リクエスト企画短編[2/3]


リクA忘れた頃の痛み
 



呆気に取られたように手を見ている男をいぶかしみはしたが、いちいち気にしていてはきりがない。
小十郎は黒龍を流れる動きのまま鞘におさめ背を向けた。
だからこそ気付きはしなかった。
男がどう言うわけか、手首をしっかりと血が止まるほど握り締めていた事に。
血を止めていた事に。

勝手に塞がっていく傷口を歯を食いしばりながら忸怩たる思いで見下ろしていた男の事など、小十郎は知らなかったのであった。




時は少し遡る。

小十郎が畑に出てしばらくしてからの事。侍達が起き出した頃である。
近頃は平定も進み、大きな戦もなく実りの秋と言うこともあり近隣のぴりぴりとした緊張が和らいでいた。だがその逆に、秋空の下ぴりぴりとしだしていた者も出はじめていた。
最もたるものが悪鬼であった。
血と戦が三度の飯であるのだから、食いっぱぐれ続けた空腹に気が立つのも致し方ない。

そして気を立てたままの悪鬼を手に眠気眼で家を出て山へ分け入ろうとした男が、途中の畦道の畑にいた恐持ての男に用を聞かれ、うっかりとちょっと人斬りにと言ったばかりに起こった惨劇が、冒頭の事であった。




刀が握れぬほど手の平を半ば以上切られた。骨を擦って抜けた傷は横一線に親指の内側をより深くえぐっている。
第二関節の半ばから外側へぷらりともげ掛けの親指。正直一切目に入れたくない。
認識するほどに痛くなる。
痛い、ただひたすらに痛い。

これが痛いと言う感覚だったんだ。

全身の毛穴が開いて汗を垂れ流して、着いた膝だけでは耐えられず肩から地面に上半身を叩き付けて身をよじらせた。
口から意味のない呻きを上げれば楽になる気がして声にして息を吐きつづける。
膝をよじって傷を作っても、手の痛みが痛すぎて涙が出る。

嫌だ、痛いのは嫌だ。
痛いなんて。

涎を垂らして呻きを叫びに変えて、助けを呼ぶけれど誰も応えない。
小十郎は帰ってしまった。
畦道は畑も道も山も茶色で飛び散った血だけが赤い。
切れた手を痛いほど握り締めてもまだ痛い。


「人を斬る気になったか」


意地が悪いにもほどがある。
いくらでも斬るし、殺すから助けて欲しい。なんなら通りすがりでも誰でも斬る。
斬れないなら殴ってもいい。
こんな罰は反則だ、フェアじゃない、いくらでも言うことを聞くのに、逆らわなかったのに。


笑い声がしばらく響いて、泣き叫ぶ内に傷口は塞がったけれど、ついに悪鬼が痛覚を封じる事はなかった。
治った手から痛みは引いたけれど、土だらけで身をすくめた大男の泣き言は幼子のように止まなかった。







小十郎はぎょっとして顔を上げた。
確か昨日も似たような顔をしたのを自覚して、さっと表情を隠す。
この男になめられるのは嫌だったからだ。

しゃがみ込んだ小十郎が見上げた男は、昨日来た方とは反対の山側から姿を現した。
こちらが風上だったからずいぶん近づくまで気づかなかったのだ。そうでなければ臭いで気づいただろう。


「……何をしてるんだテメェ」


真っ赤に染まった男は珍しく笑いもしなかった。
つるつるとした肌に傷さえ作らず、どう言うわけか刀の刃を直に握り締めて。
拾っただろう見慣れぬ刀には返り血ではない血が滴っていたが、気にもとめていない。
握り直した手に刃が深く食い込むのを見て小十郎は顔をしかめた。



男が小十郎に笑いかけなかったのは後にも先にもこれきりであった。




リク:悪鬼が鬼主に痛覚をもどす話。亜高さんリクエスト


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