落ちた瞬間


春の高校バレー予選。兵庫県代表決定戦が終わり、稲荷崎高校が春高出場を決めた。

代表を決めた決勝戦。治は万全な状態ではなく、試合には出なかった。

あの喧嘩以降、というか大会が終わってもみょうじに絡みにいくことはなく、もちろん毎日通っていた外階段の隠れ場にも訪れはしなかった。女にうつつを抜かしているわけではない、侑に言われたからでもないが、ただ自分が一番調子を崩していることに焦りを感じ、バレーだけに集中しようと思ったからだ。
バレーも何もかも万全の状態でもう一度みょうじに告白をしよう。いや、まだ告白は早い、もう少しアプローチを……と代表決定戦から一週間。調子を戻してきた、というより力を更につけて、それ以上のプレーをする治は明日の昼からまた隠れ場に向かおうと呼吸を整えた。



「……」
「なんっやねん!その、なんでトイレまでこいつと顔合わせなあかんねんっちゅう顔は!!俺もや!」
「流石やな。当たっとる」

授業間。誰もいないトイレで片割れに遭遇した治は、げっと零すような表情をして、侑もまた同じ顔で同じ表情をした。

ヘッ!とこっちを見とる片割れを無視し、間を空けて用を足す。いつの間にか競うようにチャックを締めて、手を洗い、ツムより先にトイレから出ようとする。そこで、隣の女子トイレから突然聞こえた自分達の名前に二人して足を止めた。


「侑くん、全日本ユースの合宿に呼ばれたらしいで」
「全日本!?」
「詳しくは分からんけど、世界を相手にするんやって。凄ない?」
「は〜、やっぱ住む世界がちゃうわぁ〜」


それでイケメンやもんなぁ。今のうちにサイン貰っとく?いやいや、無理やって。そんなんしてくれへんて!とかなんとか。楽しそうな声が中から聞こえてくる。

目だけを動かし隣を見ると、あまりいい気はしないのかどこか不機嫌そうにしておる。その顔は俺にユースの声がかからんかった時と同じ表情。あとは、誰かに褒められたくてバレーやったるわけやないわ、そんくらいで騒ぎ立てんなやとか捻くれた事を考えとるな、これは。


「治くんもいくんやろ?その合宿」
「いや、治くんは声かかってないらしい」
「そうなん?侑くんの方が上手いん?」
「さぁ?私からするとどっちも上手いと思うんやけど。せや、治くん大会はレギュラー外されとったやん?それもあるんとちゃう」


歩き出そうとした足は片割れが止まったことにより、止まる。おい、女子トイレの声を盗み聞きはあかんやろ、ツム。そう思っとる間に、当の本人達が聞いとることなんて知る由もない女子達の話は進んでく。


「双子ってなんや可哀想やな。侑くんが選ばれたら治くんは?って、比べられて。私やったら心折れる」
「んー、どうなんやろ。周りからそう見られることが可哀想やと思うけどな、私は。双子やから比べられて可哀想って思われることが」
「あ、それもそうか。申し訳ないこと考えてしもたわ」


謝る女子に今度はどうでもよさそうに歩き出す片割れに小さく息を吐く。しかし、次の瞬間、俺は思い切り足を止めた。


「あ、みょうじさんはどう思うん?」
「え、私?」
「せや、あんま双子の話せんやん?前もどっち派か答えんかったし。気になるわ」

多分この女子達は以前、みょうじさんに侑派か治派かを聞いてきたクラスメイトや。まさか、自分の好きな子がいるとは思わんくて、咄嗟に聞き耳を立てる。ツムに盗み聞きはあかんやろとか言えへん。俺が急に止まったことに不審がるツムもまた歩みを止めた。


「あー……特には、何とも?何も思ってないっていうか」
「ほんまに?」

何とも思ってない。分かっとったけど、何も思われんことが一番寂しいんや。好きな子の一言にそれだけで、ガクッと肩を下げてしまう。

「うん。なんていうかさ、あのふたりはどうでも良さそう。比べられるとか可哀想とかそういうの。だってさ、侑くんと治くん、」
「?」


凄く楽しそうだもん


ふふと小さく笑う声が微かに聞こえた気がした。

「いつでも楽しそう。競い合ってる時とかその他の時も。勝っても負けても楽しそうじゃない?イラってくる時も当然あると思うんだけど、かけがえのない存在って…………ごめん、ごめんなさい。今の忘れて」

勉強を教えてくれたあの時みたいに急に謝り、焦った声を出すみょうじさん。続けて、キモい忘れて、ごめん語った、なんか語った。などと早口で言う。それに他女子達は「みょうじさん!?双子の熱烈なファンだったん?」「そない熱い気持ち持っとったんか」とテンションが上がるのに対し、それを全否定していた。


そういうとこやねん。俺がみょうじさん好きなとこは。

ツムも聞こえたのか「ハッッ!寒っ!!」と照れを隠すように声を荒げる。寒ってなんやねん。それには苛立ちを感じ、後ろから蹴りを一発入れた。

「いでっ!?なにす「俺な、みょうじさんのああいうとこが好きやねん。好きになった時もそうやった」……は?いや、聞いてへん」
「あれは去年の秋」
「せやから、聞いとらんて。どうでもええわ」
「あの笑顔に奪われたんや」
「あの笑顔てなに!?どれや!?聞きたない!やめろ!」





惚れたのは去年の秋。


みょうじさんを初めて見たのは入学式やった。
双子、高身長、イケメン、バレー界でもそこそこ知れ渡っとった俺達は入学初日からかなり目立った。学年関係なく、女から男まで色んな視線を集めとって。まあ目立つことに悪い気はせんし、慣れとるから特に違和感はなかった。

しかし、一つだけ嫌な視線。嫌、ていうより、気持ち悪いと言うた方がしっくりくる。敵意というものではなく、その目はまるで幽霊でも見とるような、死んだはずの人間が生きてた時のような、そんな視線。

あり得ない、と信じられないほど目を見開く女はこっちを見て固まっていた。ジッと見つめられる視線は、あまりにも気分の悪いもので、見るなという気持ちを込めて数秒見つめ返すと、我に返ったように体が跳ね、慌てて目を逸らされる。


入学してから数日後。ツムの教室に行くと、その女がおった。しかし、一週間、二週間、一ヶ月……四ヶ月が経ってもあの嫌な視線は向けられず、というかこっちを見なかった。皆から注目を浴びるような時は視線を感じたが、それは入学式のあの目ではない。

ツムにその子について名前を聞くが「誰や?それ」と言われ、当てにならんと思うたが、少し唸った後"みょうじ"と名前を教えてもらった。どんな子か。意外にもそのままベラベラ話し出すツムによると、どうやら"決め事やグループ分けでいつも譲る子、いるとスムーズに決まって楽"らしい。静かそうやし、真面目な子なんかな。
まあ、それを知ったところで、どうすることもないんやけど。せやけど、そんな子が何であんな視線を向けてきたかは不思議やった。好き、とかそうゆうんはなさそうやし、誰かに似とるとかか?双子を見るのが初めてとか。……ってこれも知ったところで、やな。



それくらいの認識。しかし、その程度の子が俺の中で一番になったのは夏休みが明けて少し経ってから。

ツムのクラスには学年一、いや学校一可愛いと言われる子がおった。確かに、顔は整っとって髪もさらさら、肌は白いし近くを通るといい匂いがして、声も可愛らしい。身長も平均的で、そして胸がでかい。俺らと同じくらい目立っとった。

クラスの中心グループに属してたその子は夏休み明け、一人になっていた。噂によると、グループ内の友達の好きな男に告られたらしい。よくある話や。みんなで協力しとったのになんで、人の好きな男に色目を使うな、可愛いからって調子に乗るな、前からウザいと思ってた、性格悪い等、たまたま陰口を聞いてしまったこともある。

女子、怖っ……!と身震いしたが、ここで男が助けでもしたら余計悪化するやろな。クラスもちゃうし、なによりその子は男嫌いっちゅうのを耳にしたことがある。ツムは関係ない、そんなんどうでもええって言うやろし。俺も関わったことないからな。せやけど、嫌われたグループが怖すぎて、他の女子達は話しかけれん状況やって、教室に来る度暗い顔して一人でおる姿を見てしまうと何ともいえん気持ちになる。


それから数日。昼休みは教室におらんその子はいつもどこかで昼食を取っていた。しかし、その日は四限目の提出プリントが終わらなかったらしく、一人紙と睨み合っている。前は周りに複数の友達がおって賑やかに楽しみながら教えてもらってた気ぃする。勉強ができんのか、手はずっと止まっていた。

……。

勉強教えるくらいええやろ。あのプリントは俺のクラスは既に採点済みで手元にある。それ、持ってきて渡すくらいなら目立つことはない。飯を食べるのを止めて、自分の教室に戻るため席を立ったその時、凛とした声が響いた。


「どこが分からないの?」
「……え、」


周りにはあのグループはおらんくて、教室内の人も少ない。それでもあの子に声をかける子はいなくて、一人イレギュラーの存在にみんなの注目を集めた。それが、まさかあの嫌な視線を向けてきた"みょうじさん"やとは思わんくて、二度見してしまった。


前の席の椅子に座り、体を横向きにしてプリントを覗き込む。それに対しその子は「わ、たしに関わらん方が」と小さく呟く。俺のいるところからそう遠くない距離にいる二人の会話は小声でも聞こうと思えば、内容は聞き取れる。

「私さ、ずっと話してみたいって思ってたんだ」
「え?」

ちょっと勇気出なくて、このプリントを使って仲良くなろうって作戦。て真剣な声で話すみょうじさんに、そないなこと言うんや。と飯を口に放り込みながら耳だけを傾ける。イメージしてたんとちゃうな。

「その、気持ちは嬉しいんやけど、私とおると色々、」
「……」
「私な、ほら性格悪いし」

一人でおっても別に平気や。あと半年くらい、高校三年間くらいどうってこと……と焦った声色で発するその子に目を食いもんからそっちへ向けた。

「周りにどう思われても何が起きても、どうっでもいいんだよね。それよりあなたと仲良くなりたい」
「……っ」
「私、性格悪いでしょう?」

頬杖をついて意地悪く、にこりと笑う。高校三年間って長いんだよ!青春しなきゃ勿体無い!!てその後の顔を近づけるみょうじさんに目を見開いた。


目が離せなく、あの時自分が受けたものと同じ視線を彼女に向けてしまった。意地悪く笑った顔が頭から離れない。離れないと同時に心臓が波打つ。ドクンドクンと早くなり苦しくなる。そして、顔に段々熱が集中していった。

なんやこれ。は?なんなん……?

急に苦しく、速なった心臓を止めるため掴もうとするが、そんなことは出来ない。その代わり、胸辺りを思い切り叩いて掴んだ。


「なんや、サム。変なとこ入ったん?」

必死に胸を叩く俺にむせたのかと小馬鹿に笑う片割れ。

「ちゃうわ!!!ボケッ!!!!」


俺は認めん。これは何かの間違いや。



この日からみょうじを目で追うようになった治は完全に抜け出せない底へと落ちてしまったのである。






「………やっぱ、ツムには教えん」
「は!?」
「みょうじさんのかっこええ、可愛ええ話をして惚れられても困るからな。あの笑顔は俺だけのもんや」
「惚れんわ!ボケッ!さっきからあの笑顔て何やねん!?気になってきたわ!」
「教えるか、ボケ。まあ、惚れられてもみょうじさんと付き合うんは俺や。残念やったなぁ、ツム」
「……お前、みょうじさんのことになると精神年齢五歳下がんの何なん」