春の終わり
「クロ 俺にバレーボール教えてくれてありがとう」
試合終了のホイッスルが鳴る。整列前に孤爪くんの口から出た言葉に全員が動きを止めた。
「…あ、うん。……は??? 待て待て待てちょっと待てバカヤロウ!!」
「え、何キレてんの…」
先輩方が笑う中、私もこっそりと笑みを溢す。
監督達が挨拶を交わす後ろで深く頭を下げた。
「ナイスゲーム。ありがとう」
猫又監督がそう言うと呼吸が止まったように全員がピタリと固まり、ほとんどの人が涙を流した。孤爪くんに少しだけ聞いたことがある。猫又監督と黒尾先輩のこと。途中からやって来た私には知り得ない思いが皆の中にたくさんあるのだろう。
ありがとうございました!と挨拶をしながら、このメンバーでバレーボールをすることはもう二度とないという事実に実感が湧かないままコートを去った。
「けん「またやりましょう」!!!」
「おい、俺が今言おうとしてたやつ!!」
「あ??知らねぇし」
「研磨!来年もやろうな!!」
「うん、やろう」
とびとびとと翔陽くん、孤爪くんとの間で交わされた約束。それを少し離れた場所から眺めていた。そんな3人に話しかける黒尾先輩に「スルーして」ととびとびの服を掴み引っ張るのは孤爪くん。救急バックを持ち、後ろで整理のつかない色んな感情を抱いていると、翔陽くんがこちらに駆け寄って来た。
「みょうじさんっ!」
「?」
「約束!果たしましたっ!!」
「!…っうん!かっこよかった」
「!」
嬉しい。おめでとう。はなんか違うような気がして、なんて言えば良いのか分からず、ただあの時思ったかっこいいという気持ちををそのまま言ってしまった。
指切りをしたあの時とは逆で翔陽くんが小指を立てる。ありがとうの言葉と共に指を絡ませると向こうは無意識で小指を突き出していたのか絡めた瞬間、ビクリと肩を震わせ離れて行った。
「すすすすすみませんッッ!」
「??」
そのまま綺麗な一礼をして孤爪くんの元へ足早に向かう翔陽くんを見つめながら私もゆっくり足を動かす。
「終わりだけど、この3年間が黒尾と夜久と一緒で良かった」
前を歩く大きな背中。海さまがそう言ったのが後ろにいる私の耳にも届いて溢れ出る涙を必死に堪えた。もう、3年生達とバレーボールは出来ない。いつか終わりがくるものだと分かっていても、頭では分かっていても、気持ちが追いつかない。でも、ここで泣いちゃダメな気がする。
「みょうじもマネージャーになってくれてありがとうな」
「……」
後ろを振り返った海さまが笑顔で感謝の言葉を告げる。そんなの私の方が…
「それ、俺が先に言うやつ…!!」
「んな順番なんてどうでもいいだろ」
「いやここは主将として」
「まさかみょうじがマネやってくれるとは思わなかったなあ」
「やっくん!?」
「色々助けてもらった。ありがとな」
「っ、」
お礼を言われるようなこと、助けてもらったって言われるようなこと、何も出来てない。バレーのルールも分からなければ、ボール出しも出来なかった。ドリンク作りを間違えちゃったり、籠を倒してボールをぶちまけたことだってある。黒尾先輩の腹チラにテンションが上がったり、黒尾先輩の洗濯したTシャツの匂いを嗅いだり、黒尾先輩のスパイクを打つ瞬間に漏れる声に興奮したり、マネージャーを始めたのだって下心だ。他にもたくさん、たくさんある。
こんな私に感謝の言葉をくれるなんて。私の方が皆からたくさんのものを貰った。マネージャーをしてなきゃ得ることが出来なかった大切なもの。
もう終わりなんだ。悔しいな。もっともっとたくさん皆で、ずっとバレーボールをしたかった。そう思ってしまうのは私の勝手なわがままだ。
「みょうじちゃん、ウチのマネージャーになってくれてありがとう」
ふわりとした笑顔を向けられ、目に溜まった涙がポロポロ零れ落ちる。
「わ、たしの方がっ、たくさん…皆さんからいっぱい貰ってて。ほんとに、本当にありがとうございました!」
今はこれしか言えない。色んなことがグルグル頭を巡るけど、総じて感謝の気持ちしか伝えられなかった。
「終わりだけど、まだ終わりじゃねえな」
頭にぽんぽんっと二回手を乗せた後、そう言って黒尾先輩が見つめる先は梟谷の試合が行われているCコート。最後は木兎さんがキレキレストレートを決め、2-0で勝利していた。こちらにやって来た梟谷メンバーと言葉を交わしながらゆっくり歩く。
「"魔の3日目"ってやつだな」
龍之介が発したその単語に赤葦くんが説明を入れる。な、なんか…
「かっけえ…!」
「か、かっこいいね…!」
翔陽くんと同じことを呟いた。それに、赤葦くんは不思議がりツッキーは「キッズには響くネーミングなんでしょうね」とにやにや笑う。
「月島テメー!!」
「日向に言ったんですけど」
…みょうじさんはいつも通りですね。ちらりとこちらを見てボソッと言うツッキーにフォローしてくれたのかな?って、つい口元が緩んでしまった。あ、違います。って言われそうだけど。
それから軽く話をして各々着替えやご飯、身体を休めるために動き出し、サブアリーナで着替え終えた2年生と共に私も仕事を終え、孤爪くんの隣を歩いていた。
「あのさ」
「?」
「翔陽くんいつにも増して元気っていうか、燃えてなかった」
「……どういう意味?」
「体が燃えてた気がした!!」
「……」
指を絡めたあの時、とても熱いような気がした。あれだけ動いているから当然なのだろうか。それを伝えたく、親友に普段と同様特に何も考えず思ったことをそのまま口に出した。慣れ、なのか普段なら直ぐ理解するであろうことも今の状態の孤爪くんは疲れで考えることを諦めていた。現に、もう頭使いたくない…と言いたげなのが表情から読み取れる。
「おい誰か早くこいつの顔撮れ!ミカチャンに見せるんだ!!」
階段を登ってる最中、黒尾先輩のそんな声が微かに聞こえてきた。
「あ!黒尾先輩だっ!」
「え、どこにいんの」
「声が聞こえる…!直ぐ上にいるよ!」
「……」
姿が見えず聴覚だけで察知した私に更に疲れを露わにする孤爪くんを置いて小走りで階段を登っていく。
「ミカちゃん呼ぶならこっちだってなまえちゃん呼びますけど!!」
「は!?おまっ、なんっ!?つーか、何で名前呼びなんだよ!いつ仲良くなった」
「おうおう、必死だな。まあ色々あってね」
「あ?」
先輩方がお話していたのは大将さん。実は東京代表決定戦後に大型ショッピングモールで美華ちゃんとデート中に会い、迷子でひとりだった私はふたりに助けてもらったことがあった。その時、美華ちゃんと大将さん。ふたりと仲良くなったのだ。
少しして美華ちゃんが戻ってきたことにより大将さんはどこかに行ってしまった。次は梟谷と烏野がそれぞれ準々決勝。孤爪くんの隣に座り試合が始まるのを待つ。
「皆、凄い…」
どのチームも全員が凄い。マネージャーになって、バレーボールという競技を少しでも知ることが出来たからこそ凄さがより分かる。梟谷がこの試合を勝ち取り、準決勝進出が決まると同時に隣コートの烏野VS鴎台の第1セットが終わった。
「ふふ、まあ"よく跳ぶチビ"に鴎台以上に慣れてるブロックは居ないよね」
相手のチームにも翔陽くんと同じくらいの身長の選手がいる。この試合初のオープントスを打つお友達がブロックされるのを見て親友はケラケラ楽しそうに笑っている。スガさんの綺麗なトスを旭さんが決めると今度は「…
根性…炸裂…」と言い、なんだかんだ根性好きなんじゃない?なんて思ったけど、それを口に出したら怒られそうだったので、黙っておくことにした。それにしても、旭さん今日もキラキラ輝いてるっ…!
「俺にも飴ちょうだい」
「ん」
「今度はハッカ味じゃないやつくれよ!!」
「私も欲しいー!」
「ん」
「ありがとう!!」
「みょうじちゃんにもハッカ味以外のあげなさいよ」
「みょうじ、ハッカ好きだし」
「はい!好きです!」
「あッソウナンデスネッ!」
孤爪くん越しに見える黒尾先輩はこの瞬間もイケメン。間に孤爪くんがいてくれて私の心は正常に保てている。
「黒尾先輩、これ良かったらっ!」
ポケットの中からリンゴ味の飴を手に取り、孤爪くんの背後から腕を伸ばし差し出した。
「お、くれんの?」
「はい!」
「さんきゅ……って、リンゴ…」
「!リンゴ味、苦手ですか?」
「…いや、好き。ありがと」
「ぐっ」
好き。それがリンゴに対してであろうと好きな人からその単語が出てくるのは心臓に悪い。直ぐそばで「嫉妬」と呟く孤爪くんに両隣にいる私達は勢い良く横を向き、声を揃えて「違ぇよ!」「ち、違うよ!」と叫んだ。え、黒尾先輩もリンゴに嫉妬…?
「??ん、んんん?今のって…?」
2セット目のラスト、鴎台のスパイクアウトにより点が烏野に入ったのだけれど、ツッキーがブロックを避けた、ように見えなくもなく、一瞬の出来事と私の知識だけでは今のプレーがよく分からなかった。けれど、孤爪くんが簡潔に説明してくれ、直ぐ理解する。
「…とは言え、ゲームみたいに技を習得したからって以降それが全部成功するわけじゃねえけどな」
この黒尾先輩の発言にムッとする孤爪くん。あ、口尖ってる。
「星海は避けられる可能性があると知ってしまった。"ツッキーしかアレを出来ない"とは言い切れないしな」
「ゲームだって何でも簡単に技が出せるわけじゃないよ。めちゃくちゃタイミングとか難しいコマンド入力だってある」
「急にムキになった」
「すみませんでした」
「ふふっ」
顔を険しくさせ饒舌に話すのを聞き、コートを見ながら笑みを溢す。
試合は流れ、孤爪くんはずっと楽しそうにコート内を見つめ、最強の囮が何かをする度にわくわく顔が止まらない。全てのプレーが会場を沸かし、熱気に包まれ、両チーム一歩も譲らぬね戦いの中、翔陽くんは力なくその場に倒れ、起き上がることが出来ずにいた。
《怪我…ではなさそうですが…烏野ここでタイムアウトを取ります》
怪我でない。じゃあ…
「熱…」
あの時、指が熱かったのは熱があったからだ。軽く捉えないで、潔子さんや烏野の人達に言えば良かった。そう後悔する。自分がもしかしたら何か出来ていたかもしれないことに自己嫌悪に襲われていると、立ち上がった孤爪くんが「みょうじが気にすることじゃない」と、考えるのを諦めたあの時の会話を思い出し、それだけ呟いて歩いて行ってしまった。翔陽くんの元へ行くのだろう。手にはタブレットを持っている。
「渡してきた?」
黒尾先輩の質問に頷きと一緒に小さく「うん」と答える親友へ目を向ける。
「…別に…試合見る方法くらいあったかもしんないけど。翔陽まだガラケーだし俺のタブレット大きいから見やすいし、でも別に烏野にもタブレットくらいあったかもだし、スマホ持って「研磨クン」」
「しんどい時は友達の顔見るだけで救われるものよ」
そう言われて一度私の方を見る孤爪くんに不思議に思いながらも先輩に同意するよう首をコクリと動かした。
「…うん」
「ウンウン」
そして。長い試合の中、最後のボールは烏野のコートへと落ちた。