A組総勢二十一人全員が無事、相澤からの合理的虚偽を乗り越えた次の日。 登校してきて自身の席に着いた伊壱に訊ねたのは隣の席に座る飯田だった。 「外賀君、君の個性ならば推薦をもらえたのではないのか?」 「あ、それ俺も気になってた。外賀っていい奴だし、強ぇし、なんでかなって」 飯田の言葉が聞こえていたのだろう、前の席の切島からの質問を受けて、伊壱は苦笑いしながら答える。 「あー……。俺、結構学校休んじゃってたからさ。内申が悪かったんだよ」 伊壱の通っていた中学は出席日数が内申に大きく響くシステムを取っていた。 その点さえ除けば優秀な成績を収めていたので推薦を受けることはできたのだろう。けれど、規則は規則だからと伊壱自身納得している。 寧ろそのことで気を揉ませてしまった担任を始め、中学校の教員たちに申し訳なく思っているくらいだった。 「マジか、意外」 「恥ずかしい話なんだけど、個性の調整ミスでぶっ倒れることが多くてね」 伊壱の個性――もとい、オペオペの実はONE PIECE世界から必然とされたデメリットが存在しており、伊壱の異常なほどにある体力を容易く奪っていく。 武藤タツキの指導の賜物でどうにか今の状態に持って行けたのだが、それでも個性を使用し続けながらの全力となれば、実技試験の十分間が意識を保てるギリギリだった。 あれでは到底、伊壱の目指すヒーローにはなれないだろう。 (師匠も言ってたな……。実力があれば実技試験をクリアすることは簡単だって) 師匠のその言葉に甘んじていたわけでは勿論ないが、確かにあの試験内容は“シャンブルズ”という位置交換の技を持つ伊壱には最適と言えるほど適した試験だった。 今思えば雄英卒業生でもある師匠は試験内容を知っていたからこその発言だったのだろう。 「そうか……。強い個性というのはそれほど扱いが難しいのだな」 「飯田君たちの個性も十分強いよ。俺の使い方が下手なだけさ」 詳しいことを言うことは流石にできないが、伊壱の尊敬しているオペオペの実の真の使い手の戦い方は、伊壱の比ではない。 伊壱には異常なまでにスタミナが減少するデメリットがあるが、ローには恐らく自分ほどのものではないし、素の能力値が全く異なる。そもそも、オペオペの実の言うなれば適正値というものがあるとして、それが異なっているのだろう。 もしも彼のように戦えるようになれたら、どれほど沢山の人々を救けることができるのだろうか。 彼の技の一部を形だけではあるが使えるようになれはしたものの、思い出してみても自分よりも何段、否、何十段も上の、正に雲の上に等しい存在。 使っていけばいくほど、どれほどオペオペの実の使い手であるトラファルガー・ローが凄い人物なのか痛感してばかりだ。 「そんなことねぇって、外賀! お前の個性なら救助とかかなりできるじゃねぇか、プロにも通用するしよ」 「ありがとう、切島君。そうなれるように頑張るよ」 師匠と出会ってから十年以上経っても、伊壱はオペオペの実の力を引き出しきれてはいない。今の調子ではまだまだ時間がかかってしまいそうだが、それでも頑張らなければ。 個性だけでプロになれるほど、ヒーローも医者も軽いものではないのだから。 「外賀くんは向上心がとても強いのだな! あの実技試験の結果があっても謙虚にいられるとは」 「でもちょっと卑屈じゃないか? もっと自信持ってもいいと思うぜ」 「え、そうかな? 極端かもしれないけど、オールマイトやエンデヴァーを始めプロヒーローならあの試験で俺以上の記録を軽く出しちゃいそうだし……。比べると、どうしてもね」 過去にあった大災害。その時に一人で千人もの人々を救助した名実ともにNo.1のオールマイト。そして自身の師匠である武藤タツキ。他にもたくさんのプロヒーローが弛まぬ努力で自分よりも遥か先にいるのだ。 師匠にも言われているが、自分は飽く迄も個性が強いだけの平凡な人間。ただ個性が強いというだけであの高みに辿り着けるなどと、そんなことを伊壱は一度たりとも考えたことはない。 「そりゃ極端すぎるぜ、外賀……。でも、確かにオールマイトを想像するとヤベーよな」 「確かに……。オールマイトなら用意されていた仮想ヴィラン全機破壊してしまいそうだな」 オールマイトの個性はシンプルさを極めたものだ。だからこそ強い。正にヒーロー中のヒーロー。 そんな人物から教えを受けられることとなろうとは。本当に人生というものは何が起きるのかわからないものである。 「頑張らないとね。だからこそ雄英のヒーロー科に来たんだから」 「だな! あ、そういえば今日からあるヒーロー基礎学! どんなことやるんだろうな!?」 「うーん……。基礎学だからなぁ……。どういう基礎を習うんだろう。沢山ありそうでわからないね」 「なんか気になる話題じゃん、俺も交ぜてくれよ」 自分の師である武藤タツキは雄英のことを多くは語らなかったが、昨日の相澤の一件もある。 きっと普通の授業であるはずがない。特に、ヒーロー基礎学という自分達にとって最も単位数の多い授業において。 今日の午後から早速始まるヒーロー基礎学がどういう授業内容になるのか、と話し合っているとそのことを気にしていたクラスメイト達も集まってきた。 ああなのか、こうなのか。沢山の予想がなされていく中、伊壱に話しかけてくる一つの影が。 「なあなあ、外賀」 「ん? 何だい、峰田君」 このクラスで一番小さな背丈にまるで葡萄のような髪型――因みに葡萄と喩えたようにもぎ取ることができる――をした少年、峰田実がとても真面目な顔で、伊壱に問うた。 「お前が昨日使ってたシャンブルズって技、あれって、どういう原理なんだ? ワープなのか? 瞬間移動なのか?」 「あれは位置を交換しているんだよ」 「位置交換……。つ、つまり、あの技を使えばいろんなものを交換できるんだな!?」 「そ、そうだけど……。それがどうかしたの?」 目に見えるものであれば、という注釈はつくが、確かにその通りだ。 何故なのかわからないが鬼気迫ると言わんばかりの峰田の気迫に伊壱が首を傾げると、彼は堂々と言い放った。 「つまりその技を使えば女子の下着とか抜き取れるってことか……!」 「えっ」 「お前の個性、凄いな」 現実的に可能ではある。伊壱の名誉のために言っておくが、彼はそんなことを考えたことはただの一度もない。もっと言うと、決して凄いと褒められるべきことでもないはずだ。 とんでもない悪用方法を指摘された伊壱は思わず峰田から距離を取るように僅かに体を引く。座らずに立っていたなら、一歩分くらいは峰田から距離を取っていたかもしれない。 「……えーと……。どう返したものか……」 「いや、返さなくていいぞ、外賀」 「お前、女子もいる教室でよくそんなこと言えるな……。女子からの視線が痛いんだけど……」 「峰田くん! 君という人はなんてことを言うんだ! ヒーローを目指すものとして、いや、人として恥ずべき発言だぞ!」 「聖人ぶるんじゃねぇぇ! ただでさえ女子率低いんだぞ、少しくらい妄想させろ!」 全く悪びれない峰田。きっかけとなった話題はとても健全なものだったというのにヒーローを目指すものらしからぬ話題になっている。 もしかしなくても今の峰田の言葉で自分も女子に引かれてしまっただろうか、と伊壱が不安になってくると、近くの席にいた女子たちが声を掛けてきた。 「ケロ、外賀ちゃん、私はそんなことをする人だと思ってないから安心して」 「私もだよ! なんか外賀くんっていい人そうだし!」 「あ、ありがとう。えーと、蛙吹さんと葉隠さん、だっけ?」 対象とされた女子からということでとても心強い言葉に安堵した伊壱は、二人の名前が合っているのか尋ねると、彼女たちは同意するように自己紹介してきた。 「私は蛙吹梅雨。梅雨ちゃんと呼んで」 「私は葉隠透、よろしくね、外賀くん!」 「俺は外賀伊壱。よろしく、梅雨ちゃん、葉隠さん」 穏やかな自己紹介がなされていると、やはりというべきか、峰田が絡んでくる。 「外賀ぁ……お前のその女子に警戒されないスキルをオイラにくれよぉぉ……」 「み、峰田君、ちょっと落ち着きなよ……。その雰囲気は女子の方から離れていくって……」 見た目だけはまるでマスコットのようなのに、こうも物欲(敢えてこう表現しよう)を全面に出してくるのか。 昨日のテスト種目にあった反復横跳びでとてもすごい記録を出していただけに、残念な感じが増したような気がしてならない伊壱だ。 「峰田ちゃん、流石にあれはないわ」 「そうだそうだ!」 「チクショォォォ! イケメンだからって調子にのるなよ外賀ぁぁぁあ!」 「え、俺調子に乗った覚えはないんだけど……。というかイケメンってそれと関係あるの?」 「峰田それくらいにしとけって。お前と外賀じゃ、女子の信頼がどんどん外賀に加算されるだけだって……」 相手が悪いとは正にこのことか。上鳴が少し同情して峰田の小さな肩にぽん、と手を置いた。 実際女子からの冷たい視線はしっかりと峰田に刺さっているのだから、やはりヒーロー科の女子。人をちゃんと見ているのだろう。 因みに上鳴の言葉を借りるとするのならば、峰田の女子からの信頼度がしっかりと減算されているのは間違いない。 「ちくしょう、オイラにも……オイラにも、外賀の個性があれば……!」 「心の底から外賀くんの個性が外賀くんにあってよかったと思ったよ!」 「……ちょっと複雑だなぁ」 まさかの方向からの僻みに伊壱が戸惑うのも仕方のないことだろう。 続くかと思われた彼の僻み染みたいちゃもんは、担任の相澤が来ることでなんとか終息することとなった。 昼食の時間、伊壱は母親手製の弁当箱を持ってきていたため、食堂ではなく教室で昼食を取っていた。クックヒーロー・ランチラッシュの食事には勿論惹かれたのだが、幼いころから自分の夢を応援してくれている母親が、労力を惜しまずに作ってくれているものを食べないという選択肢はなかったのである。 あまりマナーのいい食べ方ではないのだが、昼食を食べる傍ら、少々分厚い資料程度の厚みがあるプリントを読んでいた。 「外賀さん、少しマナーが悪いのでは……」 「あ、ごめんね、八百万さん。昔からの習慣で、つい」 自分と同じく弁当組の八百万から通り掛けに指摘されて苦笑した伊壱は、苦笑しながら読み終えたところまで付箋を使って印をつけてからプリントを閉じ、改めて食べることに専念した。 八百万は伊壱が読んでいたものがいったいどのようなものなのか、表題が見えたことで知る。 「まあ! “個性医療ジャーナル”ですか?」 「えっ、そうだけど……。凄いな、八百万さん。これ知ってるの?」 「ヒーローを目指すものとして医療方面にも知識を伸ばすべきですから。毎号読んでいますわ」 医療分野ほど人手不足の職業はない、そう言われることがある。 個性が発現されてからというもの、医療は多様化せざるを得なかった。何せ、世代を経れば経るほど個性が多様化されていくものだから、仕方がないことだった。 科学が発展しても、治癒という個性が存在しているのだとしても、日々怪我や病気に罹るものは何千、何万といる。希少とされる治癒の個性持ちだけではとてもじゃないが対応しきれない。 医療関係者が必死に模索し続けたが、どんどんと医療は現状に追いつけなくなっていった。 ――このままでは医療が崩壊する。 そんな危機感から脱するべく立ち上がったのが、逸早く個性研究機関と各国家にある医療の研究機関が合併してできた“個性医療研究機関”である。 “どのような個性の患者がいたとしても、適切に治療できるようにする。”この目標を掲げて日々個性と治療の研究を行い、世界各国に行き渡るようにと研究結果を採算度外視で創刊したのが“個性医療ジャーナル”だ。 現代において医者にとって必需品とされるほどの存在となったものであり、存在していなければ今の医療はあり得ないとまで言われるものである。 「外賀さんのようにプリントされたものは見たことありませんわ。ご自身でされましたの?」 「“個性医療ジャーナル”は大きな病院や大学病院には発売されるよりも前にFAXが送られて来るんだよ。ある意味最新号とも言えなくはないけど、これは最近発売されたやつのものだからもう最新ではないかな」 「そうでしたの……。ではご両親か、お知り合いのどなたかが、医療関係者なのでしょうか?」 「父親が医者で、これは父から譲ってもらったんだ」 当初は伊壱も個性医療ジャーナルを自分の小遣いから買おうとしていたのだが、父親が発売されたものを買っているのだから、これを使えと言って渡してきたのがきっかけである。 物持ちのいい父親は、伊壱が生まれる前から――もっというと、彼が初めて購入した個性医療ジャーナルを含めてもう使わなくなった過去分もすべて譲ってくれたのだから、伊壱にとっては本当にありがたいことだった。 今でも伊壱の勉強机や本棚は教科書よりも個性医療ジャーナルのほうが圧倒的に多く、そのことを知っている母親からは子供の部屋とは思えないと言われるほどだ。 「お父様の……。では昨日緑谷さんの応急処置が適切だったのも、その影響なのですね」 「そうだね。父さんがいなかったら独学で学ぶしかなかったと思うし……」 独学で学んでいたら昨日の応急処置でどこまで迷えずに行うことができたことか。 改めて厳しく指導してくれた父親に感謝する伊壱だ。 「今朝の話を聞いていましたが、シャンブルズという技。位置交換ということは医療にも応用できそうですわね」 「実際できると思うよ、例えば臓器移植とかね。適切な場所をちゃんと把握していないとダメだけど。……あ、そういえば八百万さん、昨日バイク作っていたよね? 燃料も作れるの?」 帰宅してから抱いた疑問を思い出した伊壱が尋ねると、八百万はええ、と言って肯定する。 「私の個性は構成物質さえわかれば、生物以外は作れます」 「じゃあ、経口補水液とか、輸血用の血液、酸素ボンベとかも?」 「作れますわ」 「凄いな、八百万さん……。将来ヒーローとしてだけじゃなくて、医療関係者からも声がかかりそうだ」 大規模な災害や、自己現場では大怪我を負う人が出てきてしまう。そんな時に八百万の個性があれば救けることのできる要救助者は格段と増えるだろう。 「私の個性は脂質を使いますから……。作れる量にも限度がありますわ」 「そうなんだ。でも、凄いことには変わりないよ。それだけ努力してきたってことだよね」 先ほど八百万は構成物質さえわかれば、と言っていた。昨日の個性の使い方、そして今の言葉からそれほどの努力を八百万はしてきたということだろう。 素直に思ったことを口にした伊壱に、八百万は一瞬言葉に詰まった。 「そ、そんなことありませんわ! ヒーローを目指すものとして当然ですもの!」 「いやいや、そんなことないよ。だってそれほど本気だってことなんだから」 「それでしたら、個性医療ジャーナルは医療の知識に明るくないと読めませんもの。ですから、外賀さんも凄いですわ!」 いやいや、いやいや、と互いに言い合う二人を見て同じく弁当組だった女子がポツリと零す。 「いい加減どちらも折れなよ……。ウチからしたら読めるってだけで凄いって……」 八百万が声を掛ける前に伊壱が何を読んでいるのかちらっとだけ見ていた女子こと耳郎は、“個性医療ジャーナル”のプリントの中身全て英語で書かれていることを知っていた。あの内容からして恐らくは表題も英文であるに違いないと彼女は確信している。 専門用語が載っているとなると、もっと難しくなること間違いなしだろう。 小さく零された言葉に二人は気付くことはなく、二人の妙な譲り合いは、昼食の時間が短くなると伊壱が気付く五分後まで続くこととなるのだった。