十月二十九日

鮫川の近くだからか、空気が少しだけ湿っている様に感じる。
上り始めた太陽の日差しはまだ優しく、秋らしい涼やかな天候が気持ちいい。 絶好の文化祭日和だな、なんて少し詩的に思っていたのに。

「はーなーむーらー」

間延びした低い声に呼び掛けられるのと同時にドンと背中を押される。突然の襲撃に俺は少しだけよろけた。

「……一条じゃん」

隣のクラスの一条だった。
クール系の整った外見なのに、意外にも熱い。そのギャップが良いのか女子にとてつもなくモテている奴である。 バスケ部に入っていて、運動バカ同士波長が合うのか、里中とよく話していて俺も面識がある。

「おーす!……午前中、お前暇か?」

長瀬も一緒に三人でまわろーぜ、と一条は笑顔で俺を誘った。

「も、もしあれだったら里中さんとか、天城さんとか、日高さんも誘っちゃってさ」

急にモゴモゴと言い辛そうに切り出す一条の頬は薄らと赤く染まっている。
……俺はなんとなーく察しがついたぞ。普段話すメンツの中に、どうやら一条がお熱の子がいるらしい。

一条の男の純情と下心を一身に感じた俺は素直に女子メンツのスケジュールを教えてやる事にした。

「んーっと、里中と天城は午前空いてて午後からホールだと。で、日高さんは午後から空いてるっぽくて……いまんとこ俺は日高さんと回る予定」

「一条くんは誰がお目当てなんですかー?」と揶揄い混じりにに言うと「アホ!」と罵られた。あー、かわいい、かわいい。

「……午前空いてるのかー」

ぼそっと呟く一条に「そうかそうか」とニヤつくと軽く小突かれた。里中か天城のどっちか狙いなのね、ふーん。

「いやさ、花村こそ日高さんと付き合ってんの?最近よく一緒にいるなーって」
「……付き合ってない、けど」
「けど?」
「可愛いし良い子だなーって思うからこそ、俺なんかよりいい人とくっついて欲しい……」
「複雑なやつか」

俺は常に将来を考えている小西先輩のこと尊敬していて……釣り合わないかもしれないけど、ずっと側で支えて笑えたらなー、なんて思ってる。
そう思っているのに、今は完全に立場が逆なのが恥ずかしい話だけども……。

心の奥底で、ずるい俺が……もし小西先輩に振られたらとか、いっそ振られる前にとか、多分だけど自分に気がある美人と普通に恋人っぽい事してみたい、楽な方へ逃げたいと囁いてる。
日高さんの事を逃げの選択肢だと思っている時点で俺は最低だと、思う。

「あっ、これお前だから言ったけどオフレコな!?」
「分かってるって。……でもさ、いいと思うなら付き合っちゃった方が早いと思うんだけどなー」

そう言う一条の率直さが眩しくて、曖昧な返事だけ返した。


* * *


「ごめん、待った?」
「ん、そんな待ってねーから」

家庭科室から教室棟の方まで随分と急いで来たらしい。 日高さんの息は「すー、はー」と少しだけ乱れている。
お疲れ様、とお茶を渡すと彼女はありがとうと満面の笑みで受け取った。彼女のこの素直さは本当に魅力的だと思う。

「花村くんお昼食べた?」
「まだでぇーす」
「嫌じゃなかったらたこ焼き食べていい?」
「んじゃ俺はお好み焼きにする」

グランドにいくつか出展されている模擬店の群れへ二人で歩いて行く。 ソースの香りがぷんぷんと漂う店で目的のたこ焼きとお好み焼きを買うと、適当に並べられているイスに俺達は腰をかけた。

「気持ちタコが小さいけど、美味しい」
「こっちも肉なんて全然入ってないけどふつーにうまい」
「……食べたら花村くんどっか寄りたいところとかある?」
「んー折角だから色々と見て回りたいんだけど」

短い期間だけれど、頑張った文化祭を自身の目で見ておきたいというか。 日高さんも同じ気持ちなんだろう。そうだね、と彼女はコクリと頷いた。


「あ、隣のクラス、占いやってんだ」
「挨拶したいし、寄ってく?」

紫色のジャラジャラとした簾をくぐって入ると受付の一条がよっ、と声をかけて来た。

「こんにちは、一条くん」
「寄ってくれてありがとうな、日高さんとついでに花村」
「ついでってなんだよ!」
「今の占い担当、海老原さんだから割と当たるってウワサだぜ。良かったらどう?どう?」
「じゃあ、お願いしよっか、な?」

最近知り合ったばかりの一条の勢いに負けたらしい日高さんが百円玉を一条に渡す。

占いスペースはパーテーションで個室みたいに仕切られてはいるが、入り口からは丸見えなのでチラッとめんどくさそうな表情の海老原さんと目が合う。

「あの、恥ずかしいので2人は教室外に出ていって貰えると助かります……」
「あ、ハイ」

何を占って貰うのかをなんとなく察した俺は、そそくさとニヤつく一条の首根っこを掴んで教室の外壁に体重を預けた。


十五分は経っただろうか。
ドアからちらりと覗くとウンウン、と頷きながら真剣に日高さんは話を聞いている。
海老原さんの顔も真剣だがピリピリした空気は感じられず、親身になって話しているようだ。
二人は初対面のはずだが、実はタイプが一緒なの……か?

「日高サーン……置いて行きぼりにしないでくださーい」
「あ!ごめん!……海老原さん、今度良かったら遊びにいこう」
「……うん」

「まあ、うまくやんなよ」と海老原さんがにフサフサのまつげでデコレーションされている目を優しげに細めた。……中々のレア顔では?
どうやらマジマジと海老原さんの顔を見ていたらしく、ギロリと睨まれたのでさっさと俺は日高さんを連れて退散する事にした。


途中バンド演奏を見に校庭に出たり、ミスコン開催中の体育館なども寄ったが今日は田舎中から人を集めたのかってくらい学生だけでなく、老若男女で混んでいる。

誰なのかを、俺は知らない。でも、相手は俺の事を知っている。

楽しい時間のお陰ですっかりと忘れていたが、彼女はコアめのファンが数多くいるし……俺は、いろんな意味で注目を集めるジュネスの息子だ。

この組み合わせはとにかく目立つ。 何処にいてもあまり好意的ではない視線に晒されて、日高さんに申し訳ない。


「なんか、疲れたし一息つかねえ?」
「うん、そうしよう」

「ごめん」と軽く謝ると「人気者同士、辛いね」とくすっと笑われてしまった。
ジュース片手にお決まりになりつつある屋上へ俺達は逃げる様に向かった。

空は水色にピンクが混じり始めている。 ぼんやりと意識をマーブルな空に飛ばしていると段差に腰掛ける日高さんが話しかけてきた。

「さっきね、海老原さんにこれからの私について占ってもらったんだ。そうしたら占いだけじゃ無くてカウンセリングみたいな感じになったんだけど……話したらスッキリした」

花村くんにもあれは是非ともオススメしたい!と日高さんは力説した。 多分、周囲の態度から察して心配してくれているんだろうなと思う。

「海老原さん、男子にはキッチーイんだもん……気が向いたら占ってもらうわ。てか、女子らしく恋愛占いかと思った」
「んーそれは自分で頑張るつもりだから聞かなかった」

ふふふ、と、悪戯に日高さんは笑った。

「あのね、春になったら一人の男性と出会うらしいんだけど……私の気持ちと行動次第で大きく運命が変わるって言われた」
「……そいつと付き合うとかそんな話?」

なんだかそれは面白くない。だって春からなんて、ぽっと出がすぎるだろ。
でも、それを口にする権利を俺は持っていない。

続きを口にする事が出来ず、なんとなく日高さんの方を見ると、彼女は柔らかく笑っていた。

「それは無いと思う。だって、私、花村くんの事が好きだから」

キラキラ光る瞳はすこし熱っぽくて、嘘じゃ無いと言うのが分かる。 赤く艶めく唇が蠱惑的で、彼女の魅力に圧倒されそう、だけれど。

「……ごめん」
「知ってるってば。……花村くんに知らないフリ、ずっとさせる方が残酷だなぁて思ったんだ」
「そっ、か」
「いや違う、気持ちを知ってもらった方が私が楽だったんだ」

嫌な女だね、と日高さんが顔を伏せる。 長い髪に阻まれて表情は良く分からない。

「頑張ってね、花村くん」
「……おう」
「……でも、これからも花村くんの事好きでいい?」

震える声と背中になんて言葉をかければいいか分からなくて、俺は無言で俯向く日高さんの手を握った。

鼻声で花村くんは残酷だ、と文句を言われたがその通りで。
握り返して来た震える柔らかな手のひらをただ受け入れるしかなかった。





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