心にドーナツ

3年生がいなくなって、数回目の練習。新チームになり色んなことが変わり、その変化に皆が違和感を感じている。部活に入っている限り誰もが味わうこの感じ。でもここまで長く濃い時間を過ごした部は私にとって初めてだったため先輩方がいないことに、心にポッカリ穴が空いたようだった。

1年生、特にリエーフは目に見えて普段とどこか違うし、虎も先輩がいない…というより自分達の代になったことにより責任というか、そういう気持ちが表に出て空回りしているように感じる。きっとこういうのは世代交代でどこのチームも味わうことなんだろうけど。私もマネージャーとしてしっかりしなくては…!と両頬をパチンッと叩き気合いを入れ直した。





数日前。部を去る前に先輩方からお言葉をいただき、監督やコーチ、それから後輩達も一言ずつ話す中でマネージャーである私も皆と同じくお礼を伝えた。

「音駒のマネージャーをやらせてもらって幸せでした」

言いたいことはたくさんあるけれど、やっぱりこれしか言えない。

「皆さんと一緒に戦えたこと、私にとって一生の宝物です。マネージャーをやっていなかったら経験しなかったこと、出会わなかったことがたくさんあって、たくさん色んなことを皆さんから貰いました。本当にありがとうございました」

目にいっぱいの涙を溜めて、自分でも重いこと言ってる…なんて思いながら頭を下げる。試合だけじゃない。練習やマネージャーとして関わってきたこと、全て引っ括めて戦えた時間が私にとって宝物だ。

今日で最後。音駒バレー部としての先輩方を見るべく顔を上げその姿を捉えた時、隣から親友のボソリと呟いた小さな声が静かなこの場所では響き、全員の耳に届いた。

「別にみょうじはマネ辞めるわけじゃないでしょ」
「……え?」
「終わり、みたいに言ってるけど、来年だって同じことするじゃん」
「……」

ボソボソ。床を見ながら話す孤爪くんに周りはシンッと静まる。来年だって同じことする。だってそれは来年も春高にいくってことで。ここにいる全員がそのつもりだろうけど、孤爪くんがこんな風に言うなんて誰も思ってなかったから…。

「ははっ」

この静寂を破ったのは黒尾先輩の掠れた笑い声。それに続いて周りも騒がしくなり、虎と福永くんは早流川戦後と同様孤爪くんに近づき、夜久先輩は豪快に笑い、海さまも珍しく声を出して笑っている。

「うん、そうだよね」

虎達をウザがる音駒の脳に、頷くように応えるとこちらを一瞥した後小さく息を吐いた。












「あーーーー」
「うううううううー」
「ふほおおおおおおお」

不足。不足している。

「会えばいいじゃん」

クロに、とゲームから目を離し上目遣いで言う孤爪くん。何故、机に項垂れる私を見て黒尾先輩不足だと分かる?!そのことを聞いたら、普通に分かると言われた。好きだ。

今日は2月14日。バレンタインデー。そして、黒尾先輩に一目惚れしてちょうど一年。3年生が自由登校になって二週間。

「学校に来ても黒尾先輩に会えないなんて。一体私は何のために学校に来ているのか…」

ふぅ、と息を吐き肩を下ろす。私達も来年受験生ということで数週間前に進路希望の紙を貰った。私のその紙には"黒尾先輩のお嫁さん"と書いてある。

第一希望 黒尾先輩のお嫁さん
第二希望 黒尾なまえになること
第三希望 黒尾先輩に毎日お味噌汁を作ると誓います!

もちろん再提出だ。皆は再提出なんてなくて、私だけが手元に戻ってきている。

「やりたいことないの?」
「う、うーん…」

将来何をやりたいか。特に浮かんでいなかった。孤爪くんは既に行きたい大学を何校か書いていたけど、別にそこに行くとはまだ決めてないらしい。あと一年あるしね!私は大学に行きたいのかどうかも考えていない。

「……みょうじはもっと自分のこと考えた方が、いいんじゃない」

進路、とかじゃなくて。と続ける親友はゲームを閉じ、毎年恒例の私特製バレンタインアップルパイをパクリと食べた。……自分のこと考えた方がいい、かぁ。

「よしっ!決めた!!今日、黒尾先輩にチョコ渡しに行くっ!!」
「最初からそのつもりじゃなかったの?」
「そのつもりだった!…けど、ビビって迷ってた!」
「…ふーん」

一応チョコは持ってきていた。けど、部活終わりに届けに行くから遅くなっちゃうし。バレンタイン当日じゃなくても休日練習に来るって聞いていたからその時でもいいかなって。あとは渡すのにビビったのと想いが抑えられなくて気持ちを伝えてしまいそうだから。今、先輩忙しそうだし。多分…。

「そうと決まれば連絡をしなくちゃ!今日、先輩忙しいかな」
「特に予定はなさそうだったけど…っていうか、それ邪魔じゃないの」
「邪魔じゃない!」
「そう」

それ、と目で指すのは、以前ゲームセンターで孤爪くんに取ってもらった黒猫のぬいぐるみ。学校で会えないため代わりに持ってきている。ちなみに、名はクロスケ。スマホを操作するべく一旦親友にクロスケを託すと一瞬顔を歪めたが、暖かかったのか膝に抱えて再びゲームの方を再開した。








そして、放課後。

「お、おおおおおお久しぶりです…!黒尾先輩!!」
「うん、久しぶり。みょうじちゃん」

ジャージに着替えて体育館へ向かうと、そこには光り輝く大好きな人の姿が。数日ぶりに見るとより眩しさが増す。ぐぐっ、眩しい…!昼休みに、今日会ってもらえないかの連絡を入れたら元々学校に用事があったらしく、そのまま放課後練習に付き合う予定だったと返事がきた。

あたふたその場でぐるぐる回る私に「落ち着いて落ち着いて」と優しく声をかけてくるものだから余計に呼吸が荒くなる。あれ…?今までどうやって黒尾先輩と話してた?…と、ととと取り敢えず、開けっ放しのジャージのチャックを閉めなくては、と手を動かすが緊張で上手く動かない。

「ふっ」
「!?」

そんな私の様子を見て、少し顔を逸らし笑みを溢す先輩に胸が押し潰されるくらい苦しくなったのも束の間。なんと、こちらに近づいてきてジャージのチャックを上げられる。上まで、口が隠れるくらいまで。先輩の手が顔の目の前にあり、そこを辿ってそのまま向こうの顔を見ると満足気な表情をしていて。なんですか…!その顔っ!私知りません…!!

「…っぐは、」
「は?……え、ちょ!?」

久しぶりの…というか、それプラス初めての黒尾先輩を浴びてキャパがオーバー。よって、鼻から血が溢れ出てしまう。焦る先輩と背後から「なにしてんの」という親友の声を最後に膝から崩れ落ちた。





「俺、ミカサ派」

休憩時間。虎達とボールを触る黒尾先輩はそう言った。途中から体育館に入った私は前の会話が分からずそのミカサ派というのがボールのことだと理解したのはその後のやりとりを聞いてから。

「私、ミカサになりたい…!」
「……」
「というか、黒尾先輩が触れるボールになりたい」
「ちょっと意味わかんない」

孤爪くんの傍に立ち、本能のまま口に出すと真顔でそんな返事が返ってくる。それにしても久しぶりの先輩のバレーする姿に私は釘付け。がっごいい…。
今日、絶対チョコを渡すぞ。目の前で楽しそうに後輩達とバレーをする黒尾先輩に決意を固めた。






練習終わり。マネの仕事も終え自主練が始まる前。黒尾先輩が帰ってしまわないかソワソワする私に孤爪くんは、気にしないで渡しに行きなよ、と言ってくれた。でも、今まで自主練を手伝わなかったことがないから少し後ろめたさを感じていて、それが顔に出ていたのかもう一度「いい」と言われ背中を押された。

そこでお昼の時に言われた"自分のこと考えた方がいい"の言葉を思い出す。親友にお礼をしてから、今ここにはいない黒尾先輩を探すため体育館を出た。



「んんん?…いない」

部室にいると思ったためその近くで待っていたが、先輩の気配はない。キョロキョロ辺りを見渡すけど、やっぱりいなくて。でも帰る前には声をかけてくれるしその時渡せばいいだろうと体育館へ戻ろうとした時、探していた人物の名前が聞こえてきた。

「黒尾先輩!!」

私が呼んだわけじゃない。違う人が呼んだ。私と同じ呼び方をする可愛らしい声の元へ引っ張られるように足がその方向へと動く。

「…あ」

校舎の影。そこで目に入ったのは綺麗にラッピングされた箱型の何かを渡す女の子。箱型の何か、は今日が何の日か知っている人間は誰でも分かる。私のとは天と地の差があるそれを受け取るのは黒尾先輩。相手の女の子はきっと1年生。同学年の子ではない気がする。

「へへ、渡せて良かったです」
「おう、ありがとな」

優しく微笑むその顔は私にも向けられたことがある。私にしか向けない顔だと思った。…ああ、そうか。あの時の"好きな子"発言から私は勘違いしていたんだ。


「…そっか。……そうだよね。うん。そう」

やっぱり体育館に戻ろう。そう決めて踵を返す。

自分だけ特別だって思ってた。なんて烏滸がましい…!!私のことを良く想ってくれてるからあんな優しく笑ってくれるのかな、なんて自意識過剰な考えをしてた。私が黒尾先輩の"後輩"だから、あんな凶器の微笑みを向けてくるんだ!

「あ。でも、あの子は違うかも。あの子だけは特別、なのかもしれない」

後輩だからじゃない。特別な感情があるのかもしれない。……わ、わぁぁぁあ!?!?駄目だ、駄目っ!!今、それを考えたら泣いてしまう…!目から鼻水大量生産…!よし、忘れよう。一旦忘れよう。

「はいっ!忘れた!今、忘れた!みょうじなまえ、忘れましたっ!」
「何を忘れたの」
「!?」

できるだけあの場から早くいなくなりたくていつの間にか駆け足で部室の前まで来ていたらしい。背後から親友に問いかけられた。

「あっ、…えっ、と…」
「……」

今、ここで、孤爪くんの顔を見たら泣いてしまう。振り向かず、手を握り拳を作って、震える声を出しながら良い答えがないか必死で考える。

…そうだ。まだ、あの子が黒尾先輩の特別かどうかなんて分からないじゃないか!勝手に覗き見して、勝手に落ち込んで…、そんなのダメでしょう!!ちゃんと本人に確認して、それからまた全力でアタックすればいいだけの話!!そう!今この瞬間も黒尾先輩のことが大好きなんだから!!先輩を好きでいられることが幸せ、で…、それで、それで…

「……わたし、」
「……」
「もう、疲れちゃった…、かもしれない」

好きでいることが疲れちゃった。大好きな気持ちは変わらないのに、増えるばかりなのに、どんどん気持ちが大きくなるにつれて辛くなる。

「好きでいるの、辛いなあ」

こんなこと今までなかったのに。好きだったら何でもできると思った。どんなことにも打ち勝って無敵なんだって。

「好きなの…、やめたいっ」

肩が震える。孤爪くんは何も言わないで聞いてくれる。最近こんなんばっかりだ。情けない姿を見せてばかり。これ以上迷惑かけたくない、心配かけたくない。こんな姿見せたくない。

「私っ!…そのっ、帰りますっ!!…ごめんなさいっ!」

うん、わかった。とただその一言だけを放つ親友に感謝しながら制服に着替え荷物を持って走り出す。直ぐ息が切れてしまう自分が情けなくて、涙を引っ込めながらゆっくり歩く。


下を俯き小石を蹴った。そんな時。大好きな、大好きだった人が目の前に現れた。

「みょうじ?」
「…佐藤先輩」











黒尾にチョコを渡した1年女子は数週間前に振られていた。委員会が一緒だった彼女は約半年程の間黒尾に片想いし、春高が終わって暫くしてから告白をした。良い返事は貰うことが出来ず、最後にチョコだけは受け取って欲しいという願いに黒尾は断ることが出来なかったのだ。


チョコを片手に部室へ戻る。みょうじにバレぬよう辺りを見回す幼馴染を体育館から訝しげに見つめるひとりの人物。

そして、幼馴染の手に持っているラッピングされた箱に気付き顔が歪み、そこでようやく自分の親友が泣いていた理由が分かった。誰かにチョコを貰っているところを目撃してしまったのだろう、と。しかも、ラッピング容器はみょうじと同じもの。黒尾先輩にあげる、と張り切って不器用な人間には難しそうな凝った入れ物を選んで必死にラッピングしていたのを思い出す。出来栄えも個性のある仕上がりになり、黒尾が他の子から貰ったものの方が何倍も綺麗だった。


そして、体育館に来た元主将はキョロキョロと周りに気付かれないようみょうじを探す。研磨の目にはソワソワしているようにも見えた。

「あれ?…みょうじちゃんは?」

その名が出てきた時、研磨の顔は見るからに歪み、それに気づいた黒尾は首を傾げる。

「………くせに」
「?」
「連絡なくてもみょうじにチョコ貰いに来たくせに」

目線も合わせず、何故怒っているのか分からないまま図星を指されギクリと固まるが、研磨に気付かれないわけもないかと諦める。黒尾はみょうじから連絡がこなくてもチョコを貰えるかもしれないというちょっとした下心から元々練習には来る予定だった。
苦笑して、肝心の相手がいないことにもう一度どこにいるかを聞こうとしたが、次の研磨が放った言葉で心臓が縮んでいくような感覚になった。

「みょうじ、泣いてたよ」
「……は?」
「で、さっき帰った」
「何で泣い……、!」
「好きなのやめ………あ」

泣いた理由を途中で気づいたのだろう。物凄い速さで外に駆ける黒尾には研磨の最後の言葉は届いていなかった。





走って、走って。こんなに全速力で走るのは引退して初だと考える余裕はもちろんなくて。やっと追いついた好きな子の後ろ姿にホッと胸を撫で下ろす。

しかし、何でもタイミングというものはある。幸せそうに笑うみょうじの隣にはかつて彼女が好きだった男がいた。


そして、みょうじは今好きな人の目の前で、好きな人にあげるはずだったチョコレートを、佐藤先輩にあげてしまうのだ。