ブルー・スピニング・ホイール[1/10]
七夕の起源は中国にある、と言うか、現代日本イベントの大半の起源は中国にある。
七夕もしかり。
元々は織女に色とりどりの糸を通した針を供えて針仕事の上達を祈る行事だったのだが、日本に渡ってから盆やら神の汚れを祓う物忌みやらが混じり、畑の収穫を祈願する要素まで混ぜ込まれて日本特有の文化となった。
江戸時代後半になると一般に広がり、今の盆に近い形になったが、色とりどりの糸の名残が紙で作った輪飾りに残ったと言われている。
ともかく、戦国時代においては民草は豊作祈願の盆、宮廷では雅な針仕事の上達を祈る行事、一地方では物忌みの一つとしてそれぞれ別個に行っていた事…のはずなんだが。
思った以上に伊達軍は季節行事に敏感だったらしい。
この調子だとこの世界では久秀がモミの木を飾り付けて七面鳥を焼きながらクリスマスをやったり、西海の鬼が豆撒きは古いとか叫びながら恵方巻を噛る節分が日常なのかもしれない。
もしかしたらバレンタインやハロウィンも普通にやってんじゃないだろうか。
ともかく、七夕である今日は小十郎は朝から畑にも行かずせっせと七夕の準備をしていた。
北でも育つ粟や稗に、冷地特化した麦の亜種、これに加えて伝来した米の豊作を祈る土着信仰──所謂八百万の神──に根差した行事は仏教が基盤となってからも根強く、むしろ倭の血筋を誇示するようにさらに広がりを見せた。
特に麦は米を年貢として納める民には主食であり、米以上にその収穫高が生活を左右する作物だったので、祈り方も力が入っていたらしい。
それに穀物以外の収穫もついでに祈ると言う意味で、神馬として胡瓜の馬、牛車を引く牛として茄子の牛を供えるようになった。
だが、再度言うが一般に七夕が広がったのも、収穫祭と合併したのも、祖霊が宿る笹に織女・牽牛の逢瀬に合わせて願いを託すようになったのも、江戸時代以降だ。
それこそ小十郎が死んで政宗が痴呆老人になって徳川三代目の大の男好きに家老が頭を抱えた時代の話であるわけだ。
だが、目の前には笹ですらないでっかい竹を運ぶ伊達軍兵卒がいた。
時代考察の空しさをこう言う時は痛感する。
まぁ、BASARAだから…の一言なのかもしれないが。
その割には、七夕だからと律義に畑に進入禁止の立て札を立てて自分も入らない小十郎の行動があったりと、間違っていない部分もある。
だが、間違いなく今夜は竹に願い事が吊されるのだろう。
自分は一体何を書けば良いのだろうか。
地獄に相応しい人殺しの鬼の身で、一体何を望めば良いのだろうか。
最近は特に鬼の思考、悪鬼の刷り込みが強くなりすぎて元の性格を見失いがちになっている自覚がある。
悪鬼が言う『わざわざ痛みを掘り起こす愚考』にもたまには浸らないと、この幸せな場所でとろけてしまいそうになるのだ。
確かに、全てを完全に捨ててしまうのも良い。
けれど、それは、もう少し先でも良い気がした。
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