えるのに俯いていた顔を上げれば、そこには目を丸くしたふたりがいた。数秒沈黙が流れ、一番に口を開いたのは黒尾先輩。


「みょうじちゃん、髪…」
「はいっ!ばっさりいっちゃいました!!」

黒尾先輩のタイプになるため、ずっと伸ばしてきた髪。それを思いっきり切った。これから音駒のマネージャーとして皆と一緒に戦うための自分なりのケジメだ。