二月十四日

返ってくる答えは分かり切っているのだけど。けれども気合を入れてしまうというのが乙女心というものである。

アイライン目尻ハネ良し。マスカラカール良し。 仕上げに華やかなゴールドブラウンのシャドウをオン。 チークとリップはいつも通り赤色を自然に。 髪の毛も普段はストンと真っ直ぐ整えるだけだが緩めに巻いておく。 とっておきのバニラの香りのコロンも手首に少しだけ付けた。

制服に着替えリビングに降りていくと「気合入ってるじゃない」とお母さんがニヤニヤするのを私はスルーする事にしてストロベリージャムをたっぷり塗ったトーストに噛り付いた。



私はいつも比較的早めに学校に行く。身だしなみチェックをする為に早めに登校している内に教室の花の水を変えてやるのが日課になった。
普段は朝練なんだろうな、というジャージ姿のクラスメイト以外は雪子ちゃん位しかいない。(旅館からバス通らしく何本か逃しても間に合うようにしてるらしい)

…しかし本日は違った。
明らかにソワソワしている男子生徒が沢山いた。 思い立ったように下駄箱に走って行ったりチラチラこちらを見て来たりと忙しない。

例に漏れず花村くんも珍しく8時前だと言うのに自分の席に座っている。 けれども興味無いですよー、という体でいたいのかオレンジのヘッドホンで耳をすっぽり覆って窓の外を見詰めている。

…男の子というのは馬鹿なのだろうか。 変にソワソワされると余計に渡しにくいというか。それぞれ密かに想いを寄せる乙女達は例のブツをコッソリ渡したいだろうに。はあ、と溜息が自然と漏れる。


赤い箱に黒いリボン。
私も花村くんにガトーショコラを用意したのだけど、花村くんはやっぱり小西先輩から貰えることを期待して早く来てるのかな、と思うと此処に来て胸がジクジクとする。

もう一回告白するのは迷惑なのかもしれない。

友達です、って顔をしてぱっと渡すべきなのだろうか。 けれども外を見詰める花村くんの背中を見ても答えは出て来ない。
とりあえず、花瓶の水を変えてしまおう。 …変に気まずくなって一日辛くなるなら放課後のがいいはず。うん、そうしよう。


新鮮な水に変えてあげて教室に入り直すと花村くんはこちらの方を向いていて思いっきり目が合う。こうなったら無視は出来ないので花を教卓に置いていつも通り花村くんの右斜め前に座ることにした。

「日高さんはよー」
「お、おはよう」
「声掛けてくれたってよかったのに」
「なんか真剣に音楽聴いてたから、ごめん」
「あ、それもそうか…こっこちこそゴメンな」

花村くんがヘッドホンを完全に外してこっちに向き直る。 花村くんの綺麗な茶色の目とバッチリ視線が合うと何も言えなくなる。なんていうか…いつもと雰囲気が違うから。 何も言わない私が気不味いのか花村くんは一瞬目を泳がせたが、覚悟を決めた様で私を瞳を捕らえる。

「…日高さん、あのさ」
「うん」
「放課後少しいい?」
「…逆にいいの?」
「モチロン」

小西先輩は、と心の中で疑問に思う。 でも学校ではなくてバイトで話す予定なのかもしれない。

…何を言われるのか、正直怖い。
でも花村くんだって勇気を振り絞っているんだろう。 眉を下げてなんだか申し訳無さげに瞳を揺らす花村くんにコクンと頷くしかなかった。



「チョコです」
「わー!ありがとね、日高さん」

朝練が終わった頃に隣のクラスにお邪魔することにした。 一条くんと長瀬くんはモテモテなので義理なんて貰ってもあんまり嬉しくないかもしれない。一条くんは千枝ちゃんが好きだし、長瀬くんは…。

「日高、これ本命か?」

ニヤリと悪戯っぽく笑う長瀬くんに声を掛けらてた時は一瞬飛び跳ねそうになる程動揺したが、…冗談ぽく言われて少し、救われた。

「残念ながら」
「そっか」

いつもお世話になっているし、何より色々曝け出してお話しした仲なのでチョコを渡さないという選択肢は無かったのだ。 でも少し、軽率だったかもしれないと長瀬くんの残念そうな顔を見て罪悪感が湧く。

「…んで首尾は上々か」
「…此処に来てチョコ渡していいのか…分かんなくなって来た」
「は?いや渡していいだろ」
「貰えないと花村ゼッテー悲しむって」

呆れたようにちょっと怒る長瀬くんと苦笑いの一条くんにやっぱり渡すべきなのかと渋々頷いた。

「…渡します」
「おう」

自分なりに華やかにセットしたのに長瀬くんに頭をグシャリと荒く掴まれた。お、おう!? 折角のカールが寝癖みたいになってしまったらどうしよう。

「今日のお前さ、その…可愛いと思う」
「えっ、あー…あ、ありがとう」
「ま、ダメだろうけど、慰めてやるからさ」

いや、ダメなのは私も分かりきっているけどひどい事をさらりと言う。けれどそれ以上に優しく笑う長瀬くんに、チクリと胸が痛くなる。

格好よくて優しくて天然なところがたまにキズだけど…長瀬くんは本当に素敵な男の子だ。今だってやや荒いけど…元気付けてくれた。
付き合ったらきっと楽しいし、頑固なところとか根の部分は似てると思うしきっと心から理解し合えると思う。 だから好きだ、って言われて本当に嬉しかった。


…私は誰かに心から認めてもらいたいのだ思う。


正直ストレートな長瀬くんに心動いたし、フワフワした。
でも私は、花村くんが好きなのだ。

…そう思っても、長瀬くんの告白を断った後、冷静になって2人を天秤に掛けたりもした。

好き、憧れ。という言葉がきっと相応しいのだろう。…まだ、“愛してる”までではない。私は盲信的にまで花村くんの事を好きと言う訳では、ない。

付き合えるのは1人だけだ。
だから2人を比べるなんて行為は褒められたものでは無いけど、最後は選ばないといけないのだ。そう正当化して無理矢理自分を納得させたけど、後ろめたさが残る。

嬉しかったし、長瀬くんと付き合えば花村くんも困らせないですむし万々歳じゃないか…。でも、そうしなかった。 …それなのに、自分で選んだのに正直、色々と未練がある。

きっと花村くんも私が告白したせいで優しいから悩んでいる…と思う。いや、悩んで欲しいのかもしれない。
…自分が楽になりたいからって告白なんかして、改めて最低だ、私。

2人に渡すとは言ったものの全身に力が入らなくて頭の中も堂々巡りだ。 今日の授業は全部まともに聞けなさそうだなぁ、と溜息が出た。



* * *



得意な数学の小テストも途中から意識がどっかいってしまって問3あたりから記憶がない。苦手な古典に至ってはノートが真っ白だ。うん、ヤバイ。後日雪子ちゃんに見せてもらおう…。 兎に角、今日はもう1つのことしか考えられないらしい。

ホームルーム中はこれからの事を考えると頭の中が嫌でもぐるぐるして凄まじく顔色が悪かったらしい。 普段は全く話しかけてこない隣の席の子に大丈夫?と心配そうに尋ねられた。


「日高さん。そのー…いい?」
「あー…うん」

教室に人が少なくなってきた頃遠慮がちに花村くんに声を掛けられた。 教室を出るタイミングで千枝ちゃん雪子ちゃんと目が合うと口パクでがんばれ、といわれた。がんばれも何も、なあ。

屋上はそういう日だし…混んでるだろうから人のあまりいないだろう教室練と実習練間の渡り廊下までなんとも言えない空気感の中移動した。
明らかにチョコとわかる箱を裸で持ったまま来れるほど勇気は無かったので肩にはいつもの鞄がある。


「あの、日高さんさ」
「うん…」

花村くんは小さく喉を鳴らしてからすぅ、と息を軽く吸った。茶色の瞳が少し潤んでいてちょっと色っぽいなて場違いだけど思った。

「俺さ、本当に、サイテーなんだけどさ、小西先輩が好きなのに…ずっと考えてたんだ…多分日高さんの事も…好きなのかなって」

やっぱり花村くんにずっと悩ませていたのだ。言い切った花村くんの顔は何だか泣き出してしまいそうで、後悔しても遅いが申し訳なさで胃がズンと重くなる。

…でも、今、なんていった?

「日高さんといるとドキドキしたりさ、その…最近長瀬と一緒にいんの、ヤダなて思ったりするんだ」
「うん…」
「でも俺のこーゆう甘えたな所を知ってくれていて…笑い飛ばしてくれる小西先輩のことが、好きなんだ。でも、小西先輩と付き合えなかったら日高さんと付き合いとか…ムシのいいこと思ったりしたり…日高さんの事、俺の都合の良い様に考えてたりして、さ。…その、日高さんが思うようないい人じゃないんだ。俺は…サイテーなんだよ」

唇をキュッと結んだ花村くんを見てやっぱり思った。この人が、好きだ。

自分が未熟だと素直に言える花村くんを好きになってよかった、と思えたから。 燃えるような恋じゃないかもしれない。どちらかと言えば青臭いんだろう。 でも私は、この淡い気持ちを、大切にしたい。

「あのね、花村くん私もサイテーなんだ」
「えっ、と?」
「私、花村くんの事好きだよ。でもね、長瀬くんと付き合うのもいいな、なんて思ったりしたよ」

手が、思わず拳を作る。
花村くんが言ってくれたんだから、私も、言わなきゃ。

「あのね、変わるきっかけをくれた花村くんが好き。…花村くんが好きな自分が好きってのも実はあるのかも知れない…けど。花村くんがやっぱり、好き。」

ゆらゆら茶色の瞳が揺れている。けれど、真っ直ぐな眼差しだ。

「それなのに、長瀬くんが勇気出して言ってくれたのに、…好きって言ってくれたのを断ったのに…長瀬くんと付き合うのも良かったのかも知れないて…未練がましくて」

鞄から渡すかずっと悩んでいた赤い箱を私は取り出して、花村くんにしっかり握らせた。

「でもね…選ばない、ていう選択肢よりは良かったと思うの」
「…そっ、か。」

花村くんは赤い箱を持っていない方の手で自分の顔を一瞬覆った。 覆われた手が外された顔面は先程より心なしか穏やかで、静かな何かを感じた。

「日高さん、ホント、ごめん。…俺も自分がどうしたいのか、…怖がらずに、見つめ直すから」
「…うん、どんな答えでも受け止めるし、…待ってる」
「…ありがとな」

何時も通りの花村くんらしい笑顔だ。ホッとしたと同時にさっきまでの話が急に照れ臭くなってきた。

「う、うん。こっちこそ色々話してくれてありがとう。…あとね、」

照れを誤魔化す為にオーバー気味にニヤリと笑いかけると花村くんは不安そうに眉尻を下げた。

「…エッ、な、なに?」
「全くの脈無しじゃなくて少し…いや、大分嬉しかったの!」

好きなのかも、というワードを恋する乙女の地獄耳が聞き逃すはずが無い。
ふふふ、と悪戯っぽく笑うと花村くんはさっきまで切なさ全開だったのに一気に顔が赤くなる。うん、可愛い。

「ああッーモー!恥ずかしついでに…い、言っとく!今日はなんか、一段と可愛い気が、する。…いや、その顔だけとかじゃなくて…」

顔を真っ赤にしたままキレ芸を披露し、しどろもどろする花村くんに今度は私が顔を熱くする番だった。耳まで熱い。

「アー…ウン、花村くんに可愛いって思ってもらう為に、今日は気合入れたんだー…」
「…あんまりそういう可愛い事言わないでくれます…?」

顔を隠すように花村くんは急に屈みこんでしまった。見下すと髪から覗く耳は真っ赤だ。

「今変な顔してるから、暫くほっといてあげて下さい…」
「うん…私も変な顔してるから見られたく無い…」

じゃ、と教室練の方へ歩き出す。 顔が熱いので私もトイレに行ってから教室へ戻ろう。…じゃないと千枝ちゃんと雪子ちゃんに確実に揶揄われる。

「日高さん」

顔を埋めたままだからか少しくぐもった花村くんの声に呼び止められる。

「はい」
「チョコ、ありがとな」

「…うん!」





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