ヒーロー基礎学。ヒーロー科に通う生徒たちにとって最も重きの置かれている授業。 午前中の必修科目や英語の授業、そして昼食が終わるころには殆どの生徒が期待に胸を膨らませている様子を隔せずに、教室中が高揚感に満ちている。 かく言う伊壱もその御多分に漏れず、この時間を楽しみにしていた一人だ。 (ヒーロー基礎学……。どんな授業だろう。ヒーローとして必要なことは沢山あるだろうから、予想がつかないな) どのような内容であれ頑張らなければ、と思っているとガラリと教室の戸が開かれる。 入ってきたのは今年度から雄英に教師として着任することとなった、No.1ヒーローオールマイトその人である。 「わーたーしーがー! 普通にドアから来た!!」 彼特有の挨拶とともに入ってきたオールマイト。アメリカ系ヒーローをそのまま形にしたかのような派手な出で立ち。筋骨隆々の体格と堀の深い顔立ちが相まって、画風が違うとクラスの誰かが言った。 大物中の大物ヒーローの登場にクラス中がざわつく中、オールマイトは教壇前まで威風堂々と歩を進めると授業の進行を始める。 「ヒーロー基礎学! ヒーローの素地をつくるため、様々な訓練を行う科目だ! 早速だが今日はコレ!!」 単位数が最も多いこの授業の重要性についての説明は言うまでもないので不要だろう。 オールマイトが皆に見えるように見せてきた彼の逞しく大きな片手ほどのサイズのある長方形のカードに書かれていた文字は――BATTLE。 その文字を見た瞬間、伊壱は確かに早速だ、と思った。 「戦闘訓練!!」 高々に宣言されたオールマイトの言葉は、正に多くのヒーローにとって大きな課題となるもの。 ヒーローという職業が確立され、今やその数は飽和状態と揶揄される中、年々と人々の意識が実力主義に傾いてしまうのも無理はない。 無論、ヒーローの中にはそれだけではなく、必要とされる分野が異なるヒーローもいるため一概には言えないのだが。 「そして、そいつに伴って……こちら!!」 オールマイトがそう言ったかと思うと、なんと、教室の壁の一部がせり出している。よくよく見ると五本分の長方形に仕切られており、やがて正に隠し収納棚としての姿を顕わした。 中に入っているのは銀色のアタッシュケース。それぞれ数字が割り振られているようだ。 「入学前に送ってもらった個性届と要望に沿って誂えた、戦闘服!」 「……!」 コスチューム、という言葉に反応した伊壱。周囲もいつ着られるのか楽しみにしていたものも多いのだろう、高揚感がさらに強まっていく。 伊壱も一部の生徒たちのように声を出すことはなかったものの、ずっと待ち遠しいと思っていた。 受け取ったものから着替え、グラウンドに集まるよう指示したオールマイトに返事するクラスメイト達の大声の中、伊壱はワクワクするだけではなく、そわそわする自分にも気付く。 (まさかこんなに早く着られるなんて思わなかった) 「お、外賀も楽しみか?」 「勿論だよ! 楽しみじゃない人なんていないんじゃないかな?」 オールマイトから手ずからコスチュームの入っているアタッシュケースが配られていくのを見守る中、伊壱と飯田とは逆の隣に座るクラスメイト瀬呂のように、持て余している感情を発散させるかのように会話を行う者もいる。 「聞いたことがあるんだけど、コスチュームはちゃんと指定しないと大変らしいね」 「そうなのか?」 「男子は兎も角女子がね。ほら、女性ヒーローのコスチュームってボディーラインがはっきりしてるの多いだろ? そのせいか指定しないとボディーラインがはっきり出るものにされちゃうみたい」 「うお、マジか。女子も大変だな」 雄英教師の一人であるミッドナイト、最近人気が上がりつつあるMt.レディを始め、女性のプロヒーローのコスチュームはどういうわけかボディーラインがはっきりとしたものが多い。 男ならば気にするものは少ないだろうが、女にとってはとても悩ましい問題だろう。 実際二人の会話が聞こえてきた女子生徒が一人、焦った表情を浮かべているのだが――話に夢中の二人は気が付いていない。 どんどんと人が入っていく男子更衣室は互いのコスチュームについて感想を求めるものや、着替え終えて早々にグラウンドに向かったものなど様々だ。 着替え終えても残っている男子生徒たちは時間に余裕があると踏んでの行動で、同時にクラスメイトのコスチュームを一足先に見てみたいと思っているようで、未だグラウンドに向かう気配はない。 コスチュームの関係で着替えるのに少し手間がかかる飯田は、更衣室にいる面子を何気なく見てあることに気が付いた。 「外賀くんはまだ来ていないのか?」 「……そういえば瀬呂がいるのにいねぇじゃん。迷子か?」 コスチュームが入ったアタッシュケースを受け取るだけでそこまで時間を食うわけがないので、気付いたことを述べた飯田。上鳴が考えられる可能性を言うと、事情を知っている外賀よりも遅れてやってくるはずだった瀬呂が答える。 「外賀はオールマイト先生に話があるって呼び止められてたぜ」 「外賀くんが……?」 「不思議だろ? 外賀も心当たりなかったみたいで不思議そうにしてたわ」 オールマイトに呼び止められ、残るように言われた伊壱の顔を思い出す瀬呂。あの顔は本当に心当たりがない、という顔だった。 「外賀のコスチューム気になるな」 「本人も結構楽しみにしてたみたいだし、拘りとかありそう」 一癖、二癖もあるクラスメイトの中でも実力もあって、落ち着いた感じのする伊壱だが、今日に限って自分達と同じように目を輝かせていたのを思い出す。 「俺は外賀のコスチュームは医者系と見た」 「あー……わかるわ、それ。外賀って父親医者らしいからな」 「マジで!?」 「昼休みさ、アイツ真剣な顔で何読んでるのかと思ったら医療の論文だってさ。しかも全文英語」 「英語でわからないところがあったら外賀に聞くわ、俺」 昨日の応急処置の手際の良さから予想するもの。今日の昼休みの時の様子から予想するものと様々だが、早くも伊壱の印象は医療系に傾きつつあるらしい。 話している間にも真新しいアタッシュケースを手にもって着替えに来る男子生徒は増えていく。 思っていたよりも残っている面々に戸惑うものや、訝しげに見るもの、機嫌悪そうに舌打ちするものといる中、いよいよ彼らにとって本命の人物がやってきた。 「あれ……? もうみんなグラウンドに行ったのかと思ってた」 「お、外賀! みんな待ってたから早く着替えようぜ!」 「えっ、待ってたって……?」 「いいからいいから、早くしないと怒られちまう!」 戸惑う伊壱だが、確かにこれからの授業に遅れてしまうので残りのロッカーへ向かい着替え始める――のだが、複数視線を感じて着替えづらいことこの上ない。 「……どうしたの?」 「いいからいいから」 「そんなに見られるとなんか着替えにくいというか……」 「いいからいいから」 戸惑いを隠せない伊壱を見てか、真面目な性格をしている飯田がじっとして動かない男子たちを諫める。 「君たち! 外賀くんも着替えにくそうにしているんだ、ここは早くグラウンドに向かうべきではないか!?」 「それもそうか……。悪い、外賀。ちょっとテンション上がりすぎてたわ」 片手でごめん、と告げるような動作とともに謝ってきた切島に、伊壱は気にしないで、と返し、着替え終わった面々に言葉を掛けた。 「オールマイト先生すごい速さでグラウンドに向かったから、みんなももう行ったほうがいいんじゃないかな?」 「外賀は兎も角俺たちが遅いのはマズイかも」 「だな。じゃあ先に行ってるぜ、外賀」 手を振られて振り替えし、グラウンドに向かっていた着替え終わった面々を見送った伊壱は着替え始めた。 アタッシュケースの中を改めてみる。そこには伊壱の要望通りのコスチュームが確かに入っていた。 「……うん、要望通り。凄いや」 一見すると私服にしか見えないこのコスチューム。きっとサポート会社も不思議に思っていたかもしれない。けれど、伊壱にとってはこれ以外には考えられなかった。 黄色がメイン色の七分袖のパーカー。正面にあった海賊マークは流石にいれられなかったので、医を意識した白十字を前面、後面に黒の×印のデザインを入れた。 ダメージ加工のように思えなくもない他のところよりも濃い色で所々に散らばるまだら模様が走るライトブルーのジーパンに、何よりも彼の特徴として最も挙げられるだろうゴマフアザラシを彷彿とさせる薄茶色の模様が特徴的なもふもふとした手触りの白いポークパイハット。 勿論靴も彼を意識した革靴だ。頭から足にかけて彼の人―ートラファルガー・ローの衣装ほぼそのままである。 尊敬している相手と同じ格好になることはとても勇気のいることだったが、そうすることで目標である彼に近付こうという決意表明の意を込めてコスチュームとして採用したのだ。 彼の人は持っていなかったが、せめてその場で対応できるようにと応急処置ができるように最低限の医療道具が入ったシャチを彷彿とさせるデザインの施された小振りのポーチも要望に出していた。 これにはジーンズのベルトループに直接かけることができるように、登山用品でもよく利用されているカラビナフックが採用されている。滅多なことでは取れることはないだろう。 「あれ」 上記の内容が伊壱の出した要望であったのだが、唯一、見慣れないものがあった。 ヒーロー活動に季節は関係ないので冬にも問題なく活動できるように――これは寒い地方出身の師匠からのアドバイスということもあったが――冬用のコートも要望に出していたのだが、これはそれとはまったく異なる、言うなれば伊壱が用途に出していたポーチと同じように、制作会社のオリジナルといったところだろう。 「白衣……白くないけど」 普通は白いはずのドクターコートが紺色に染められている。確かに近年医療のコスチュームはネイビー色のものが多くなりつつあるが、それを意識してのことだろうか。 ドクターコートの裾にもポークパイハットやジーパンのようにゴマフアザラシのような模様が散らばっており、背面にはパーカーに入れていたデザインが入れられている。 紺色が選ばれたのは伊壱の要望の多くに海の生物が意識されていることも由来となっているのだろう。 「……応急処置できるように、ってポーチの要望を出したからかな? それともデザインマーク?」 何故ドクターコートなのかは想像することしかできないが、折角用意してくれたものなので伊壱は袖を通す。 因みに彼のサポートアイテムである日本刀は立派な武器であることと、大きさのことも関係して教室に置くことは流石にできず必要な時に応じて教師が直接手渡すこととなっている。恐らくこの後オールマイトから手渡されるはずだ。 着心地を確かめるために軽く肩を回すと驚くほどしっくりくる。これなら戦闘も問題なく行えるだろう。 「わあ、げ、外賀くん、かっこいいよ……!」 「ありがとう、緑谷君。緑谷君はオールマイトを意識してるの? なんかそれっぽいね、カッコイイよ!」 「う、うん、そうなんだ。オールマイトは僕の憧れで……」 「わかるよ、オールマイトかっこいいし……。あ、他のみんなもう行っちゃってるね。俺たちも早く行こうか」 緑谷はぱっと見は緑色のウサギと言えばわかりやすいだろう。しかし、ウサギ耳のように見える部分や、よく見るとマスクのところはオールマイトの触角のように立っている前髪や笑った口元を意識されていることがわかるデザインだ。 すっかり二人きりとなった更衣室。あまり待たせるわけにはいかないと伊壱と緑谷は急いで指定されたグラウンドに向かうと、クラス全員が各々で注文したヒーローコスチュームを着た姿が勢揃いという壮観な光景が広がっていた。 「あ、二人ともかっこいいね! 地に足ついた感じ!」 「麗日さ……うおお……!!」 最後の到着となった二人に声を掛けてきた女子生徒――麗日お茶子の姿を見て照れる緑谷。 彼女のコスチュームは女の子らしくピンク色を多く使われた宇宙服を意識して作られたデザインだ。同時に多くの女性ヒーローと同じく体のボディラインがはっきりとわかるものとなってしまっている。 「外賀くんと瀬呂くんが話してたの聞いてもしかしてとは思ってたんだけど……。要望ちゃんと書けばよかったよ……」 「俺と瀬呂君の……? ああ、あの話か。でも麗日さんとてもよく似合ってるよ。ね、緑谷君」 「う、うう、うん!! とてもあの、に、にに似合ってるよ……!」 「あ、ありがとう。外賀くんはなんか海のお医者さんって感じだね!」 「そう言ってもらえると嬉しいな、ありがとう、麗日さん」 海のお医者さん、と言われたのは色合いや所々にあるゴマフアザラシを意識した柄が多いことが影響してのことだろう。医者は言うまでもなく紺色のドクターコートが原因である。 仄々とした二人をよそに、峰田が緑谷に声を掛けていた。 「ヒーロー科最高」 「ええ!?」 明らかに麗日を見つめたあとでの発言に緑谷が戸惑ってしまうのも無理はない。 伊壱と緑谷が来たのでオールマイトが授業を進めるべく言葉を発した。 「始めようか、有精卵共!! 戦闘訓練の時間だ!」 雄英高校一年A組、初の戦闘訓練が始まろうとしている。