初めまして、殺して下さい。


 風邪をひいた。

おに霍乱かくらんとはこのことじゃな。ほっほっほっ」
「無理し過ぎたのさね。私らは畑に行ってくるからね。安静にしているんだよ」
「いってらっしゃい」

 その日は朝からどんより曇っていた。



 鬼なんているわけない。近所のおばあさん達が鬼の話をしているのを聞いても、私は信じなかった。

「体が弱いのか?」

 ところがどっこい、今現在目の前に佇むのは自称おにであるし、勝手に他人様ひとさまの家にズカズカ入り込んでくるわ、やたらと「鬼にならないか」と勧誘してくる怪しい奴だった。

「さあ。知らないわ、私には記憶が無いから元々体が弱いのかどうかなんて。でも風邪をひいたのは覚えている限り初めてよ。でも大したことない風邪よ。重い病気なら、おばあさんは畑へ行かず看病してくれたでしょうね」

 私の最初の記憶、それは、視界に映った知らない天井だった。どうやら道端みちばたで倒れていたらしい私を優しい老夫婦が介抱してくださり、なんやかんや今に至る。ささくれ一つ無かった私の手は、水仕事などで今やあかぎれだらけの働き者の手となっている。

「私、記憶が無いの。自分が一体どこの誰なのか、どんな風に育ってきたのか全く知らないの。でもここでの生活を初めてもう長いし、もう怖くないわ。それに私、過去より未来のことを考えるようにしているの。来年、再来年は素敵な殿方に嫁いでるかもしれないもの、ワクワクするでしょう?」
「……俺もだ」
「え、」

 お互いに記憶喪失ということで私は妙に親近感を覚え、鬼が人を喰うなど夢にも思わず、養生の暇を持て余す私のお喋りに辛抱強く付き合ってくれる猗窩座さんに懐いた。

「あはは、鬼ってみんなそうなの?」

「あはははは、猗窩座さんってこしょこしょ効かないんだ」

「あっはっはっは、噛んだ噛んだ、猗窩座さんの負けー」

 それからも夜に時々訪れて来るようになった彼がしつこく勧誘してきたのは、また私が体調を崩して寝込んだ時だった。どうやら流行り病らしい。一緒に暮らしているおじいさんとおばあさんも患って先に逝ってしまった。

「鬼になれ、名前」
「鬼?」

 呼吸が苦しい。頭が重い。目が霞む。いよいよ私は本当に死ぬかもしれない。

「鬼になれば病など無縁だ。記憶は消えていくがそれが当たり前だ。俺と同じになるだけだ。何も不安に思うことはない」

 とうとう私がなんとか首を縦に振れば、まるで一部始終見ていたかのように、彼の背後から洋服を着こなす上品そうな男性が現れた。

「ふん、まあいいだろう。下らん病に屈する命、私の為に使ってみせろ」

 男がそう言った途端、私の頭を貫いた。え、と思ったのも束の間で激痛が体内を蝕みしばらく地面に這いつくばり悶え苦しんだ。やがて造り変えられた脳内にどこからか鬼としての暗黙の了解や情報が流れ込み人喰い鬼となった私は、眠っていた過去の記憶をも引き出していた。

「思い…出した」

 私にはずっと好きな人がいた。その人に会うことは無いと思っていた。

 私の鬼としての誕生を喜ぶ猗窩座を押しのけて家を飛び出した。猗窩座も鬼舞辻無惨も居るのなら、彼も居るかもしれない。そう信じて走った。私はきっと異世界トリップをして記憶を失っていたのだと。



 村の通りを突っ切る時、夜道に潜む恋人達アベックを押しのけた。するとしつこく突っかかってくるそいつらがしゃくに触り、まずは女の方に手を伸ばした。次いで夜空を突き破るような悲鳴。血の臭い。しかしそいつらは喰わなかった。ただまずかったことは悲鳴を聞きつけたのか、血の臭いを嗅いで補食衝動を抑えられなくなった私の姿を見て腰を抜かした女が振り向いた先に居たこと。正気を取り戻した時には辺りは地獄絵図で、先程始末した二人の死体に加え、指や肉片が血塗れで転がっていた。

 それでも私は何日も走り続けた。途中、他の鬼狩りに出くわすこともあったが隠れながらまいたりして探し回った。太陽の光を浴びただけで蒸発してしまうので、綺麗な朝焼けや、大好きな夕焼け空や、青い空が恋しくて仕方なかった。でも、私の運命はもう決まっていた。輪廻りんねがあるなら、それに賭けるしかなかった。



 その日は雨だった。彼のせっかくのふわふわの髪は残念なことに雨に濡れ、陽の光で透き通る琥珀の瞳も生憎の悪天候で曇っていた。まあ太陽が出ていたら私はこうして屋外にいられないのだけど。

「会いたかった…」
「え」

 ザーザーと雨音が鳴り響く中、呟いた声を拾ったのはさすがの聴力といっていい。

「貴方に殺してもらうために、今まで鬼狩りから逃げまわったのよ」
「は、…………鬼!?」

 そう、彼の想い人と違って人を食べた。何度か葛藤はあったけれど、誰も止めてはくれなかったから。食べてしまったのだ。暴力的なまでの食欲に抗えなかった。

「ねえ、我妻善逸、」
「はひ、……え? 名前…」

 私は鬼舞辻無惨に殺されるか、鬼狩りの刀で首を切られるか、太陽の光に焼かれなければ死なない。そして死ななくてはならない業を背負ってしまった。ならば私は。選べるなら、貴方の刀で、貴方に殺して欲しいの。

「私は貴方が…、貴方が大好きよ」
「は、ええぇぇえええ!? 俺ぇえ!?」
「あはははは。ほーんとに善逸だぁ」

 耳を塞ぎたくなるような期待通りの騒がしさに、愛しさがはじけた。


+++


 ケラケラ笑う様が印象的な彼女は、まるで普通の女の子みたいで、鬼だなんて信じられない。

「え、俺達どっかで会ったことあるかな?」
「ううん、ないよ。はじめまして。私は苗字名前」

 目の前の女の子は鬼であるにも関わらず、俺を食べようとしないどころか、笑ったり感動したりしてなんだか変な子だ。だけどさっきから俺を見つめる目がやけに優しげで、勘違いしてしまいそうになる。告白なんてされたの初めてだし、ましてや初めて会ったのに会いたかっただなんてどういうことなの!? 頭おかしいんじゃない?

「貴方の手で、私を殺して下さい」

「は…あぁああああ!? どういうことなの、無理! 俺には無理だから! 柱とかさ、他をあたってくれよ俺は弱いんだから勘弁してよぉおおお」

 嵐の前の静けさとはこのことだろうか。黙り込んだかと思えば負のオーラを纏って小さく呟いた。俺だから聞き取れたその言葉は「あっそ」。むしろ聞かなければ良かったと思ってしまうほど恐ろしい響きだった。

「じゃあ返してよ」

 究極のガクブル状態で今にも意識を飛ばしそうになった時、理解に苦しむ言葉が飛んできたので思わず恐怖も忘れてキョトンとした。

「貴方が奪った私の恋心、今すぐ返して!! そうしたら私は太陽に焼かれて死ぬから!!」
「!!!!!」

 その時、雷が落ちた。急激に顔に熱が集まっていき、とうとうボンッと音を立てて爆発した。心拍数が尋常ではない、このままだと死んでしまう。そのくらい、ドキドキしている。そのくらい、彼女を意識してしまった。だって、あんなことをさ、あんな涙を流しながら叫ばれたらさぁ……。さすがに色々飲み込まざるを得ない。俺へのこの子の本気の想いと、それから死ぬ覚悟をさ。きっと俺じゃないと嫌だからそんなに泣いてるんでしょ? 俺さ、女の子を怒らせたことはあるけど泣かせたのは初めてなんだ。俺が責任を取らないとじいちゃんに叱られちゃうよなぁ。どういうきっかけで俺を探してたのかは分からないけど、この子は俺に会うために鬼になったのかもしれない。……ああ、俺、ちゃんと出来るかな。

「やっぱり善逸は優しいね」

 その言葉に俯いていた顔を上げると、彼女の柔らかい指が溢れた俺の涙を拭ってくれた。いつの間に泣いていたのか気付かなかったけれど、涙があとからあとから溢れて止まらない。拭ってもきりがないそれに、君は困った表情で笑う。なんだよ、優しいのは君の方じゃんか。

「大丈夫だよ」

 「大丈夫」、何度もそう言っておもむろに俺の手を握りながら驚くことにうやうやしくひざまずいて、俺なんかの手の甲に唇をのせた。

「な、なななな、ハァッ!? え、ど、な、ちょ…」
「善逸、大丈夫だから、切って」

 まるで泣き縋るような声に痺れた。一体何が大丈夫なのか分からなくなったものの、俺の手は刀の柄を握らされた。思わずごくりと唾を飲み込むけれどなかなか腹をくくれない俺の様子に、彼女が先に動いた。

「仕方ないわね。これは反則かもしれないけど、ごめんね。お休みなさい、善逸」

 その言葉を皮切りに、俺の意識は遠のいた。



+++


「血鬼術、子守歌」

 無理矢理だったけど、善逸を眠らせさえすればこっちのものだ。だけど眠った彼はまだ涙を流し続けていて、思わず息をのんだ。

「名前ちゃん、いくよ」

 名前を呼んでくれた。それだけで地獄へのお土産になるよ。優しい貴方にこんなことをさせてごめんなさい。その涙はどうか貴方の大切な人が拭ってくれますように。……ああでも、やっぱり妬けちゃうわ。私のために流してくれた涙だもの、私が持っていかなくちゃ、ね。
 無言で頷けば、目を瞑っているから見えていないはずなのに、刀の鍔をカチリと押し上げた。善逸のくせに、やけに様になったその仕草が格好良くてたまらない。ああ、このときめきも返してもらわなくては、地獄で通常以上に苦しむことになりそうだ。

「ありがとう、善逸」




fin.


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