一月十六日

「長瀬くん!」

お待たせ、と小走りでこちらに向かって来る日高は猫を思わせる容姿だ。 ザ・インドアである日高は意外にも容姿と寸分違わない嫋やかな走りを見せる。…のだが正直、俺は驚きを隠せない。

「お前、走れんのな」
「うん、走るのだけは得意なんだ。球技とかはダメダメなんだけど…」
「タイミングが分からないやつか」
「…全てが消える魔球に見える」

普段は稲羽市では浮くであろう格好(いいとこのお嬢様みたいで目立つが個人的には日高に似合ってると思うので気にならない)の日高だが本日は山に登るからか黒のウインドブレーカーにデニムと紫色の暖かそうな帽子とマフラーを身につけていた。カジュアルな感じも意外と似合っている。

「暗くなる前に帰れるよう、行きますか」
「おう」

ちらりと日高の顔を見たらニコニコと楽しそうで強引に誘ってしまった自覚があった俺は少しだけホッとした。



山の中程にある河原で俺たちは絵を描く事にした。…山頂まで登ったら恐らく日高が絵を描くどころでは無いからだ。 途中老人のようにヨロヨロとしていて本気で心配した。

「林間学校の時、お前大丈夫だったのか?」
「…サボりました」
「だろうな」

適当な岩の上に俺たちは荷物を乗っけてそれぞれ腰を下ろす。 2人きりの雑談を楽しみながら荷物からスケッチブックと鉛筆を取り出し早速本日のメインに取り掛かる事になった。


俺は特徴のある大きな岩が目についたので岩と周辺の風景を描くことにした。 こんな感じだろうかと全体を大まかに描き始めたがなんだかバランスがおかしいかもしれない。
…気にしたら負けだ、うむ。
勢いで描きたいところをグリグリと埋めていくと最終的に向こう岸の木が画面に収まりきらなかった。

…明らかに下手だがたまには慣れない事をするのも楽しいかもしれない。

おい、と声を掛けても返答が無い日高を盗み見ると真剣モードに入ったらしい。 元々は画家になろうとしていたらしいから鉛筆使いは素人目に見ても慣れている。 盗み見た線画はまるで色の無い写真の様で見事なものである。


色鉛筆を取り出そうとしたらしく、やっと後ろを振り返った日高は俺の姿を見てあ、と漏らした。 すっかり俺の存在を忘れていたらしい。

「長瀬くんの事忘れてた…」
「…だろうな」
「ごめん、良かったら出来た下書き見せて」
「ほらよ」

日高にスケッチブックを渡すと隅々までじっくりと見られて気恥かしくなって来た。 もう少し丁寧に描けばよかったと後悔しても遅い。

「確かにテクニックとかはその、あんまり無いかも知れないけど…思うがままで、こことか長瀬くんしか引けない線だと思う。」
「あー…確かに」
「もし今後も物を作るなら長瀬くんらしさを大切にしてほしいな」

日高はにっこり笑った後、俺にスケッチブックを返して来た。 明らかに下手でも褒められると嬉しいものだ。
俺と違い褒められ慣れているだろうに、日高は自身が描いた絵を一瞥すると口をへの字に曲げた。

「私の絵、…だけじゃなくて人形もだけど…私らしさが無いんだよね…そもそも私らしさ、ってなんだろうね」

日高は写真の様に繊細な絵が描かれたスケッチブックを閉じて見えない様にした。

「高校生の日高みやびだから注目されるだけで、私が作ったって言わなかったらまあフツーに上手いんじゃん?で終わっちゃうのが現実だしね…」
「…今はそれでいいんじゃ無いか?」
「…そうかなあ」
「お前自身が、新しい自分になりつつあるて言ってたじゃねえか」


ジュネスであった時、花村のお陰でって。
日高は今迄学校で親しい友人がいなかったらしいが今では何故か隣のクラスの野郎とこうして出掛けてる訳だし。 確かに直接絵が上手くなったりはしないがなんて言うか…とにかくいい事なんじゃないか。

そっか、と日高は俺の顔をみて納得したらしい。

「確かに以前の私は友達に囲まれるのとは無縁だったよね…」
「こんなトコにも進んでこねぇだろ」
「そうかも」

日高は目を細めてありがとう、と呟く様に俺に言った。 その顔が可愛い、だなんて柄にもない事を思ったりした。



俺は日高の事が好きだ。

最初は花村も良いやつだし、側から見ていてウダウダ面倒な関係だし早く日高とくっつけと思って発破をかけていた。

それから何と無く日高の事を見ているうちに実はガンコで努力家タイプなところとか、割と俺に似てるかもしれない、と思うようになった。

余計に応援してやりたくなったのと花村が焦るのが面白くて意識して沢山話しかけたら直ぐだ。 一生懸命な日高に一途に愛されている花村が羨ましくて仕方なくなった。

隣で鼻歌交じりに水彩色鉛筆を取り出す日高が無邪気で可愛くて仕方ない。 個性が無いと嘆く努力の天才はスイッチが入ると人が殺せそうなほどのピリピリとしたオーラを出すこともあるが…割と単純である。そこもイイ。

…クリスマスの時もプレゼントは折角なら日高が喜びそうなもの、と選んだら一条に大好きかよ、と笑われた。 ああそうだよ、大好きだよ馬鹿野郎。

俺は愛情表情が死ぬほど苦手だ。 恥ずかしいし、そもそも柄ではない。 中学時代付き合った事もあるが俺の表現の乏しさ故に悲しい思いをさせた事もある。が、 …今度は絶対にさせない。


「なあ日高」
「なに?」
「俺、お前の事好きだ」

ど真ん中ストレートだ。
2人で出掛ける今日、絶対に伝えようと思っていた。

目を見開く日高は使い慣れているであろう色鉛筆の芯をポキリと音を立てて折った。画用紙には消せないくらい大きな跡が着いている。

日高は一瞬画用紙を見てああ…、と残念そうな声を漏らしたが戸惑がちにスケッチブックを閉じた。指先がすこし震えている。
視線は下を向いたたままでどうやら俺の顔を見る勇気はないらしい。

「…えっと、冗談ではないよね?」
「冗談じゃない、好きだ」

俺の言葉に日高は恐る恐ると言った具合で俺の顔をやっと見た。 ハの字に眉は下がっていて目線も落ち着きなく泳いでいる。

…完全に困らせてしまったらしい。
やってしまった、と胃がズッシリと重くなる。

何も言わない日高と俺の周りは酷くシンとしている。 偶に聞こえるピィピィという鳥の囀りだけが時が流れていると確かに伝える。



「長瀬くんにその、…好きって言われて正直、嬉しいかもって思った」
「え」

静寂を破る日高の言葉に俺は驚愕を隠せない。

「その、やっぱり付き合うとかは…好きな人がいるから応えられない。でも本当に驚いたけど、嬉しかった」
「…おう」

振られるとは分かっていたが、やはり落ち込む。 けれど迷惑では無かったらしい、という事が俺を安心させる。
…むしろ嬉しいって。

「…俺さ、お前の事よく知るまでは所謂嫌味な天才タイプだと思ってたんだ」
「うん」
「でもまあなんて言うか話せば物作りも恋愛も努力型というか泥臭いというか」
「…褒めてるんだよね?」
「褒めてる。…なんとなく俺に似てるかもって好きになったんだ」

林檎みたいに顔を真っ赤にさせてる日高が可愛い。 …バッサリ振られても、気持ちはそうも簡単には切り替わらないらしい。


「俺さ、お前に似て諦め悪ィんだ」
「…うん」
「だけどお前みたいに良い奴ではないから、またこっ酷く花村に振られろ。んで俺と付き合えって思ってる」
「…正直すぎるよ」
「そこが俺の長所だ」

俺がニヤリと笑うと日高も唇を少しだけ釣り上げた。

「そう言うことで、まっ…今後もよろしくな」
「うん、よろしく…あのね」
「おう」
「長瀬君て優しいというか、意外に紳士だよね」

何処からどう見ても紳士だろうが、と日高の頭を軽く小突くと声を上げて笑われた。

きっと明日からもこんな感じでいられる。 少しは進展したと思いたいし、これからもジワジワ仲を深めたいが…

今は、これでいい。





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