夢と現実

「お〜懐かしいな、ショート」
「うん。似合ってる」
「懐かしいって…夜久さん、みょうじさんと昔からの知り合いなんですか?」
「違ぇ、去年の話だ」
「へー!」

放課後の保健室にて。今日初めて会うバレー部員達は髪を短くした私に気づくと全員が同じように目を丸くさせた。
そして、1年生の頃の私をしている夜久先輩、海さまは似合ってる、と言ってくれて。福永くんや他の1年生達も同様に褒めてくれ、どういうわけか虎は照れ臭そうにして何も発さなかった。確かに虎はこういうことをあまり、というか全然言わない気がする。女の子とも話す姿をあまり見たことはないし。

あとは黒尾先輩。先輩もこの髪に触れてこない。って、私は何を求めているんだ!烏滸がましい!!
だけど、先輩の好みはロングで、ショートにしてしまった私は余計に黒尾先輩との結婚への道が遠ざかってしまったと思う。それに、髪を伸ばしている理由を本人に伝えた時、俺のだから…とかなんとか言われたんだ!なんとかって、なんとかじゃないけどね!覚えてるけどね!!孤爪くんの家で勉強を教えてもらっていた時に…きゃぁぁぁっ!だめだめだめっ!今思い出したら黒尾先輩のこと見れなくなる。

そう思い、慌てるけど今その照れる相手はここにはいない。今日は日直だそうで放課後まで仕事があるから少し遅れてくるらしい。

ふぅ、と深呼吸をして落ち着いたところで、もう一度考える。あれはもしかしたら約束だったのかもしれない。伸ばしたままで、という。いやいや、先輩がそういうこと言うかな!?はっ、それとも髪を切ったことで、もう黒尾先輩のことは好きじゃありませんっていう証明と思われたのでは?いやいやいや、待ちなさいなまえ。好きじゃなくなったところで先輩は困ったりしないでしょう。もはやスッキリするのでは?スッキリ〜!って。わ、何これ、なんだか凄く悲し…


「ねえ、まだ?」
「!!」

このマイナス寄りの思考になっていたのを止めてくれたのは親友で。

「ごめんなさい!マイナスの世界に入り込んでいたっ!」
「……」

掌を合わせごめんの形を取って謝った後、手元にある身長測定機を動かした。部活練習前。どうして体育館ではなく、保健室にいるのかというと春高のパンフレット用に色々と測定しなくてはいけないからだ。

「孤爪くん。もっとピシッと、ピシッとしてください!!」
「……」
「そんな顔してもダメです!どうするの!!誤った身長で覚えられたら」
「覚える人いないでしょ」
「何を言ってるの!自分が思っているよりあなたはイケイケの男なんだからね!!孤爪くんのプレーに惚れた方が身長を見るかもしれない!!それに!試合中、飄々とした姿にたまに見せる雄顔。知っていますか!?それはもう色気が出まくっていて。春高で孤爪くんに心奪われた人がパンフレットを見……おお!」

測定中もいつも通り猫背の親友に小言を言うとウザそうに睨まれ、覚える人がいないという彼に今まで本人に伝えていなかった思いを口に出したら背筋をピンっと張ってくれた。
この一瞬を逃さぬため、素早く記録を取る。そして、残りの1年生達の測定をし、全員が終わったところで扉が音を立てて動いた。

「おっ、まだ間に合う?」
「はい!お疲れ様です、黒尾先輩!!」

遅れてやって来たのはバレー部主将。

「じゃあ、先に行ってますねー!」
「おー」
「はーい!」

身長測定が終わったら次は体育館でスパイク、ブロックの最高到達点を測る。終わった順に保健室を出て行くから、今この部屋には黒尾先輩と私だけ。つまり、保健室にふたり。え、うそ…。私どうしたらいいの?!こんな展開、こんな展開…

「最高じゃないですか!」
「え、何が?」
「夢見てました」
「……」

黒尾先輩とふたりきりin保健室!をね。それが叶った…!記録を取るペンを両手に持ち、神に感謝するように上を向く。

「みょうじちゃん」
「!!」
「っ…!」

しかし、天井しか映っていなかった視界にぬっと先輩のイケメンな顔が現れ、急な眼福に動揺し顎を引き、額を傷つけてはいけないものに勢い良く打つけてしまった。

「すみません…!!大丈夫ですか?!」
「…だいじょぶ、大丈夫」

心配させないためか爽やかに笑い、それよりみょうじちゃんは痛くない?と聞いてきてくれる。こういうところ、ずるいと思う。不意打ちのキュン言動に好きが溢れそうになるのを必死に堪え、そのせいで険しい顔になり口を尖らせ俯く。

「は、泣いて…、ごめん。痛かった?どこ打つけた?」
「……」

大きな体を屈ませて覗き込む姿に、更にぎゅっと口を結ぶ。痛い…のは、額じゃない。心臓だもん…。そう拗ねたように心の中で吐き出すが、外には出さない。

「全然、痛くないですっ!心配をお掛けしてしまい、ごめんなさい。ただ痛いのはここでして!大好きな先輩の顔を至近距離浴びてしまい…!」
「あ、そうデスカ」

片言で返事をしてからシューズを剥ぎ、測定機へ乗った先輩に続いて、踏み台を近くに寄せてその上に立つ。この機器はカーソル部分を掴んで動かさなくてはならない。よって、私よりもうんと高い部員達を測るのには台が必要なのだ。

先輩の頭にカーソルを乗せて首を傾げてしまった。その理由はひとつ。

浮いちゃう…。寝癖で浮いちゃう…!!大会の時、戸美の主将に言われた「いつもその頭だけど身長サバ読んでない?」を思い出す。これじゃあ、本当にサバを読むことになってしまう…!強烈に寝癖のかかった髪をかき分けてあの時の黒尾先輩の言葉通りグッてやって測ろう!

「ちょ、みょうじちゃん!?痛い、痛い…!」
「はっ!?すみません!!ついッ!」
「つい!?え、なんか怒らせるようなことした!?」「いいえ!」

そう。と小さく頷く先輩に今度は少しだけ力を込めて押す。これくらいか。納得してから数値を見ようと頭の上に顔を近づけ確認したところで視線を感じ、その元を辿ると先輩と目が合った。黒目だけをこちらに動かし私を捉えるその瞳は台に乗っているせいでいつもより近い距離にある。逸らさない、というか逸らすことが出来ない私はジッと瞬きひとつせず見つめ、先に逸らしたのは意外にも黒尾先輩の方で。
この空気は仮マネージャーの合宿時に初めて見せたものと同じだった。

「あ、伸びてます。伸びてますよ!!」
「おおー」
「なんとも反応が薄い!!」

どれくらい伸びたのか。m単位で説明すると、みょうじちゃん詳しすぎねえ?とゲラゲラ笑われる。久しぶりに見る笑い方だ。なんだかその笑い方がとても安心する。そして記録を取るため、記録記録〜と口ずさみながら台から降りようとした時、足を滑らせガクンと視界が揺れる。

「!?」
「…あっぶね」

滑り落ちる前。後ろからお腹に手を回され、片手で落ちないよう支えてくれた。焦ったのか、安心したように息を吐きながら溢す言葉は鼓膜を直接揺らす。先輩の口が耳元にあり、久しぶりに聞くこの距離に脳がグラグラしてきた。

「あ、りがとうございま…」
「…みょうじちゃん?」

あれ…?なんか、凄く体が熱い。先輩のエロボイスにやられたから?体も熱いし、目眩もする。そんなに高くないけど、台から落ちそうになったから?どうしよう。力が入らないし、視界も暗くなっていく。あ、まずい。倒れる。先輩の焦った声にも返事が出来ず、そのまま意識が遠ざかった。













「あらっ!わざわざ来てくれたの?ありがとう。研磨くん、クロくん」
「いえ、なまえさんは大丈夫ですか?」
「熱は結構高いけど、明日には回復すると思うわ〜。あの子、遠足とか行くと直ぐ熱出すからねえ。今回も大会に向けて凄く気合入ってたから」

なまえの携帯ね。ありがとう、とお礼を言って研磨からスマホを受け取るみょうじちゃんの母親。
部活終わりに俺達はみょうじちゃんの家へと来ていた。その理由は忘れものを届けに来たのと容体を確認するため。保健室で台から落ちそうになったのを支えた時、体が妙に熱いことに気づき不思議に思った時にはもう遅く、力尽きたように膝から落ちていく姿にギョッとした。しかし、丁度良いことに保健室だったため、そのままベッドに運び、その後先生が親を呼んでくれたのだ。

「良かったらお茶飲んで行く…ってもう遅いわよね。今度また来「…飲んでいく」わっ!嬉しい!」

眉を八の字に下げて残念がる母親に研磨は若干食い気味で飲んでいくと言った。結構いい時間だし、みょうじちゃんも体調悪いんだから、と告げようとする前に「新作のゲームね!」と目を輝かせたのはみょうじちゃんそっくりな人で。言葉を発するため半分開いた口をゆっくり結んだ。…いいか、少しくらい。研磨もソワソワしてるし。


「わ〜、負けたぁー!研磨くん強い!!」
「でも2-1で俺が負けてる」

3人でお茶を飲み少し会話をした後、行われたゲームは凄まじいもので。おっとりしたこの人からは想像も付かない程、操る手先は速く笑顔で攻撃を繰り広げていた。

「あっ、そうだ!飲み物」
「?」

忘れてたわ〜。そう言って呑気に立ち上がった母親は「なまえに飲み物持っていくって言ってたのを忘れてた」と笑顔で放った。それ、大丈夫なの…?

「クロ、行ってきてよ」
「は?」
「あと2戦したいから」

それは色々と不味いだろ。断ろうとする前にさっきと同じくみょうじちゃんの母親に遮られる。

「有難いけど熱を出した子の部屋にクロくんを行かせられないわ。移しちゃったら嫌だもの」
「それは全然大丈夫なんですけど」

そういう意味じゃなくて。違う意味で。

「だって。頼んでもいいんじゃない?それに風邪じゃないんだから大丈夫でしょ」
「おい、研磨」
「そうかな?そうね、さっき部屋は換気したし、マスクもしてもらえれば」
「……」

お願いしてもいい?と頼まれては首を縦に振るしかない。飲み物と不織布マスクを受け取り、みょうじちゃんの部屋に向かうべく階段を登った。
あいつ、どんだけゲームしてぇんだよ。まあ、分からなくもないが。2戦ってことは勝って終わりにするって魂胆だが、それは果たして叶うのかは分からない。平常心を保つため、先ほど行われていたゲームと研磨のことを考える。ああ、クソ。何で今なんだよ。後頭部を乱暴に掻き、部屋のドアノブに手をかけた。

「……」

ガチャリ。扉を開けたそこにはみょうじちゃんらしい部屋があって、ベッドには水枕に冷えピタを貼ってスヤスヤと眠るみょうじちゃんが。起きて直ぐ分かるところに飲み物を置き、早足で部屋を出ようとした時だった。

「黒尾先輩っ!!」
「!?」
「…の匂いがした!」
「……」

声と共に掛け布団の捲れる音が聞こえ振り返ると、目をとろんとさせたみょうじちゃんが上体だけを起き上がらせてこっちを見ていた。

「くろお先輩だぁ〜」
「うん、起きてこなくて大丈夫だから」
「どうして、ここに、いるんです…?」
「ちょっとお見舞いに」

ベッドから降り、ゆらゆらと蹌踉めく足取りでやって来るから心配で支える両手が宙を浮く。触れないが肩から数センチ離れたところで倒れないか掌を体に向ける。

「!」
「これ、夢…ですか」

ポスっと顔から胸へ飛び込み、両手で制服を力無く握るみょうじちゃんは額をグリグリ俺の胸に擦り付け、何往復かすると制服を握り締めたまま上体をこちらに預け、顔だけを上げた。

「くろお、先輩だあ」

もう一度、俺の名前を呼ぶと満足したのかまた額を胸へとくっつけた。上半身を預けられ当たってはいけない柔らかいものが当たり、このままじゃ平常に戻ったみょうじちゃんが気まずいだろうと体を抱えベッドに運ぶため背と膝裏に腕を回す。今度はお姫様抱っこと騒ぐだろうか。そう思ったけど、されるがままで何も発さない。だけど、首に手を回されその力はほんの少し強い気がした。

「あの…」
「ん?」
「私、髪切ったの、先輩のこと好きなのをやめたから、じゃないです…からね」
「…うん」
「ケジメ、です。皆と戦うための」
「そっか」

下にある顔を見つめて頷くと、「へへっ」と嬉しそうにへにゃりと笑うみょうじちゃんに息が詰まった。

そういうとこ。そういうとこなんだよ…!別に髪を切ったから好きなのをやめたとかそういうことじゃなくてだなぁ!!……ああ!もう、クッソ…!
早くここから出よう。みょうじちゃんをベッドにそっと置いて布団を被せてから、「ゆっくり寝てなさい」と額の冷えピタを掌で上から軽く押した。

「ぉわッ」
「いっちゃうの…?」
「っ、」

額から離れる手を取られ、思ってもいなかった行動に驚きバランスを崩してしまい、両肘をみょうじちゃんの顔の傍に立てる。そして、とろんと赤く染まった顔で言われたかと思えば、頬を両手で覆われる。

何でマスクしてるんですか?変なの、なんて可笑しそうに笑われるのに対し何の反応も出来ない。早くここから出ねぇと。やばいんだって。覆われた手を上から掴んで離そうと視線を少しだけ逸らした瞬間、ベッドが若干揺れた。そして、視線を戻すと目の前にはみょうじちゃんの潤んだ瞳。その後、直ぐマスク越しに伝わる熱に思考が止まった。

「は、」

触れたそれが離れて。そして漏れた言葉。固まる俺を見てそうさせた張本人は口元を両手で覆い、声を出して笑う。

「ちゅう、しちゃった」

ふふふ。ともう一度可笑しそうに笑い、恥ずかしがるように布団を顔まで覆ったみょうじちゃんを最後に、その後の記憶がない。









「あぁぁあ!」
「!?」

やっと正気に戻ったのは、研磨と別れる家の近く。ずっと無言だった俺が急に大声を出したことに肩を上げて驚かれた。

「なに、うるさ「なんなの!?あの子なんなの!!!」……」
「どういう教育してんだよ!お前!!」
「俺、教育なんてしてないけど」
「な、はっ!?はぁあ!?」
「当たり前のことに何驚いてんの」
「違え!そうじゃなくて!!!!!」

そうじゃない。みょうじちゃんはさっき何をやった?何をされた?いや、有り得ねえ。絶対有り得ねえ…。夢だ、夢。熱がちょっと移って幻覚を……

「夢じゃねえよ!!」
「は?さっきから何なの、何があったの?」

記憶はねぇが、部屋から出て来た俺の様子は変だったのだろう。今まで何も言わないでいてくれた幼馴染はウザがるように聞いてきた。しかし、その問いに答える余裕は俺にはなく。

「俺は昔からロング派だったよな」
「…知らないけど」
「みょうじちゃんが短くしてから、可愛すぎて見れねぇ…」

いや、長かったのも可愛かったけど。結局、どっちでもいいんだけども!文字通り頭を抱え、その場にしゃがみ込む俺を見て研磨は「答えになってないし、気持ち悪い」と冷たい言葉を吐き捨て家に帰ってしまった。


「ああー…くっそ」

気持ちを抑えるため吐き出した言葉は冷たい風と共に去っていく。