許してくれたのなら

「ぶえっふくしゅーーんっ!!」

鼻の奥がむず痒くなり辺り一体にくしゃみを吐き散ら…さないように必死で口元を手で覆う。

部員達が練習中、誰もいない部室でひとり黙々と掃除をしているのは年末の大掃除を皆に代わってやっているからだ。掃除の時間を少しでも練習のために使って欲しいからね!!掃除くらい自分達ですると言ってくれたけど、折角マネージャーがいるのだからやらせて欲しいと懇願した。


午前中からせっせと始め、マネの仕事をしながら合間を見て掃除をする。そうやって午後、最後の仕上げに取り掛かろうと気合を入れ直した時、視界の端に入ったのは壁に貼られている大きめのポスター。アイドルなのだろうか。そこには水着のような衣装を着た色んなタイプの女の人が色んなポーズをとって写っている。ここに貼っていることは知っていたけど、まじまじと見たことはない。

「…名前、書いてある」

数人いる女の人にそれぞれ部員達の名前が書いてある。これはタイプの人のところに名前を書いたのかな?孤爪くん以外は全員本人の字。親友の名前も書いてあるけど、これは虎の字だろうか。こういうのに参加するイメージはないけど、渋々答えたのだろうと想像すると微笑ましくて口元が緩む。そしてその後、欠かさず好きな人の名前を確認して口を開いた。

「……大きい」

胸が。…胸が大きい…!!そして、柔らかそう!いや、絶対に柔らかい。そして黒髪ロングのとても綺麗な人。以前、孤爪くんに黒尾先輩の隣を歩くのはどんな人か想像して話した"黒髪ロングさらさらヘアで胸が大きくてスタイル良いクールビューティー"そのものだ。
や、やっぱりこういう人が、タイプなのか。下を向き、自分の胸を見つめてから片方ずつそこを手で覆う。

「……なんとも言えない」

なんとも言えない!!何の魅力もない!!こんな胸の人間が黒尾先輩を好きだなんて。烏滸がましすぎる…!……よし、決めた。今日から育乳始めよう。そうしよう。添えた手に軽く力を入れて胸をひと揉みしてみてから、ふとあることを思い出した。

最近、黒尾先輩の様子がおかしい。他の人には普通だけど、私には接し方が今までと違う。前だったら自身のお持ちになっている色気というエロをふんだんに使われて接してくれたのに今はそれを使ってこない。というか、先輩から近づいてもらえない。じゃなくて、避けられてもいる気もする。

この間、練習後にやったクリスマス会。時間があまりなかったから全員でプレゼント交換だけをした。歌を歌いながら回して最後の人が歌い終わった時に手元に持っているプレゼントを貰うというもの。街がクリスマス雰囲気になっている中、「リア充めぇ…」と嘆く虎と「プレゼント交換しましょうよ!」と目をキラキラさせたリエーフの提案から始まったプチクリスマス会だ。

その時も黒尾先輩の様子はおかしかった。広くない部室に集まったため全員の距離が自然と近くなる。あからさまに避けられはしなかったが、目は一度も合わないし、隣に座ろうとした時なんかは上手く避けられて離れた場所に行ってしまったのを今でも鮮明に覚えている。その後は大人しく福永くんと孤爪くんの間に腰を下ろし、何かを感じ取った福永くんがあたりめをくれた。ちなみにあたりめはとても美味しかった。

でも、こんな風に先輩が避けている理由が自分にあることは分かっている。熱を出し、黒尾先輩と孤爪くんがお見舞いに来てくれたあの日の出来事が原因なんだと。


「あああ…!!私はなんてことを…!」

胸に手を当てたまま小さく叫ぶ。全部覚えてるんだ、なにもかも。あの時は本当に夢か現実か分からなくて、何しても許される夢だったらいいな…なんて都合の良い考え方をして起こした行動。だから、お母さんにふたりが来てくれたって聞いた時、あれは現実だったんだと覚醒した頭で気付かされた。

どんなに寛大な心の持ち主、黒尾先輩でも流石に怒るだろう。現に避けられている訳だし。やってしまったあの時だって固まって動けずにいたのは怒りで何も言葉が出てこなかったんだと思う。嫌われた。確実に嫌われちゃったよ。だって、だって…

「ちゅうしちゃったんだよ!マスク越しだけど!!ああ、本当何しちゃってんの!?私は…!どうせするならマスク越しじゃなくて直ですればよかったぁぁぁ!!」

反省のない叫びが出てくる自分が嫌いなる。本心ではあるけど、こんな風に素直に欲を吐き出さないとやっていけない気がして。だって、大好きな人に嫌われたかもしれないんだもん。全部自分が悪いって分かっていても。

「はぁ…」

ついため息が出てしまう。いつも親友に幸せ逃げるよって言ってるのに自分がそれをしちゃうんだ。

「やっぱり嫌だ!幸せが逃げるのは…っすはぁぁ〜…っぐ、ゴホゴホッ」

やっぱり幸せを逃すのが嫌で吐き出したものを取り戻すため吸い込むと、掃除で舞った埃も一緒に口の中に入れてしまい、咳き込む。口元を手で覆い、落ち着いてから吸った幸せがポスターに写るあのアイドルみたいな胸に成長することだったらいいな、とまた自分の胸に手を添えた時、部室の扉が開く音がした。

「!」
「みょうじちゃ……」
「く、くくくく黒尾先輩っ!?」

ポスターに向けていた体を反転し振り返ると、久しぶりに目が合った黒尾先輩がいた。しかし、その目は見開き、驚いた様子でこちらを見つめている。それから、いつもと同じように私から視線を逸らし、自分の荷物が置いてある棚へと足を進めた。何か取りにきたのかな。エナメルバックの中に手を入れてガサゴソ漁る先輩の背中をただ見つめる。

「……休憩しながらやりなね。練習終わったら俺達もやるから」
「は、ハイッ!!」

話しかけてもらえた…!?嬉しさと驚きで、声は裏返り、返事は片言。その場で固まり続けていたら、バックから物を取り終えた先輩が振り返り、こちらに近づいてくる。何も発さず、真顔で、だ。

「え、」
「……」

距離を詰め寄られ止まったかと思えば、両手首を掴まれた。そして、その腕は先輩によって下され、掌をジャージの縫い目に合わせて気を付けの姿勢にさせられる。そこで初めて自分がどんな姿勢でいたのか気付いた。

私、ずっと胸に手を当てたままだった…!

先輩が来た!とか、目が合った!とか、話かけられた!とか、考えてる間ずっと胸を握っていた。だから黒尾先輩は気まずそうに目を逸らして…。ああ…、また私は失態を…!

「お見苦しいところをお見せ「ちょっとみょうじちゃん、待って」…?」
「ここにゴミ、付いてる」

私から少し離れた黒尾先輩に謝ろうとするも言葉を遮られる。自身のまつ毛を指差し、ゴミがついてると言われ私も自分のまつ毛に触れて落とそうとするが、取れたのか取れていないのかよく分からない。

「もうちょっと右」
「あ、こっちですか?」
「…それ左、ね?」
「こっちですか!!」
「そうそう」

右、と言われ左側に手を滑らす私に眉を下げて苦笑いをしながら訂正する黒尾先輩は久しぶりに見るお姿で内心ホッとした。「ね?」なんて言い方が、それはもう優しい声色で心臓がバクバクと跳ね上がっている。先輩から見て右だと思い逆に手を動かしたけど、どうやら私から見ての向きを教えてくれたみたいで、そんな小さなことでも好きが積もっていく。

「取れました?」
「いや、」
「んんん?」
「ちょ、そんな擦ったら痛いでしょーが」

目に入ったら痛いだろうからここで死守したい。そんな思いから目を擦ってゴシゴシ動かしていた手を先輩に止められる。

「取れないですぅぅ…」
「一回、目ぇ瞑って」
「はい」
「…ブフッッ!!」
「……」

黒尾先輩が取ってくれるのかな。だったら先輩の顔が近くで見れる!先輩の指がまつ毛に触れるのでは!?この機会を逃しちゃいけないと思った私は、ゴミがついている方の目だけを閉じた。両目を瞑ってしまったら、至近距離で見れないからね!なのに、何故か先輩は顔を逸らし吹き出した。その後もいつもの独特の笑い声を上げながらお腹を抱える。

「…先輩?」
「ち、違っ…ごめんっ…」
「……」
「ぶ、ひゃひゃひゃひゃっ…!やめっ、やめてみょうじちゃんっ」

何が違うのだろうか。どうやら黒尾先輩はこの片目を閉じるという行為がツボに入ったらしい。私は何故か昔からウインクが上手い。しかし、これは可愛らしいウィンクとは違い、ただ片目を瞑るというもの。人形のように右目を閉じ、左目は普段通りばっちり開いているから恐怖対象だと思う。だけど、先輩のツボには当たったらしい!嬉しいぞ!!
最近こんな風に話せることがなかったから、テンションが上がり調子に乗って、何度も交互に目を閉じては開けてを繰り返した。

「みょうじちゃん、ストップストップ…!」
「へへっ」
「…へへ、じゃなくてね。ほら、両目瞑って。目に入ったら痛いから」
「はい!」

顔が見れないのは残念だけど、こうやって心配をしてくれるのだからちゃんと両目を閉じてお願いすることにした。

「お願いしますっ」
「……」

視界が真っ暗の中、先輩のいるであろう方へ近づくため爪先立ちをして距離を詰めるが、直ぐ両肩に重みを感じ踵が床についてしまった。上から小さく息を吐く音が聞こえて、またやらかしたと自己嫌悪に襲われる。

数秒何も起こらず不思議に思い、目を開けようとした時まつ毛が揺れた。先輩の指が数回まつ毛の上を往復し、最後には指の腹が瞼の上に触れる。何もいけないことはしていないのに、なんだかむず痒くなって眉間に皺を作ってしまう。

「はい、取れました」
「わっ」

眉の間に軽く指を弾かれ声を上げた後、瞼を開けば思っていたより近い距離に大好きな人の顔があって、その近さに目を丸くした。あの時と同じ近さだったから。


「もう一回したいなぁ」


視線は目から唇へと移り、思ったことをそのまま口に出した。もう一回したいなぁ。でも怒られるだろうな。今度は嫌われるだろうな。嫌だな。それは阻止しよう。頭の中でぐるぐる考え今度は唇から視線を上に動かすと、そこには驚きの色に変わった目を見開き「は、」と掠れた声を出す先輩がいた。

……待って。わたし、今、声に出してた?


「あ、の…あの!今の「あぁ〜…もう、ほんと」……」

勘弁してくれよ、とても小さい声でそう言いながら片手で自身の頭を抱えるようにズルズルとその場にしゃがみ込む先輩に続き、私は正座をして土下座に入ろうとした瞬間、俯いていた顔を横に逸らされる。寝癖の付いていない右側がこちらに向けられているから表情がよく分からない。

しかし、髪から見える耳は、ほんのり赤い。

「黒尾先「じゃあ、無理しない程度に頼むな」…あ、あの!待って」

ちゃんと謝るためかけた言葉はまた遮られ、今日はこんなことが多いな、なんて考える余裕はなく「頼む」と言われ立ち上がり、私の呼び止めを無視して足早に部室を出て行く先輩の背中に手を伸ばすことしか出来なかった。



「……私、本当に嫌われちゃった」

怒りであんな耳を赤くする程だ。私は最低なことをしてしまったんだ。もう、謝らせてもくれないかな。ひとりで勝手に慌てて、黒尾先輩に嫌な思いをさせて、迷惑かけて、全部自業自得なのに悲しくなって涙が溢れそうになる。
今、ここでは泣きたくない。全部自分が悪いのに勝手に悲しくなって勝手に泣いて、もし誰かがここに来たら迷惑をかけてしまう。そう思っているのに、視界は滲み、綺麗に拭いた部室の床が涙で滲みをつくる。前は泣きたくないって思ったら我慢できた。いつから私はこんな弱くなったんだろう。泣くのを我慢できなくなったんだろう。


「あの時…、先輩が、泣いていいよって言ったんだもん」

泣くことを許してくれるのなら、最後まで責任を持って涙を拭って…なんて、また自分勝手な考えをしてしまうのだ。