反撃終了
「ハァウッ……!」
男子バレーボール部の部室にて。胸付近の服をぐしゃりと握りしめ、隅でその大きな体を縮こませる男が一人。
「ここ数日あんなんやけど、治なんかあったん?」
「どうせまたみょうじさん絡みでしょ」
朝練後。ジャージから制服に着替える途中。銀島は隅に縮こまる男、宮治を不思議がり、隣にいるチームメイトに問いかける。しかし、質問された角名は興味なさそうに心こもってない声で返すだけ。いつものことじゃん、と。
首を少し傾けた銀島が、北さんが来る前に早く着替えないとと声をかけようとしたその時、部室のドアがガチャリと開いた。
「治。何してん、はよ着替ええな」
現れたのは我らの主将。そして、後ろには肩を窄める我らのセッター。朝練が終わってもちょっとだけ自主練をするとなかなか上がってこなかったのが原因で、北からお叱りを受けたのだろう。少しだけ口が尖っているように見えた。
真顔で圧のかかった声色で放つ北に周りがビクつき、言われた本人は聞こえていないのか何の反応もしない。シンと静まる部室内。それを破ったのは治の片割れ、侑だった。
「だあぁぁぁぁぁ!!もうお前、ええ加減にせぇよ!!!!」
両手で頭を抱えた侑は突然大声を出す。それには治もぴくりと反応した。
「毎晩毎晩、みょうじさんみょうじさんて!俺の彼女可愛ええ、可愛すぎて理性効かん、理性効かんくて食ってもうた、どないしよ嫌われたかもしれん、せやけどあれは味見っちゅうか、そもそもあれを耐えろっちゅー方が無理な話や。なんであんな可愛ええの?は、待ってあんな可愛ええ子が俺の彼女なん?俺の彼女なんよ、凄ない?……とかなんとか毎日!夜な夜な!!永遠に聞かされんねん!!」
身振り手振りをして片割れの真似をしながら話す侑は最後に「北さん助けてください!!」とカッと目を開いて助けを求めるが、「自分でなんとかせえ」のお言葉をいただいてしまう。
侑の発言に他二年組は、だから最近いつにも増してバレーに熱中しているのかと納得した。しかし、その理由は半分も満たない程度で、大半はユース合宿に行った影響があるのだと思う。朝練後も時間ギリギリまでボールを触っていたことは今までなかった。
侑が合宿から帰ってきてからは治が聞き側に回っていた。しかし、侑が落ち着きを取り戻した頃に立場逆転。食ってしまったあの日の翌日から侑は合宿に行き、数日間は角名がその被害者だった。
今回、隅で胸を押さえてる原因はあの時のことを思い出して後悔をしているからで。自分の行いのせいでずっとみょうじに近づけないでいる。
そして、今日は終業式。学校がない冬休みはみょうじに会えない日々の始まり。それに、本日はクリスマスイブでもある。春高も近いため練習に集中したいが、付き合って初めてのクリスマス。午前中で学校が終わり、そのため練習も放課後練よりは早めに終わる。数分、数秒でもみょうじと一緒に過ごしたいと思っている治はまだ彼女を誘えないでいた。
「こっちはサムのせいでみょうじさんが夢に出てくんねん」
最悪やとため息を零す侑に治の目が鋭くなった。
「は?なん、みょうじさん夢に出てきとんねん。どんな夢見たんや!!俺の許可なしに!!お、俺やってまだ見てへんのに……!」
ずっと動かなかった者とは思えない程、軽々と腰を上げて侑の胸ぐらに手をかけようとした時。
「治」
北の抑揚のない、何の感情も読み取れない声色で名前を呼ばれ、その場に固まる治。
「早よ着替えて言うたの聞こえんかったか」
「……」
「夢のこと怒ってどうするん。怒ればみょうじさんが侑の夢に出てこないとでも思うとるんか?ほんで治の夢に出てくんの」
「……いえ」
「毎晩お前が話すから悪いんやろ」
「……はい」
「わかったんなら、はよ着替え」
「はい」
侑が部室に入ってきた時と同様、今度は治が肩を窄める。銀島、そして黙って着替えていた北以外の三年生は苦笑いをし、侑は笑いを堪えるのに必死。角名は流石というのか、バレないようにスマホで動画を回していた。
トボトボ自分のロッカーに向かう治に、北は「せや」と何かを思い出したように口を開いた。
「自分のことも出来ひん奴が食ってええわけないやろ」
そう言って治の傍を通り過ぎる主将に「ハイ」と片言に返事をするのであった。
「あ、治くん」
終業式前。日直の仕事の一つ、授業中に使った資料を片付けるため準備室に来ていた。本当はもう一人日直がいるはずだが、体調不良で休みなのと半日で学校が終わるから今日は私だけでやることになった。
そして、片付けをしている最中。荷物を持った治くんが扉付近に立っていたのに気が付いて少し驚く。その後、名前を呼ぶと治くんは挙動不審に動き始めた。
あの日、初めてキスをされた時。びっくりしたのとまだ心の準備が整ってなかったこと、それから治くんがあまりにもかっこ良すぎて、どうしたらいいか分からなかった。
前世では一通り経験はしたけど、今世ではキスもしたことがなかったし。ていうか、前世を含めてこんなに好きになった人が初めてだから、好きな人とのあれこれは初めてだし。手だって治くんとはまだちゃんと繋いでないし。こんなに一緒にいて心臓が破裂するくらいドキドキするのなんて初めてだもん。前世の記憶はもうないけど。多分初めて。
前世で一通り経験した。こんなにドキドキするのは初めて。こういう"事実"を覚えているのは、前世の記憶を覚えている、から分かるのではなく、今世で何度かそう思ったことを覚えているからわかる。
だから、あの時は放心状態で固まるしかなかった。けど「食ってもうた」と笑った後、治くんが私以上に慌てるものだから、逆に冷静になったというか。自分より酷い人見ると心落ち着くんだな、なんて呑気に考え事が出来る程に。でも、まだ完全には落ち着いてなかったから、両手で口を隠して「食べられた」と言う私に治くんは掠れた声で謝り、走っていなくなってしまったのだ。
それから数週間。会うことはするけど、より一層距離を保たれてしまった。会話もほとんど出来ていない。
「治くんも日直?」
「お、おおん」
気まずそうに目を泳がせてから、ロボットみたいな動きで荷物をあった場所に片付ける姿に少しだけ口角が上がってしまう。
「私もなんだよね。違うクラスでも同じ日に日直ってなんか嬉しいね」
「……そ、うやな」
「日直って色々面倒じゃん?でも、治くんとだったら毎日やってもいいかも」
「っみょうじさん……」
「はい」
「あんま、そういうん……やめてくれ、」
急に苦しそうに、やめてくれと放つ治くんは壁に両手をつきひとり大きなため息を吐く。
「やめた方がいいの?」
「で、出来たら。みょうじさんが危ないねん」
私が危ない。何となく分かった。この間みたいに手を出されるかもしれないってことだよね。
「私は好きな人にはちゃんと好きとか思ってること伝えたいんだけどな」
「!?」
壁に手をついている隣に並んで、横から覗き込むように尋ねると、こっちに顔を向けた治くんと至近距離で目が合う。わ、近……。近いけど、あと一押しすればいけそう。
「ダメ、かな?」
「〜っダメ、やない……」
「お!本当?」
「……おん」
頷きまた壁を向く治くん。良かった。駄目って言われても言っちゃいそうだしなぁ。
「ははっこんなに好きになった人、治くんが初めてだから安心したあ」
「……」
「恥ずかしくて言えないと思ったけど、出してかないと持たないからね。心臓」
背を向け、片付けを再開するため歩き出すと、後ろからゴンっという大きな音が室内に響いた。驚いて振り向いたら壁に沿って力なくしゃがみ込み、左手で目を覆う治くんの姿が。
これは照れ……?というか、好きが溢れてるみたいな?自分で言うのもあれだけどさ。治くんって、私のこと好きすぎじゃない?あの言葉だけでこんなになる?ここまで自分の言葉で一喜一憂……、というか色んな反応を見せてくれる人は初めてだから、一周回って私は冷静になれる。
もう一度近づこうとした時、隠れていない口がゆっくり動いた。
「みょうじさんは言えば心臓が持つかもしれんけど」
「うん」
「お、れは、言うより先に、手出してまうから」
一呼吸置いて、「せやから、そういうこと言う時は離れてくれ」と弱々しく吐き捨てる。
その姿はなんか。なんていうか。可愛いと言うより、とても、とてつもなく、愛おしく感じた。
「………出してもいいよ、手」
手のひらを上に向けて前に突き出しながら言う。すると、顔を覆っていた手をゆっくり外して目を大きく見開いた治くんがこっちを見つめた。距離はとっている。近づいてない。言ってもいい条件は揃ってる。
また注意されるかな。ちょっとだけヒヤヒヤしてたら、のそりと立ち上がり遅い足取りでこっちに近づいてきた。無表情で、だけどしっかり私の目を捉えてて、こういう時の治くんには少し緊張してしまう。だから、伸ばした手を自分の方へ戻した。
「……」
「お、さむくん……?」
体が触れるくらいの距離で止まり無言でこっちを見下ろすだけ。そして、顔がゆっくり降りてきたから私の心臓は速くなった。瞼は閉じず、治くんの瞳をじっと見つめていたが、急にそれは視界から消えた。
「え、」
思わず口から小さく零してしまった理由。それは私の肩に治くんの額が乗ったからで。
「本気で言うとんの?」
「え、と。半分は本気……?」
「せやったら、手出さん」
本気。この言葉にドキリと心臓が鳴って可愛くない返事をしてしまった。本当は本気。いや、四分の三は本気。
「治くんは、その、か、彼氏なんだからさ。その、いいからね」
「っ」
私は何を言ってるんだ。自分の言ったことに恥ずかしくなりここから逃げ出したい。横目で治くんを見たら耳が真っ赤で、右肩になっている頭は丁度私の好きな分け目がちょっとだけ見える。銀髪好きなんだよな。大人になった治くんは髪染めてなかったから今しか堪能できない。真っ赤な耳と髪が愛おしくて無意識にその分け目に左手を持っていった。
「!!」
「私、治くんの銀髪好き。この分け目も好き」
そっと髪を撫でてから分け目に触れた瞬間、勢いよく離れられた。そして、両腕で私の体を包み込もうと触れる直前、ピタリと動きを止めた。
「手、出さんって決めたんや……!」
「え、これくら「みょうじさん!!」はい」
「俺の手縛ってくれッ!」
「は?」
「同じ空間におると抑えきかんねん。せやから、縛ってくれ!!」
「縛れって。え、なにで?」
「それは……」
縛る?縛るものなんて……
あ。ああ、いいのがあった。
「なッ!!は?!な、にしてん!?」
「え、縛るもの?」
縛るもの。それは制服のリボン。この学校のは既に完成しているリボンにゴムがついていてそのゴムで長さを調整できるタイプのもの。リボンを取ってゴムを長くして二重で治くんの両手首に巻きつけた。巻きつけたけど、それがなんていうか。
「治くんプレゼントされてるみたい」
「!?!?」
「あ。ごめんごめん。ちょっと、違った、かなり変態みたいなことを。本当ごめん、外すね」
固まる治くんからリボンを取り、今度こそ資料の片付けを再開するために体を動かした。段ボールの中に資料を入れてそれを棚の一番上に置く。収納場所は結構高い位置にあるから、一息吐いて気合を入れてから段ボールを持ち上げようとした時、隣からそれを奪われた。
「!……あ、ありがとう。治くん」
「おん」
俯きこっちを見ない治くんはどんな表情をしているのか分からない。一番上の棚に置いた時、伸ばしたことにより袖から腕が見えて、血管が浮き上がっているのに気づいた。
あ。これ、ダメなやつだ。私、好きなんだ。重いもの持った時に血管が見えるの。フェチなんだ。段ボールを置いた後、無意識に。何かを考える前に、その腕にそっと手を伸ばし血管をなぞった。
「っ!?」
なぞった瞬間、体をビクつかせ後ろへ身を引いた治くん。その姿に我に返った。
「あ、ごめん。私、言うより先に手出しちゃった」
「!」
「無意識って怖いね。触りたいって本能が働いて体動いちゃった」
「……っ」
「あー……じゃあ、あの。私のこと縛って……?」
「ッは!?なん……!?みょうじさんほんま……!ほんま!アホちゃう!?!?」
アホ……。自分の行動に動揺しちゃって、テーブルに置いといたリボンを差し出すと、アホと言われてしまった。アホって治くんに初めて言われた。なんか、いいね。アホって。恋は盲目って聞いたことがある。本当にそうだ。治くんに言われる言葉は全て嬉しくなってしまう。
「あ、ちゃう!ちゃうねん!すまん、アホはちゃう。みょうじさんはアホちゃうからな!」
「うん。でも治くんにアホって言われるの、なんかドキドキしちゃった」
「〜っほんま……もう許して、くれ」
「え?」
ズルズルまた力なくしゃがみ込む私の彼氏は消えそうな声でもう一度「……あほ」と呟いた。