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花見の時期は短いが、何より京より遥か北ならそれはさらに短い。
季節のうつろいが全て駆け足といっていい地では薄桃色の花弁がそれは見事に散る。
萩原が背を預けた花の幹は、しなやかな輪郭に似合わず荒れた樹皮をしていて、横に無数に走った傷痕がささくれてとてもではないがもたれてみようとは思えない刺々しいものだった。
例えそれが鎧越しであろうと、鎧であれば痛みがないと言うわけではなく、背を押した分が身体の節々に妙な負担をかけるものである。
遠慮願いたいのがまともな武士であろう。
だが男は真っ当な武士ではなかった。
鎧は要所要所をかろうじて覆っているだけの鹿のなめし革であるし、鷹狩に来たような気安い姿でどう見ても背中が痛むだろう軽装である。
常のだらしがない姿に比べればおぐしは乱れていないし、衣も引き締められ身体の線が浮かび上がって多少は見れた様ではあったが。
だが、やはりまともとは言い難い。
片手に刀を握って両の鞋で忍を踏んでいなければ戦に来たとは思えない。
首が半ばで捻れて青い空を向いた忍の開いた目には花びらが張り付いている。
血溜まりに乗った黒い肉の上に乗った萩原を、頭上の桜は区別なく散らした薄紅で覆っている。
背を桜に向けた萩原の目はぼんやりと今いる桜と隣とその隣と隣とさらに隣、あたりに咲いた見事な並木のその下の美しい隙間を見ていた。
足元さえ見なければ花見の気安さで、けれどまさに今、男は戦をしていた。
それは小十郎も同じであった。
ぽつぽつと桜の下には真っ赤な黒い死体が落ちている。
全て忍である。
毒を吐くもの、背後から刀を振るうもの、似た姿をして事切れて血で池を作っている。
薄紅と赤と黒と空と土色の中で、小十郎と萩原だけが浮いた色をして、そこだけが現であるように静かに佇んでいる戦場。
ここを少し戻ればそれらしい戦場と竹矢来に引っ掛かったまま動かない鉄砲隊や槍兵がいるが、こちらはまるで二人しかいないように感じる。
本隊がまだそのさらに向こうで足止めを喰らっているせいだ。
そして何より、静けさこそが最も恐ろしい場所に来ていることを小十郎は改めて感じていた。
桜咲き乱れる美しい広場に余りに大きな影が落ち、影の主がこちらを見下ろしている。
小田原城、栄光門。
強大に過ぎる強固な障害にこそ人の目は向くが、本当に恐ろしいのは守りの門ではない事を小十郎はよく知っていた。
それは余りに静かで、人に知られず、草葉の影や花弁の陰りより湧くように伸びて来るのだ。
一刀の元に背後に生じた気配を振り返るより速く、ただ切り捨てる。
小田原の忍、北条の忍、風魔の忍。
静かなる影こそが、この城を攻略する上で最も憂慮すべき敵であると、小十郎は手応えのない刃先に内心臍を噛んだ。
小十郎の首を狙い細心の注意を払って死角から無理に体を捻って現れた忍の身体が、解けるように反転して器用に黒龍の一閃を躱した。
互いに背を向けて先に表を向いた方が相手を仕留めれる一拍もない賭けに出たのだ。
横目でそれを見はしたが、助けられる猶予は萩原にはなかった。
桜の木に背を預けた男の周囲五方から術を解いて姿を現した五本の刃が襲いかかったからだ。
どちらかというと、小十郎よりもこちらが本命なのだろう。
常に暴れすぎのきらいがある萩原は目につきやすく恨みを買い易い。
被害甚大ともなれば早々に潰してしまうのが得策、戦力を集中させ各個撃破が望ましい。
だが、それこそがこちらの狙いなわけで。
焙り出さない限りそうそう姿を見せず背後から一撃で、が信条の忍者を相手取って物量をけしかけるは下策。
的が多ければ多いほど力を発揮するのが忍者の強みである。
そして、忍者が最も苦手とせざるを得ない者こそが、孤軍である。
一つ、あるいは数個の的ならば射易いと判じる事ができるのは十分に距離がある場合のみである。
的自体が異様に素早くかつ反撃を仕掛けてきたら。
銃で撃った瞬間こちらの位置を識別して盾ごと撃ち抜く投石を仕掛けてきたら。
帯をなしたこちらが見えた瞬間、雷撃で薙ぎ払ってきたら。
孤軍にとっては周囲全てが敵であり、一切の手加減も何も必要ない。
対する側は一人に割ける人員に制限がなくとも、接近されれば一度に襲いかかれる人数には空間的に制限がある。
その人数を十二分にいなし切れる人間だけで孤軍が構成され、かつその進軍速度が銃の間合いを一気に振り払えるほど速かったら。
大軍は、その進軍を止めることもできないまま悪戯に人員を浪費する。
相手が精根尽き果て膝を折るまでひたすら戦力を投入し続けるしかなくなるのだ。
それこそが、小十郎の狙い。
栄光門で足止めを食らうことさえ計算の内、もはや門より外の戦力はここと広場に集中しそれも直に尽きる。
小田原攻めにおいて最大の難所難敵となる栄光門の爆破は、往々にして無数の忍たちによる妨害工作で難航し撤退を余儀なくされる。
ならば、門から外の戦力をとことんまで先に削いでしまえばいい。
門の向こうでは鳥の巣をつつきまわした様な騒ぎになって、戦力の立て直しを図っていることだろう。
せいぜい門からこちらは持ち場を死守せよ程度の命令しか下ってはいまい。
今ここでどこまで、ふたりぼっちの孤軍が持ち堪えられるか。
伊達の戦力の被害を最小に抑え城内戦に持ち込めるか否かはここの踏ん張りにかかっている。
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