俺のもの
みょうじさんが階段から飛び降りようとしたあの日。
朝から様子が変やった。表情が暗く心身ともに疲れているように見えて、それ以上にどこかに消えてしまいそうな。そんな感じがした。
ロードワークの後、体育館で練習。その間の休憩時間を利用して、替えの練習着に着替え、みょうじさんを探しに行った。
スマホを没収され、罰として掃除。銀と侑の「みょうじさんがあんな怒られとったの初めてやんな。大丈夫やろか」「俺が知るか。やけど、根性あるよな。薄々気付いとったんけど。社会の時間にやるて」というやりとりを聞き、足が勝手に動いた。
社会の担当はめっちゃ厳しい。スマホなんてやっとったら怒鳴られるやろ。今のみょうじさんにはきついと思った。
何も聞かんで来てしまったから、どこで掃除をしとるか分からんくて、思いつくとこ探したが見当たらない。もしかしたら、終わって帰ったかもしれん。そう思って、来た時には通らなかった階段を降りようとした時、明らかに、故意的にそこから飛び降りようするみょうじさんを見つけた。
止まらない涙を一生懸命掬い、なんでなんでと聞くことをやめないみょうじさん。ほんまは言いたかった。好きやからって。なんで抱きしめるの、なんでいつも優しくするの。なんでこういう時来てくれるの。全部、全部みょうじさんが好きやからって伝えたかった。
みょうじさんは知らんねん。よく目が合う理由も、他の人より優しくするのも、ジャージ貸すのも、俺が顔を赤くするのも、バレー教えるのやって。大事な食いもん代をガチャガチャに使うのも、秒で食べ終わるアイスに時間をかけるのも。全部、好きやから。よく見とるからこういう時も駆けつけられんねん。
伝えたかった。せやけど、ここで言うのはずるいやん。困るやん。そんくらい好きやねん。なんでこんな気持ちになるんやろ。わからん。もう分からんねん。
ほんで、口から出たのはあんな情けない言葉。
ありがとう。と笑ったみょうじさんに心臓が止まった。なんとなくやけど、重たい空気が少し軽くなったような気ぃして。あの時はあの笑顔をくらい動揺してしまったが、後々思い出すと口角が上がる。可愛いかった、そんな言葉じゃ収まらんくらいに。
せやけど、一つ心残りがある。それは俺の匂いや。一応、汗かいた練習着から着替えはしたものの匂いは消えない。汗臭いって思われてないやろか。その心配が俺を支配していた。
しかし、その日の翌日。一限と二限間の休憩時間、銀に用があるフリをして教室に入り、みょうじさんを盗み見ると彼女からはもう落ち込んだ雰囲気はなくて。俺と目が合うと照れ臭そうに口パクで「ありがとう」て、ふにゃりと笑ってくれた。倒れる体を必死に耐えて自分の教室に戻り、角名に「何があったの?」なんて愉しそうに聞かれたのは最近のこと。
あの隠れ場でも毎日会ってた。一昨日までは。
「誰やねん、あいつ」
昼休み。購買のパンを食い千切りながら治が見つめる先はみょうじと、自分の好きな子とにこやかに話す男。履物の色から一年ということがわかる。治の目には、どことなくみょうじもその男に気を許しているように映っていた。
「ほんま、なんやあいつ。いきなり出てきよって」
俺の方がみょうじさんのことずっと前から……とボソボソ呟き、頬が膨れるくらい口いっぱいにパンを詰め込んでいるため余計に聞き取りづらい。そんな治を見て対面して座っている角名はみょうじの方を一瞥し、また視線を戻す。因みに、侑は机に伏せて爆睡。銀島はトイレに行っている。
「同中なんじゃない?」
ここ数日で仲良くなった雰囲気じゃなくね、と続けた角名に治は眉をピクリと動かす。
「あっちの方がずっと前から好きかもしんねぇーじゃん」
「……」
その角名の言葉にモグモグと噛むスピードを早めながら顔を険しくさせる。あまりにも何の行動も起こさず、今の関係に満足しているように見えた角名はここで一つ。無理矢理治の背中を押した。
あの一年の男はみょうじさんの友達が席を外す時に教室に来る。よって、あの隠れ場にみょうじさんが来ることはない。付き合ってはないらしい。誰かがみょうじさんに聞いとったのを盗み聞きした。
焦りと不安。それから苛立ちと嫉妬から俺の心情はあまりよろしくない。五限目と六限目の間。渡り廊下で二人を見かけた。そこには、みょうじさんのスマホを覗き込む男。距離が近いねん。バレんよう足音を立てず、ゆっくり近づく。
「いやぁ、もう家族になりましょう!なまえさん!!結婚したいです!!」
「はは、嬉しいな」
二人の会話。みょうじさんの両手を包み込んで目をキラキラさせ、プロポーズをする男。それに対し、言葉通り嬉しそうな顔をするみょうじさん。
……は?ふざけんなや
これまで散々我慢してきた想い。色んな感情で何も考えず体が動いた。
「俺のやぞ」
後ろからみょうじさんの手を引き腕の中に閉じ込める。「え、治くん?」と言うみょうじさんと目を丸くして「み、宮……治先輩」てキョトンとする男。その間抜けた面に思い切り睨みを利かせる。
「え?……あっすんません、そうとは知らず、俺ずっと話し込んで。え、と、失礼します」
「あ、ちょ、ちょっと!」
足早に去っていく男に手を伸ばすみょうじさんは、行っちゃったとひとつ息を吐いた。まだ腕の中にいる彼女はゆっくり顔だけこっちに向けて言う。
「え、っと……治くんのではないけど?」
「……」
その言葉にピキッと固まる。
「それと、あの。は、離して欲しい」
「……」
固まった体をゆっくり動かし、抱きしめとる腕の力を抜くとそこからスルっと抜け出される。そして、最後にこう言うた。
「ありがとね。絡まれてると思って助けてくれたんだよね?でも大丈夫だよ。あの子、妹の彼氏だから」
「……は」
「もうすぐ誕生日なんだ。だから、サプライズするために色々練ってたの」
妹の彼氏?そんならあの、家族になりましょう、結婚したい発言も納得する。せやけど、あいつ主語が足らんねん。あんなん勘違いするやろが。自分の失態を心ん中でこの場にいない相手に文句を言う。
「優しいね、治くん」
ふんわり笑うみょうじさん。
……ああ、まただ。この対等に見てくれん感じ。子供扱いされとるような、そんな感じ。好きな子が取られてしまう、離れてしまう、自分のものにしたい、そんな想いは置いといて。ただ……ただ、俺の気持ちを知ってほしいと思った。
「俺が優しくするんは好きやからに決まっとるやろ」
「え」
「みょうじさんが好きやから優しくすんねん」
人に優しく生きる。中学の頃に心に決めたことやけど、やっぱり好きな子にはそれ以上の優しさを注いでしまう。
大きく目を開くみょうじさん。気づいてくれたやろか。意外にも俺は今落ち着いとる。微動だに動かない彼女は視線だけをキョロキョロと動かし、最後に俺の目を捉えた。
「え、まって」
「……」
「じゃあ、優しくしてくれたり、困ってる時に来てくれたりするのは私のことが好きだから?すぐ顔が赤くなったり、照れたりしてたのも好きだからなの?ウブだからじゃないの?よく目が合うのもたまたまじゃないの?」
「っ、」
「ガチャガチャやってくれたり、アイドル話楽しそうに聞いてくれたり、あ。あの時アイス食べるの「みょうじさん!!!!!」……!」
「も、もうええから……」
今日は落ち着いてる。照れたりせんで気持ちを伝えれるて思ったけど、みょうじさんがあんなん言うから耳まで赤くなっとるのが自分で分かる。これ以上話さんでほしいと口を塞いだ右手は、焦ったせいでズレて、口やなくて鼻の位置にある。瞬きする好きな子のまつ毛が手に触れ、それが恥ずかしく勢いよく離れた。
固まるみょうじさんと忙しく動く俺。
「返事は後でええか「ごめんなさい」……え」
「治くんのことは、そういう対象として見てないというか。だから、あのごめんなさい。気持ちは凄く、嬉しいです。私なんかを」
「なんかやないていつも言うとる」
「あ、ごめ「ちゅうか、返事は後でええって言うた!」」
「でも、気持ちは絶対に変わらないと思うから」
「……」
また、ごめんなさいて謝った後、背を向けて歩き出した。
絶対に
変わらない……?
「……そんなんわからんやろ」
小さく発したことは誰にも聞こえず、消えてゆく。離れていくみょうじさんの腕をさっきと同じように掴んでも止めた。
「え?」
「……、」
「お、さむくん……?」
「っっ絶対に惚れさせたるから!!」
覚悟しぃや!!まるで喧嘩に負けた人間が吐くような捨て台詞を残し、その場から去った。
「……かっこ悪すぎや」
校舎内に入ってすぐ壁に沿いながらしゃがみ込む。額に手を添え、深い深いため息を吐いた。
"俺を一人の男として見てくれた時が勝負の始まりや"
今回のことで、もしみょうじさんが俺のこと男として意識してくれたんなら今日がその始まりの日。惚れさせる、最初からそのつもりなんやけど……。
「初めからあれはあかん」
自分の発言に先行きが不安でしかない。
治が去った後。一人残されたみょうじを見つめる影が三つ。
「え、治。みょうじさんのこと好きやったん?」
「サムの告白現場見てもうた……最悪や。……、ブ、ブフッッ!!なんやねんあいつ!覚悟しぃやって!!!振られてるちゅーねん!!ぶっ」
「ちょ、侑!治は真剣に想いを伝えとんのに笑うのはあかんやろ!!」
「……っやって、あんな……ぶふっ。あいつ今絶対、自分かっこ悪いて思ってんで……!」
治がみょうじのことを好き。その事実より侑は片割れの去り際の捨て台詞に笑いが止まらなかった。
「ちゅーか、角名のが悪趣味やろ」
そう言って視線を向けた先には、スマホで先程の現場を録画し、それを観ている角名。
「治さ、みょうじさん以外と結婚する気はないんだって」
「「は?」」
悪趣味。その言葉を無視して、画面から目を離さず、とんでもないことを淡々と口にするチームメイトにふたりは間抜けな声を出す。
「これ、余興にいいでしょ」
「「……」」
停止ボタンを押して、治がみょうじの腕を掴んでいる画面を見せる角名の目は薄ら笑っており。「まあ、本当に振られたら全部消すけど」と言った後、スマホで口元を隠し「俺は二人が付き合うと思う」なんて言葉を残し、歩き出した。
「俺、角名にだけは好きな奴バレたない」
「お、おん……」