本当の気持ち

「はーい、一回ストップ。みょうじちゃん」
「ぐっ、」

後ろから両肩を掴み、私の動きを止めるのは大好きな黒尾先輩。

「もう俺から離れないでね」
「は、ははははいっ!!一生離れません」
「はい、よろしい」

先輩の近くに寄り、ガチガチに固まる。俺から離れないでねって…!よろしいって…!それは一生離れなくていいってことですか!?呼吸が荒くなる私と涼しげな顔をしている黒尾が今いるのは音駒の最寄駅付近にあるスポーツ店。

数時間前。今年最後の練習が終わった部員達は全員で体育館の掃除を始めた。部室はほとんど終わっているため、去年より大分楽だと皆から感謝されたことにるんるん気分になっていたのはいいが、部で使うテーピング等の消耗品を買い忘れていたことに気づき、急遽買い出しにやって来たのだ。

自分が買い忘れたから休みの日にひとりで行こうとしたけど、掃除には人足りているし荷物持ちもいた方がいいと主将さまが付き添ってくれることになった。だけど、これはタイミングがなんというか…悪いような。だって、数時間前、先輩に嫌われたと思って少しだけ目から水が溢れていたし。たまたま部室にやって来た福永くんにバレってしまったし。
なのに!孤爪くんが「付き添いはクロでいいんじゃない?」なんて言うから!何で!?いつも様子が変だと、そういうの気づくじゃん!!今日は何で気づいてくれないんですか!?でも私の親友が言ってくれたから!こうやってデートすることができてます!ありがとう孤爪くん!!
あ、でもこれはデートというより結婚しているみたくない?スーパーにふたりでお買い物。この後家に帰って夕ご飯を食べるということ!

「今夜のおかずは何がいいですか?」
「……。…あー、んじゃ秋刀魚」
「秋刀魚!!任せてください!では、今から秋刀魚を買って帰りましょうね」
「ぶっ、…うん」

突然の夫婦ごっこに黒尾先輩は一呼吸置いて理解したのかノってくれた。好きだ。数時間前まで、嫌われたと落ち込んでいたけれど、こうやってまたお話をしてくれることに嬉しくなる。でも、あの事は謝らないと。言うのは帰る時でいいかな。先輩の優しさに甘えてばかりの自分がとても醜く思えてきた。




「これで全部だな」
「そうですね!……あっ、ひとつ買い忘れたものがありました!ちょっと取ってきます!!」
「んなら俺も「すぐ取ってくるので先輩はここで!!」…迷わない?」
「大丈夫です!!!」

買うもの全て籠に入れたと思いレジに向かおうとしたけど、取り忘れたものがあったのに気づき、先輩の返事を聞かず目的の場所へ駆け足で向かった。

「あ、これだこれっ!」

目当てのものを見つけ、カバっと手に取る。早く黒尾先輩の元へ戻らなくては…!そう思ってスタートダッシュを決めようとした時、後ろから懐かしの声が耳に届いた。

「なまえ?」

約一年振りに聞いた声。以前は大好きで毎日聞いていたかった声。けれど、今は耳が拒絶してしまう程聞きたくない声。名前を呼ばれゆっくり振り返ると、そこには一年前に付き合っていた元彼がいた。

「あ、やっぱなまえじゃん」
「お、お久しぶりっ、ですっ!!」
「はは、何で敬語なんだよ」

昔と変わらない表情で、声色で話す彼に体が固まる。別れたら友達に戻る、という関係にならない終わり方をしてしまったため、こうやって普通に接せられると気まずくなってしまう。

「……」
「っじゃあ、私はこれで…!!」
「…今はそのジャージの部員に惚れてんの?」

上から下まで探るように見られ、次に言われることが怖くて早くこの場から去ろうとするが、放たれた一言で足が止まる。

「何部?お前がプレーヤーの訳ないよね?マネージャー?」

大きめな一歩で近づかれ、呼吸をおかず続けて質問を繰り出す彼に恐怖心が増す。質問をする意味が分からないから。こんな私でも一生懸命、恋をした。自分のせいだとしても、浮気をされてショックだった。だから、こうやってあの時のことがなかったかのように話かけてくることが理解できなくて、怖いのだ。
別れたいと告げたくても連絡が取れなくて、お気に入りの傘を返して欲しくても会ってはくれなくて。それでもケジメをつけたかったから彼の学校に行った時は怒られた。「彼女面するな。お前と本気で付き合ってたつもりはない。ただの茶番に付き合ってただけだ」そんな風に言われたんだ。

「俺さ、なまえのせいで彼女と別れたんだよね」
「……」
「お前が学校まで来るから勘違いされて。それから学校の奴らに遊び人って認識されて、そういう女としか付き合えねーんだよ」
「……」
「なのに、なまえは楽しそうでいいよな。人を不幸にしといて」

棘のある冷たい声色。冷たい視線。全てが痛いほど体に刺さり、顔を隠すように俯き自分の足元を見る。

「…今、お前に付き纏われてる男に同情するよ。そいつも俺と同じ気持ちなんだと思うと。さぞ迷惑だろうに」
「それは違っ…」

黒尾先輩はこの人とは違う。黒尾先輩と自分が同じだとこの人には言われたくなかった。だから、否定しようと口を開いたけれど、途中で言葉が詰まる。だって、当たってる。迷惑、というのはきっと本当のことだから。

否定をしたくて顔を上げた私を見るなり、向こうは面倒そうに不快感をあらわにする。

「うわ、」
「…っ」

続く言葉はこうだろう。「何も取り柄ねぇくせに泣くな。ブスだから。こっちまで気分落ちる」一度だけ泣いてしまった時に言われたこと。付き合っていた当時は、どんなことがあっても我慢出来た。けれど、今それを言われてしまったら、私はきっと泣くのを我慢出来ない。

「なまえさぁ」

ため息混じりに名前を呼ばれ、喉の奥がヒュッと鳴る。今にも泣いてしまいそうなのは彼の口から出でくる言葉を聞くのが怖いからじゃない。さっき言われて改めて気づかされた黒尾先輩も迷惑しているという事実に泣いてしまいそうなのだ。彼が今から放つであろう言葉が引き金になって。

そしたら、私はもう駄目かもしれない。

「泣く「あの、ウチのマネージャーに何か用です?」
「!!」

滲んだ視界に映り込んだのは、NEKOMAの文字が入った赤色の見慣れたジャージ。大好きな背中。

「困りますよ〜。ウチの大事なマネにちょっかい出すのは」
「ちょっかいって…。数年に渡って俺はなまえにちょっかいを超えた嫌がらせをされてたんだけど」
「……」
「そもそもあんた誰?なまえの何?俺はそいつのせいで高校ライフを楽しめてねーってのに。あ、もしかしてあんたがなまえの次のターゲット?「ち、違う…!」……」

黙って聞いてる黒尾先輩にさっき私に話した時と同じ刺々しい声色で放ち、それを止めるべく先輩の背後から顔を出し、違うと叫ぶ。しかし、相手はこちらを一瞥し、直ぐにまた先輩へと視線を移す。

「あんた、3年?あぁ、なまえは年上好きだもんな。そいつ、少し優しくするだけで直ぐ惚れるんで気を付けて下さいね。もう手遅れかと思うけど。俺が茶番で付き合ってた時に矯正すれば良かったかな。同情するよ、悪いね」

一方的に返す暇も与えず話し続けた彼に黒尾先輩は何も答えない。これ以上先輩に迷惑をかけてはいけない。そう思い、動き出そうとした時。

「いえいえ。そんな、こんな可愛い子を矯正だなんて。何のご冗談を?みょうじちゃんはあなたのような人にどうこう出来る子じゃないんで。何の面白みもない冗談を言う人はあまり好きじゃないですね」

いつもよりワントーン高めの声なのに、先輩が醸し出すオーラは冷たい。「行こう」そう言って籠を持っていない方の手で手首を掴まれ引っ張られる。させるがままに何も考えず足を動かすと、不意に止まった先輩の背中に額を打つけてしまった。
謝るため顔を上げると、今まで見たこともない怒りに満ちた表情をした先輩が後ろを振り向き、あの人を見つめていた。私はただ、そんな先輩から目を離せず固まるだけ。


「好きな子がしてくれることに迷惑って思う男いねぇだろ」


それだけ言って、また手を引っ張られる。

……え?今、黒尾先輩はなんて言った…?全然頭が回らない。今、自分がどうやって歩けているかも分からないくらい。さっきの言葉。それって、まるで黒尾先輩が私のことを……。

あり得ない。あり得ない。だって、迷惑だって。嫌われたって。それは全部先輩本人から聞いた事ではなく、私が勝手に思い込んでいたこと。けど、だって、そんなのあり得ない。



けれど、お会計を済ませ一度離れた手を今度は手首ではなく、手のひらに合わせ繋ぐ先輩に"あり得ない"の考えが薄れていく。そんな筈がない。だって数時間前、部室であんな耳を赤くする程怒ってたのに。

「あのっ、手…」

半歩後ろを歩きながら、今のこの状況は何かの間違いだと、これ以上自惚れてはいけないという思いから必死になって声を出した。無意識で、間違えて手を握っている。私のことを荷物か何かと勘違いしているんだ。

「みょうじちゃん、直ぐ迷子になるからこれでいーの」

そう言う黒尾先輩の耳はあの時と同じく真っ赤で。もしかして、これは照れているのでは?部室の時も怒っていたのではなく照れていたのではないだろうか、と考えてしまった。