一番星道中記(佐助)[2/5]


 



この男と猿飛佐助が同席し、あまつさえ同じ宿に泊まろうとしているのは二人の主である真田幸村のまた主である武田信玄の命に他ならない。

無理矢理に真田幸村の部下になった萩原彰道のもっぱらの仕事は、武田信玄から拝命した任務の遂行だった。

上田城にいた所で糞の役にも立たないとは佐助の談だが、本人もそれは良く分かっており、それ以上に武田信玄は萩原彰道の性質を理解していた。

忍並の健脚と体力、並々ならぬ武芸の才と常識に囚われぬ智略ははっきり言えば内政には欠片も向いておらず、外交をするにもいかんせん、読み書き礼法の類いを身に付けていない茶坊主に劣る有様であった。

品も無ければ忠節も無いが、それでも萩原彰道を欲しがる声が後を絶たないのは、かの本多忠勝との一戦あっての事だ。

例の如く他国に拉致されている途中だった徳川家康を偶然にも助けた萩原彰道だったが、後を追って来た忠勝に誘拐犯と勘違いされ、一騎打ち、家康が止めるまでもなく引き分けへと持ち込んだのは雪の頃。

雪解けと共に全国を掛けた噂により萩原彰道の名は一躍、鬼嶋津と並び称されるようになった。

広めたのはあろう事か家康だった。

人がいい平和主義の家康は、敵対心が無くへらへら笑いで忠勝を退けた頭がだいぶん弛んだ様にしか見えない彰道の事をいたく気に入ったのだ。

忠勝の友達になってやってくれと言われてああと答えた彰道と家康の極めて個人的な交流は、先日徳川から名指しで届いた書簡により武田信玄の知る所となった。

それがこの事態のそもそもの元凶である。






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