芽吹け


※都会時代の花村と甘くない触れ合い
※色々と捏造してます


あの子はバラの匂い。あの子はシアの匂い。
そんなマイナーな香り、嗅いだだけじゃ分からないからパッケージを見たんだけど。明るいオレンジが印象的な、あのブランドのヤツだ。 ハンドクリームのぬるぬるとしたあの感触がどうにも苦手で、特に夏場にも塗るなんて信じられない。

左手の親指に出来たささくれを、右手の親指と人差し指でぶちっ、と取った。
途端うっすらと血が滲んで来た。取り方が悪かったのか、いつもよりジンジンと痛む。

「うわ、痛そ」
「ついやっちゃうんですよねー……」
「あ、俺さ、バンソコー持ってるからやるよ」
「女子力高いですね」
「そ、女子力たけー女子に貰った」

気に掛けてくれた嬉しさが一瞬で萎びた。私は一応この人の、花村先輩の恋人なのに。

間を余り開けずに「貰っておきます」と返したものの、その声は明らかに冷たかったかもしれない。

「もしかして、妬いてる?」
「妬いてるのか、彼女がいながら他の女とベタベタしてる先輩にガッカリしてるのか、自分でも分かんないです」

私の言葉に花村先輩はへらりと笑った。彼の、垂れ目がちだからか、優しそうな印象を受ける整った顔に弱い私はそれだけで負ける。

「言い過ぎました。ただ、人気者なんですよね、花村先輩は」
「んや、ただ周りに合わせてるだけだって」
「それって、悪い事なんですか」

彼は明るくて、華があって、誰とも上手くやれる人だ。それでいて、愛嬌のあるドジで、成績もスポーツもそこそこ。
完璧過ぎない塩梅が良いのだ。だから誰かに妬まれないし、愛されているように見える。なんというか複雑な思春期という最中、彼は同年代の中で上手く息継ぎが出来ている様に私は思う。
それが私の知る花村陽介の全てで、ずるいな、ともいいな、とも思う。

「誰かに合わせるって、面倒じゃないですか?少なくとも私はそう思うんで、先輩のこと凄いと思いますよ」
「いやー、まあ面倒な時もあるけど、楽だぜ。一種の物差しがあるってのは。がむしゃらにやって見えねぇゴールを目指すとか、無理よ?俺」
「……まあ。それはそうかも、しれないですけど」

明確に答えがあるというのは、楽だ。少なくとも無限にあるであろう作者の気持ちを答えなさい、よりかは唯一の公式を当て嵌める方が。

「あそこ、一旦座ってバンソコー貼ろうぜ」

駅前にあるささやかな花壇の植え込みを指して彼は言った。レンガ造りのその縁に軽く腰掛けると、ブレザーのポケットから彼は絆創膏を取り出した。

「ありがとうございます」
「どーいたしてまして」

リボンをした白いネコのキャラクターが描かれた絆創膏をペリペリと剥く。女らしさとかけ離れた指先が一気にファンシーに染まる。悪くない。

「結構前に紙で切った時に貰ったんだよな。可愛すぎて結局着けなかったけど」
「なるほど」
「日高は女子なだけあって、似合うな」
「……ここは照れておくべきなんですかね」

うーんと唸りながら整った顔を直視する。ああ、やっぱり私は彼の事が好きだけど。

「正直、私、花村先輩のこと好きだけど、友達が言うほどカッコいいとか思わないです。私から告っといてなんですけど、多分私の友達のが先輩に関しては熱心です」
「お、お前さー……。そう言うのは、思ってても言わないもんでしょ」
「ある種の誠実さはあるので」

私の言葉に花村先輩は唇を尖らせた。そのわざとらしい表情が可愛くて、またずるいと思った。

「女子って、一人でいると面倒じゃないですか。でも、彼氏がいるとなんか許されるというか」
「それはなんか分かるような……」
「だから、先輩がいいなって」

いつも楽しそうに世間と交わっているのに、どこか諦めてる瞳。笑顔になった後の、細められた熱が感じられない色を見て、彼とだったら息がしやすいと思ったのだ。

「ぶっちゃけお前に告られた時、何で?って思ったけど、なんかこうしてると俺も分かるわ。言葉にすんのムズイけどさ」

私と彼のぬるい視線が混ざり合った。そこに恋人らしい甘さは全く感じられないけれど、それが心地良かった。

「やっと日高の事分かってきたのに、わりぃんだけどさ……」
「別れたい?」
「いや、秋に転校すんの。すんげ田舎に」
「えっ?」

目を見開く私に再度彼は「ごめん」と謝った。

「親父が転勤族でいつも突然なんだよ。まあ、だから毎度浅い関係でいいっていうか。……もしかしたら、言い訳なのかもな」

花村先輩はここではない何処かを見ていた。哀愁を纏った、過去に思いを馳せているような、少しだけ遠い目をしていた。

ジリジリとした陽の光の所為で、彼の黄金の髪から額に掛けてつぅーっと汗が伝った。思考が渦巻く瞳に入ったら、大変だ。

思わず指先で汗を拭おうとすると、その手が取られた。そのまま降りてきた大きな手のひらが私の手をぎゅっと握り込んだ。

彼の手は少しだけ節張っていて、カラリとしていた。繋がった両手の内側は次第に汗の所為でじっとりとして行く。
それでも何故か、不快には感じない。肌馴染みという言葉の意味を私は真に理解した。

ここに来て初めて私はハンドクリームを塗っておけば良かった、と思った。私の中の一部を、先輩の中に埋め込みたかったのかもしれない。 バラでもシアでも何でもいい。





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