綻ぶ

※「芽吹け」という短編の続編です。本編後の花村に再会するお話です。
※P4G、Switchリマスター記念。


まさか、と思った。けれどあの横顔には見覚えがありすぎた。

軽快な印象を抱かせる明るい茶髪に、オレンジのヘッドホン。そして垂れ目がちな人懐っこい瞳。馴染みのブレザーではなく、彼は千鳥格子柄の詰襟が目を引く学ランを着ていた。
でも、それ以外はあの時から全く変わっていない様に思えた。

どうして都会に。頭の中が疑問符で埋め尽くされる直前、「頑張れ!受験生!」という広告が目に飛び込んで来た。
そうか、彼は私の一つ上だから大学に進学する為に上京したのかもしれない。

「あの、花村先輩ですか?」

もしかしたら人間違いかもしれない。けれど、今声を掛けなかったら二度と会えないかもしれない。気付けば、私は知っているかもしれない背中を追いかけていた。

「もしかして、日高?」

返ってきた声は耳馴染みがあった。くるりと振り返った彼は私の記憶と大概の部分は一致していたが、全体的に骨張っていて、大人の男性に近付いていた。私は急速な時の流れを感じた。

「そうです。あれからもうニ年半くらいですかね」
「はは、すげー久し振り。まさか覚えててくれるとは思わなかったぜ」

初めての恋人を、忘れる訳がない。
脳裏にその言葉が浮かんだが、久し振りにあった人間に元カノアピールをされてもきっと困るだろうと思い「覚えてますよ」とだけサラリと返した。

「先輩、今高三ですよね?受験でこっちに?」
「そ。今日は諸々手続きでさ。無事春からこっちで大学生になれそう」
「おめでとうございます」
「サンキュー」

話している内に、ああそうだ花村先輩はこういう喋り方をするのだと、記憶がどんどんと溢れ出していく。
言葉遣いが少し軽薄だけど、そこに乗せられている感情はちゃんと心がこもっている所とか。

「日高は学校終わったとこ?」
「そんな感じです」

花村先輩はかつて自分も着ていたブレザーを懐かしげに見た。当時、彼のブレザー姿に憧れたものだけれど、意外と花村先輩は学ランの方が似合うのかも知れないと私は思った。
詰襟の隙間から覗く形の良い喉仏がなんだか艶っぽく見えたからだ。

「時間あるなら、少しだけ話さねー?」

彼からの思ってもみない提案に、私は大きく頷いた。これで彼との関わりは終わりだと思っていた私の胸になんだか温かいものが流れ込む。
もし、今日が塾の日だったとしても躊躇わずにサボっていただろう。


* * *


駅前にある、緑地にセイレーンのロゴが印象的なチェーンのコーヒーショップはいつも混雑している。
少し駅から離れた所にも別店舗があるので、私達はそっちのお店に足を運んだ。

予想通り席が空いていたので、各々注文を済ます。花村先輩は期間限定のスイーツドリンクで、私はアイスティーにした。
私が飾りっ気のない飲み物を頼んだ所為で、先輩は「男子だって甘いやつを飲みたい時位ありますよ……?」と少しだけ恥ずかしそうにした。

「……都会だったら何処にでもあんのに、久し振りだわ」
「少し大きいモールなら入ってるイメージですけど……。私が想像していたよりガチな田舎だったんですね?」
「ガチのガチよ。ジュネス以外には田んぼと小さな商店街位しかねぇの」

花村先輩は呆れた様に笑う。けれど、小馬鹿にするような嫌悪は全く感じない。それどころか親しんだ身内を紹介する時、照れが生じて少しだけ相手を下げる……。そんな、愛情が感じられる笑顔だった。

「いい顔してますね、先輩」
「え、突然何?」
「なんか、何にもないって言う割に楽しそうなんで。都会には無かった、何かがあったんですか?」

久し振りに会った癖に、かなり踏み込んだ質問をしてしまったかもしれない。
しまったと内心焦るも、花村先輩はきょとんとした表情を浮かべた後、「ま、色々とな」と再び笑った。
少しだけ躊躇った様に唇を軽く舐めた後、彼は続けて言った。

「心から信頼してるっていうか、……離れてても繋がってるって思える奴らが出来たから、安心してこっちに出ようと思えたんだ」

誤魔化す様にドリンクに口をつけた先輩の顔は耳まで赤い。感情に満ちたその顔を見て、私の心の中に熱いものが流れたと思いきや、急激に冷たいものが走った。
粘度のある液体同士がどろりと混ざり合って、自身の感情がどういう状態なのか私には分からなかった。

「羨ましいです。そういうの」

花村先輩が転校した後、私は彼氏を作る事は無かった。集団行動から逃れる免罪符を失った私は、希薄な交友関係を命綱に今日まで生きてきた。

絶望はしてない。ただ、本当にお腹の奥底に抱えてるものが一緒である同胞以外とつるむ気がしないだけだ。価値観が似てない人間との付き合いなんか、刹那的なものでしかない。だから面倒だと思う。

でも、我儘だけど、私は寂しい。

私と花村先輩の表面的な仮面は似ても似つかないけれど、根っこは一緒だと思っていた。
そんな彼に真の友人が出来るというのは希望であり、絶望だった。

私は彼のそういう存在になれないまま、結局彼は遠くに行ってしまった。そしてまた、このお店を出たらそれを繰り返す。

「……俺は日高の事、ずっと覚えてたよ」
「えっ」

何も言わずに手を握りあった日の事を、私は一生忘れないと思う。
けれども、私と先輩は期間としては多分一ヶ月も付き合ってない。だから彼が忘れてても何らおかしくないのに。胸が、期待で甘く痺れる。

「あっちでさ、好きな人が出来たんだ。一個上で、頼り甲斐があってサバサバしてるけど、人の弱いところを知ってる優しい人」
「そうなんです、か」
「でも、彼女は……もしかしたらこっちでもニュースになってたかも知れねぇけど、連続殺人事件に巻き込まれて」
「あっ……」

失恋したと思った。そのチクリとした痛みの後、また違う深い悲しみが私の脳内を埋め尽くした。何か言わなきゃと思ったのに、臆病な私は何も言えなかった。

「日高に言われた通り、腹の中を見せ合うことが怖かった。自覚しても、やっぱり適当に馬鹿やってる俺が楽でさ、転校してすぐはお前が知ってるキャラでやってたよ」

目の前の花村先輩は思い出す様にゆっくりと話す。その語り口は穏やかだった。

「でも、あの人にこんな情けない姿しか見せてないって気付いて、遅いけど変わりたいと思った」
「……うん。変わりましたね、先輩」
「有難うな」

悔いなく人の人生に干渉する生き方をする彼は輝いて見えた。夏の強い日差しの中、しゃんと背筋を伸ばしている向日葵の花みたいだ。

それに対して、私はまだ何も実っていない。そう実感すると、鼻の奥がツンと痛くなった。泣いたら余計に惨めで、哀れだ。

彼の目から逃れる為、アイスティーに夢中だと言わんばかりに俯いた。プラスチックのカップは、暖房に促されてじんわりと汗をかいていた。
拭う様に手を伸ばすと、節張った長い指先が絡まる。驚いて顔を上げると、照れ臭そうに彼が笑った。

「今度は俺の番だと思ったんだけど……やべぇ、順番間違えたな……えーっと、今彼氏っている?……ってのも違くて!」

シリアスな話をしていた筈なのに、花村先輩は一人で百面相をし始めて大忙しだ。思いもしない展開に、私も妙にソワソワとした心地になる。

「彼氏はいないですよ、あれから。後、初めての恋人を忘れる訳ないじゃないですか」
「あ、いや、なんかアッサリな態度だったからさ、その。俺だけなんか、大事に抱えてたらとか、少し思ったりして」

コホン、とわざとらしい咳を一つして彼は空気を変えたつもりらしい。

「また、今日みたいに話せたら嬉しいんだけどさ……ダメ?」

呼応する様に彼の手を力強く握った。この温かい手を離したくないと思ったら、引っ込んだ筈の涙がまた滲み出して来た。

「私、あの時からずっと、あなたの事が好きです」

真っ白な雪に埋もれた地面から今、遅咲きの花が芽を出した。





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